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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:K-

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07 確信

 遠藤めぐるの発言で心をかき乱された和緒は、その翌日から忌まわしき里帰りに挑むことになった。

 しかし、父親と二人で新幹線に乗り込んでも、京都の駅で義母と合流しても、なかなか情緒が定まらない。和緒はしっかりと心を眠らせて、この試練をくぐりぬけなければならないのに――いつまでたっても、遠藤めぐるの小動物めいた面影が頭から離れないのである。これは、由々しき事態であった。


(そりゃああいつの発言は不意打ちだったけど、どうしてあたしがこうまで取り乱さないといけないのさ)


 頭でそのように考えても、心のほうがついてこない。遠藤めぐるの語った言葉や、羞恥に頬を染めたその顔や、もじもじと身を揺する愛くるしい所作などが、いつまでも和緒の脳内でリフレインしているのである。これでは、まるで――恋する乙女か何かのようであった。


(冗談じゃない。こんなもん……共依存よりタチが悪いじゃん)


 そうして義母の実家に到着したならば、いよいよ義兄との再会であるが――そこでも和緒は、心を立て直すことができなかった。というよりも、心を眠らせるまでもなく、義兄の存在が薄ぼんやりと感じられてならなかったのだ。その忌まわしき存在が割り込むスペースなど、今の和緒の体内には微塵も存在しなかったのだった。


(でも、こんな調子で親戚連中を相手取ってたら、どこでボロを出すかもわかんないよ。帰りの新幹線に乗るまでは、集中しろってば)


 そんな感じで、和緒はこれまでとまったく異なる心労を抱えて年末年始を過ごすことになった。

 和緒がこちらで過ごすのは、十二月二十九日の夜から一月三日の昼までである。その期間は、何がどうあっても隙を見せるわけにはいかなかった。


 幸いなことに、気心の知れない親戚連中に囲まれると、いくぶん心持ちが変わってくる。心の中心に遠藤めぐるが居座っていることに変わりはなかったが、そこから乖離したもうひとりの自分が上っ面の社交性で親戚連中の相手をしてくれたのだ。和緒としては、突如としてオートパイロットやマルチタスクのスキルでも授かったような心地であった。


(これなら、何とか切り抜けられそうだ)


 和緒はそのように考えたが、思わぬ事態が降りかかってきた。

 大晦日の夜、和緒が宴会の席を抜けてトイレに向かうと、その帰り道の廊下で義兄が待ちかまえていたのである。


 親戚連中の目がある場所では、不自然でないていどに言葉を交わすことはある。

 しかし、このように二人きりで義兄と相対するのは――昨年の夏以来、初めてのことであった。


 和緒は内心で眉をひそめつつ、そのかたわらを通りすぎようとする。

 すると、義兄が「なあ」と呼びかけてきた。


「なんか今回は、和緒も元気そうだよな。もしかしたら……恋人でもできたのか?」


 義兄の声には、何の昂りも感じられなかった。

 まるで、理解ある家族のような口ぶりだ。

 和緒はたちまちせりあがってきた嘔吐感をこらえながら、廊下の左右を見回した。


「ここには花瓶が飾ってなくて、ラッキーだったね」


 それだけ言い捨てて、和緒は宴会の場に舞い戻った。

 その後は、義兄も決して和緒のほうを見ようとはしなかった。


 そうして年が明けた後は、不測の事態が生じることもなく――一月三日の昼下がり、和緒は無事に帰路を辿ることができた。

 義母も同じ新幹線だが、座席は別に取っている。そうして見送りの目がなくなると義母はひとりで乗り場に向かったため、和緒は父親に語りかけることにした。


「ねえ。まだ少し時間はあるよね。土産の売り場に寄ってもいい?」


「うん? 和緒が土産を買うなんて、初めてだな。友達にでもあげるのか?」


「うん、まあ、そんなようなもんかな」


 和緒が曖昧に答えると、父親も曖昧な表情で「そうか」とうなずいた。

 土産の売り場におもむいたならば、宇治抹茶と山椒のポテトチップチョコレートなる愉快な菓子を買いつける。この数日間、和緒の心をかき乱してくれたお礼の品のつもりであった。


(……どれだけあんたが人たらしでも、あたしは初志貫徹してみせるからね)


 和緒はこの数日間で、そんな覚悟を固めていた。

 遠藤めぐるは、危険な存在である。彼女の有する愛くるしさは、和緒の心の隙間に深々と突き刺さってしまうのだ。その切っ先の鋭さをまざまざと思い知らされた和緒は、まんまと心を乱されてしまったが――それでも、自分の役目を全うする所存であった。


 遠藤めぐるがいつか救われるその日まで、つかず離れずの位置で見守る。

 それが、和緒が自らに課した役割であるのだ。

 遠藤めぐるの持つ魅力にどれだけ翻弄されようとも、決して逃げ出すつもりはなかったし――それと同時に、ボーダーラインを踏み越えるつもりもなかった。


(そりゃああたしも、あいつのおかげで楽しい時間を過ごしてるんだろうさ。でも、だからって……それに寄りかかるつもりはないんだよ)


 新幹線の客席に乗り込んだ和緒は、そんな闘志に似た思いを燃やすことになった。

 何せ目の前に、遠藤めぐるとの再会の瞬間が迫っているのである。和緒は行きの新幹線のときよりも、よほど気を張ってしまっているようであった。


「今日はこのままクラスメートの家に寄って食事をしていきたいんだけど、いいかなぁ?」


 和緒がそのように問いかけると、今度は父親もいくぶん厳しい面持ちになった。


「それは、まったくかまわないけど……だけど、和緒……」


「ああ。男じゃなくって、女だよ。もしもそういう心配をしてるならね」


 和緒がそのように答えると、父親は「そうか」と言ったきり喋らなくなった。

 まあ、親子の会話が途絶えたのは今に始まった話ではない。和緒も心置きなく、決戦の場に備えることにした。


 京都から千葉までは新幹線でおよそ三時間、そこから地元のさくら市まではおよそ四十分間だ。駅からはバスに乗り込み、ニュータウンの停留所で降車した頃には、もうとっぷりと日も暮れていた。


 自宅に戻るにはもうひとつ先の停留所であるため、父親とはその場でお別れである。着替えと土産の詰まったボストンバッグを抱えなおして、和緒はいざ遠藤めぐるの離れに向かうことにした。


(あいつはまた、勉強でもしてるのかな。よく考えたら、三が日の間にお邪魔するなんて非常識なのかもしれないけど……あいつのほうが非常識なんだから、かまうもんか)


 どうしても、和緒は普段よりも好戦的な心持ちになってしまっていた。

 きっとそのように振る舞っていないと、心が浮き立ってしまうのだ。遠藤めぐるがまたどれだけ驚いた顔を見せるかと想像しただけで、和緒はぴくぴくと頬がひきつってしまうほどであった。


(なんか今日は、あいつのことをいじめちゃいそうだな。ま、それで嫌われたら、それまでの話さ)


 暗い街路を突き進み、和緒はついに目的の場所に到着した。

 母屋にも離れにも、煌々と明かりが灯されている。どうやら遠藤めぐるの祖父母たちも、里帰りする場所はないようだ。あるいは里帰りを終えた後なのかもしれないが、和緒の知ったことではなかった。


 古びた裏門をくぐって、物置のごとき離れに向かう。そちらにはテレビも存在しないため、どれだけ近づいても静まりかえったままであった。


 和緒はひとつ息を整えてから、古びたドアをノックする。

 しかし、応答はない。

 十秒ほどを置いてノックしても、やはり返事は返ってこなかった。


(……電気を点けたまま、買い出しにでも行ってるのかな?)


 そんな風に考えながら、和緒は三たびドアを叩いた。

 しかしやっぱり、返事はない。

 思わずドアノブに手をかけたが、やはり施錠されている。

 そうしてドアノブをガチャガチャと鳴らしていると、和緒の胸中に暗雲のようなものがむくむくとわきおこり始めた。


(……まさかだよね)


 和緒は唇を噛みながら、守衛のように立っている石灯籠に向きなおった。

 遠藤めぐるは、そこに合い鍵を隠しているという話であったのだ。


 まずは和緒の肩の高さにある火袋に手を突っ込んでみたが、そこには雨水がたまっているばかりである。和緒は小さく舌打ちをしてから屈み込み、今度は土台の下の隙間をまさぐった。

 何かが、ガサリと指に触れる。

 それを引っ張り出してみると、折りたたまれた白いビニール袋だ。さらにその内側には、透明のビニール袋に包まれた銀色の鍵が封入されていた。


 和緒は震える指先でそのビニール袋を引き千切り、ドアの鍵穴に鍵を差し込む。

 軽い手応えでカチリと錠が開き、和緒はドアを引き開けた。


 今日もけっこうな寒さであったのに、キッチンと寝室を隔てるガラス戸が全開にされている。

 そして寝室には、布団が敷かれており――そこに、遠藤めぐるが横たわっていた。


 和緒はカチカチと歯が鳴るのを感じながら、寝室に踏み入った。

 重いボストンバッグを放り捨て、遠藤めぐるの枕もとに膝をつく。

 遠藤めぐるは、修学旅行を欠席したときよりも痩せ細っており――そして、ひゅうひゅうと苦しげに寝息をもらしていた。


 強い眩暈を感じた和緒は、まぶたを閉ざしてその感覚に耐える。

 それからゆっくりとまぶたを開き、遠藤めぐるの額に手の平をあてがった。


 和緒は手袋をしていなかったので、手の平もぞんぶんに冷たくなっていたが――それでも、遠藤めぐるの体温に異常を感じることはなかった。

 だがしかし、遠藤めぐるは無惨にやつれてしまっている。顔色などは蒼白であるし、寝息もこれほどに苦しげであるのだ。絶対に、まともな状態ではないはずであった。


(なんだよ……いったい何があったんだよ……)


 和緒は遠藤めぐるの額に手の平をあてたまま、動けなくなってしまう。

 すると――力なく閉ざされていた遠藤めぐるのまぶたが、ぴくりと動いた。

 そのまぶたが、のろのろと持ち上がっていき――焦点の定まらない目が、ぼんやりと和緒を見上げてきた。


「いそ……わきさん……?」


 別人のようにかすれた声が、小さな唇からこぼされた。

 和緒は胸中に渦巻く激情を押し殺しながら、「ああ」と答える。


「お察しの通り、あたしは磯脇和緒さんだよ。あんたは、遠藤めぐるさんだよね?」


「あはは……たぶん、そうです……」


 遠藤めぐるは力なく微笑んでから、にわかに目を泳がせた。


「あ……いそわきさん、ちかづかないほうがいいです……たぶん、わたしはインフルエンザですから……」


「インフルエンザ? また熱でも出したってのかい?」


「はい……いそわきさんがきてくれたひの、つぎのひ……また、からだがうごかなくなっちゃって……こんどは、せきもとまらなかったんです……」


 であれば、すでに発症から六日目ということになる。

 彼女は六日間も、このような場所で孤独に病魔と闘っていたのだ。

 和緒が京都で茶番を演じている間――彼女はずっと、苦悶にあえいでいたのである。

 和緒は、天上の神々に唾でも吐きかけたい心地であった。


「六日も経ってたら、もう感染の心配はいらないでしょうよ。ていうか、病院に行ってないならインフルかどうかもわからないんじゃないの?」


「むいか……? もうむいかもたってるんですか……?」


 遠藤めぐるは心底から驚いたように、目を見開いた。

 そこで和緒は、彼女の額にあてていた手をようやく引っ込める。


「あんたが発症したのが十二月二十九日だっていうんなら、そういうことになるね。あんたは意識も朦朧のまま年を越したってわけか」


「そう……みたいですね……あ、あけましておめでとうございます……」


「……うるさいよ。こんなざまで、何がおめでたいってのさ?」


 和緒がうっかり感情をこぼすと、遠藤めぐるは申し訳なさそうに微笑んだ。


「どうもすみません……でも、わたしはへいきですので……いそわきさんは、かえってください……かんせんしたら、たいへんですから……」


「いくらあたしが冷血漢でも、こんな状態のあんたを放っておけると思うのかい?」


「ほ、ほんとうにだいじょうぶです……もう、さむけもなくなりましたし……」


 遠藤めぐるは困惑の面持ちで、身を起こそうとした。

 その体がぐらりと倒れかかったので、和緒は思わず抱きとめてしまう。和緒の腕に抱えられた遠藤めぐるの体は、びっくりするぐらい体重が感じられなかった。


「ご、ごめんなさい……でも、だいじょうぶですから……」


「あんたの大丈夫は、まったく信用ならないんだよ」


 和緒がそのように答えると、遠藤めぐるはぐったりと体重を預けてきた。

 それでも、子犬のような軽さである。


「ごめんなさい……いそわきさんのからだ、つめたくてきもちいいです……」


「そりゃあ寒空の下を歩いてきたんだから、こっちのほうが冷え切ってるだろうさ」


 そんな風に答えながら、和緒は遠藤めぐるの小さな体をぎゅっと抱きすくめた。

 衣服ごしに、彼女の体温がしみいってくる。そこから得られた感覚が、和緒にひとつの答えをもたらした。


(あたしは……大丈夫だ)


 遠藤めぐるの身をかき抱いてると、得も言われぬ喜びが体の隅々にまで行き渡っていく。

 しかしそこに、煩悩や肉欲が入り混じる余地はなかった。和緒はまるで、幼い頃に失った母親に抱かれているような心地であったのだ。彼女はこんなに小さいのに、和緒のほうが幼子に戻ってしまったような心地であった。


(わかったよ。認めるよ。あたしは、こいつが大好きなんだよ。でも……こいつを裸にひんむいてどうこうしたいなんて、これっぽっちも思わないんだよ)


 和緒はこんな気持ちで義兄を抱きしめたかったし、抱きしめられたかった。しかし、これとは対極の情念をぶつけられてしまったため、和緒は大きく取り乱し――そして、大きく傷ついてしまったのだ。


(もしもあたしが、あいつと同じ気持ちをあんたに抱いてたら……あたしは、自分を許せなかっただろうね)


 そんな風に考えると、和緒の頬に涙が伝った。

 和緒の腕にぐったりと身をゆだねた遠藤めぐるは、子犬のように身をよじる。


「あ、あの……いそわきさん、ちょっとくるしいのですけれど……」


「……うん。女同士でべたべたひっつくのは気色悪いから、そろそろ離れてくれない?」


「わ、わたしはなにもしていないのですけれど……」


 和緒は咽喉で笑いながら、いっそうきつく遠藤めぐるの身を抱きすくめることにした。

 この後はどうやって、彼女に泣き顔を見られないように身を離すべきか――その解決策を見出すまでは、もうしばらく彼女の温もりにひたっているしかなかった。

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