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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 5-

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05 重箱の隅

「以上が本日のご相談なんですが、如何なもんでしょうか?」


 和緒がそのように問いかけると、浅川亜季は真っ赤な髪をかきあげながら、ふにゃんと笑った。


「そりゃまあめぐるっちは爆裂してるから、こういう子が出てきても不思議はないと思うけどさぁ。それであたしらなんかに相談を求めてきたってことは……重箱の隅をほじくることを期待してるのかなぁ?」


「ええ。是非とも念入りにほじくってくださいませんか?」


「りょうかぁい。ほんじゃあ、好きなだけほじくらせていただくけど……すずみっちの発言は、まず前提条件からしてちょっとした矛盾をはらんでるんだよねぇ」


「矛盾?」と、野中すずみは身を乗り出した。


「い、いったい何が矛盾しているというのですか? あ、憧れのお人と同じベースを使いたいというのは、自然な話でしょう?」


「いやぁ、そういう精神論はさておき、めぐるっちと同じベースを新品で買うっていうのは事実上不可能なはずなんだよねぇ」


「な、何故ですか? リ、リッケンバッカーのベースっていうのは常に品薄のようですけれど、通販サイトでもいくつか販売されていましたよ!」


「それは現行品の、4003でしょ? めぐるっちが使ってるのは、4001なんだよねぇ」


 浅川亜季ののんびりとした返答に、今度は野中すずみのほうがきょとんとした。


「お、仰ってる意味がよくわからないのですけれど……通販サイトで見たリッケンバッカーのベースは、めぐる先輩のベースとまったく同じデザインでしたよ?」


「基本的なデザインに変更はないが、中身はまったく異なっている。そもそも4003というのは、4001のトラスロッドを強化したモデルと銘打たれているわけだが……トラスロッドのみならず、ピックアップやサーキットやペグなどもまったくの別物だし、ボディのシェイプだって多少は変更されているはずだな」


 店主のぶっきらぼうな返答に、浅川亜季が「へえ」と反応した。


「ピックアップとかはわかるけど、ボディのシェイプまで変わってるの? そいつは、あたしも知らなかったなぁ」


「よっぽど使い慣れている人間でなければ、見分けはつかんだろうな。ただし、横にでも並べてみれば、一目瞭然だ。……あと、ブリッジも調整しやすいように改良されている。でなければ、仕様変更する甲斐もあるまいよ」


 野中すずみはぱくぱくと口を開閉させてから、気を取り直した様子で身を乗り出した。


「し、新品で売られているのは、めぐる先輩が使っているベースとは別物なのですね。残念ですけど、しかたありません。それじゃあ、中古で同じベースを探そうと思います」


「そうか。しかし同じ4001でも、年代によって仕様が変わっているぞ。そいつと同じベースが欲しいなら、同程度の年代のものが出回るのを気長に待つしかあるまいな」


「ええ? お、同じ商品でも内容が違うなんて、そんなのおかしいじゃないですか!」


「おかしいと言っても、それが事実だ。もともと4001のフロントピックアップにはギターと同じタイプのトースター・ピックアップと呼ばれるものが使われていたが、後期にはハイゲインのタイプに変更されている。それ以外にも、年式によって細かな仕様変更が施されているはずだな」


 そう言って、店主はもの思わしげに下顎を撫でさすった。


「たしかそいつのベースは、80年製だったな。極端にタマ数が少ないことはないだろうが……リッケンなどは、どの年式でもタマ数が少ない。同じ年式の中古品など、いつ出回るかも予測がつかんな」


「うんうん。それにたしか、めぐるっちのベースはあちこちツギハギだらけなんだよねぇ? ピックアップやらサーキットやら、ほとんどニコイチ状態じゃなかったっけぇ?」


「うむ。ボディだけが無事であった機体と電子部品だけが無事であった機体をひとつに合わせたような格好だな。それでもピックアップやサーキットは純正だが、ペグはサイズの合うものを転用しているし……ピックガードなどは、この店で一から加工したものだ」


「あと、カラーリングもおそろにしたいって話だったけど、めぐるっちのベースってリフィニッシュしてからかなり年数が経ってるよねぇ。なかなか渋い感じに日焼けしちゃってるから、そのまんま再現するのは至難の業なんじゃないかなぁ」


「ふん。実物を見せればあるていど調合の手間をかけてくれるショップはあるだろうが、それでも完全な再現などは誰にも不可能だろうな。俺だったら、注文を聞いた時点で断らせてもらう」


 そう言って、店主は逞しい腕を胸もとで組んだ。


「とまあ、色々と能書きを垂れさせてもらったが……そもそもこの世にまったく同じギターやベースなど存在しないのだ。たとえ同じ工房で同じように作られた楽器でも、それぞれ異なる木材が使われているのだからな。この世にまったく同じ樹木が存在しないのと同じように、まったく同じギターやベースなどというものは存在しない。そうしてさらにギターやベースというものは、経年によって変化していく。どのように使い、どのように保管したかで、それぞれ木材が異なる変化を遂げて、ボディやネックの鳴りが変わっていくのだ。そいつが使っているリッケンベースは四十年以上もの歳月を経ているのだから、そういった変化もいっそう顕著だろうな」


 そうして店主が口をつぐむと、野中すずみはぐらりと倒れかかった。それを支えたのは、背後に立っていた北中莉子である。


「だってよ。完全な再現が難しいなら、高い費用をかける甲斐もないんじゃない?」


「そうだね。あたしの違和感の正体は、これだったか。プレーリードッグのベースはあちこちに手がかかってるし、ヴィンテージ寸前の年代物だから、完全な再現なんて不可能なんだよ」


 と、今度は北中莉子のぶっきらぼうな声と和緒のクールな声が重ねられる。

 すると――野中すずみは、ぽろぽろと涙を流し始めてしまった。


「それじゃあ……それじゃあわたしは、どうしたらいいの……? わたしはめぐる先輩と同じベースを使って、めぐる先輩みたいなベーシストを目指したかったのに……」


「ああもう、泣かないでよ。どんな楽器を使ったって、立派なベーシストは目指せるでしょ?」


「でも……!」と言ったきり、野中すずみはしゃくりあげて言葉にならなくなってしまう。もともと幼い顔立ちであるが、彼女の泣き顔は本当に幼子そのものであった。


「……わ、わたしと同じベースを使えないことが、そんなに悲しいんですか?」


 めぐるが考えもまとまらないまま発言すると、野中すずみは力なくうつむき、北中莉子がにらみつけてきた。


「悲しいんですかって、この顔を見たらわかるでしょう? 先輩は、何が言いたいんですか?」


「あ、いえ、その……わたしも確かに、『SanZenon』の鈴島美阿さんと同じものが欲しくて、あのベースを買ってしまいましたけど……そこまで思い詰めてなかったっていうか……あ、いえ、思い詰めていたことは思い詰めていたんですけど、そこまで深く考えるゆとりはなかったっていうか……」


 しどろもどろになりながら、めぐるはそのように言葉を重ねた。


「そもそもわたしは、4001とか4003とかの区別もついていませんでしたし……実は今でも、鈴島美阿さんのベースがどちらのタイプであるかも知らないんです。でも……そんなことは、どうでもよかったので……」


「……どうでもいいって、どういう意味です?」


「は、はい。わ、わたしは動画で観たベースに心をひかれて、楽器店やこのお店に足を運びましたけど……最後の最後には、あのベースそのものに魅力を感じたんです。浅川さんからベースを受け取ったときの、重さとか冷たさとかが、すごく印象的で……わたしも当時はお金に困っていましたけれど……気づいたら、もう『買います』って言っちゃってたんです」


「うんうん。あのときのめぐるっちは、本当に幸せそうなお顔だったなぁ。だからこれはどっぷりベースにハマるぞって、あたしも期待をかけちゃったんだよねぇ」


 年老いた猫のように笑いながら、浅川亜季がそう言った。


「たぶんめぐるっちにとっては、『SanZenon』も最初のきっかけに過ぎなかったんだと思うよぉ。それからすぐに、めぐるっちはリッケンベースそのものに惚れ込んだんじゃないかなぁ」


「は、はい。だから、その……野中さんも、自分が素敵だと思えるベースを買ったほうが……いいんじゃないかと思うんですけど……」


 そこまで語って、めぐるはようやく胸の中にわだかまっていた違和感の正体を知った。そして気づけば、胸の中にあふれかえった言葉が次から次へと口からこぼれ落ちていた。


「エ、エフェクターに関しても、わたしは『SanZenon』みたいな音を出したいと思ってビッグマフとラインセレクターを買いました。でも、同じ機材を使っても同じ音が出るわけではないっていうお話でしたし……その後は、自分にとって必要だと思えるエフェクターを探すことになったんです。あ、あと、柴川さんもフユさんと同じワーウィックのベースですけど、機種は違うっていうお話でしたし……」


「この子らはフユさんも柴川さんも知らないんだから、もうちょい丁寧に説明してあげなさいな。柴川さんっていう柴犬みたいに可愛らしいお人はフユさんっていうクールビューティーなベーシストに憧れてるけど、まったく同じ機種を買ったら猿真似になるからそれを避けたらしいって話だよね?」


「う、うん。そうだね。そ、その話を聞いたとき、わたしはすごく腑に落ちたんです。それにフユさんも、一番好きなアーティストが使っているフェンダーのジャズベースは、いつか納得のいく品が見つかるまで買うつもりはないって仰ってましたし……あ、町田さんも、あえてレスポールは避けたんですよね?」


「うん! カラーリングの問題もあったけど、ホヅちゃんと同じレスポールにするのは、なーんか気が引けたからさ!」


「そ、それもすごく腑に落ちました。よ、世の中には、憧れのアーティストと同じ楽器を使いたいって考える人もたくさんいるみたいですけど……わたしは、ちょっとだけずれてるみたいなんです。憧れの人を追いかけながら、自分は自分だけのものを手にしたいっていうか……」


 そこでめぐるは口ごもったが、けっきょく言葉を止められなかった。

 土台、めぐるは自分本位の人間であったし――いまだ出会ったばかりの相手に対しては、嫌われたくないという思いが生まれることもなかったのだった。


「だ、だからわたしは、ブランドだけ同じでカラーリングが違う今のベースを、とても気に入っています。そ、それで、誰かが自分と同じカラーリングのリッケンベースを使っていても……これっぽっちも、嬉しいとは思えなくて……む、むしろ、目障りだと思ってしまうかもしれません」


 野中すずみは、愕然とした様子で身をのけぞらせた。

 北中莉子はとても怖い顔つきになっているが、無言である。それでめぐるも、最後まで語ることができた。


「だ、だから……最初に言った通り、野中さんは自分で魅力的だって思えるベースを買ってほしいと思います。それがたまたま、わたしと同じリッケンバッカーで、同じカラーリングだったんなら……わたしも、我慢しますので……」


「我慢って何さ。最後の最後で器の小ささをさらけ出すんじゃないよ」


 苦笑まじりの声をあげて、和緒がめぐるの頭を小突いてくる。

 そうしてめぐるが背後を振り返ると、やっぱり和緒は優しい眼差しでめぐるを見つめてくれていたのだった。

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