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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 5-

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06 衝動

「いやぁ、ひさびさにめぐるっちが熱弁する姿を拝見できて、何だか感無量だなぁ」


 浅川亜季はにまにまと笑いながら、そんな風に言いたてた。

 いっぽうめぐるは思いのたけを噴出して、いささかならず脱力気味である。

 そして、肝心の野中すずみは――赤く泣き腫らした目で、ひどく思い詰めた顔をしていた。


「……わかりました。今はまだちょっと気持ちの整理がついていませんけど……もういっぺん、頭を冷やして考えてみます」


 そう言って、野中すずみはにわかに深々と頭を下げてきた。


「そ、それに、わたしなんかのためにあれこれ考えてくださって、本当にありがとうございます。めぐる先輩の期待を裏切らないように、わたしも頭を振り絞ります」


「あ、いえ、別に、期待をしているわけでは……」


「あんたはもう喋らなくていいよ。これ以上は、ボロが出るだけだろうからね」


 和緒が苦笑を浮かべつつ、まためぐるの頭を小突いてくる。

 すると店主が、ひさびさに「ふん」と鼻を鳴らした。


「世の中には山ほどシグネイチャーモデルというものが出回っているのだから、憧れのアーティストと同じ機材を使いたいというのはごく自然な心理なのだろうよ。その反面、同じ機材など死んでも御免だと考える偏屈者も同じだけ存在するのだろうな」


「うんうん。ロック系のミュージシャンなんて、偏屈者の集まりだからねぇ。要するに、そんなのは人それぞれってことさぁ」


 浅川亜季は咽喉で笑いながら、祖父の言葉尻に乗っかった。


「だからまあ、すずみっちも好きなだけ我が道を突き進めばいいと思うよぉ。最終的にあなたがペパーミントグリーンのリッケンベースを選んだって、めぐるっちは受け入れてくれるだろうからさぁ」


「は、はい。わたしはそもそも、リッケンバッカー以外のベースをまったく知りませんので……それも含めて、色々と考えてみるつもりです」


「普通は最初からそうするもんなんだよ。まったく、世話を焼かせてさ」


 北中莉子がそのように言い捨てると、野中すずみはおずおずとそちらを振り返った。


「りっちゃんにも、たくさん心配させちゃったよね。……どうも、ごめんなさい」


「ああもう、いいってば。次に暴走したら、あたしは知らないからね」


 野中すずみは「うん」とうなずきながら、はにかむように微笑んだ。

 思い返すと、めぐるが彼女の笑顔を見るのは初めてのことである。ちょっと幼げな顔立ちをした野中すずみの笑顔というものは、とてもあどけなくて可愛らしかった。


「……遠藤先輩も、どうもありがとうございました」


 と、今度は北中莉子がめぐるに向かって頭を下げてくる。それでめぐるは、また慌てることになった。


「あ、いえ、わたしは自分の気持ちを勝手に語っただけですので……どうか気にしないでください」


「遠藤先輩の言葉を気にしなかったら、この子の暴走は止まりませんでしたよ。本当に、助かりました」


 そのように語る北中莉子は、むしろまだ怒っているかのような顔つきである。彼女は彼女で、感情表現を苦手にしているのかもしれなかった。


「いやぁ、丸く収まって何よりだねぇ。もし他のベースに目が向きそうだったら、この店の商品もよろしくねぇ」


 浅川亜季がとぼけた声をあげると、店主が「おい」とたしなめた。


「余計なことは言わんでいい。もう面倒ごとは、まっぴらだ」


「商売っ気の薄い店主のために、あたしが売り込みをかけてるんだよぉ。ほらほら、あなたはめぐるっちに負けないぐらいちんまりしてるから、このヘフナーなんて如何かなぁ?」


 そのブランド名に聞き覚えがあっためぐるは、浅川亜季の指し示す方向に目をやった。

 向かいの壁には、何本かの楽器が掛けられている。浅川亜季が指し示しているのは、ずいぶん小ぶりなバイオリンのような形状をしたベースであった。


「ヘフナーって……たしか、フユさんも持ってるんですよね?」


「うん。フユはアクティブのハイエンド系ばっかだから、一本ぐらいは毛色の違うベースが欲しくなったんだろうねぇ。フユはこいつにナイロンコーティングの弦を張って、アコベみたいに使ってるよぉ」


「そのヘフナーにも、ナイロンコーティングの弦を張っているぞ。まあ、主流はフラットワウンドだろうし、ラウンドワウンドにすればいっそうさまざまなジャンルに対応できるだろうがな」


 そのように語る両名の言葉を聞きながら、めぐるはそのベースに目を奪われていた。

 このような形状をしたベースは、かつてお茶の水の楽器店巡りでも目にした記憶がある。ただ、それらのベースは本物のバイオリンさながらのナチュラルなカラーリングであり――そこに飾られているベースは、メタリックレッドであったのだった。


 それでもやっぱり中古品であるためか、いくぶんくすんでいるように感じられる。しかしもともとが派手なカラーリングであるため、そのくすみ具合が魅力的だ。それに、バイオリンベースというのはボディが小さいばかりでなくネックも細くて短いようであり――なんとも、可愛らしいデザインであった。


 さらに特筆するべきは、弦が黒いことである。それがいわゆる、ナイロンコーティングというものなのだろう。赤いボディと黒い弦の対比が、実に印象的かつ新鮮であった。


「このベース……これまで、ありましたか?」


「うん? いや、ようやくリペアが済んだんで、つい先週から売りに出したところだな」


「そうですよね」と答えながら、めぐるはやっぱりそのベースから目を離すことができなかった。


「もしかして、めぐるが欲しくなっちゃったー? そーいえば、リペアに出すときサブのベースがあったらいいなーとか言ってたもんねー!」


「あ、いえ……わたしも、無駄遣いはできませんし……ヘフナーって、お高いんでしょう?」


「ヘフナーは、ピンキリだ。こいつは、22000円で売りに出している」


 店主の返答に、めぐるは「えっ」と立ちすくんでしまった。


「そ、そんなにお安いんですか? フユさんが買うほどのベースなんでしょう?」


「あいつが使っているのもコンテンポラリーシリーズなので、二十万円はしないだろう。こいつはさらにローコストのイグニッションというシリーズなので、ジャンクの修理品ならこれが妥当だ」


「いやいや。たとえ修理品でもコンディションはばっちりなんだから、倍の値段でもバチは当たらないと思うけどねぇ。ほんと、商売っ気がないんだから」


 そんな風に言いながら、浅川亜季はにんまりと微笑んだ。


「めぐるっちは、ずいぶんこいつが気に入ったみたいだねぇ。なんなら、試奏してみればぁ?」


「あ、いえ……それで気に入ってしまったら、歯止めがきかなくなってしまいますので……」


「歯止めをしなくちゃいけないのぉ?」


「そ、それはその……まだフユさんに、いくつもエフェクターをお借りしてる身ですし……」


「そのエフェクターを買いそろえるだけの資金を残しておけば、別に不義理ってことにはならないんじゃないかなぁ。フユはそれよりも、めぐるっちの進化と成長を一番に願ってるだろうしねぇ」


 実のところ、めぐるの預金残高というものはとっくに十万円を突破していた。昨年の秋口からずっと十万円の前後を行ったり来たりしており、年明けにオートワウを購入しつつ和緒の誕生日を祝ったことで、また大きく落ち込むことになったが――それからの二ヶ月ほどで、預金残高は十二万円に達していたのだった。


「とりあえず、試奏してみたらぁ? ヘフナーってのはリッケンどころじゃない個性派ベースだから、音が気に食わなかったら悩む理由もなくなるんじゃない?」


 めぐるが視線を泳がせると、和緒は無言で頭を小突き、町田アンナは「あはは!」と笑った。


「いーじゃんいーじゃん! せっかくだから、コーハイにもかっちょいいとこを見せちゃいなよ!」


 めぐるはとうていそんな気持ちにはなれなかったが、しかし胸中に渦巻く気持ちをこのままなだめることも難しかった。メタリックレッドに照り輝くバイオリンベースが、めぐるのことをじっと見つめているような心地であったのである。


(これって、ショートスケールってやつだよね。そんなに弾き心地が違ったら、きっと欲しいとは思わないよね)


 そんな言い訳を心中で繰り返しながら、めぐるはそのベースを試奏することになってしまった。

 新入部員の両名と和緒はほとんど出口のあたりにまで後退し、浅川亜季は耳でチューニングをしたベースを手にカウンターから出てくる。そして、試奏用の小さなベースアンプにシールドを繋いでくれた。


「はい、どうぞぉ。ベーアンの上に座っちゃってかまわないよぉ」


「あ、ありがとうございます。……わっ、すごく軽いんですね」


「そりゃあ、中身は空洞だからねぇ。せいぜい、二・五キロってところじゃない? めぐるっちのリッケンベースは、四キロぐらいかなぁ」


 ボディは小さくて軽いし、ネックは細くて短いし、なんだか玩具を抱えているような心地である。

 それでもめぐるが胸を高鳴らせながらベースアンプの上に腰を下ろして、いざ真っ黒の弦を爪弾いてみると――驚くぐらい、甘くてやわらかな低音が響きわたった。


「な、なんだかすごく、弦がすべすべです!」


「うんうん。ナイロンコーティングされてるからねぇ」


 ナイロンコーティングされた弦というのは表面がなめらかで摩擦が少ないため、驚くほど軽やかに指が動いた。しかもネックが短いために、ローからハイポジションまでの道行きもあっという間である。

 さらにこのベースは、ずいぶん弦高が低いように感じられた。それならば弦を押さえるのに必要な力も軽減されるため、めぐるはいっそう縦横無尽に指を走らせることがかなった。


 ただし、この甘い音色にあまり速いフレーズは似つかわしくないように思える。それに、弦高が低いために、右手の力をあまり強めると音が潰れてしまうのだ。

 ただ、力加減を考えて、音が潰れる寸前を目指すと――きわめて心地好い音色である。しかもバイオリンベースはボディの中身が空洞であるため、生音もよく響くのだ。それがベースに触れているめぐるの胴体にも、心地好い低音を響かせてくれた。


 さらに特筆するべきは、弦のテンションのゆるさである。これほどテンションがゆるければ、チョキーングもグリスも思いのままであった。

 そうして興が乗ってくると、いっそう指が動きまくってしまう。それでついつい速いフレーズに移行すると、指弾きであるのにスラップのようなパーカッシブな音色になって、ますますめぐるの胸を高鳴らせたのだった。


「こ……これはあまりに、弾きやすすぎます。これに慣れちゃったら、リッケンベースを弾けなくなっちゃいそうです」


「ひたすらバイオリンベースを弾き続けてたら、そうなるかもねぇ。ショートスケールで、テンションがゆるくて、弦高が低くて、おまけにナイロンコーティングの弦だもんねぇ。リッケンベースはあんまりべたべたに弦高を下げられないから、かなりの差だろうと思うよぉ」


 そんな風に言ってから、浅川亜季は思案顔で視線をさまよわせた。


「ただ、フユは……ヘフナーがあまりに弾きやすいもんだから、他のベースでは思いつかないようなフレーズが思い浮かぶことがあるとか言ってたんだよねぇ」


「そ、それはこの独特の音色に影響されてのことでしょうか?」


「いやいや。音色はあんまり関係ないみたいだよぉ。あまりにすらすら指が動くもんだから、普段の手癖が暴走するんだってさぁ。プリング一発のつもりが二発ぶちこんじゃったり、普段には使わない場面でグリスを使っちゃったり……文字通り、指がすべるみたいな感覚みたいだねぇ」


「そ、そうですか……でも、ヘフナーをライブで使わないんだったら、あまり意味がないような……」


「いやいや。それをメインのベースで再現するのが醍醐味なんだってよぉ。ヘフナーで弾けるなら他のベースでも弾けるはずだって、猛練習するんだってさぁ」


 そう言って、浅川亜季はにこりと目を細めた。


「それに、弾きやすいってのは、あくまで運指の話だからねぇ。めぐるっちもアタックが強いって話だから、そういう意味では弾きにくいんじゃない?」


「そ、そうですね。左手はすらすら動きますけど、右手は力加減が難しいみたいです」


「それはそれで、脱力のトレーニングになりそうだけど……それより何より、やっぱフユにとってもメインはワーウィックだからさぁ。しばらくヘフナーを弾いてると、ワーウィックが恋しくなっちゃうんだってよぉ。きっとヘフナーをメインにしてる人は、逆の気持ちになるんだろうけど……何にせよ、めぐるっちもあれだけリッケンにハマったんだから、ヘフナーだけじゃ満足できなくて、けっきょくリッケンを弾きたおすことになるんじゃないかなぁ」


 めぐるが思わず目を泳がせると、浅川亜季はいっそう楽しげに目を細めた。


「ごめんごめん。ついつい先走っちゃったよぉ。めぐるっちだったら、ヘフナーに浮気するとリッケンが寂しがるんじゃないかとか考えそうだったから、それに対するアンサーってことでひとつよろしくぅ」


 めぐるはそこまで、浅川亜季に内心を見透かされていたわけである。

 浅川亜季は、「あははぁ」と年老いた猫のように笑った。


「まあ何にせよ、セカンドベースとしては悪くないと思うよぉ。リッケンにヘフナーっていったらまんまビートルズだけど、めぐるっちだったらそんなことも気にしないだろうしねぇ」


「……そうですね」と、めぐるは覚悟を決めることになった。


「それじゃあ……こちらのベースを買わせていただけますか?」


 その瞬間、「えーっ!」という驚愕の声が轟いた。

 声の主は、野中すずみである。


「え、遠藤先輩は、そのベースを買われてしまうのですか? わ、わたしはちょっと、頭も気持ちも追いつかないのですけれど!」


「だから、こうやって一目ぼれできるベースを探せってことなんじゃないの?」


 北中莉子はそのように言っていたが、その顔も存分に呆れ返っていた。

 しかし、周囲の人間にどう思われようと、めぐるにとっては些末な話である。

 ただ、『KAMERIA』のメンバーだけは放っておけなかったので、おそるおそる視線を巡らせてみると――町田アンナは満面の笑みで、栗原理乃もどこか満足そうな微笑みをたたえており、そして和緒はポーカーフェイスで頭を小突いてきた。


「ま、いいんじゃない? お茶の水で買ったエフェクターよりは安あがりなわけだしね」


「あはは! だったら、小突く理由もないじゃん!」


「あたしがプレーリードッグを虐待するのに理由なんかいらないって、なんべん説明すればわかってもらえるのかねぇ」


 そんな両者のやりとりを聞きながら、めぐるは安堵の息をつくことになった。

 そして浅川亜季は、にんまり笑いながら「毎度ありぃ」と告げてくる。


「いやぁ、めぐるっちのセカンドベースまでお世話できるなんて、感無量だなぁ。今回はじーさまも立ちあえたから、大満足っしょ?」


「ふん。値引きをねだられなかっただけ、去年よりはマシだな」


 去年――めぐるがリッケンバッカーのベースを買ったのは、去年の昨日の日付であったのだ。めぐるは一年と一日ぶりに、二本目のベースを購入してしまったわけであった。


(たぶんあなたは、しばらく家の外に出すこともないと思うけど……これから、よろしくね?)


 そんな想念を浮かべながら、めぐるはバイオリンベースの艶やかなボディを撫でさする。

 もちろん無機物たるベースがめぐるの呼びかけに応じることはなかったが――しかしそれでもその空洞のボディにはめぐるの思いが流れ込んだのではないかと、そんな妄想をかきたてられてやまなかったのだった。

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