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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:K-

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03 新生活

 その日、磯脇家の両親は日が変わるまで大騒ぎをしていた。

 午後の十時過ぎに帰宅してみたら、息子は廊下で吐瀉物と自分の血にまみれて泣き伏しており、娘はバスルームで衣服ごとびしょ濡れになっていたのである。いきなりそんな光景を見せつけられた両親の心中は、察するに余りあった。


 どうしてこのような惨状になったかは、義兄の口から語られたらしい。

 きっと善良なる彼は、包み隠さずすべてを打ち明けたのだろう。彼は、そういう人間であるのだ。


 ただ、それが正しい選択であったのかどうかはわからない。おかげで両親は、見るも無残に取り乱してしまったのだ。

 父親は義兄を罵倒し、義母は和緒を罵倒した。和緒が罵倒される理由はよくわからなかったが、とりあえず義母は大事な息子をたぶらかされたことに激怒しているようであった。


 和緒が義兄をたぶらかした覚えはない。

 しかし、この容姿が義兄の何かを刺激してしまったというのなら、きっとそれは和緒の責任であるのだろう。そして、暴漢の股間を蹴り飛ばすことは許されても、家族の頭を花瓶で殴りつけることは許されないようであった。


 まあ、和緒にとっては何がどうでもかまわない。

 義兄は内なる衝動に従ったのだろうし、和緒もそれは同じことだ。二人そろって罵倒されるなら、むしろ本望なぐらいであった。


 そうして両親の罵り合いは一日で終わらず、終戦には三日を要することになった。あの仕事人間である両親が、仕事を休んでまで罵り合いに明け暮れたのである。和緒はおおよそ自分の寝室に引きこもっていたのでその内容は判然としなかったが、両親は気力と体力の続く限り激情をぶつけあっていたようであった。


(……二人が罵り合う必要なんて、本当はないんだろうにさ)


 ひと足先に正気に戻った和緒は、そんな感慨を噛みしめていた。

 おそらく両親はそれぞれの血縁者を擁護しているために、代理戦争のごとき様相を呈しているのだ。父親が義兄を責め、義母が和緒を責めるために、いつまでも諍いが終わらないのである。


 そして、三日後――表面的に、代理戦争は終息した。

 ただそれは、銃撃戦から冷戦状態に移行しただけの話であった。けっきょく父親も義母も、自分の子は悪くないという最後の防衛線は譲ることができなかったのだ。


 まあ、相手の主張を受け入れられないのであれば、関係を断つしかない。

 和緒は漠然と、そんな風に考えていたのだが――ただそれは、子供の考えであるようであった。磯脇家は、冷戦状態のまま継続されていくことが決定されたのである。


 具体的には、義兄は京都に転居することになった。

 今回の騒ぎは隠蔽されて、京都の進学校を受験するという名目で、母方の実家に預けられることになったのである。


 両親が離婚しないと聞き及んだ和緒は、心の底から驚かされることになった。

 そしてその後、さらに驚くべき言葉を聞かされることになった。


「和緒は盲腸で入院したということにして、このお盆だけは里帰りを免除してもらう。こんな時期にひとりにしてしまうのは心配でならないが……どうにか、頑張ってくれ」


 つまり――次の年末年始には、里帰りに同行せよということであろうか。

 義兄が待ちかまえている場所に、である。


「……父さんは、それでいいの?」


 和緒がそのように問いかけると、三日間の争乱で憔悴した父親はさまざまな激情をみなぎらせながら、うなだれた。


「父さんだって、あんなやつの顔は二度と見たくない。でも……そうするしかないんだ」


 どうして、そうしなければならないのか――和緒に想像できるのは、社会上の体面ぐらいであった。父親と義母が家族と同じぐらい大切にしているのは、それぞれの仕事ぐらいしか思いつかなかったのだ。仕事人間である父親と義母は、会社における体面を守ることを最優先に考えたのかもしれなかった。


 ともあれ――磯脇家は崩壊したまま継続されていくことが決定したのである。

 扶養家族に過ぎない和緒は、諾々とその決定に従うしかなかったのだった。


                ◇


 そうして和緒の、新しい生活が始まった。

 完全に崩壊した家庭のもとで歩む、新生活である。


 義母はいまだに、和緒を憎悪している。

 父親は和緒を擁護してくれたが、それでもこれまで通りというわけにはいかなかった。義母を刺激しないように、父親も和緒と距離を取り始めたのだ。

 それに父親だって、和緒に思うところがないわけではないのだろう。最初の一歩を踏み出したのが義兄であっても、そこにいっそうの混乱をもたらしたのは和緒であるのだ。父親が義母と一緒になって和緒を憎悪したとしても、べつだん不思議はないように思われた。


 ただきっと、父親も義母も自分の責任を果たそうとしているのだ。

 この再婚を決めたのは自分たちであるのだから、そこからもたらされた苦労や苦痛に耐えるのは当然である――と、そんな思いで歯を食いしばっているのだろう。


 であれば、和緒もそれにならうしかなかった。

 義兄に抱きつかれたぐらいで我を失い、花瓶で殴りつけてしまったのは、和緒の責任であるのだ。自分も家庭を崩壊させた一因であるのだという自覚のもとに、和緒は新生活に臨むことに相成った。


 そうして新たな生活に立ち向かうにあたって、和緒は髪を切り落とした。

 幼稚園の頃からのばし続けていたロングヘアーを、ばっさり切り落としたのだ。


 何か明確な理由があったわけではない。ただもうこのように重たいものをぶら下げて生きるのが、面倒でならなかったのだ。父親も、和緒の行動に文句をつけたりはしなかった。


 やがて夏休みが終わったならば、学校の再開である。

 和緒がショートヘアーの姿で登校すると大変な騒ぎが巻き起こったが、しかしそれも些末な話であった。クラスメートたちのさんざめきは、これまで以上に遠く感じられてならなかった。


「磯脇さん、もしかして……失恋でもしちゃったの?」

「まっさかー! 磯脇さんをフる男なんて、この世に存在するわけないじゃん!」


 そんな会話も、和緒は聞き流すだけであった。

 ただ――何だかこれまで以上に、女子生徒の面々が騒がしくなったようである。和緒は夏休み期間のお誘いをすべてシャットダウンすることになったので、クラス内の交友関係もこれで終了かと予測していたのだが――彼女たちは、いっそうの熱意で和緒のもとに寄り集まってきたのだった。


(つまり、あたしの社交術なんて何の意味もなかったってことか)


 和緒はもはや上っ面の関係に気を使う気持ちをなくしていたので、そんなクラスメートたちにも素っ気なく対応した。しかしそうすると、女子連中の熱意はいっそう高まってしまうようであった。逃げれば追いかけたくなるという原理であるのか、和緒が冷淡に振る舞えば振る舞うほど熱っぽい視線を向けられてくるのだ。しまいには、そのひとりから愛の告白までされる始末であった。


(アホらし)


 それが、和緒の真情であった。

 そして和緒は、おのれの業というものを思い知らされた心地であった。


 和緒はどのようにあがいても、ある一定の人々を惹きつけてしまうようであるのだ。

 これまで和緒に防犯ブザーを鳴らされてきた面々も、着替えを盗撮しようとした教師も、そして義兄も――和緒の身から発せられる色香だかフェロモンだかによって、道を踏み外すことになったのだろう。和緒の意思に関係がないとしても、それは和緒の存在がもたらした効果であったのだった。


 女子生徒たちも、同じことだ。愛の告白にまで及んだ者は過剰反応の一例であるのかもしれないが、何にせよ彼女たちは無条件で和緒に心を惹かれてしまっている。和緒の容姿か、言葉か、立ち居振る舞いか、匂いか、フェロモンか――理由はさっぱりわからないが、とにかく彼女たちは和緒に好意を持たざるを得ないのである。義兄の末路を思えば、それも気の毒な限りであった。


(でも悪いけど、あたしは好きにやらせてもらうよ)


 和緒は、そのように考えていた。

 磯脇家に崩壊を招いてしまったことに責任は感じているものの、決して後悔しているわけではないのだ。親愛の念を抱いていた相手に性愛をぶつけられて冷静でいられるほど、和緒はできた人間ではないのである。あまり認めたくはなかったが、和緒とて大きく傷ついていたのだった。


(男だったら、不能にでもなりそうだな。女のあたしは不感症か、男嫌いにでもなるのかな)


 かといって、同性を相手に恋愛ごっこを楽しむ気にもなれない。とにかく和緒は、静かに過ごしたかった。思いも寄らない相手に恋心を寄せられるのも、集団の場で無駄に取りつくろうのも、二度と御免という心境であった。


 そうして和緒は群れ集ってくる女子生徒を蹴散らして、単独行動を好むようになった。

 男子生徒からの告白は、これまで通りスルーである。幸い、そのていどのことで忌まわしい記憶がフラッシュバックすることもなかった。


 そして、家庭内においては――思いの外、安楽に過ごすことができた。父親も義母も仕事に没頭して、ロクに姿を見せないようになったのである。

 朝は和緒よりも早く出社して、夜は和緒よりも遅く帰宅する。和緒は午後の九時までに雑事を終えて寝室に引きこもれば、顔をあわせることもなかった。たまにの休日でも両親は家に腰を落ち着けず、おおよその連絡はスマホで取り交わすことになった。これが、両親の選択した磯脇家の新生活であったのだった。


(じゃ、最初の関門は年末の里帰りだな。それまでせいぜい気楽に過ごして、気力を充実させていただくか)


 和緒は、そんな風に考えていた。

 おかげさまで、ひねくれた気性にすっかり磨きがかかってしまったようである。家庭内でもクラス内でも他者に気を使うことがなくなれば、いくらでも奔放に振る舞うことができるのだ。もしかしたら、これこそが和緒の本性であったのかもしれなかった。


 そうして、あっという間に四ヶ月ていどが過ぎ去って――最初の試練がやってきた。年末年始の、里帰りである。

 幸いなことに、母親は新幹線の時間をずらしてくれた。父親と過ごすのもひさかたぶりであるので気まずいことに変わりはなかったが、胃が痛くなるほどのことではなかった。


 父親も、あまり口をきこうとしない。

 和緒をこんな生活に追いやってしまった申し訳なさと、その原因を作った和緒に対する割り切れなさで、板挟みになっているのだろう。そして、娘に手を出そうとした義兄と四ヶ月ぶりに対面するという腹立たしさが、さらなる重圧となるに違いない。父親こそ、義兄に対しては純然たる憎悪を抱いているはずであった。


 そうして京都の駅に到着すると、構内のカフェで義母が待ちかまえている。

 義母は、和緒の顔を見ようとしなかった。そしてもちろん、父親以上に寡黙であった。


 仮面夫婦ならぬ、仮面家族である。すべての家族が本心を押し隠して、表面上の平静を取りつくろっているのだ。こんな不毛な舞台を演じてまで、両親は社会上の体面を守らなければならないわけであった。


 そして、京都の実家に到着すると――義兄が待ちかまえていた。

 義兄ももちろん、和緒や父親の顔を見ようとしなかった。そして義母は、偽りのない笑顔で息子の身を抱きすくめたのだった。


 やはり義母は、心から息子を愛しているのだ。

 きっと和緒を憎むことで、息子に対する不満の思いは相殺されるのだろう。であれば、和緒に対しても仮面をかぶらざるを得ない父親よりは、まだしも幸福であるのかもしれなかった。


 それから帰りの新幹線に乗り込むまでの数日間、和緒は心を眠らせることで乗り越えるしかなかった。

 事情を知らない京都の親族たちは遠慮なく和緒にも声をかけてくるので、そのときこそ上っ面の社交性で立ち向かうのだ。器用貧乏の達人たる和緒は、その気になれば皮肉屋の本性も押し隠して、いくらでも社交的に振る舞うことができた。


「こないに可愛い妹はんがおるのに家を飛び出してまうなんて、酔狂なことやね! あっちにだって、立派な学校はなんぼでもあるやろうに!」


 いつもは真面目くさっている義母の弟が酔ったはずみでそのように言いたてると、義兄は気まずそうに笑っていた。そして義母も笑いながら、一瞬だけ憎悪の眼光をひらめかせていた。


 ともあれ、和緒も何とか試練を乗り越えることができた

 義兄の顔を見ているだけで気分が悪くなり、食事をするたびにトイレで嘔吐することになってしまったが――それも、些末な話である。それを誰かに気づかれたりしなければ、ミッション成功と言えるはずであった。


 そうして無事に里帰りを終えた和緒は、また自堕落な生活に埋没することになり――そして、思わぬ出会いを秘めた中学二年生の春を迎えることに相成ったのだった。

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