03 インターバル
「花っちの凄さは、やっぱ支配力とプロデュース能力だと思うんだよねぇ」
『ヴァルプルギスの夜★DS3』のステージが終演したのち、そのようにコメントしたのは浅川亜季であった。
「ステージから客席までの空気を支配する力と、それを実現させるためのプロデュース能力ね。あんなジャンルもバラバラなメンバーをかき集めて、自分が思い描く通りの演奏とステージパフォーマンスを完成させられるんだから、ほんとに凄いことだと思うよぉ」
「それじゃああのバンドの音作りやステージアクションなんかも、みんな鞠山さんの指導の賜物なわけですか?」
和緒がそのように問い返すと、浅川亜季は「いやいやぁ」とひらひら手を振った。
「自分の理想に合うプレイヤーを探し出して、それを組み合わせる能力が凄いんだよぉ。メンバーはそれぞれ好きに演奏してるだけなのに、すべては花っちの手の平の上なのさぁ。あの支配力は、ちょっとおっかなくなるぐらいだねぇ」
「浅川さんが怖がるぐらいなら、あたしなんて卒倒しちゃいますね。本当に、よくもこんな地獄の底に引っ張り込んでくれたもんです」
「あははぁ。それじゃあ和緒っちは、『マンイーター』がヴァルプルの引き立て役になってたっていうご感想なのかなぁ?」
「いえ、決してそういうわけじゃありませんけど――」
「だったら、『KAMERIA』も大丈夫だよぉ。きっちり自分たちの持ち味で、ヴァルプルにも対抗できてたからさぁ」
そう言って、浅川亜季はチェシャ猫のような微笑をこぼした。
「で、ヴァルプルより宇宙人なのが、リトプリだからねぇ。引き続き、地獄の饗宴をお楽しみくださいなぁ」
「はい。思うぞんぶん、絶望の底に沈ませていただきますよ」
和緒は肩をすくめ、浅川亜季は人混みの向こうに消えていった。やっぱり本日は主催者であるために、あちこち挨拶に回らなくてはならないのだ。フユも『ヴァルプルギスの夜★DS3』のステージが終わるとともに、姿を消してしまっていた。
和緒のかたわらにたたずみながら、めぐるはどっぷり疲弊してしまっている。決して『ヴァルプルギスの夜★DS3』のステージが不快であったわけではなく、無理やりジェットコースターを何周もさせられたような心地であったのだ。しかもそちらのジェットコースターにはお化け屋敷の要素も盛り込まれており、めぐるは何度となく心臓を脅かされることに相成ったのだった。
「なんていうか、ヘヴィメタ仕立てのミュージカルでも観賞したような心地だね。音楽のジャンル的には、あんまりあんたの好みではなかったのかな?」
和緒がそのように問うてきたので、めぐるは「うーん」と頭を悩ませることになった。
「ジャンルの好みで言えば、そうなのかもしれないけど……だけどとにかく、凄いと思ったよ。こんな凄いバンドに文句は言えないって感じかなぁ」
「確かにね。ドラムもさすがの技量だったしさ」
「うん。でも、ドラム単体で考えるなら、わたしはかずちゃんのほうが好きだよ」
「そりゃどうも」と、和緒が頭を小突いてくる。
そのタイミングで、町田アンナが人混みをかきわけて接近してきた。
「いやー、ヴァルプルはすげかったねー! なーんか、異次元にでも放り込まれたような気分だったよー!」
町田アンナは、昂揚しきった笑顔であった。
そしてその腕は、しっかりと田口穂実の腕を捕獲している。それでめぐるは、つい口もとをほころばせてしまった。
「あたしもヴァルプルは映像でしか観たことなかったんだけど、圧巻だったねー。あそこまで完成されてると、ぐうの音も出ないや」
そんな風に語りながら、田口穂実もにこやかな面持ちであった。
「ただ、自分たちのやってることとは別もんすぎて、悔しいとか憧れるとかいう気持ちはわいてこないかなー。それでもまあ、あれだけ一体感のあるステージってのは、見習いたいところだけどねー」
「うんうん! ウチらも追いつけ追い越せでがんばろーね! いつかはホヅちゃんのバンドとも対バンしたいしさ!」
「いやー、うちはとにかくドラムを探さないとねー。今のヘルプのメンバーじゃ、『KAMERIA』にはとうてい太刀打ちできないよー」
町田アンナと田口穂実は、本当に仲睦まじい雰囲気だ。
すると和緒が、芝居がかった仕草で左右を見回した。
「ところで、我らが栗原さんは? 嫉妬の炎で焼死してないだろうね?」
「あはは! 理乃は、妹どもと一緒だよ! 今日ばかりは、ウチに気を使ってくれてるの! ウチがどれだけホヅちゃんに会いたがってたかは、理乃が一番わかってくれてるからさー!」
「いやー、アンナ先生にこんな真正面から愛情をぶつけられたら、あたしなんか木っ端微塵になっちゃいそうだけどねー」
「見てるこっちは、余熱だけで融解しそうなところですね」
和緒はひとつ肩をすくめてから、めぐるに向きなおってきた。
「ところで、あんたはそろそろ何か口に入れておいたほうがいいんじゃないの?」
「あ、うん。そうだね。食事のことなんて、すっかり忘れちゃってたよ」
『ヴァルプルギスの夜★DS3』のステージが終了した時点で、時刻は七時三十分に達しているのだ。九時過ぎにセッションの出番を控えているめぐるは、早めに栄養を摂取しておく必要があるのだった。
ただし、フードの注文を受け付けるカウンターも、大変な混雑っぷりである。幕間である現在も、客席ホールには百名以上の人々が密集しているようであるのだ。この行列に並んでいたら、食事を手にする前に『リトル・ミス・プリッシー』の演奏が始まってしまいそうだった。
「それでも、並ぶしかないでしょ。並びながらでも、ステージは拝見できるんだからさ」
そんな和緒の言葉に従って行列の最後尾を目指そうとすると、亀本菜々子と行きあった。珍しく、単独行動のようである。
「やあやあ、ヴァルプルはすごかったねぇ。すっかり咽喉がカラカラになっちゃったからドリンクをもらおうと思ったんだけど、すごい混雑だからあきらめたよぉ。楽屋に行けば、自販機もあるしねぇ」
「でも、自販機のドリンクは楽屋の外に持ち出せないんですよね。今の楽屋に突撃するのは、なかなかの勇気が必要じゃないですか?」
「リトプリの人らはもうステージに下りてるだろうし、ブイハチの人らはぎりぎりまで客席に居残るだろうから、むしろ今が穴場なんじゃないかなぁ」
亀本菜々子の言葉に、和緒は「ふむ」と思案した。
「だったらいっそ、コンビニで何か買って控え室で食べたほうが早いかもね」
「ああ、そっちは腹ごしらえだったのぉ? それなら、おにぎりとかパンとか分けてあげよっかぁ? 今日は早めの出番だったから、半分ぐらい残しておいたんだよねぇ」
そういえば、『マンイーター』の面々はコンビニで食事を済ませる方針であったのだ。めぐるは慌てて固辞しようとしたが、それよりも早く和緒が「ありがとうございます」と頭を下げた。
「それじゃあ自販機のドリンク代を出しますんで、物々交換させていただけませんか?」
「いいよいいよぉ。あたしはカウンターが空いてきたら、フードを注文するからさぁ」
きっと亀本菜々子も、めぐるがセッションの出番を控えていることに気を使ってくれたのだろう。めぐるはひたすら恐縮しながら、楽屋を目指すことになった。
そうして楽屋に到着すると――そこにはまだ、『ヴァルプルギスの夜★DS3』のメンバーたちが居座っていた。
鞠山花子は姿見の前でメイクの手直し、ギターの7号はだらしなくソファに寝そべり、ベースの13号はベースのクリーニング、ドラムの10号は水分補給だ。演奏陣の三名がガスマスクを外していたため、ステージ上の幻想的な雰囲気は完全に払拭されていた。
「どうも、お疲れさまでぇす。みなさん、すごいステージでしたよぉ」
「お疲れ様だわよ。わたいたちの饗宴をしっかり見届けただわよ?」
「もちろんですよぉ。ライブ映像は拝見してましたけど、やっぱり生身の迫力は違いますねぇ。最後までどっぷり引き込まれちゃいましたぁ」
いつも通りの大らかさで応じながら、亀本菜々子は壁際に置かれていたリュックをまさぐった。和緒は自販機に近づきながら、「何にします?」と問いかける。
「あ、スポドリでよろしくねぇ。こっちは明太子のおにぎりとソーセージロールだけど、これでよかったかなぁ?」
「は、はい。ありがとうございます。あ、かずちゃん、お金はわたしが払うから……」
「じゃ、あんたにはあたしのドリンクを奢ってもらおうか。物々交換の永久運動だね」
すると、姿見に向かっていた鞠山花子がこちらに向きなおってきた。
「それがあんたのディナーなんだわよ? そんなもんで、地獄のセッションが務まるんだわよ?」
「じ、地獄……なんでしょうか……?」
「今日はロックのイベントなんだから、地獄はすなわち極楽なんだわよ。何にせよ、それだけじゃあ栄養補給が心もとないだわね」
鞠山花子はぴょこんと立ち上がり、楽屋の奥に鎮座ましましていたキャリ-ケースを開陳した。
「カロリーバーにプロテインドリンク、野菜ドリンクも揃ってるだわよ。あんたも7号ちゃんと一緒に、きっちり栄養補給するだわよ」
「あ、いえ、それはあまりに申し訳ありませんので……」
「これもイベントを成功させるための下準備なんだわよ。アンコールのセッションで大コケしたら、あんたに責任取れるんだわよ?」
鞠山花子はステージの下でもとてつもない貫禄であるため、めぐるにあらがうすべはなかった。亀本菜々子から受け取ったおにぎりと惣菜パンにカロリーバーと野菜ドリンクまで加えられて、なかなかの質量である。
その間に7号が身を起こし、「あーあ」と天井を仰ぎ見た。
「あたしもそっちの出番があるから、まだこのふざけた格好のままかぁ。これさえなきゃあ、悪くないバイトなんだけどなぁ」
「ふふん。ガスマスクを外すと、荒くれ魔法少女のキャラがいっそう際立つだわね。なんなら今日は、素顔で客席をうろつく許可を出してあげてもいいだわよ?」
「冗談ぬかすな。こんななりして、素顔で出ていけるもんかい」
ギタリストの7号は三十歳過ぎの年頃で、金色の髪をざんばらにのばしたワイルドな風貌であるのだ。めぐるは大人しく口をつぐんでいたが、その容姿でフリフリのコスチュームというのは、なかなかのミスマッチであった。
いっぽう可憐な容姿をした13号などは、私服のワンピースと同じぐらいそのコスチュームが似合っている。キツネ顔の10号は、まあほどほどのコスプレ感であった。
「あ、あの、お伝えするのが遅れましたけど……あなたのベース、すごく素敵でした。音もプレイも、すごくボクの好みです」
と、13号がもじもじしながらそのように告げてくる。
まずはおにぎりから食していためぐるが目を泳がせると、10号が「あはは」と笑い声をあげた。
「それにしたって、自分のステージの直後に言う台詞じゃないよねぇ。めぐるちゃんも、びっくりしちゃってるじゃん」
「あ、ご、ごめんなさい! ボク、人づきあいがあまり得意じゃないので……」
13号はいっそうもじもじしながら、頬を赤らめてしまう。
それなりにメイクもしているが可愛らしい顔立ちで、声も仕草も女の子そのものである。これが肉体的には男性というのは、なかなか信じ難いところであった。
「あ、いえ、わたしもその、人づきあいは苦手中の苦手ですので……こ、こちらこそ、ご感想をお伝えしてなくてすみません。あなたのベースも、とても素敵でした」
「ほ、本当ですか? あなたにしてみれば、物足りなく感じませんか?」
「い、いえ。わたしはあんまり、硬すぎる歪みの音は好みじゃないんですけど……あなたの音はすごくバンドのサウンドと合ってるので、すごく魅力的に感じました。リバーブとかオクターバーとかの使い方も、見習いたいなと思いましたし……」
「と、とんでもないです。あなたこそ、オートワウの音が素敵でした。それに、あの歪みってどう作ってるんですか? すごく重い音なのに、金属的な響きも素敵でしたし……あ、やっぱり、リッケンそのものの音も関係してるんでしょうか?」
「リ、リッケン以外のベースはエフェクターに繋いだことがないので、自分でもよくわからないんですけど……歪みはラインセレクターで、色々とブレンドしているんです。あ、そ、そういえば、あなたのベースは初めて見る形でした。あれって、どういうベースなんですか?」
「あ、あれはトーカイのタルボベースで……ボディが、アルミでできているんです」
「ええ? そんなベースも存在するんですね! 金属でできたベースなんて、初めて見ました!」
すると、めぐると13号の頭が同時に小突かれた。13号の頭を小突いたのは、鞠山花子である。
「ベーシスト座談会もけっこうだわけど、大事なディナーのお邪魔をするんじゃないだわよ」
「あんたも食べる手を止めなさんな。うかうかしてると、リトプリの演奏が始まっちまうよ?」
めぐるは13号と一緒に、「ご、ごめんなさい」と頭を下げることになった。
和緒は鞠山花子と一緒に、溜息をつく。
「人づきあいが苦手とか言って、ベースの話になると口が止まらないんだからさ。もうちょっとバランスよく生きられないもんかね」
「こっちも以下同文なんだわよ。……でも、たとえベース談義だとしても、あんたが初対面の相手とそんなにべらべらおしゃべりするのは珍しいだわね。もしかしたら、性自認にゆらぎでも生じたんだわよ?」
「そ、そんなんじゃありません。でも、めぐるさんはすごく素敵でしたから……」
と、13号は可憐に頬を赤らめてしまう。
性自認が女性で肉体的には男性である人物が、女性であるめぐるに対してそのように振る舞うというのは、どのように解釈するべきであるのか――めぐるには、なんとも判別がつかなかった。
「性自認が女性でも、女の子に恋心を抱いたっていいんじゃない? それが駄目とか言われたら、あたしなんて一歩も立ち行かないしさぁ」
「ここで10号ちゃんまで乱入してきたら、いっそう収拾がつかないんだわよ。まあ何にせよ、プライベートな交流はイベントの終わりを待つだわよ。まずはイベントを成功させることが、本日の最優先事項なんだわよ」
その言葉には、めぐるも心から同意することができた。
本日のイベントも、残すは『リトル・ミス・プリッシー』と『V8チェンソー』のステージのみであるのだ。そしてイベントの終わり際に出番を控えためぐるには、ひときわ大きな責任が生じるはずであったのだった。




