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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:K-

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04 セッション

 町田アンナと出会った日の、翌日――和緒は遠藤めぐるとともに、再び学校の部室棟を目指すことになった。

 本日は土曜日で休校であるが、昨日の仕切り直しでセッションを行うのだ。町田アンナという存在の本質を見定めるために、和緒も同行せずにはいられなかった。


「おー、来た来た。じゃ、さっそく始めよっか」


 部室棟に到着すると、町田アンナは眠そうな顔で待ちかまえていた。

 彼女はわざわざ遠藤めぐるの無念を晴らすために、こんな時間を作ってくれたのだ。彼女には偏屈さのかけらも見当たらなかったが、遠藤めぐるに小さからぬ興味を抱いていることは明白であった。


(まあ、それが当然の話だよな)


 浅川亜季に、フユにハル、そしてリペアショップの店主でさえも、遠藤めぐるの存在には多かれ少なかれ関心をひかれている。ベースという楽器に魅了された遠藤めぐるは、音楽関係の人間に対しては無防備に素顔をさらすことが多かったのだ。であれば、彼女がふだん隠匿している本来の魅力によって、多くの人間が好感を抱くはずであった。


「いいねいいね! 色はポップだけど、年季が入ってるねー! こんなの、けっこう値が張るんじゃない?」


 部室に入って遠藤めぐるのベースを目にするなり、町田アンナは眠気がさめた様子で声を張り上げた。

 すると遠藤めぐるは目を泳がせつつ、口もとをごにょごにょとさせる。微笑を浮かべるまでにはいたらなかったが、自慢のベースをほめられたことが嬉しかったのだろう。斯様にして、町田アンナは本心をさらけだすだけで遠藤めぐると悪しからぬ関係を結べる資質を有していた。


(……やっぱりここが、あたしの往生際かな)


 町田アンナはいささかならず騒がしい人間であるし、年齢相応に無邪気で隙の多い人柄であるように感じられる。しかしその反面、同世代の人間には感じられない頼もしさが備わっていた。これだけ無邪気な性格でありながら、妙に世慣れているような――年長者に囲まれて揉まれてきたような、ちょっとした風格みたいなものを感じてやまないのだ。だから和緒も、彼女を遠藤めぐるの救世主の筆頭候補に任じたわけであった。


 そうして彼女が遠藤めぐるのバンドメンバーという、かけがえのないポジションに落ち着いたならば――和緒も晴れて、その他大勢に仲間入りである。

 そのように考えると、和緒の胸にはまた大きな喜びと喪失感が渦巻いてやまなかった。


 そんな和緒の内心も知らずに、二人は演奏の準備に勤しんでいる。

 そしてギターのチューニングを終えるなり、町田アンナがやおら和緒に向きなおってきた。


「よーし、準備は万端だね! ……ところであんたは、今日も見物人なの?」


「そりゃあそうでしょ」と、和緒はぶっきらぼうに言葉を返す。

 すると、町田アンナはにやりと不敵に微笑んだ。


「今日はたっぷり一時間も遊ぶつもりなんだから、あんたも見てるだけじゃ退屈でしょ。せっかくだから、参加してよ」


「あいにく、タンバリンやマラカスの持ち合わせはないもんでね」


「そんなのより、もっと立派な楽器があるじゃん」


 町田アンナはギターのヘッドでもって、部室の奥側を指し示した。

 そちらに鎮座ましましているのは、部室の備品であるギターやキーボードやドラムセットなどである。


「こんなもん、あたしはさわったこともないよ」


「ギターやキーボードは無理だろうけど、ドラムでメトロノームの代わりぐらいは務まるんじゃない? ほらほら、そっちにスティックも転がってるしさ!」


「何が悲しくて、あたしが人間メトロノームを演じなきゃいけないのさ?」


「そしたら、めぐるの負担が減るじゃん。ウチが好き勝手に弾くと、めぐるはテンポキープだけでもひと苦労だろうしねー」


 この娘はいったい何を考えているのかといぶかしみながら、和緒は遠藤めぐるのほうを振り返った。

 そちらでは、ベースを抱えた遠藤めぐるがあたふたと目を泳がせている。


「か、かずちゃんは無理しなくていいよ。ここまでついてきてくれただけで、わたしは感謝してるから」


 そんな風に語りながら、遠藤めぐるの眼差しには相反する感情が垣間見えていた。和緒に苦労をかけたくないという思いと、そして――和緒の行動に対する期待の思いである。


(……ったく。この、人たらしめが)


 和緒は収納ボックスから顔を出していたスティックをひっつかんでから、ドラムセットの椅子に着席した。

 もちろん和緒は、ドラムの経験など有していない。持ち合わせているのは、小学生の時代に押しつけられたブラスバンドの経験のみである。


 しかし和緒は持ち前の小器用さでその役目を果たしてみせたし、ロックバンドやドラムというものに関しても人並みの知識ぐらいは持ち合わせている。むしろ、ブラスバンドの小太鼓というのがそれなりに楽しかったため、数ある楽器の中ではドラムに対してもっとも大きな興味を寄せているぐらいであった。


(とはいえ、プレイ動画をちょいちょい眺めてたぐらいだけどさ。まあ、メトロノームの代わりぐらいは、難しくないかな)


 和緒が数年ぶりにスティックを振るってスネアロールを披露すると、町田アンナはたちまち歓呼の声をあげた。


「さわったこともないとか言って、明らかに経験者の手つきじゃん! あんた、ドラマーだったのー?」


「馬鹿を言いなさんな。小学生の頃、鼓笛隊で太鼓の役目を押しつけられただけのことだよ」


 適当に言葉を返しつつ、和緒はそれぞれの器具の鳴り具合を確認した。

 和緒が経験済みであるのは、小太鼓たるスネアのみである。予想通り、その隣に鎮座ましましている大ぶりの太鼓が、フロアタムであった。

 足もとに横向きに置かれているのがバスドラで、そこから金具でジョイントされているのがハイタムとロータムだ。太鼓だけで、五種も存在するわけであった。


 さらに、金物はすべて初体験となる。リズムを刻むハイハットに、アクセントをつけるクラッシュシンバルとライドシンバル――それぐらいの名称はわきまえていたものの、細かい使い道はさっぱりであった。


(片手はスネア、片手はハイハット、片足はバスドラ、片足はハイハットの調節か……で、その合間にタムやシンバルで色付けをしろってんでしょ? よくもまあ、これだけの役割をひとりに押しつけようって発想になったもんだよ)


 しかし和緒はどのような形であれ、この演奏に関わろうという心持ちになっていた。

 言わば、遠藤めぐるに対するはなむけだ。きっと彼女はこれからバンド活動というものに埋没するのだろうから――最初の一歩ぐらいは、和緒が支えてあげたかった。


(言ってみれば、思い出作りの一環なのかな。……今日が、その他大勢に成り下がる記念日になるかもしれないからね)


 和緒がそんな感慨を噛みしめていると、町田アンナがエフェクターをかけたギターの音をかき鳴らした。


「それじゃあ、始めよっか! 二人とも、本気でかかってきてよー?」


 かくして、セッションが開始された。

 町田アンナは小気味いいリズムで、二つのコードを順番に鳴らしている。それでテンポをつかんだ和緒は、五小節目からバスドラを踏み鳴らした。

 変に力むと、すぐさま脛やふくらはぎの筋肉がへたばってしまいそうである。よほど脱力を心がけないと、数分ももちそうになかった。


 そうして九小節目からは、スネアも追加する。

 すると――そのタイミングで、遠藤めぐるもベースの音を鳴らした。


 その瞬間、得も言われぬ感覚が和緒の背筋を這いのぼってくる。

 これは確かに、昨日とはまったく異なる音色であった。遠藤めぐるはこの二ヶ月間、毎日十時間ばかりも練習に勤しんでいたようであるのだ。その成果が、今日こそ余すところなく発揮されたようであった。


 遠藤めぐるは指弾きであるために、基本の音はやわらかい。

 ただし、リッケンバッカーという機種の特性であるのか、やわらかい音色でもゴリゴリとした芯が感じられる。その心地好い音色が、和緒の鳴らすスネアとドラムの音色にがっしりと絡み合ってくるかのようであった。


(……あんた、すごいじゃん)


 和緒とて音楽の素人であることに間違いはなかったが、遠藤めぐるの手腕が初心者離れしていることはまざまざと実感できた。遠藤めぐるの紡ぐ音色には、いきいきとした躍動感があふれかえっているのだ。それはすなわち、彼女がベースの演奏に向けている熱情と執念と情愛が、そのまま体現されているのかもしれなかった。


 そんな彼女と演奏をともにしていると、和緒の身にまで何か熱いものが駆け巡っていく。

 それを発散させるために、和緒はハイハットも叩くことにした。

 閉じたハイハットで八分を刻むと、ようやくここで8ビートというものが完成される。そしてそれが、いっそうベースの音色との幸福な結合を果たしたようであった。


 和緒はとにかく、正確な音とテンポを心がけるしかない。初めてドラムにさわった身としては、これでも十分以上の出来であろう。和緒の小器用さというのは、我ながら感心するほどであった。

 しかしそこに、遠藤めぐるのベースがぐいぐいと絡みついてくる。まるで、何頭もの大型犬にまとわりつかれているかのような心地である。ともすれば、彼女の織り成す心地好い音色に身も心も奪われてしまいそうだった。


 しかし、テンポのキープというのは、ドラムの役割であるはずだ。

 和緒は心を律して、自らのテンポを押し通そうと試みたが――それは、上手くいかなかった。土台、和緒の中にそこまで正確なテンポ感が備わっているわけもなかったし、テンポキープに気を取られるとせっかくの心地好さが遠くにかすんでしまうようであったのだ。


 そこで気を張らずにスティックを振るうと、たちまちベースの音色が五体に絡みついてくる。

 まったく馬鹿げた妄想であったが――和緒は、遠藤めぐると手をつないで草原を駆けているような心地であった。


(なんだよ、もう……あんた、どんな顔をしてベースを弾いてるのさ?)


 和緒は横目で遠藤めぐるのほうをうかがってみたが、そちらも椅子に座っている上に、深くうつむいて自分の手もとを凝視しているために、表情はほとんど隠れてしまっている。

 ただ、その小さな体からは喜びの思いがあふれかえっているように感じられてならなかった。

 彼女の様子をうかがう必要などなかった。この音色こそが、彼女の心中をすべてつまびらかにしているのだ。


 和緒のドラムなど、傍から聞いていれば稚拙な限りであろう。和緒がどれだけ小器用でも、それだけでいっぱしの演奏ができるほど、ドラムというのは簡単な楽器ではないのだ。

 しかし和緒は思いのほか、昂揚してしまっている。遠藤めぐると二人で同じ作業に没頭し、ひとつの何かを作りあげているという達成感が、和緒の心を躍らせているのだ。それは、和緒がこれまで体験したことのない感覚であった。


 そしてその上で、町田アンナのギターが思いのままに走り抜けている。

 和緒はベースにばかり気を取られていたが、この荒々しいリズムの核は、彼女が作りあげているのだ。二年以上のキャリアを持つ彼女はそれ相応の力量であったし、彼女の尋常ならざる生命力はギタープレイにもしっかり反映されていた。


 そして――彼女はいきなり、歌い始めた。

 マイクも使わず、アンプやドラムの轟音に対抗するように声を張りあげたのだ。

 その瞬間、和緒の胸はいっそう熱く満たされた。

 町田アンナの歌声は、ギターと同じように奔放で荒々しい。しかし地声が可愛らしいので、子供がはしゃいでいるような風情でもあった。


 そんな町田アンナの歌声が加わることで、いっそう演奏が充実した。

 不定形であった熱情に、向かう先が示されたような心地であったのだ。そうすると、ベースやギターの音もいっそう激しく躍動し、和緒のドラムを置いていってしまいそうだった。


(……あんたはきっと、町田さんの熱情に引きずられてる部分もあるんだろうね)


 もとより遠藤めぐるというのは、閉鎖的な人間だ。しかし、彼女が殻の内に閉じこもっていることを許さない猛烈さが、町田アンナの歌とギターには備わっていた。町田アンナはその身にあふれかえるエネルギーでもって、遠藤めぐるを牽引しているのだった。


(やっぱりあんたは、このお人とバンドを組むべきだよ。あたしは……せいぜい横から見守ってやるさ)


 和緒は町田アンナの織り成す歌の構成に従って、ハイハットのセクションをフロアタムやライドシンバルに切り替えた。和緒にできるのは、それぐらいのことであった。

 そうしていよいよ演奏が熱を帯びていくと――町田アンナのギターが、抑制を欠き始めた。ドラムとベースを置き去りにして、どんどん突っ走っていったのだ。


(いやいや。これ以上のアップテンポは、ついていけないよ。それに……このテンポのほうが、曲に合ってるんじゃない?)


 和緒がそんな風に考えたとき、ベースのフレーズが変化した。これまでは『SanZenon』さながらに派手な動きを見せていたフレーズが、いきなりシンプルなルート弾きに変じたのだ。

 そうすると、ベースの音がこれまで以上にがっしりとドラムに絡みついてくる。

 すると、ギターがこちらに引き返してきた。まるで、名前を呼ばれた子犬が駆け戻ってきたかのようだ。


(……つくづく、あんたは大したもんだね)


 そうしてギターのテンポが落ち着くと、ベースはまた思うさまうねり始める。普段の遠藤めぐるからは想像もつかないほど、それは能動的かつ攻撃的な音の奔流であった。

 そうすると、町田アンナのギターもいっそう獰猛になっていく。遠藤めぐるは町田アンナの勢いに引きずられているが、町田アンナもまた遠藤めぐるの熱情に引きずられていたのだった。


(完全に相思相愛だね。おめでとさん)


 和緒の胸に、また二つの思いが去来した。

 遠藤めぐるが運命の相手と出会えた喜びと――それにともなう喪失感だ。


 そうして和緒はさまざまな感情に心をかき乱されながら、小一時間ばかりにも及ぶセッションをやり遂げることに相成ったのだった。

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