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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:K-

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06 不意打ち

 修学旅行からひと月ばかりも過ぎると、あっという間に年の瀬が迫ってきた。

 和緒にとっては、またもや忌まわしい時節の到来である。お盆からは四ヶ月以上も過ぎていたが、忌まわしいことに変わりはなかった。


 ただ和緒は、お盆の頃よりも強く気持ちを保てている。去年の夏の忌まわしい事件から数えて、これが四度目の里帰りであったし――こういうものは時間と回数を重ねるごとに、少しずつ感覚が麻痺していくのかもしれなかった。


(ま、そいつは感受性が摩耗してるのと同義なのかもしれないけどさ)


 何にせよ、負の感情が減退するならば、勿怪の幸いである。正しい心持ちで苦しい思いをするならば、正しくない心持ちで安楽に過ごすほうが、よほどましであるはずであった。


 それに和緒は、学校のほうも無難にやりすごすことができていた。

 遠藤めぐるとの関係性も、相変わらずである。週の半分は昼休みと下校の時間をともにして、つかず離れずの距離を保っている。こちらも時間と回数を重ねるごとに、じわじわと親睦が深まっていたが――それでも、和緒が危機感を覚えるほどではなかった。


 和緒はいつでも身を引けるように、遠藤めぐるの内面に踏み込みすぎないように心がけている。彼女の笑顔や愛くるしい所作を目にすると、どうしたって和やかな気持ちになってしまうが――そんなものは、小動物とたわむれているようなものだ。いつか時期がやってきたら、和緒はすみやかに撤退する心づもりであった。


 遠藤めぐるのほうも相変わらず、世間に対して徹底的な無関心をつらぬいている。和緒とともにいるときには表情も態度もゆるみがちであるが、基本のスタンスに変わりはない。彼女は受動的に和緒の存在を受け入れているだけであり、たとえ和緒がいきなり距離を取ろうとしても、決して追いかけてはこないはずであった。


(中学生活も、あと一年ちょいだ。心配が残るようだったら、卒業した後も離れまで様子を見にいけばいいし……その頃には、きっとこいつも少しは成長できてるだろうさ)


 そうして二学期の期末試験を終えたならば、あっという間に冬休みとなり――和緒が遠藤めぐるの離れに足を向けたのは、里帰りを翌日に控えた十二月二十八日のことであった。


(……こればっかりは、自分の保身が目的だよな。ああ、文句があるなら石でも投げりゃいいさ)


 和緒は忌まわしき里帰りに挑む前に、遠藤めぐるの顔を拝んでおこうと考えたのである。それはもちろん、お盆の際にも彼女の存在が和緒の助けになったと自覚しての行動であった。


 ただ和緒は、事前の約束も取りつけていない。もしも彼女が留守であったなら、すごすごと引き返すしかないのだ。それが、自分の情けない行動に対するせめてもの戒めであった。


 そうして和緒が、離れのドアをノックすると――カチリと、錠前の開く音がした。


「い、磯脇さん? いったい、どうしたんですか?」


 修学旅行から帰還した日と同じように、遠藤めぐるはびっくりまなこになっている。

 和緒は口もとがゆるみそうになるのを懸命にこらえながら、「別に」と肩をすくめてみせた。


「実は明日から里帰りだから、最後にあんたの顔を拝んでおこうと考えたまでさ。迷惑だったら帰るけど、どう?」


「い、いえ、迷惑なことはありませんけど……そ、それじゃあ、どうぞ」


 遠藤めぐるはさっそくもじもじしながら、和緒を玄関に招き入れてくれた。

 屋内の空気は、ひんやりと冷えている。さすがに屋外よりはましであったものの、上着を脱ぐかどうかためらうぐらいの温度だ。遠藤めぐる自身、スウェトのパーカーとニットのカーディガンの重ね着でもこもこになっていた。


「ふむふむ。あたしの不要品は、ルームウェアとしても活用されてるみたいだね」


「あ、こ、こんな立派な服を部屋着にしちゃって、どうもすみません。磯脇さんからいただいた服はちょっと大きめだから、重ね着にもちょうどよくって……」


「あたしが廃棄したもんをあんたがどう扱おうと、あんたの勝手だよ」


 和緒はそこはかとない満足感を抱きながら、四畳半の寝室に乗り込んだ。

 こたつのテーブルには、教科書やノートが広げられている。こんな冬休みの昼下がりから、勉強に励んでいたようである。


「ふむ。冬休みの宿題をほっぽりだして、自主勉強かい?」


「あ、いえ……冬休みの宿題は、もう終わってしまったので……」


 さすが勉強の他にはやることもないと豪語するだけはある。彼女は苦痛を感じる機能が壊れているのではないかと思えるぐらい、ストイックな生活に身を置いていた。


(日常生活は二の次にしてるくせに、勉強だけは頑張ってるってんだから……やっぱり根っこは、クソ真面目なんだろうな)


 和緒は持参したコンビニ袋を手放してから、覚悟を決めてチェスターコートを脱ぎ捨てた。たちまち冷気が押し寄せてきたので、こたつに下半身をもぐらせる。


「おー寒い。エアコンなしで冬を乗り越えるなんて、ほとんど拷問だね。……こりゃあこたつから出る気にもなれないわけだ」


「は、はい。食材の買い出しなんかで出かける他は、ずっとこたつに入っています」


 そう言って、遠藤めぐるははにかむように微笑んだ。

 明らかに、和緒の来訪を喜んでいる様子である。彼女がこんな調子であるから、和緒も共依存を警戒しなくてはならないわけであった。


「とりあえず、今日はそんな必要もないからね。日が暮れたら、こいつを食べようよ」


「ええ? ま、また何か買ってきてくれたんですか?」


「そんなあんたが恐縮するほどの額はつかっちゃいないよ。大事な勉強のお邪魔をした詫び賃さ」


「で、でも……磯脇さんには、いつもお世話になってばかりですし……」


「あんたのお世話をした覚えはないよ。いつもじゃんけんで食料を奪われてるだけのことさ」


 和緒はすました顔を作りながら、床に置いたコンビニ袋を持ち上げてみせた。


「ちなみにこいつは、コンロで火にかけるタイプの鍋焼きうどんね。あんたにこいつの魅力を振り切ることができるかな?」


 眉を下げていた遠藤めぐるは、困惑した様子で視線をさまよわせ――その末に、力なく微笑んだ。


「そ、それはちょっと……難しいかもしれません」


 そんな気安い返答に、和緒は思わず言葉を詰まらせてしまう。

 それが悔しかったので、和緒はこたつの中で遠藤めぐるの足を蹴ることにした。


「だったら黙って、腹を満たしな。夜になってこいつを食べたら、あたしもおいとまするからさ」


「は、はい。ありがとうございます。……磯脇さんは、明日から里帰りなんですか?」


「ああ。毎年毎年、冬休みの半分はそんなもんで潰されちまうのさ。忌々しいったらないよ」


「そうですか……わたし、里帰りってしたことがないんですよね」


 そう言って、遠藤めぐるは少しだけ遠い目をした。


「父方の祖父母とは折り合いが悪かったですし、母方は親類もなかったので……どちらも、帰る故郷がなかったんです」


「ふーん。あたしにしてみりゃ、羨ましい限りだよ。気心も知れない親戚連中に囲まれたって、肩が凝るだけだからさ」


「そう……ですよね……きっと、そうなんだと思います」


 そんな風に言いながら、遠藤めぐるは遠い目をしたままである。

 和緒は自分の頭を引っかき回してから、白旗を上げることにした。


「でも、そういう親戚連中がいたら、あんたはもうちょっとまともな生活を営めてたんだろうね。羨ましい発言は、取り消させていただこうかな」


「え?」と、遠藤めぐるは目を丸くした。

 そして、和緒の表情に何を見て取ったのか、わたわたと慌て始める。


「わ、わたしは何か、磯脇さんの気分を害するようなことを言っちゃいましたか? そうだったら、どうもすみません」


「どう考えても、デリカシーに欠けてたのはあたしのほうでしょうよ。あたしは他人の不幸なんて歯牙にもかけない冷血漢だけど、だからって何を言っても許されるわけじゃないだろうしね」


「い、いえ。そんなことは、気にしないでください。わたしも別に、親戚が多いことを羨ましがっていたわけではありませんので……」


「そうなの? その割には、遠い目をしてたみたいだけど」


 和緒がそのように言いつのると、遠藤めぐるはうつむきながら背中を丸めてしまった。

 親戚関連の話題がそんなに地雷であったのかと、和緒はますます心配になってしまったが――深くうつむいた遠藤めぐるは、何故だか顔を赤くしている。そして、飼い主の機嫌をうかがう小動物のように和緒の顔をちらちらとうかがっていた。


「あの、わたし、ひとりで勝手な妄想を浮かべていただけで……だから、磯脇さんは悪くないんです」


「妄想? どこに妄想なんかを浮かべる余地があったってのさ? 里帰りについて語りながら、まったく違うことを考えてたってこと?」


「ま、まったく関係ないことはないんですけど……お、怒らないで聞いてくれますか?」


「それは、内容による」


「そ、それじゃあやっぱり、言わないでおきます」


「ほほう。これだけあたしを振り回しながら、黙秘権の行使が許されるとでも? あたしを敵に回すと、おっかないよ?」


 遠藤めぐるは赤い顔で背中を丸めたまま、わたわたと慌てた。


「そ、それじゃあ白状しますけど……わ、笑わないでくださいね?」


「あたしが怒るような話なのか笑うような話なのか、はっきりしてもらいたいもんだね」


「す、すみません……わ、わたしは磯脇さんみたいに里帰りする用事もなくて、この冬休みもずっと引きこもっていましたけど……きょ、今日は磯脇さんが来てくれたから嬉しいなと思って……」


 思わぬ方向からフルスイングの痛撃をくらった心地で、和緒は絶句してしまった。

 そしてその間も、遠藤めぐるは羞恥に頬を染めながら言葉を重ねていく。


「そ、そうしたら、夏休みのことを思い出しちゃって……あのときも、磯脇さんが里帰りする一週間ぐらい前に、モールでばったり会いましたよね? それで、お茶に誘ってもらえて……あのときも、すごく楽しかったから……」


 この小動物のような娘さんは、そんな妄想を浮かべながら遠い目をしていたのである。

 何かと心をかき乱される機会の多い和緒も、このときばかりは心を立て直すのに総身の力を振り絞らなくてはならなかった。


「あんた……いきなり、何を言ってんのさ? いっつも、ぼけっとしてるくせに……いきなりそんな小っ恥ずかしい言葉を聞かされても、こっちは挨拶に困っちゃうよ」


「す、すみません。だから、言わないでおこうと思ったんですけど……」


 と、遠藤めぐるはますます顔を赤くしてしまう。

 懸命に立て直した和緒の心は、端から崩落してしまいそうだった。


「だから、なんであんたはそんな真っ赤になってるんだよ。まさか……あんた、あたしのカラダでも狙ってんの?」


「ええ? ち、違います違います! い、磯脇さんは美人さんですけど、わたしは恋愛感情とかそういうものはよくわからないので……」


「……ああそう。せっかくの和やかな関係が肉欲なんざで台無しにされないんなら、幸いだよ」


 和緒はほとんどチキンレースに挑んでいるような心地で、そんな言葉を言い捨てた。

 もちろん和緒の真意など知るすべもない遠藤めぐるは、ひとりで慌てふためいている。その愛くるしい姿が、また和緒の心を存分に揺さぶってきた。


(やっぱりこいつは、人たらしだ……他の連中にはどうだか知らないけど、あたしにとっては劇薬だ)


 普段はあれだけぼんやりしていて、自分からは決して和緒に近づいてこようともしないのに――それでいきなりあのような言葉を叩きつけてくるのは、言語道断である。これならば、いきなり罵詈雑言をあびせられるほうが、まだしも平静を保てたかもしれなかった。


 かくして和緒は、来訪してからわずか数分でさまざまな感情を抱え込み、その状態のまま数時間ばかりも過ごすことに相成ったのだった。

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