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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:K-

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-Track3- 01 狭間の一年

 遠藤めぐると友誼を結んだのちも、和緒の生活はつつがなく過ぎていった。

 基本の生活に、大きな変わりはない。和緒はただ将来のために友人という肩書きが欲しかっただけであるので、態度や生活をあらためるいわれはなかったのだ。唯一の変化は、遠藤めぐるの頭を小突きたくなったら遠慮なく小突くようになったぐらいのものであった。


 いっぽう遠藤めぐるはというと、口調をあらためることに四苦八苦している。和緒の言い分に従う必要などどこにも存在しないのに、彼女は律儀な本性を発揮して、何とかその難題をクリアーしようと苦心していたのだった。


 その甲斐あって、彼女の口調は少しずつ砕けていった。やはり、「かずちゃん」という呼称に引っ張られる面もあったのだろう。それに彼女だって、小学生の時代には友人に敬語など使っていなかったはずであるのだ。それはある意味、小学校の卒業と同時に止まっていた何かが、ぎしぎしと軋みながら活動を再開させたようなものであるのかもしれなかった。


 ただし彼女も、日常生活のほうでは何の変化も見られなかった。相変わらず教室内では和緒以外の相手に関心を持たないし、また、人前では和緒に対してもあまり親しげな態度を見せなかった。無理に感情を抑えているのではなく、それが彼女の常態になってしまっているのだった。


(まあ別に、そこで無理をさせるつもりはないさ。あんまり人前でいちゃつくと、いらない面倒を招きそうだしな)


 そんな風に判じた和緒も、教室内では節度のある距離を保つことにした。自分がクラスで孤立するのはまったくかまわないが、遠藤めぐるに嫉妬だか何だかの矛先が向かうことは何としてでも回避しなければならなかったのだ。遠藤めぐるはあまたある友人知人のひとりであるという体裁で、騒がしい女子連中の反感をかきたてないようになだめすかすしかなかった。


 そうして三月に入ったならば、今度は遠藤めぐるの誕生日である。

 ちょうどその時期に和緒が好きな映画監督の作品がリバイバル上映されていたので、初めて市外まで遠征し、目的の映画を堪能したのち、カフェで甘いものを奢ることにした。


「終業式も、もう目前だね。そうしたら、いよいよ地獄の受験生だ」


 和緒がそのように告げると、遠藤めぐるはぎこちなく「そ、そうだね」と相槌を打った。和緒の誕生日からすでに二ヶ月も過ぎているのに、まだ砕けた物言いが完全には板についていないのである。


「で、でも、かずちゃんはすごく成績がいいから……そんなに苦労はしないんじゃない? それとも……すごくレベルが高い学校を目指してるとか?」


「それは遠回しに、自画自賛してるのかな? 成績なんて、あたしもあんたも大して変わらないじゃん」


「で、でも、わたしは家で勉強しまくった結果だから……かずちゃんは、試験前でもそんなに勉強していないんでしょう?」


「うん。あたしの辞書に、努力の文字はないからね」


 和緒がそんな嫌味たらしいことを言っても、遠藤めぐるは「すごいなあ」とはにかむばかりであった。

 ひさびさの外出である本日も、遠藤めぐるは和緒から押しつけられた衣服を着込んでいる。まだいくぶん肌寒い時節であるので、スウェットのパーカーにサーモカーディガン、キュロットスカートに黒タイツという取り合わせだ。黒タイツを除くそれらはいずれも和緒が小学生の時代に買い与えられた衣類であったが、不思議と遠藤めぐるは年齢相応の姿に見えた。


(外見なんかは、めっちゃ子供っぽいんだけど……変に枯れた雰囲気があるから、それで相殺されるのかな)


 和緒がそんな風に考えていると、チョコレートケーキを大切そうに少しずつ食べていた遠藤めぐるが小さな体をもじもじと揺すった。


「それで、あの……かずちゃんは、もう志望校とか決まってるの?」


「志望校? まだぎりぎり二年生なのに、そんな先のことまで考える気にはなれないね」


「あ、うん。そうだよね……」


 遠藤めぐるは、しゅんと眉を下げてしまう。

 和緒は遠慮なく、その頭を小突くことにした。


「勝手にもじもじして、勝手に落ち込まないでくれる? あんたはいっつも、言葉足らずなんだよ」


「ご、ごめんなさい……せ、成績が同じぐらいだったら、かずちゃんと同じ高校に行ける可能性もあるのかなと思って……」


 このように、遠藤めぐるも遠慮なく和緒の心を揺さぶってくるのだ。


「そいつは、ひとつの道理だね。その口ぶりからして、あんたはもう志望校の目処がついてるわけ?」


「う、うん。私立の学校に行くお金はないから、市内で一番レベルが高そうな公立校を目指そうと思ってるけど……」


「ふーん? そもそも市内に高校なんて、そんないくつも転がってないはずだよね」


 和緒はスマホを取り出して、さっそく検索してみた。

 そして、思わぬ結果に「ひゃー」と声をあげてしまう。


「あんた、マジで言ってる? 市内で一番の公立校って、偏差値70なんだけど?」


「う、うん。他に適当な学校もなかったから……」


 市内にはあと二つの公立校が存在したが、そちらの偏差値は50以下である。ずいぶん両極端な様相であった。


「だったら、お隣の市にまで候補を広げてみたら? あたしもよく知らないけど、学区内なら問題ないはずだよ」


「う、うん。でも、遠い場所だと、交通費がかさんじゃうから……」


 遠藤めぐるは両親が残したささやかな遺産と遺族年金だけで、学費と生活費のすべてをまかなっているのだ。居住費や光熱費がかからないとしても、どれだけ苦しい生活であるかは弁当の内容が物語っていた。


「……あんた、今でもちまちま貯金してるんでしょ? 高校を卒業した後も二年の猶予があるなら、そこまで生活費を切り詰めなくてもいいんじゃない?」


「う、うん。でも、この二年ぐらいで七万円ぐらいしか貯金できなかったから……交通費にあまりかかると、やりくりが難しそうなんだよね」


 そのように言われては、和緒も二の句が告げなかった。


「……わかったよ。それじゃあせいぜい、お勉強を頑張りなさいな。あたしも陰ながら見守らせていただくよ」


 和緒のつれない返答に、遠藤めぐるは「うん……」とうつむいてしまう。

 和緒は自分の頭を引っかき回してから、しかたなく言葉を付け加えることにした。


「ま、あたしだって金のかかる私立校なんざ目指す理由はないし、通学時間なんて短いに越したことはないからね。この忌々しい偏差値の進学校も、候補のひとつってことになっちゃうのかな」


 たちまち、遠藤めぐるは瞳を輝かせる。

 和緒はまた、その頭を小突くしかなかった。


 そんな一幕を経て、和緒と遠藤めぐるは中学三年生に進級し――また変わらぬ日々を過ごすことになった。この進級ではクラス替えもなかったので、生活が変わる理由もなかったのだ。


 しかし和緒は、自宅でもしぶしぶ教科書や参考書を開くことになってしまった。さすがに偏差値70ともなると、持って生まれた小器用さだけでは何ともならなかったのだ。和緒はあくまで器用貧乏であり、天才でも何でもなかったのだった。


(そりゃあ同じ高校に行けたら、それに越したことはないけどさ。……ったく、とことん人を振り回してくれる小動物だね)


 春先に受けた試験の結果によると、和緒たちがくだんの進学校を目指すには「あと一歩」という結果であった。もう少しばかりは学力をブーストさせないと、落第する可能性が濃厚であったのだ。和緒はともかく、遠藤めぐるにとっては人生のかかった大一番であるのだから、それこそ死力を振り絞るのだろうと思われた。


「あんたは学習塾に通う資金もないんでしょ? だったら、勝負は夏休みだね。そこで目標の学力に届かないようだったら、本気で別の志望校を検討するべきだと思うよ。多少の交通費がかかろうとも、中卒のフリーターになるよりはなんぼかマシだろうさ」


 とある日の昼休み、体育館の横手のスペースで和緒がそのように伝えると、遠藤めぐるは不明瞭な面持ちで「うん……」とうつむいた。試験の結果が戻されて以来、彼女はずっと沈みがちであったのだ。


「高校生になったら、バイトだってできるんだしさ。交通費ぐらい、それでまかなえるでしょうよ。あんたは公立校の一発勝負にかけてるんだから、イチかバチかじゃなくて安全圏の学校を選ぶべきだと思うね」


 遠藤めぐるはもういっぺん「うん……」と言ってから、和緒の顔をおずおずと見上げてきた。


「今からくよくよしてたって、しかたないのに……かずちゃんにまで心配かけちゃって、ごめんね?」


「ふん。フレンドリーシップ契約を持ちかけたのはこっちなんだから、大事なマイフレンドを励ますのも契約の内さ」


 和緒が優しめに頭を小突いてやると、遠藤めぐるは笑顔を見せることなく、ただもじもじとした。


「あの……どうしてかずちゃんは、わたしなんかにかまってくれるの?」


 それは、出会ったばかりの時期にも投げかけられたことのある、懐かしい問いかけである。

 反射的に「契約だから」と言いかけて、和緒は思いなおした。

 それではたぶん、遠藤めぐるは納得しない。彼女は、別の答えを欲しているはずだった。


(あんたが大好きだから、とでも言わせるつもり?)


 和緒は内心で舌を出しながら、別の言葉を口にした。


「楽だから」


「楽……だから?」


「うん。あたしがどんな暴言を吐いても、あんたは軽々キャッチしてくれるからね。こんな気楽な関係は、他にないでしょ。おまけにあんたは孤立してるから、集団行動を忌み嫌うあたしにはうってつけだしね」


「そっか……」と、遠藤めぐるは目を伏せた。

 ただその口もとには、嬉しそうな微笑がたたえられている。卑屈で、そして優しい性根を隠し持っている彼女は、自分の存在が和緒の負担になっていないことを喜んでいるのだろうと思われた。


(負担になんか、なっちゃいないよ。そりゃあ、こっちは振り回されるばっかりだけど……それが負担になるぐらいだったら、あんたのそばにいたいなんて思うもんか)


 和緒はそんな風に考えたが、口にしたのは別の言葉であった。


「あんた、今日はヒマ? だったら、あたしの家に招待してあげようか?」


「え? ど、どうして?」


「あたしとあんたは得意教科と苦手教科が正反対だから、おたがいにフォローできるんじゃないかと思ってね。……親はどっちも残業だから、夜の八時ぐらいまでは邪魔される心配もないしさ」


「そ、そうなんだね……かずちゃんと一緒に勉強できたら、わたしも嬉しいけど……」


 そわそわと身を揺する遠藤めぐるは、餌付けをされた小動物さながらである。

 やはり何かの齧歯類を連想させるのだが、和緒はいまだ正解に辿り着いていない。それは、リスやウサギよりももっととぼけた風情の生き物であるはずであった。


(カピバラなんかも遠くないんだけど、あれは図体がでかいからなぁ。もっとこう、ちまちましたやつだと思うんだけど……)


 そうして頭を悩ませた和緒は、取り立てて意味もなく遠藤めぐるの頭を小突いておくことにした。


                 ◇


 やがて一学期が終了したならば、忌々しい季節の到来である。

 しかし夏休みを迎えると、遠藤めぐるが和緒の部屋にやってくる日が格段に増えた。最初に招待したのは和緒であるが、その後は遠藤めぐるのほうから来訪を希望してきたのだ。


「つまりあんたは、涼しい勉強部屋をキープしようって心づもりなわけだね」


「う、うん。普段は図書館に通ってるんだけど……やっぱりかずちゃんもいてくれたほうが、勉強もはかどるから……」


 そういう際にも、遠藤めぐるは心を偽ろうとしない。彼女は都合が悪くなるとすぐに黙り込んでしまうが、和緒に対して嘘をつくことは一切なかったのだ。それでまんまと篭絡された和緒は、かなりの頻度で遠藤めぐるを自宅に招き入れることに相成ったのだった。


 この忌まわしい時節に遠藤めぐるを自宅に招待するというのは、ずいぶん奇妙な心地である。

 和緒が嘔吐した廊下を遠藤めぐるが歩き、和緒が引きこもっていた寝室でともに勉強に励んでいるのだ。それは何だか、忌まわしい思い出を別の思い出で塗り潰されているような心地でもあった。


 それが和緒にいい影響を与えてくれたのか、お盆の里帰りも普段以上に落ち着いた心持ちで乗り越えることができた。もちろん楽しい要素などはひとかけらも存在しなかったが、食後に嘔吐する機会も日に日に減っていったのである。それでも一日に一回はトイレの世話になることになったものの、三食すべてを戻していた時代を思えば、気力と体力の残存量にもずいぶんなゆとりが生じていた。


 ただし、家族との関係性は相変わらずである。もはや仮面をかぶるのが常態となっており、その下にどんな素顔が隠されているかも想像はつかなかった。そして何より、和緒も仮面の下を覗いてみたいなどとはこれっぽっちも考えられなかったのだった。


(これは、あいつがじいさまやばあさまと口をきかないのと、おんなじことなのかな)


 和緒は現在の家庭環境を苦痛だと思っていない。それはおそらく、関係の修復をいっさい考えていないためであるのだ。相手に何も期待しなければ、失望することも絶望することもない。一昨年の夏に大きな失望と絶望を味わわされた和緒は、他者に期待することができなくなってしまったのかもしれなかった。


(だから……めぐるとの関係が気楽だっていうのも、あたしの本心なんだろうな)


 いまや和緒は、毎日でも遠藤めぐると交流を深めたいと思うぐらい心を惹かれてしまっている。それを自制して、週の半分は孤独に過ごしているのだ。それは、彼女の内面に踏み込みすぎるのは危険だと感じているのと同時に、自分のすべてをさらけだした上で拒絶されることを恐れている心理なのではないかと思われた。


 和緒は何も持っていない、空っぽの人間である。その事実を遠藤めぐるに知られて、失望されることが怖いのだ。

 もはや二人の関係は上っ面のものではなく、肉や骨にまで深く達しているという実感がある。しかし、その先――内臓や脳髄までさらけだしてはならないという思いが、和緒の心にブレーキをかけていた。それは、共依存の関係を回避して、遠藤めぐるの中に別の誰かが入り込む隙間を残すのと同時に、和緒の保身にも大きく関わっているはずであった。


(いつかあたしが、もっと立派な人間に育ったら……膵臓ぐらいは見てもらおうって気持ちになるのかな)


 ともあれ、和緒は今の環境に満足していた。

 そうして夏休みが終わったならば、数々の試験によって学力がつまびらかにされる。

 その結果――ついに和緒と遠藤めぐるは、くだんの進学校に対してA判定の合格率を叩き出すことがかなったのだった。


「でも、A判定ってのは合格率80%以上ってことだからね。これだけじゃあ、まだまだ安心できないよ」


 和緒はそのように掣肘したが、「うん」とうなずく遠藤めぐるは心から嬉しそうな面持ちであった。教室内では決して見せない、彼女の素顔である。


「それで、あの……かずちゃんはけっきょく、志望校をどうするの?」


「ふん。たとえ数少ないマイフレンドでも、そんな内情を打ち明ける理由があるのかな」


「う、うん。かずちゃんが言いたくないなら、無理に言う必要はないけど……」


 そうして遠藤めぐるがもじもじとしたならば、和緒も頭を小突くしかなかった。


「ここまできたら、いっちょチャレンジしてみるかって気になってきたよ。ま、あたしは滑り止めも受けさせていただくけどね」


 遠藤めぐるは、「そっか」としか言わなかった。

 ただその笑顔に、真情があふれかえっている。そんな顔を見せられると、和緒も頭を小突くだけでは追いつかず、乱暴に頭を撫でくり回す事態に至るわけであった。


 そして秋から冬となり、和緒はまた忌々しい年末年始を乗り越えて――ついに、受験の本番を迎えることになった。

 入試の日取りは二月の下旬、結果の発表は三月の頭となる。遠藤めぐるの前ではすました顔を保持しながら、和緒もこの時ばかりは二人がそろって合格することを神に祈ることになった。


 そうして運命の日たる、結果発表の日である。

 朝も早くから志望校の校舎まで出向いてみると、掲示板の前には人だかりができている。胸の前で手を合わせた遠藤めぐるは、細い首を懸命にのばして掲示板を見上げており――その愛くるしい姿が、和緒にひとつの答えをもたらした。


「あ……あった! 二人とも合格だよ、かずちゃん!」


 やがて遠藤めぐるが、輝くような笑顔で振り返ってくる。

 その眩しさに目を細めながら、和緒は「うん」とうなずいてみせた。


「やっとわかったよ。プレーリードッグだ」


「え? プレーリー……なに?」


「プレーリードッグ。あんたの正体だよ。いやあ、長年の謎がようやく解けたよ。こんなおめでたいことはないね」


 遠藤めぐるはしばしきょとんとしてから、「もう!」と和緒の胸に取りすがってきた。


「そんなことより、二人とも合格だったんだよ! これからも、同じ学校に通えるんだよ!」


「うん。そっちもそっちで、おめでたい限りだね」


 和緒の胸に取りすがった遠藤めぐるは、涙をにじませながら喜んでいる。

 和緒は限りなく温かい心地で、その小さな頭を撫でることにした。


 かくして二人は、市内で有数の進学校に通うことになり――そしてそこで、とてつもなく大きな変転を迎えることになったのだった。

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