07 大トリ
残念ながら、『さくら事変』の一曲目を終えたところで、『KAMERIA』のメンバーは用具室に向かうことになった。
栗原理乃はこれから変身する身であったため、早めに準備する必要があったのだ。そこで尽力するのは町田アンナであったが、めぐるも他人顔で客席に残ることはできなかった。
「『さくら事変』も、いい感じだねー! 最後はウチらで大爆発して、文化祭をしめくくろー!」
栗原理乃がパーティションの裏で着替えている間、町田アンナはずっとはしゃいでいた。まだ最初のステージの余熱が残されているのだろう。
栗原理乃が白いワンピースと黒いTシャツに着替えたならば、あらかじめ三つ編みにされていたロングヘアーが後頭部でまとめられて、アイスブルーのウィッグがかぶせられる。そうして黒いレースの目隠しが装着されたならば、リィ様の完成であった。
「こんなぎりぎりに変身するのは、ちょっとひさびさだよねー! リィ様、大丈夫?」
「ええ。問題ありません」
別人のように冷徹な声で答えつつ、栗原理乃はすぐさま壁のほうに向きなおる。
その間、めぐるはひたすら運指のウォームアップだ。午後にも多少は練習できたので、めぐるの指先は問題なく動いてくれた。
ステージのほうからは、扉ごしに『さくら事変』の演奏が響きわたっている。
最後の曲もミドルテンポであったが、これまでの二曲よりは迫力を必要とする曲調だ。和緒のドラムも本来の力強さを発揮して、めぐるをいっそう幸福な心地にしてくれた。
『ありがとうございました。次に登場する「KAMERIA」はすごいバンドですので、どうぞそのままお楽しみください』
そんな森藤の言葉によって、『さくら事変』のステージは終了した。
四名のメンバーが用具室に戻ってくると、町田アンナが真っ先に「おつかれー!」と声を張り上げる。
「客席では一曲しか聴けなかったけど、すっごくいい感じだったよー! シマ坊も、頑張ったね!」
「ありがとうございますぅ」と頭を下げてから、嶋村亨はめぐるのほうに向きなおってきた。
「遠藤先輩も、本当にありがとうございましたぁ。先輩のおかげで、納得のいくステージをやりとげることができましたぁ」
「え? あ、いえ……わ、わたしはそんな、大したこともできませんでしたので……」
「そんなことはないですよぉ。もちろん他の先輩の方々がいなかったら、僕なんて何にもできなかったでしょうけれど……一番大きなきっかけをくれたのは、遠藤先輩ですからねぇ」
「そーそー! めぐるの号泣があったから、シマ坊もイチネンホッキしたんだろうしねー!」
「ご、号泣まではしていませんけど……」
めぐるがもじもじすると、町田アンナばかりでなく森藤や小伊田も笑い声をあげる。そして嶋村亨もお地蔵様のような顔で笑っていたが、ふっと和緒のほうを振り返った。
「あの……磯脇先輩は、怒ってないですよねぇ?」
「ふむ? あたしが怒っているようにでも見えるのかな?」
「紙袋をかぶってるから、わからないんですよぉ。ご迷惑をおかけしたことは何べんでも謝りますから、どうか許してくださぁい」
「ふむ。嶋村くんに謝られる筋合いはないけど、無条件で降伏されるというのは心地好いものだね」
覆面姿で人を食ったことを言いながら、和緒は『KAMERIA』のメンバーを見回した。
「それより、さっさと準備をしたら? あたしはすでに完了してるから、高みの見物を決め込ませていただくよ」
「よーし! それじゃー、いざ出陣だー! 『KAMERIA』、ふぁいと・おー!」
紙袋をかぶりなおした町田アンナを先頭に、『KAMERIA』の一行は壇上を目指した。
重い電子ピアノの運搬は、小伊田と嶋村亨が手伝ってくれる。栗原理乃はそれこそ姫君か女王のような風格で一礼しつつ、手ぶらで階段をのぼっていった。
和緒がエフェクターボードを運んでくれたので、めぐるは剥き出しのベースだけを抱えて壇上に出る。
体育館は、相変わらずの賑わいだ。そして、リィ様と覆面姿の三名が登場したことで、どよめきがあげられていた。
覆面姿にはいい加減に見慣れた頃合いであろうから、一番の反響をもたらしているのはリィ様たる栗原理乃であるのだろう。美しい機械人形のような姿をした栗原理乃は、昨年もこうして来場した人々を驚嘆させていたのだった。
(でも、演奏が始まったら、もっとびっくりするんだろうな)
栗原理乃の歌とピアノには、それだけの迫力が備わっている。そしてめぐるも、それに負けない演奏を目指す所存であった。
壇の手前の最前列には、慕わしい面々が集っている。
そちらにこっそり頭を下げてから、めぐるはセッティングに取りかかった。
ハートキーのベースアンプを相手取るために、『KAMERIA』も二回だけ地元の楽器店のスタジオで練習に取り組んでいる。そちらのスタジオはひと部屋しか存在しないために予約が取りにくく、この文化祭の対策でしか活用していないのだ。その二回で、めぐるは一年ぶりとなるハートキーの使い方を思い出していた。
めぐるの印象としては、普段のアンペグよりもハートキーのほうがすっきりとした音であるように感じられる。そこで自分が求める重々しさや荒い雰囲気を実現するには、試行錯誤が必要であった。
その試行錯誤をアンプそのもので行うかエフェクターのほうで補うかで、また選択肢が増えてしまう。かつてフユが語っていた通り、選択肢が増えれば増えるほど、正しい道筋を探すのが困難になるようであった。
(そういう意味では、チューナーしか通さない野中さんはあまり迷わずに済むのかな)
めぐるは野中すずみや轟木篤子のおかげで、エフェクターを使用しないベースの格好よさというものを思い知ることができた。しかしやっぱり、めぐるがもっとも好ましく思うのは、数多くのエフェクターで彩られたベースサウンドであるのだ。よって、この試行錯誤も楽しみのひとつであった。
スタジオとステージでは音の聴こえ具合が異なってくるので、やはりこのたびもスタジオのセッティングそのままでは通用しそうにない。
めぐるはまずアンプのほうで微調整を施して、それでも理想に届かないと見た段階で、プリアンプのエフェクターたるトーンハンマーを操作した。
じわじわと、めぐるの理想に近い音色に仕上がっていく。
しかし歪みのエフェクターをオンにすると、また不満な点が浮き彫りになってしまう。今度はそれらのエフェクターも含めて、微調整を施す必要が生じた。
その間に、町田アンナは彼女らしいサウンドを完成させる。
やっぱり、いくぶん音が遠いようだ。体育館の檀上は野外音楽堂と同等の広さを持っているので、こればかりは致し方なかった。
(『V8チェンソー』や『リトル・ミス・プリッシー』では、それでもモニターの返しを調整しないのかな)
そんな考えが頭をよぎったが、めぐるも最近ではあまりその逸話が気にかからなくなっていた。
他のバンドがどうであろうとも、自分たちは自分たちであるのだ。
部室やスタジオでどうこうできる話であるならばいくらでも試行錯誤したいところであるが、本番前のリハーサルやセッティングの時間内でやれることは限られている。いまだ駆け出しである『KAMERIA』は、限られた時間の中で最善の結果を求めるしかなかった。
「あ、あの、ギターとドラムの音を、もう少し強めに返していただけますか?」
覆面姿のめぐるがそのように呼びかけると、セッティングのスタッフはぎょっとしたように身を引いてから、インカムでPAのスタッフに要請を伝えてくれた。
なんとなく、昨年も同じようなリアクションを取られたような気がする。めぐるたちが覆面姿でセッティングに取り組むのは文化祭ぐらいであるので、きっと間違いはないのだろうと思われた。
そうしてついに、理想通りの中音が完成する。
めぐるがほっと息をつきながら壇上のメンバーたちを見回すと、町田アンナは客席に向かって手を振っていた。
それでめぐるも客席に向きなおると、ずいぶん壇の手前まで押しかけた人数が増えている。制服やジャージ姿の生徒たちに、私服姿である外来の人々など、さまざまだ。もしかしたら、リィ様の美貌とただならぬ雰囲気が、見知らぬ人々の関心をかきたてたのかもしれなかった。
それでも野中すずみは町田家の面々とともに、最前列をキープしている。
めぐるは思わず口もとをほころばせてしまったが、紙袋をかぶっているために誰にも知られることはなかった。
町田アンナはひとしきり手を振ってから、ドラムのほうに向きなおる。
和緒はめぐるの姿と栗原理乃の背中を見回してから、両手のスティックを振り上げた。
シャープなスネアの音色を合図に、すべての楽器がいっせいに鳴らされる。
それだけで、客席に歓声がわきたった。
『ハロー・エブリワーン! ウィー・アー・「KAMERIA」!』
オレンジ色のテレキャスターをかき鳴らしながら、町田アンナが元気な声を響かせる。
そうすると、またパイプ椅子のほうから何名かの人々がステージに近づいてきた。
『ファースト・ソーング! ニジノタワムレ!』
その宣言を合図にして、和緒が長いフィルを披露する。
その最後の一音で町田アンナと栗原理乃は演奏の手を止めたが、めぐるはそのまま『虹の戯れ』のイントロに突入した。
重い歪みのB・アスマスターとオートワウを重ねがけした、凶悪かつ派手派手しいサウンドである。
話し合いの結果、二曲目の新曲はのちのちの機会に持ち越すことにして、こちらの『虹の戯れ』を本日のオープニングナンバーに定めたのだ。
こちらの曲もヨコノリの要素を備えているが、それよりも凶悪さや重々しさが先に立つことだろう。誰あろう、自分たちがそういうアレンジを選択したのである。『V8チェンソー』の素晴らしいアレンジを見届けた現在も、その判断を後悔することにはならなかった。
『KAMERIA』は自分たちをヘヴィ・ロックと定義しているわけではないし、ジャンルにとらわれずにさまざまな楽曲を作りあげたいと考えている。
しかし、現在の『KAMERIA』がもっとも独自性を打ち出せているのは、こういった曲調であるのだ。であれば、オープニングナンバーで使用しても問題はあるまいという判断であった。
これまでは、ダンシブルな楽曲かタテノリで勢いのある楽曲をオープニングナンバーで使用してきた。これは新たな試みである、第三の選択であるつもりであった。
また、体育館のステージには照明の演出がなく、重々しさも凶悪さも音だけで表現するしかない。今の自分たちの表現力だけでどれほどの迫力を打ち出せるかという、そんな挑戦の意味合いも含まれていた。
客席の人々は、おおよそ棒立ちで壇上を見上げている。はしゃいでいるのは、町田家の姉妹と『ケモナーズ』の面々ぐらいだ。
ただ体育館のステージでは、これが平常となる。煌々と明るくだだっ広い体育館ではしゃぐ人間など、そうそう存在しないのだ。よって、肝要であるのは、人々の胸中にどのような思いが喚起されているかであった。
(わたしは楽しいと思ってるから、みんなにも楽しんでもらえていたら嬉しいな)
そんな思いを胸に、めぐるは難解なるフレーズを弾き通した。
明るい客席では、また何名かの人々がパイプ椅子の席から立って、ステージのほうに近づいてきていた。
おおよその人々は、驚嘆の表情を浮かべているようである。
『さくら事変』がやわらかな雰囲気の音色であったため、そのギャップがいっそうの派手派手しい印象をもたらすのかもしれない。
ともあれ――めぐるは普段通りの満たされた心地であったし、客席からもそれを後押しするような熱気がじわじわと伝わってきたのだった。




