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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:K-

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02 崩壊

 義母に義兄という新たな家族が増えてからも、しばらくの間はさしたる波乱も起きなかった。


 まず第一に、義母は父親に負けないぐらいの仕事人間であったため、毎日のように帰りが遅く、休日にも何かと外を飛び回っていたのだ。仕事にかける意気込みは、和緒の母親以上であったかもしれなかった。


「わたしの実家は、京都にあるんだけどさ。けっこう歴史のあるでかい会社の、経営者一家なの。でも、わたしは実家の反対を押し切ってこっちに出てきた身だから、全力で見返してやらないといけないんだよね」


 義母は力強く笑いながら、そんな風に言っていた。

 きっと父親は、こういうエネルギッシュな女性にひかれる気質であるのだろう。和緒の母親も一見は繊細なように見えたが、実に能動的な気性をしていたのだ。


(ま、見た目より中身で選ぶほうが、何百倍もマシだよな)


 和緒はひそかに、そんな風に考えていた。

 いっぽう、義兄のほうはというと――こちらもまた、平均以上にエネルギッシュであるようであった。こちらの家に移り住んでからも剣道の稽古と勉強に明け暮れて、その合間にはしっかり新たな友人関係を構築している様子であった。


「俺ももともと県内で暮らしてたから、剣道部つながりで話題に困ることもなかったよ。顧問の先生も、全国まで進んだ俺のことは覚えてくれてたしな」


 義兄は屈託のない笑顔で、そんな風に言っていた。


「でも、もとの学校で頑張れたら、それが一番理想的だよね。こんな時期に転校することになって、嫌じゃなかったの?」


 和緒がそんな風に問いかけると、義兄は同じ笑顔のまま「全然」と肩をすくめた。


「持ち家で家賃がかからないなら、それが一番だろ。お袋は親父を亡くした後も立派なマンションを手放そうとしなかったから、内情はカツカツだったんだよ。……それでもまあ、女手ひとつで育ててくれたことには感謝してるけどさ」


 彼の実父は三年ほど前、突然の脳梗塞で亡くなってしまったのだそうだ。


「そっちも同じぐらいの頃に、お袋さんを亡くしてるんだろ? そのあたりのことが、仲良くなるきっかけになったのかもな」


 そんな話を語る際にも、彼の笑顔から朗らかさや力強さが消えることはなかった。


「まあ、きっかけなんて何でもかまわないけどさ。親どもが気兼ねなく仲良くやれるように、俺たちも陰ながら応援してやろうぜ」


「うん。まあ、そうだね」


「まあは余計だろ。和緒って、ちょっとしたところで内心をぼやかそうとするクセがあるよな」


「うるさいな。ほっといてよ」


 と、しばらく一緒に暮らす内に、和緒も義兄に遠慮のない言葉を返せるようになっていた。

 これは新たな発見であったが、和緒は少し年長の相手のほうが、スムーズに交流できるようであった。和緒は成長が早かったためか、クラスメートたちが子供っぽく思えてならなかったのだ。もしかして、和緒がさしたる苦労もなく人間関係の和を保てたのは、脳の発育でも一歩リードしていたためなのかもしれなかった。


「確かに和緒って、見た目も中身も大人っぽいもんな。中学生に間違われるのも当然だよ。ランドセルなんか背負ってると、コスプレかよって言いたくなっちまうしさ」


「だから、うるさいっての」


 和緒がにらみつけると、義兄は心から楽しそうに笑った。そして、そんな笑顔が意外に和緒の心を和ませてくれたのだった。


 そうして大きな波乱もないまま、半年ほどが過ぎ去って――和緒は中学一年生、義兄は中学三年生に進級した。しょっちゅう中学生に間違われていた和緒に、ようやく肩書きが追いついてきたのだ。


 だがしかし、和緒はすぐさま実情を追い抜くことになってしまった。この半年ほどでまたぐんぐんと背がのびて、中学校に入学する頃には高校生に間違われるようになってしまったのである。


「女は成長期が早いって言うけど、和緒はもう大人の平均身長も突破しちゃってるもんな。頼むから、兄貴を追い抜いてくれるなよ?」


 そのように語る義兄は身長百七十センチていどで、和緒は春の身体測定で百六十センチを突破していた。


「おかげさまで、バスケ部やらバレー部やらのスカウトがうるさくってさ。背がありゃいいってもんでもないだろうにね」


「でも、和緒は運動神経だって悪くないじゃん。いっちょ何か本気で取り組んでみたらどうだ?」


「得意不得意と好き嫌いは、別の話でしょ。言っちゃ悪いけど、過酷な運動部に取り組む人間の気持ちはさっぱり理解できないよ」


「勝負ごとは、面白いじゃん。それなら和緒は、何が楽しいんだよ? いっつもぼへーっとしてて、趣味らしい趣味もなさそうだよな」


 そんな風に問われても、和緒の中に答えはなかった。和緒はつくづく、無趣味な人間なのである。

 あえて言うならば、小学五年生と六年生で二年続けて押しつけられた運動会のブラスバンドは楽しくなくもなかったが――べつだん、口に出すほどのことではなかった。


「あたしのことより、そっちのほうはどうなの? 本当に、春ですっぱり剣道部をやめちゃうの?」


「やめちゃうのって、もうやめた後だよ。三年生になったら受験勉強に専念するって決めてたからな」


「ふうん。全国大会まで行ったのに、もったいない。そんなにお勉強が楽しいの?」


「そんなもん、楽しいわけないだろ。……いい大学に入っていい会社に入って、お袋を楽にしてやりたいんだよ。ま、俺がどれだけ稼いだって、お袋は仕事をやめないだろうけどな」


 義兄は冗談めかしていたが、きっと心から母親のことを尊敬しているのだろう。それで彼も、母親に負けない仕事人間を目指しているのかもしれなかった。


 そうして和緒が中学校に入学してからも、しばらくは平穏に日が過ぎ去っていったが――夏休みを目前にしたある日のこと、ちょっとした事件が勃発した。クラスメートの買い物につきあわされた帰り道、暗がりにひそんでいた何者かが和緒に襲いかかってきて、ひさびさに防犯ブザーのピンを抜くことになったのである。


 ただ今回は、それで終わらなかった。暴漢は防犯ブザーの爆音に仰天したものの、和緒の腕を離そうとしなかったので、したたかに股間を蹴りあげてやったのだ。そうすると暴漢はその場で悶絶してしまい、防犯ブザーの音色を聞きつけた近所の住民が寄り集まって、警官まで呼ばれる事態に至ったのだった。


 このように話が大きくなってしまうと、和緒も交番で事情聴取を受ける身となってしまう。そこで真っ先に駆けつけてきたのは、自宅で受験勉強に勤しんでいた義兄であった。


「和緒、大丈夫か!? 何もおかしなことはされなかったか!?」


 交番に飛び込んでくるなり、義兄は真っ青な顔でがなりたてた。

 和緒はほっと息をつきながら、「うん」と答えてみせる。


「あたしは腕をつかまれただけだよ。暴漢のほうは、病院送りになっちゃったみたいだけどね」


「うんうん。だけどれっきとした正当防衛だから、何も心配はいらないよ。あんな悪質な変質者を逮捕するのに協力してくれたんだから、感謝状が出されたっておかしくないぐらいさ」


 初老の警官はのんびりとした笑顔で、そんな風に言っていた。どうやらこのたび捕獲された暴漢は、余所の市で何度となく犯行を重ねていた常習犯であったようなのだ。その容疑が確定すれば、刑務所行きは確実であるという話であった。


「保護者の方がいらっしゃったら、それでお引き取りいただくからね。それまでは、お兄さんと一緒にここで待っているといい」


 ということで、和緒はしばらく義兄と二人で過ごすことになった。

 警官から事情を聞かされても、義兄は真っ青なままである。ただ、内心の不安をねじ伏せるように、ぎこちない笑顔を作っていた。


「さすが和緒は、転んでもただじゃ起きないな。変質者のタマを蹴り潰すなんて、さすがじゃん」


「そこまでする気はなかったんだけどね。まあべつだん、後悔はしてないけどさ」


「後悔なんて、する必要ないだろ。俺がその場にいたら、半殺しにしてたよ」


「それは過剰防衛でしょ。そんなことで自分の経歴にケチをつけるのは馬鹿らしいって」


「お前はほんと、たくましいよな」


 そう言って、義兄はしみじみと息をついた。


「それにしても、和緒がこんな目にあうなんてな……冷静に対処できた和緒は、立派だよ」


「うん。まあ、防犯ブザーを活用するのも初めてじゃなかったしね」


「なに? 前にもこんな目にあってたのかよ?」


「こんな大ごとになったのは、初めてだけどね。世の中には、トチ狂った人間が多いってことさ」


 和緒がそのように答えると、義兄はどこか苦しげに眉をひそめた。


「まあ……和緒は俺と出会った頃から、大人っぽかったもんな。今じゃあ高校生に間違われるぐらいだし……和緒に比べたら、クラスの連中がガキっぽく見えるぐらいだよ」


「そんなのは、見てくれだけの話でしょ。あたしなんて、中一のガキんちょだよ」


「和緒は中身だって、大人っぽいじゃん。……学校にだって、和緒を狙ってる人間は山ほどいるんじゃないか?」


 和緒は中学校に入学してからの四ヶ月ほどで、すでに十指に余るほどの告白をいただいている。

 しかし、そんな話は小学生の頃から始まっていたし――家族を相手に口にしたくもない話題であった。


「お前、おかしな男とだけはつきあうなよ? この年頃の男なんて、考えることは一緒なんだからな」


「なに言ってんの? ブーメランが突き刺さってるよ?」


 そんな言葉を返してから、和緒は思わず苦笑することになった。


「まあ、たとえ中学校が動物園だったとしても、中には義兄さんみたいにまともな人間も入り混じってるでしょうよ。おかしな男はこっちだって勘弁だから、せいぜい選り好みさせてもらうさ」


 すると――義兄は、妙な顔をした。

 何かを苦しがっているような――それでいて、どこか喜んでいるようにも見えるような――和緒がこれまでに見たことのない顔である。

 義兄が何を考えているのかはわからなかったが、それはあまり和緒の好みにあう顔ではなかった。


                 ◇


 それからしばらくして、和緒は夏休みを迎えることになった。

 部活も何もやっていない和緒にとっては、至極お気楽な期間である。クラスメートからはひっきりなしに遊びの誘いの連絡が舞い込んだが、和を保つのに必要最低限のつきあい以外はお断りして、和緒は自由気ままに過ごしていた。


 両親は相変わらず仕事に忙殺されており、義兄は受験勉強に勤しんでいる。

 和緒ばかりが怠惰な生活を送るのは、いささか心苦しいところであったが――しかしまあ、自分もいずれは受験勉強や会社の仕事で忙殺されることになるのだ。そのように割り切って、今は中学一年生としての自由な生活を楽しませていただくことにした。


 ただお盆には、里帰りという愉快ならぬ行事が待ち受けている。

 お盆と正月とゴールデンウイークは、必ず義母の実家に顔を出さなければならないのだ。和緒はすでにその里帰りを二回体験しているが、母親の実家というのは本当に堅苦しく、見栄や体面というものを何より重視しており、黙って座っていても息が詰まるような環境であった。


(あれじゃあ義母さんが家を飛び出すのも当然だよ。でかくて古い会社を経営してるってのは、そんなにお偉いもんなのかね)


 しかしまあ、年に数日の忍耐で義母の体面が守られるのであれば、安いものである。その分まで、残りの日々はめいっぱい自堕落に過ごさせていただくつもりであった。


 そうして八月の初旬が過ぎて、いよいよお盆が目前に迫った頃――父親と義母から、順番に連絡が入ってきた。どちらも突然の残業で、帰りが遅くなるという話であったのだ。

 本日はヘルパーも頼んでいない日取りであったため、自力で夕食をどうにかしないといけないということだ。しかしまあ、こういう事態に備えて緊急用の電子マネーをがっぽりいただいているので、べつだん頭を悩ませる必要はなかった。


(でも、二人そろって残業ってのは、ちょっとひさびさだな。……案外、あたしらの目を盗んでデートを楽しんでたりして)


 そんな益体もない想念を浮かべつつ、和緒はリビングのソファから腰を上げた。

 そうして二階を目指そうとすると、それより早く義兄が階段を下りてくる。残業の連絡は、義兄も同時に受け取っているはずであった。


「わざわざそっちから来てくれたんだね。夕食はどうする?」


「……和緒は、どうしたい?」


 どこか神妙な面持ちで、義兄はそのように反問してきた。

 夕食ごときで何を思い詰めているのかと内心で小首を傾げつつ、和緒は「うーん」と胃袋と相談する。


「ひさびさに、ピザでも食べたい気分かな。……あ、韻を踏んだわけじゃないし、五七五になったのも偶然の産物だからね」


「うん。俺もそれでいいよ」


 義兄の表情は、変わらない。

 まったく脈絡はなかったが――和緒は何故だか、義兄が二週間ほど前に交番で見せていた奇妙な表情を思い出していた。


「義兄さん、どうしたの? なんか、調子が悪そうだけど」


「ああ。……ここ最近、受験勉強が手につかないんだよ」


「ええ? どうしてさ? ずっと勉強で引きこもってるのに、何か問題でもあったの?」


「問題は……お前だよ。お前のことで、頭がいっぱいになっちまったんだ」


 和緒はきょとんと、目を見開くことになった。


「あたしが何か、邪魔でもしちゃった? いちおうこれでも、あたしなりに気は使ってたつもりなんだけど」


「ああ。和緒は、優しいもんな」


 義兄は同じ顔のまま、和緒のほうに近づいてきた。

 そして――剣道で鍛えたその腕が、和緒の身を抱きすくめてきた。


「お前は、大事な妹だよ。でも……血は繋がってないんだ。俺は……俺は、どうしたらいい?」


「……なに言ってんの? とりあえず、離してよ」


「嫌だ」とはっきりとした声で答えて、義兄はいっそう腕に力を込めてきた。

 兄の心臓の鼓動が、衣服越しに伝わってくる。夏の盛りであったため、二人はTシャツしか着ていないのだ。もちろん和緒は下着も着用していたが、むやみに発育した胸がぺしゃんこになるほどの圧力であった。


「お前が他の男とつきあうとか考えたら、頭がどうにかなっちまいそうなんだよ。俺たちは、兄妹なのに……こんなの、おかしいよな?」


「……わかってるなら、離してくれない?」


「でも俺、調べたんだ……連れ子同士は、結婚できるんだよ」


 義兄の声が、震えを帯びた。

 何かを恐れているような――同時に、何かを喜んでいるような――相反する激情が乱反射しているような声音であった。


 和緒は頭が真っ白になって、何も考えることができなかった。

 その白濁した頭の奥に、うっすらと浮かんでいるのは――和緒が好ましく思っていた、義兄の無邪気な笑顔である。


 しかし今の義兄は、こんな顔をしていないに違いない。

 あの日の交番で見せていた奇妙な顔か――あるいはもっと醜悪な顔をしているはずであった。


 義兄の体温や体臭が、気持ち悪い。

 じょじょに荒くなっていく息遣いが、気持ち悪い。

 背中をつかむ指先の感触や、和緒の胸を押し潰す胸板の感触が、気持ち悪い。


 そして――新たな感触が、和緒に押しつけられてきた。

 和緒の下腹のあたりに、何か熱くて固いものが押しつけられているのだ。


 それを知覚した瞬間、和緒は嘔吐した。

 義兄は悲鳴をあげて、和緒の身を解放した。

 自由を得た和緒は、廊下に飾られていた花瓶を義兄の頭に叩きつけた。

 粉々になった花瓶とともに、義兄は廊下に倒れ伏した。

 和緒はそれをまたぎ越して、バスルームに駆け込んだ。


 昼に食べたものが、すべて胃から逆流してくる。

 胃の中が空っぽになると、黄色い胃液が吐き出された。


 和緒は獣のように喘ぎながら、シャワーの栓をひねりあげる。

 冷たい水が頭から降り注ぎ、汚物を排水溝に流していった。


 そうして床が清められても、和緒はシャワーを止めなかった。

 自分の中の澱んだものが、まったく流れていかなかったからだ。冷たい水でも浴びていないと、和緒は内側から腐ってしまいそうだった。


 そうして和緒の平穏な生活は、木っ端微塵に砕け散り――磯脇家は、跡形もなく崩壊することに相成ったのだった。

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