04 リトル・ミス・プリッシー
楽屋で慌ただしく栄養補給をしためぐるは、ほとんど駆け足で客席ホールに戻ることになった。
客席ホールは、いよいよ大変な人混みになっている。こちらの『ジェイズランド』は最大二百名まで収容できるそうだが、ほとんど限界に近いのではないだろうか。イベントも折り返しを過ぎて、熱気のほうもとてつもなかった。
「あ、和緒ちゃんとめぐるちゃんだー! こんなに人がいっぱいだと、なかなか会えなくなっちゃうねー!」
と、町田エレンが和緒の腰にしがみついた。
和緒は「おやおや」と軽妙に応じながら、町田エレンの栗色をした髪にぽんと触れる。
「やっぱりまだ帰ってなかったんだね。今日はいつまで居残るつもりなのかな?」
「今日は最後までだよー! 大晦日のときもねむくならなかったし! ブイハチのライブもみたいしねー!」
「なるほど。明日も学校なのに、元気なもんだね」
すると、栗原理乃と町田ローサも近づいてきた。ひさびさの再会となる栗原理乃は、ほっとした様子で微笑む。
「どうも、お疲れ様です。お父さんとお母さんは、耳が疲れてしまったので一階で休んでいます」
「今日は爆音バンドばかりだから、それも当然の話だね。繊細な耳をお持ちの栗原さんは大丈夫なのかい?」
「はい。私は音の大きさよりも、調律の乱れが苦になってしまうので……今日みたいに演奏力の高い方々ばかりですと、むしろ負担が少ないようです」
それも、絶対音感を持つ人間ならではの苦労であるのだろうか。凡夫たるめぐるには、想像もつかない苦労であった。
「だとすると、次のバンドはどういう評価になるのかな。栗原さんのご感想が楽しみなところだよ」
「え? でも、『リトル・ミス・プリッシー』というバンドは、もっとも演奏力が高いのでしょう?」
「ロックバンドの演奏力の高さってのは、正しい音程と直結してるとは限らないだろうしね。たとえ不協和音でも格好よく成立させちゃうのが、ロックバンドの醍醐味なんじゃない?」
「そうですか……まあ、コントラバスというのは普通のエレキベースよりも正しい音程を出すことが難しいのでしょうしね」
その言葉にめぐるが小首を傾げると、和緒がすぐさま頭を小突いてきた。
「ウッドベースも、フレットがないんだよ。その難しさは、あんたも夏の合宿で体感してるでしょ?」
めぐるは夏の合宿で、フユのフレットレスベースを弾かせていただいている。指板を区切るフレットがないと、正確な音程を出すことがきわめて難しくなるのである。
(それじゃあウッドベースっていうのも、フレットレスベースに近い音なのかな。それならわたしも、嫌いな感じじゃないと思うけど……)
めぐるがそのように思案している間に、客席のBGMがフェードアウトしていった。
また幕の前でMCに励んでいたハルが、『さて!』と元気な声を響かせる。
『それでは、準備が整ったみたいです! 「リトル・ミス・プリッシー」の強烈無比なステージをご堪能ください!』
ハルがステップを降りていく中、優美なバイオリンのような音色が流れ始める。
美しい、眠気を誘われるほどにやわらかな旋律だ。客席には、それに不似合いな歓声がわきあがっていた。
めぐるは胸を高鳴らせつつ、幕が開かれるのを待ち受ける。
すると、優美なる音色にパーカッションのポコポコという音色が重ねられた。これはおそらく、コンガという打楽器だろう。八月末の野外フェスでは、ハルもその打楽器で『KAMERIA』とのセッションに臨んでいたのだ。
ただ、こちらのコンガの音色はとても軽妙で、聴いているだけでリズムにひきこまれそうだった。
それでいて、バイオリンめいた音色ともきわめて調和している。そちらは自由に虚空を舞っているような優雅さであるのに、コンガの軽妙なるリズムとこれ以上もなく深く結びついているように感じられた。
(こういうSEを使うバンドって、けっこう珍しくないのかな)
『KAMERIA』は牧歌的なオランダ民謡を使用しているし、『V8チェンソー』はオリエンタルな民族音楽だ。電気仕掛けの爆音を際立たせるには、こういう優しい音楽が効果的であるのかもしれなかった。
そうしてめぐるがその心地好い演奏に身をゆだねていると、黒い幕が左右に開かれていく。
それでいっそうの歓声が響きわたり――めぐるは、愕然とした。SEの音源と思い込んでいた音楽が、『リトル・ミス・プリッシー』の手による演奏であったのである。
演奏しているのは、ベースのキュウベイとパーカッションのノバだ。
キュウベイは、巨大なウッドベースを抱え込んでいる。そしてこの優美なる音色を紡いでいるのは――まさしく、コントラバスを弾くための弓であった。キュウベイは長大なるネックの根本付近にまで指をのばし、めいっぱいの高音でバイオリンめいた音色を奏でていたのだった。
いっぽうノバは四角い台座のようなものにあぐらをかいて、鼻歌まじりにコンガを叩いている。彼女はラスタカラーのニット帽からドレッドヘアーをこぼし、ずんぐりとした身体にボロギレのようなショールと民族衣装めいたボトムを着用していたため、ボンゴを叩く姿がとても自然に見えた。
いっぽうキュウベイもこれまで通り、大きなキャスケットに青いサングラス、古びたネルシャツにチノパンツといういでたちであったが――なんだか、巨大なウッドベースの一部のように、しっくりと馴染んでいた。
その長くて骨張った指先は、フレットの存在しない指板の上で繊細かつ力強く動いている。そして右手に握った弓がゆっくり左右に動かされることで、この優美な音が奏でられるのである。
キュウベイは向かって左側、ノバは向かって右側で、中央の奥まった位置にドラムセットが設置されている。そこに座したチハラが隠れないようにという配慮なのか、ギター&ヴォーカルのアンジョーはややノバ寄りの位置に立っていた。
アンジョーもまた、これまで通りのウエスタンファッションだ。派手なウエスタンハットの脇からは、ホワイトブリーチされた髪がこぼれ落ちている。
そして彼女は、その髪よりもさらに真っ白なギターをさげていた。
一般的なエレキギターよりも大ぶりで、バイオリンのようにエフ字型のホールがあけられた――それはグレッチというブランドの、ホワイトファルコンという機種であった。めぐるはかつて、町田アンナからそのギターについて聞き及んでいたのだ。
「ウチがオレンジ色のギターを探してるって言ったら、ホヅちゃんがグレッチってブランドを教えてくれてさ! まあ速攻で候補からは外れたんだけど、どんなギターなのかはいちおう調べてみたんだよねー!」
町田アンナは、そんな風に語っていた。グレッチのギターは内部が空洞であるフルアコという様式の機種がメインで、生音が大きい代わりにアンプで大音量を鳴らすとハウリングを起こしやすいという特性であるようなのだ。
「で、その中でホワイトファルコンってやつが、世界一美しいギターって言われてるんだってさー! 確かに、ゴージャスなデザインだよねー!」
と、町田アンナがスマホで画像を見せてくれたため、めぐるもホワイトファルコンのデザインを知るに至ったのだった。
確かに、美しいギターである。ボディは純白で、金属パーツとピックガードはゴールドで、エフホールの黒がアクセントになっている。一般的なエレキギターとは趣の異なる、工芸品のような美しさが感じられた。
そんなホワイトファルコンを肩からさげたアンジョーは、いくぶん上向き加減の棒立ちだ。左右から鳴り響く音色にひたっているようにも、それをぼんやり聞き流しているようにも見える。欧米人のように彫りの深いその顔は、相変わらず茫洋とした無表情であった。
ハンチングをかぶったドラムのチハラも、やはり置物のように座している。彼女は猫背で、さらに極端な前屈みの姿勢を取っていたため、ほとんど顔と肩ぐらいしか見えていなかった。
そして――ウッドベースの優美な音色とコンガの軽妙な音色に、別なる音色がまじり始める。
耳の錯覚かと思った音が、じょじょに音量を上げていく。いつの間にか、チハラがスネアをロールしていたのだ。そちらの音色がコンガの音色と絡み合い、これまで以上の躍動感を生み始めていた。
それにつれて、ウッドベースの旋律がじわじわとヒステリックな狂騒を帯びていく。
そしてそれが最高潮に達した瞬間、いきなりの轟音が炸裂した。
アンジョーがギターをかき鳴らし、チハラが両手でシンバルを叩き――そして、キュウベイがエフェクターを踏んだのだ。
それと同時に、めぐるはとてつもない戦慄を覚えた。
ウッドベースの音色が、豹変したのだ。これまでの優美さをかなぐり捨てて、禍々しい轟音と呼ぶしかない音色が炸裂していた。
これはおそらく、歪みとディレイとオクターバーをかけているのだろう。キュウベイの指先はロー・ポジションに下げられて、重低音と高音が同時に鳴らされていた。
歪みはジリジリとした、電磁波の壁を思わせる質感だ。ビッグマフと似た系統の、ファズなのだろうと思われた。
さらに、ディレイの効果で幻想的な残響が生まれている。太く歪んだ音が、甲高いオクターブ音とともに、残響まで発しているのである。それは、『KAMERIA』とのセッションにおけるフユのベースを凌駕するほどの幻想的な音色であった。
それに――彼女が使用しているのはウッドベースで、しかも弓で弾いているのだ。
楽器の音色というものは、ボディのサイズに影響されるのだと聞いている。巨大なウッドベースから紡がれる音色はきわめて太く、重々しく、そしてそれが弓の奏法で艶やかに彩られているのだった。
いつしかリズムは、ダンシブルな16ビートに変じている。
ノバとチハラは一心同体のように躍動感にあふれたリズムを刻み、アンジョーは鋭く尖った音色でコードをかき鳴らしている。そして、キュウベイのベースが土石流のような重々しいうねりを重ねていた。
大歓声の中、アンジョーがマイクに口を近づける。
そうしてそこから放たれたのは、変声期前の少年を思わせる、澄みわたった声音であった。
透明で、繊細な、美しい歌声である。
しかし彼女は、咽喉も裂けよとばかりに声を振り絞っており――こんなに澄みわたった歌声であるのに、恐ろしいほどの切迫感を帯びていた。
何だか、砕け散るガラスの音色でメロディが紡がれているかのようだ。
めぐるは初めて栗原理乃の歌声を聴いたときのように――そして、初めて鈴島美阿の歌声を聴いたときのように、慄然としてしまった。
今にも壊れてしまいそうな歌声を、演奏の音色が支えている。
いや――それらの音色も歌声と複雑に絡み合い、ひとつの奔流と化していた。ドラムとコンガによるリズムも、縦横無尽に駆け巡るベースも、ひたすらコードを刻むギターも、すべてが深い部分で溶け合って、ひとつの音に収束されていた。
ギターの音はあまり歪んでおらず、硬質で、アタック音が強い。しかし、他の演奏とぴったりリズムが調和しているため、まったく浮いて聴こえることはなかった。
おそらくは、ドラムとコンガの重奏が、より強固にリズムを支えているのだろう。ノバはずっと16分のリズムを刻んでいるのみだが、その緩急がスネアやバスドラやハイハットと絶妙に絡み合っていた。
ベースは重低音でボトムを支えつつ、周波数の高いオクターブ音と流麗なフレーズでもって、歌声にも絡みついている。フレットの存在しない弦楽器というものは、音程の移行がきわめてなめらかであるため、どこか歌声に近しい要素も存在するのだった。
もちろん主役はヴォーカルであろうが、すべての演奏が深く絡みついているため、個々に分けて考える意味を見いだせない。
彼女たちは、まさしく四人でひとつの音を紡いでいた。
それこそが、めぐるの目指している境地であった。
そして、彼女たちは――『SanZenon』を上回るレベルで、それを完成させていたのだった。
(そんな……そんなことがあるんだ……)
そんな驚愕に見舞われてしまうのは、やはりめぐるに音楽的な素養が足りていないためであるのだろうか。よくよく考えれば、『SanZenon』というのは無名のインディーズバンドに過ぎず、しかもごく若年の内に活動を終えているのだ。正確な年齢は聞いていなかったが、鈴島美阿は二十代の前半で身罷っているはずであった。
だから、『SanZenon』より完成度の高いバンドなど、世の中にはいくらでも存在するに違いない。
だが――めぐるは数々のバンドの生演奏を拝見し、町田アンナからプロミュージシャンのCDを何枚も借りて耳にしていたが――『SanZenon』ほど見事な融合を果たしていると思えたバンドには、いまだ出会っていなかったのだった。
しかし彼女たちは、間違いなく『SanZenon』の上をいっている。
少なくとも、めぐるが強く魅了された部分――音の調和と獰猛さという二点において、『リトル・ミス・プリッシー』は『SanZenon』よりも高みに達していたのだった。
切迫感に満ちみちたAメロから、鬱々としたBメロ、さらに激しく狂騒的なサビに至るまで、楽曲の流れも完璧である。
そして、間奏に差し掛かると――さらに驚くべきことが起きた。あれだけ加工を施していたベースの音色が、さらに大きな変化を迎えたのだ。
キュウベイが踏んだのは、ワウ・ペダルであった。
自動で音がうねるオートワウではなく、足の踏み加減で音をうねらせるワウ・ペダルである。キュウベイが右足を動かすたびに、低音と高音の入り混じったウッドベースの音色が怪物の断末魔のように激しい抑揚を帯びた。
そうしてキュウベイがワウ・ペダルから足を離すと、今度はギターソロが展開される。
音もフレーズも狂騒的であるベースに対して、ギターの音色はシンプルである。もともとの硬質の音色に、多少のコーラスがかけられたのみだ。
ただその音色は、くっきりと耳に突き刺さってくる。『KAMERIA』でも実証されている通り、クリーントーンにはダイレクトに音を響かせられる強みが存在するのだ。
幻想的で、毒々しさすら感じられるベースに対して、ギターはひたすら瑞々しく、鮮明だ。ただその荒々しさだけは、決してベースにも負けていなかった。また、土石流や雷雨を連想させるキュウベイのプレイに対して、アンジョーのギターは歌声と同じぐらい人間らしい剥き出しの感情がほとばしっていた。
おそらく――精神的な部分では、やはりアンジョーが中核を担っているのだ。
『SanZenon』にとっての鈴島美阿や、『KAMERIA』にとっての栗原理乃と同じように、『リトル・ミス・プリッシー』の魂はアンジョーであった。彼女の内に渦巻く激情が、音の向かう先を決定づけているのだった。
そうして生々しさの極致であるギターソロが終わりを告げると、さらに生々しい歌声が響きわたる。
演奏に大きな変化はなかったが、ただ勢いやダイナミズムが増している。うかうかしていると、めぐるはすぐその迫力に呑み込まれてしまいそうだった。
客席には、凄まじいばかりの熱気が吹き荒れている。
これだけの演奏を見せつけられれば、それも当然の話だろう。『ヴァルプルギスの夜★DS3』は視覚と聴覚の両面から人の心を支配していたが、『リトル・ミス・プリッシー』は音だけで世界を牛耳る力を持っていた。
やがて一曲目が終了したならば、大歓声が巻き起こる。
そんな中、ノバはポコポコとひとりで呑気にボンゴを鳴らした。そして、脇に設置されていたスタンドのマイクを口もとに引き寄せる。
『三周年、おめっとさん。今日も音楽日和やね』
ノバは、心から楽しげな面持ちであった。
それ以外の三名は、素知らぬ顔でチューニングや機材の調節に勤しんでいる。これだけの熱狂を前にして、彼女たちの植物めいた静けさには何の変わりも見られなかった。
『こんなに最初っから最後まで楽しいバンドが続くんは、やっぱブイハチ企画ならではやね。うちらも負けんよう楽しむんで、よろしゅうね』
ノバがそのように語ると、いきなり猛烈な重低音が割り込んできた。
チューニングを終えたキュウベイが、コンガのリズムに合わせてウッドベースを乱打し始めたのだ。
弓は、腰のベルトに引っ掛けられている。彼女は、指と手の平でウッドベースを乱打していた。
これは――スラップ奏法なのだろうか。指先で弦を引っ張るのは、エレキベースのスラップと同様である。ただ、親指で弦を叩く代わりに、彼女は手の平を弦に打ちつけていた。それで、物凄い打撃音が生じているのだ。
ただし、おそらくエフェクターはすべて切っている。
今度はウッドベース本来の持ち味で、鮮烈な音色を叩き出しているのだ。
それが四小節ほど続いたところで、ドラムとギターも音を重ねる。
疾走感にあふれかえった、シャッフルのリズムだ。アンジョーは単音とコードを織り交ぜたフレーズで、きわめて軽快でありながら、やはりどこかに切迫感を漂わせていた。
ウッドベースがエフェクターを切っても、『リトル・ミス・プリッシー』の魅力はいっさい減じることがない。ドラムとコンガの絡み合うリズムは心地好いばかりであるし、このたびはウッドベースの打撃音までもがパーカッションのようにリズムを彩った。そしてそこにアンジョーの歌とギターが重なれば、一曲目にも負けない迫力であった。
さらに三曲目では、ミドルテンポのどっしりとした楽曲が披露される。そちらではまたウッドベースで弓が使われて、ディレイとコーラスの効果によって、いっそうバイオリンめいた流麗さが演出された。
四曲目は、バラード調のゆったりした楽曲である。
そこで初めて、キュウベイは指弾きのプレイを見せた。音もクリーンサウンドで、夢のように甘い音色である。
ただし間奏では歪みのエフェクターがかけられて、うなるようなベースソロが披露された。
それでも彼女にしてはシンプルな音作りであり、弓を使ったプレイに比べれば細工も少ないはずであったが――それはアンジョーの歌声に負けないぐらい、切々としていて生々しい情感にあふれていた。
また、どのような曲調であっても、調和の完成度に変わりはない。
彼女たちは四人でひとつの生き物であるように、いつでもしっかりと融合していた。
そして、五曲目である。
彼女たちは一曲ずつが長いので、四十分の持ち時間ももう終わりが近づいていることだろう。
ノバはコンガを叩く手を止めて、マイクの声だけを響かせた。
『うちらもひさびさに、カバー曲を準備してきたんよ。うちらは楽しいけんど、みんなはどうやろね』
その声に導かれたように、キュウベイが腰にさげていた弓を手に取った。
期待に満ちた視線を浴びながら、キュウベイはエフェクターを踏むと同時に弓を走らせる。
それでまた、めぐるは息を呑むことになった。
Eを基調にした、不穏な旋律――無茶苦茶に音の詰め込まれたそのフレーズに、めぐるははっきりと聞き覚えがあったのだ。
ウッドベースには太いファズの歪みと、うっすらリバーブもかけられている。
その激しいフレーズが三小節目に入ったところでノバがコンガのリズムを重ね、五小節目でギターとドラムも重ねられた。
ドラムとコンガは16ビート、ギターはディレイをかけた幻想的なフレーズだ。
そして、アンジョーがガラスの割れるような歌声をほとばしらせる。
それは、『SanZenon』の『線路の脇の小さな花』に他ならなかった。
(……どうして?)
半ば忘我の状態にあるめぐるの脳裏に、そんな疑念がよぎっていく。
しかし、そんな疑念はどうでもよかった。それよりも重要であるのは、彼女たちの演奏であった。
彼女たちは『SanZenon』を上回る演奏力を有しているが、プレイヤーとしてのタイプはまったく異なっている。ウッドベースを弓で弾いているキュウベイなどは言うまでもないし、歌声もギターもドラムもまったくの別物であるのだ。フレーズそのものは『KAMERIA』よりも原曲に忠実なアレンジであったものの、そのおかげで余計に個性の差異というものが際立っていた。
歌声は鈴島美阿に負けないぐらい獰猛であるが、あまりに繊細である。
ギターはフレーズが似ているだけで、音色がまったく違っている。『SanZenon』のギターはもっときらびやかで、こんなに生々しい感情はあらわにしていなかった。
ドラムも、躍動感の質が違っている。中嶋千尋のドラムはもっと荒々しくて、坂を転がる大岩のような迫力であったのだ。コンガと絡み合うチハラのドラムは、それよりも軽妙でありながら、いくぶんタメ気味でどっしりとしたリズムが持ち味であった。
『SanZenon』よりも完成度の高い調和でもって、『SanZenon』の楽曲が演奏されている。
それでめぐるは、ついにひとつの結論を得た。
(わたしは……それでもやっぱり、『SanZenon』のほうが好きなんだ)
『リトル・ミス・プリッシー』は、素晴らしいバンドである。彼女たちは、『SanZenon』よりもさらに高みに到達したバンドであるのだ。
めぐるも彼女たちのように、『KAMERIA』で確かな調和を目指したいと思う。
だが――それでもめぐるが、彼女たちの演奏で涙を流すことはなかった。
『SanZenon』と出会う前に、めぐるが『リトル・ミス・プリッシー』のステージを目にしていたとしても、きっと楽器を始める事態には至らなかったことだろう。何の根拠もないままに、めぐるはそう確信することができた。彼女たちもまた、『V8チェンソー』や『マンイーター』に負けないぐらい、めぐるの好みに合致したバンドであったが――それでもなお、『SanZenon』だけが特別な存在であったのだった。
あるいはそれは、卵から孵った雛鳥が最初に見たものを親鳥と思い込むようなものであったのだろうか。
しかしめぐるは、それでまったくかまわなかった。めぐるにとってもっとも魅力的に思えるのは『SanZenon』であり――そしてめぐるは、いつか『KAMERIA』で『SanZenon』に追いつきたいと願っている。『リトル・ミス・プリッシー』のステージを目にしても、めぐるのそんな思いには何の揺らぎも生じなかったのだった。




