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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 5-

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07 初レッスン

 翌日――四月の第二水曜日である。

 その日から、ついに仮入部をした三名に対する演奏の指導というものが行われることになった。


 昨日と同じように、部室には全部員が集合している。野中すずみは満身から気合をみなぎらせており、めぐるは遠い位置で小さく縮こまっていた。


「みんな、昨日はお疲れ様! さっき、リペアショップの店主さんから見積もりのご連絡をいただいたよ! どっちも余裕で二万円以内で収まるっていうお話だったから、リペアをお願いすることになりました!」


 今日も今日とて、部室にやってきた森藤は存分に奮起している。

 そのかたわらで、小伊田はにこにこと笑っていた。


「ネックとかはひどい状態で、もしかしたらフレットのすり合わせっていう作業が必要になるかもしれないけど、それ以外に大きな問題は見られないってさ。週明けに引き取ることになったから、それまではこのギターとベースを使ってね」


 部室には、ギターとベースが一本ずつ準備されていた。ギターは小伊田たちがメインで活動をしているメンバーからの借り物で、ベースは小伊田の私物であるのだそうだ。


「僕も今のベースを買ってから、こっちはメンテもしてないんだけどさ。そこまでネックが反ったりはしてないはずだから、練習に支障はないと思うよ」


「副部長も、ベースを二本持ってたんですね。ちなみに、いつぐらいに買ったんですか?」


 和緒がそのように問いかけると、小伊田は「うーん?」と思案した。


「最初にベースを買ったのは、中学二年の終わり頃だったかな。もう受験生になるっていうのに、どうしても我慢できなくってさ。それで受験が終わった後、この軽音学部に入部して……今のベースを買ったのは、高校一年の冬頃だったね。あんまり安物のベースだと上達しないぞって、当時の先輩に尻を叩かれちゃってさ」


「なるほど。高校二年で二本目のベースを買うっていうのは、そんなに珍しい話でもないんですかね」


「あはは。遠藤さんは、ヘフナーを買ったんだってね。うん、高校二年で二本目のベースっていうのは、標準の範囲内なんじゃないかなぁ」


 そんな風に答えながら、小伊田はソフトケースのジッパーを開いた。そこから現れたのは、ジャズベースタイプの黒いベースである。


「これはセットで二万円以下っていう安物だけど、最近は安い楽器でもそこそこの品質だって評判だからね。週明けまでの場つなぎとしては、そんなに悪くないと思うよ」


「それでこっちは、うちのメンバーからの借り物ね。もう使うあてはないって話だけど、傷つけたりしないように気をつけて使ってください」


 森藤の厳粛なる呼びかけに、嶋村亨は「はぁい」とのんびり応じる。そして、ソフトケースから取り出されたギターに「へー!」と声をあげたのは町田アンナであった。


「ストラトかー! しかもちゃんと、フェンダーじゃん!」


「うん。メキシコ製で中古だから、リーズナブルだったらしいよ。まあ、部室のギターと同じぐらいのランクなのかな」


 そちらはストラトキャスターというタイプで、カラーリングは黒から茶のグラデーションであるサンバーストというものだ。知識の足りないめぐるでも、楽器店やライブハウスで嫌というほど目にしてきたビジュアルであった。


「それじゃあ、各パートに分かれて指導を始めようか。ギターの嶋村くんは町田さん、ベースの野中さんは僕と遠藤さん、ドラムの北中さんは磯脇さん。あとは部長が巡回するから、栗原さんはそのサポートをよろしくね」


「はあ……」と、栗原理乃は頼りなげに眉を下げている。はっきりとした役割がないというのも、落ち着かない気分なのかもしれないが――しかし、めぐるにとっては羨ましい限りであった。


(でも、こっちは小伊田先輩がいてくれるんだから、贅沢は言えないよね)


 和緒などはキャリア一年足らずの身で、マンツーマンで指導役を担わなければならないのだ。まあ、和緒であれば難なくこなしてしまいそうなところであるが、それでもめぐるよりは負担も大きいはずであった。


 ということで、広い部室で三ヶ所に輪を作る。ギターの班がアンプを担いで入り口のあたりにまで移動したので、ベースの班はそちらとドラムセットの中間地点に陣取ることになった。森藤と栗原理乃は、まずドラムの班と合流だ。


「さて。野中さんは、完全に未経験者なんだよね? まずは、ベースを手に取ってみるといいよ。落とさないように、気をつけてね」


「はいっ!」と力強く応じながら、野中すずみは小伊田から黒いベースを受け取った。

 やはり体が小さいために、ベースが大きく見えてしまう。しかしめぐるもそれは同様であったので、まったく他人事ではなかった。


「うんうん。よく似合ってるよ。ちなみに、ベースがどういう楽器なのかは、どれぐらい知っているのかな?」


「はいっ! ベースとは、低音で楽曲の土台を支える役割だとうかがっています! でも、バンドによってはギターと同じぐらい派手に楽曲を彩るのだとうかがっています!」


 野中すずみは頬を紅潮させながら、めぐるのほうをちらちらと盗み見てくる。もちろんめぐるは無言のままであったので、小伊田が「そうだね」と相槌を打った。


「その解釈で間違っていないと思うよ。付け加えるとすると……ベースは演奏のアンサンブル、つまり調和を支える役割でもあるんだ。ベースが余計な主張をすると、演奏のバランスが崩れちゃうわけだね。遠藤さんなんかは、そのぎりぎりのラインで強烈な自己主張をしている、すごいプレイヤーなんだよ」


「はいっ! めぐる先輩の凄さは、理解しているつもりです!」


「うんうん。遠藤さんみたいな、立派なベーシストを目指してね。それじゃあ、レッスンを始めようかと思うけど……やっぱり、希望のプレイスタイルは指弾きなのかな?」


「はいっ! めぐる先輩と同じプレイスタイルでお願いします!」


「うん。指弾きにもピック弾きにも、それぞれ特性と魅力があるからね。ちなみに遠藤さんは、ピック弾きの経験はあるのかな?」


「あ、いえ……試したこともありません。どうもすみません」


「あはは。何も謝ることはないさ。それじゃあまずは、指弾きのフォームだけど……僕はピック弾きがメインだから、遠藤さんにお願いしていいかな?」


「は、はい。わ、わたしは全部、教則本の受け売りですので……それでよければ……」


 めぐるは覚束ない調子で、自分が一年と二日前に習い覚えたことをレクチャーすることに相成った。

 野中すずみは顔を真っ赤にしながら、うんうんとうなずいている。そうして、ちんまりした指先で4弦の開放弦を弾くと――実にかぼそい音色が鳴り響いた。


「そ、そんな感じです。それを二本の指で、交互に繰り返すわけですね。わ、わたしは人差し指を頭にしていますけれど、厳密なルールとかはないそうです」


「はいっ! 承知しました!」


 野中すずみはたどたどしい指づかいで、ぺちぺちとベースの音を鳴らした。

 芯はまったく響いていないし、弦の表面を撫でているようなものである。めぐるもかつては、このような姿をさらしていたはずであった。


「そ、それじゃあ今度は、フレットを押さえてみましょうか。左手の人差し指で、4弦の5フレットを押さえてください。……あ、もっとフレットに指を寄せたほうが、音を鳴らしやすいと思います。……あ、フレットっていうのは、この区切りの金属の部分のことです。……あ、いやいや、奥のほうじゃなくって、手前のほうに寄せるんです」


 野中すずみは懸命に指を動かしたが、最後には眉を下げてしまった。


「あの……なんだかちっとも、格好よくありません。やっぱりアンプやエフェクターというものを通さないと、めぐる先輩みたいな音を出すことはできないのでしょうか?」


「それはもちろんその通りだけど、アンプっていうのはあくまで増幅器だからね。本当に格好いい音を鳴らすには、まず生音でしっかり鳴らさないといけないんだよ」


 小伊田はにこにこと笑いながら、めぐるに向きなおってきた。


「ひとつ、模範演技をしてもらおうか。遠藤さんも、生音で自分のベースを弾いてくれるかな?」


「あ、はい……」とめぐるは不承不承、スタンドに立てかけてあったリッケンバッカーのベースを手に取った。

 そうしてめぐるが4弦5フレットのA音を何回か鳴らすと――野中すずみは、愕然と身をのけぞらせた。


「や、やっぱりめぐる先輩は、アンプを通さなくても格好いいです! ど、どうしたら、そんな風に格好いい音を鳴らせるのですか?」


「これを格好いいと思えるのは、センスがいいのかな。普通は生音で、そこまで違いは感じられないと思うよ」


「でも、全然違います! わたしの音は、へにょへにょのぐずぐずです! わたしは、どうするべきですか?」


「まず重要なのは、力加減かな。遠藤さんって、見るからにアタックが強いもんね。あと何か、遠藤さんなりのコツとかはあるのかな?」


「よ、よくわかりません。わ、わたしは教則本の通りに練習しただけですので……」


 そのように答えてから、めぐるは足もとに置いておいたギグバッグからその教則本を取り出した。


「ですから、あの……野中さんも、これで練習したらどうでしょう?」


「えっ! め、めぐる先輩が使っていた教則本をお借りできるのですか?」


 野中すずみはいっそう顔を赤くして、しまいには目もとを潤ませてしまった。


「わ、わたしはもう使っていませんので、よかったらどうぞ。わ、わたしなんかに習うよりも、それを読んだほうが早いと思いますので……」


「あはは。でも、本は家でも読めるからね。部室では、本から学べないことを教えてあげないと――」


 小伊田がそのように言いかけたとき、入り口のあたりからギターのエレキサウンドが轟いた。

 弾いているのは、嶋村亨である。椅子に座ってストラトキャスターを抱えた彼は、細い指先でよどみなく弦をかき鳴らしていた。


「おー、上手い上手い! しかも、めっちゃきれーな音だねー! コード弾きは、完璧じゃん!」


 嶋村亨はのんびりとした笑顔で何か答えたようであったが、それは自らのギターサウンドにかき消されてしまっている。

 すると、ドラムセットのほうに陣取っていた和緒がヴォーカル用のマイクを使って『ちょっと』と呼びかけた。


『こっちはまだしも、ベース班の邪魔になるんじゃない? 少しは加減を考えなさいな』


「ごめんごめん! でもシマ坊って、めっちゃ上手くない?」


『出会って二日目でもうシマ坊よばわりかい。コミュ力おばけっぷりを見せつけてくれるねぇ』


「だって、名前の呼び捨ては照れ臭いって言うからさー! くんづけはウチのほうが慣れないし、苗字の呼び捨てはよそよそしーしね!」


 町田アンナは楽しげに笑いつつ、ギターアンプのボリュームを絞った。

 するとそれに合わせたのか、今度は単音のメロディが披露される。そちらこそ、驚くぐらい流麗な指づかいと音色であった。


「おー、すっげー! 単音もめっちゃ上手いじゃん! てか、ウチより上手いぐらいなんじゃないのー?」


「クラシックギターって、単音を使うことが多いんですよぉ。フォークソング同好会でも、上手だってほめてもらえましたぁ」


 嶋村亨は、あくまでのほほんとしている。

 そして――めぐるのかたわらでは、野中すずみがわなわなと肩を震わせてしまっていた。


「わ、わたしも負けていられません! どうぞ、レッスンの続きをお願いします!」


「いやいや。演奏っていうのは、競争じゃないからね。それに、嶋村くんは小学生の頃からギターに触ってたんだから、上手なのが当たり前さ」


「でも! 同じ一年生ですし! もし嶋村くんとバンドを組むことになるのなら、わたしも負けていられません!」


 すると今度は奥のほうから、バスドラの力強い音色が聴こえてきた。

 ドラムセットに着席しているのは、北中莉子である。和緒はそのかたわらで、傲然と腕を組んでいた。


「やっぱ筋力が違うのかな。初めてとは思えないパワフルさだね。そのまま、スネアも叩いてみようか」


 もうスティックの扱いまでレッスンが進んでいたらしく、北中莉子は右手に握ったスティックを振り下ろす。バスドラが四つ打ちのリズムを刻み、その中間にスネアの音を差し込む形だ。


 これは――和緒が初めてのセッションで見せていたリズムである。

 めぐるが思わずノスタルジーにひたっていると、また野中すずみが騒ぎ始めた。


「り、りっちゃんも、何だかすごく格好いいです! ど、どうか早く、レッスンを進めてください!」


「うん、だからね――」と、小伊田は困ったように微笑む。

 そうして新入部員に対する指導というのは、賑やかに進められていき――めぐるは、それなりの心労を抱え込むことに相成ったのだった。

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