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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 4-

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02 ヴァルプルギスの夜

『マンイーター』のステージが終了すると、また黒い幕の前側にのぼったハルが元気に語り始めた。

 その声をスピーカーで聞きながら、めぐるはフユと相対する。めぐるの涙はすっかり引いていたものの、フユはこれ以上もなく仏頂面であった。


「あ、あの、さっきはどうもすみませんでした。決してフユさんのせいで泣いてしまったわけではありませんので……」


「ほうほう。フユさんはまたうちのプレーリードッグを落涙させたのですね」


 どうせ横からその様子を眺めていたのであろうに、和緒がすかさず口をはさんでくる。結果、フユは「やかましいよ」とシャープな頬を赤くすることになった。


「……とにかく、『マンイーター』もしっかりあいつららしいステージをやりとげてくれたね。あんたたちのおかげで、イベントの出足も上々だよ」


「ふむふむ。話をそらすわけですね」


「や・か・ま・し・い、って言ってんだよ。人がせっかくねぎらってるんだから、大人しく聞いておきな」


 フユは鼻先をぶつけそうなぐらい和緒に顔を寄せて、威嚇した。

 すると、大汗をかいた男性の一団がわらわらと寄ってくる。その先頭に立っているのは、『ザ・コーア』のヴォーカルであった。


「よう、フユ! こんなとこでイチャついてんなよ! 主催者だからって、やりたい放題だな!」


「やかましいよ! あんたも一緒に説教してやろうか?」


 あちらのほうが年長者であろうに、フユは容赦もへったくれもない。そして、男性のほうも気にする様子は皆無であった。


「ああ、誰かと思ったら『KAMERIA』のリズム隊か! そっちも、お疲れさん! たった三ヶ月ていどで、すっかり見違えたな! 正直、度肝を抜かれちまったよ!」


 豪快な笑顔が、今度はめぐるたちに向けられてくる。めぐるは恐縮しながら頭を下げ、和緒はクールに「どうも」と応じた。


「それに、『マンイーター』の連中もしっかり踏ん張ったな! スリーピースで『KAMERIA』の極悪な音に対抗できるってのは、大したもんだ! 俺たちも、尻に火がつきっぱなしだよ!」


「ふん。そのまま、炎上しちまいな」


「おう! なんかもう、すぐにでもステージに立ちてえ気分だよ! この後にお前らやリトプリまで控えてたら、マジでどうにかなっちまいそうだ!」


 そんな風に言ってから、その男性はしみじみと息をついた。


「この次のヴァルプルってのも、何だかすげえバンドみてえだしな。羨ましい反面、お前らの度胸に感心しちまうよ。こんなメンツでトリを飾るなんざ、失禁ものだよな」


「ふん。だからこそ、ライブ百回分の経験値がいただけるんだよ」


「ははん。去年なんかは、ライフゲージをごっそり削られちまったみてえだけどな」


 その男性はふてぶてしく笑いつつ、それでもフユを励ましているような気配が感じられた。


「じゃ、次に備えてアルコールを補給してくるわ。かわいこちゃんたちも、お疲れさん」


 そうしてその一団が立ち去っていくと、和緒がフユに向きなおった。


「『ザ・コーア』の方々とも、ずいぶん打ち解けたみたいですね。もともとは挨拶をするていどの間柄だったんでしょう?」


「あん? 今だって、そんな大したカラみじゃなかったでしょうよ」


「なるほど。今のも挨拶ていどの範疇なわけですか。人見知りのあたしとしては、感心することしきりです」


 フユは「ふん」と鼻を鳴らしながら、しなやかな腕を組んだ。


「そんなことより、あんたたちはステージに集中しな。仰天させられるのは、これからなんだからね」


「はい。まずは魔法少女のご降臨ですね。でもまあ、あたしはライブ映像で仰天済みですよ」


「映像と生身のステージじゃ、比較にならないよ。ヴァルプルもリトプリも、あたしらなんかとは違うレベルのバンドなんだからね」


 そう言って、フユはステージのほうに視線を飛ばした。

 ハルは元気に、MCの仕事を続けている。『マンイーター』のライブの感想や、『ヴァルプルギスの夜★DS3』の解説などに励んでいるようだ。


(それじゃあさっきは、『KAMERIA』のライブの感想なんかも語ってたのか……それは、聞いておきたかったなぁ)


 めぐるがぼんやりそんな想念にふけっていると、和緒がまたフユに語りかけた。


「あの、これはネットに転がってた情報なんですけど。ヴァルプルのドラムの10号さんってのは、プロなんですか?」


「……メンバーの素性は詮索しないってのが、ヴァルプルのお約束だよ」


「そうですか。出演者には素顔をさらしてたんで、無礼講なのかと思ってました。そういうことなら、口をつぐんでおきます」


 そんな言葉を聞かされて、今度はめぐるが黙っていられなくなった。


「か、かずちゃん。プロって、プロのミュージシャンってこと? そんな人が、ライブハウスで演奏するの?」


「この『ジェイズランド』にだってしょっちゅうプロのバンドが来てるみたいだし、名のあるインディーズバンドならプロ同然なんじゃないのかね」


 そんな風に言ってから、和緒はめぐるの耳もとに口を寄せてきた。


「あれこれ語るのはマナー違反みたいだから、こっそり教えておくよ。ドラムの10号さんはメジャーレーベルに所属するアニソン系バンド、ギターの7号さんは万年アマチュアのベテランメタルバンド、ベースの13号さんは……ちょいとアングラな新人アマチュアバンドのメンバーさんらしいね。普段はそれぞれのバンドを頑張りながら、時々こうやって魔法少女さんをサポートしてるみたいだよ」


 そのように経歴の異なるメンバーが群れ集って、いったいどのような演奏が為されるのか。めぐるには、さっぱり想像が及ばなかった。


 そうしてめぐるがまごついている間に、バンドの転換が終了される。その合図として客席の照明が落とされると、観客たちが歓声をあげて、ステージ上のハルが左手を振り上げた。


『それじゃあ、準備ができたみたいです! 「ヴァルプルギスの夜★DS3」が織り成す、めくるめくワンダーワールドをご堪能ください!』


 ハルが野ウサギのような足取りでステップを下りると、店内のBGMがフェードアウトして――何やら荘厳なる音楽が鳴らされた。

 クラシックのオーケストラで、あやしい悪魔的な音楽が奏でられている。その重々しい音色とともに、黒い幕がするすると開かれていき――ステージにたたずむ四名の姿があらわにされた。


 フライヤーにも掲載されていた、魔法少女のコスチュームである。

 ただしカラーリングは黒と赤で統一されているため、むしろ妖しい魔女を思わせる様相である。演奏陣の三名がかぶった黒いガスマスクが、その毒々しさに拍車をかけていた。


 ギターとベースは楽器を構えた姿であるが、真正面を向いた棒立ちであるため、まるでマネキン人形のようだ。

 ギターはボディがV字型の形状をしたフライングVという機種で、もとの色がわからないぐらい塗装が剥げている。

 ベースは――めぐるが見たことのない奇妙な流線形で、鮮やかな銀色に照り輝いている。ボディもピックガードも、金属としか思えないようなきらめきを帯びていた。


 そんな両名にはさまれた鞠山花子は、肉づきのいい左腕を高々と頭上に掲げている。その手がつかんでいるのは、ガラスのように透明のステッキだ。

 スポットの照明は赤で統一されており、最初からスモークがたかれている。そうしてメンバーたちが微動だにしないためか、一枚の絵画でも眺めているような心地であった。


 魔法少女のコスチュームというのは過剰なぐらいにフリルやリボンで飾られており、鞠山花子はアッシュグレーのウェービーヘアーのあちこちにも小さな黒いリボンをあしらっている。ただその顔は眠たげなカエルのごとき面相で、首から下はずんぐりむっくりであるのだが――にんまりと微笑んだその顔も、デスマスクのようにあやしげであった。


 やがてオーケストラの演奏が不吉な津波のように盛り上がっていくと、鞠山花子が透明のステッキを振り回し始めた。

 そのステッキが、赤いスポットをぎらぎらと反射させる。

 それはチアリーディングのバトンのように、優雅で軽やかな動きであったが――周囲のあやしい演出によって、何かの儀式のように見えてしまう。楽器を抱えたまま不動であるギターとベースのたたずまいも、不気味でならなかった。


 そうして鞠山花子が天井にぶつからないていどの加減でステッキを放り上げ、それをキャッチすると同時に客席のほうに突き出すと――悪魔的なクラシックの演奏がぷつりと断ち切られて、恐ろしいほどの静寂がたちこめた。


 その静寂が、すぐさま凄まじい轟音によって叩き破られる。

 人形のように不動であった三名のメンバーが、合図もなしに同時に楽器を鳴らしたのだ。

 ギターもベースも、無茶苦茶に歪んだ音色である。

 ドラムは物凄い勢いでバスドラを連打しながら、狂ったようにシンバルを乱打した。


 そうして鞠山花子がドイツ語と思しき言語をぽつりとつぶやくと、ギターが荒々しいリフを奏で始める。

 三小節目でベースがハモリのフレーズを重ね、五小節目でドラムが頭打ちのリズムを開始した。

 ギターとベースが一本ずつとは思えないほどの、分厚い演奏だ。

 そして鞠山花子が、怪物のようなシャウトをほとばしらせた。


 その咆哮に呼応するように、赤いスポットが激しく明滅する。

 そして鞠山花子は、ステッキを振り上げながら歌い始めた。


 彼女の地声は、甲高いのにザラザラとした質感の濁声である。

 それがさらに甲高く跳ねあがり、歪んだギターやベースに負けないほどの濁りを帯びた。

 錆びた釘で、鼓膜を削られているような心地である。

 歌詞はやっぱりドイツ語を思わせる聴きなれない抑揚で、言葉の内容はまったくわからない。ただその暴力的な音の塊が、めぐるの心を打ちのめした。


 やがてBメロに到達しても、その勢いは変わらない。ドラムは頭打ちのままで、ベースはピックでパワーコードをかき鳴らし、ギターは超絶的な速弾きのフレーズである。その上で、ヴォーカルは掛け声のように断続的なシャウトをほとばしらせた。


 それから短い間奏をはさんで、またAメロに舞い戻る。

 ずっと頭打ちである激しいリズムに、めぐるの心臓は無理やり心拍数を上げさせられているような心地であった。


 いずれの演奏も、きわめて狂暴だ。

 しかしもっとも狂暴なのは、やはり歌声である。めぐるは『SanZenon』や『V8チェンソー』や『ヒトミゴクウ』など、しゃがれた荒々しい歌声を好む傾向にあったのだが――鞠山花子の歌声というのは好き嫌いを語る前に、とにかくとてつもないインパクトであったのだった。


 ベースは極限まで歪んでおり、なおかつピック弾きであるためか、これまで耳にしたことがないぐらい硬質な響きを帯びている。ここまで硬い金属的な音色というのは、めぐるの好みから外れているはずであったが――ただその音色はこれ以上もなくこの暴力的な楽曲と調和していたため、とても心地好く聴こえた。


 ギターも硬質の音色であるが、それ以上に重さと分厚さが際立っている。ベースともども、ダウンチューニングというやつなのであろう。本来よりも低い音程にチューニングすることで、レギュラーチューニングでは得られない低音と重々しさと野太さを体現しているのだ。それでもベースは鋭い突き刺すような音色であったが、こちらは電磁波の壁のように圧迫感のある音の塊であった。


 ドラムの音色は、きわめてシャープだ。和緒ほどくっきりと芯があるわけでもなく、亀本菜々子ほど音が太いわけでもないのだが、凶悪な弦楽器に埋もれることなく正確無比なリズムを叩き出している。ひたすら頭打ちしているだけでも、その音の存在感が彼女の技量を証明しているように思われた。


 これはまぎれもなく、めぐるがこれまで目にしてきた中でもっとも荒々しい演奏であろう。ジェイ店長率いる『ヒトミゴクウ』も全員が荒々しく振る舞うことでひとつの調和を為していたが、『ヴァルプルギスの夜★DS3』はそれよりも確かな技巧でもって暴風雨のごとき演奏を完成させていた。


 ずっと赤一色であるスポットも、炎や鮮血といった不穏なものを連想させてやまない。モニターに片足をかけてギターをかき鳴らす7号も、セミロングの髪を振り乱してベースをかき鳴らす13号も、ずんぐりとした身を折ってシャウトする鞠山花子も、凄まじいばかりの迫力である。


 そうしてめぐるの頭と心が、その暴力的な音色に麻痺しかかったとき――ふいに、目の前の世界が変貌を遂げた。

 楽曲がサビに入ると、曲調が一変したのだ。

 ずっと頭打ちであったドラムは、軽やかな六拍子に変じていた。

 ギターは空間系のエフェクターをかけて、長く音をのばしている。

 ベースはオクターバーのエフェクターを踏んだらしく、歪んだ重低音に電子音のように甲高い音色を重ねた。


 その上で、鞠山花子が声も高らかに歌いあげている。

 これまでのシャウトが嘘のような、ゆったりとした流麗なるメロディである。

 ただし、声質は変わっていない。鼓膜をかきむしるような、甲高くて濁った歌声だ。その彼女ならではの歌声がメロディアスな旋律を歌いあげることで、これまで以上のインパクトが生じていた。


 また、サビは日本語であったため、その内容が思わぬ勢いで頭の中に食い入ってくる。

 それは、退屈な日常から摩訶不思議な世界に足を踏み入れて、恐怖と喜びに打ち震えるという内容であった。


 赤一色であったスポットも色とりどりにきらめいて、鞠山花子の姿を豪奢に照らし出している。

 めぐるの耳はすべての音をとらえていたが、目だけは鞠山花子に奪われていた。

 それぐらい、彼女の姿が鮮烈であったのだ。

 彼女は決して容姿が整っているわけではないし、他のメンバーたちよりもずいぶん小柄であったのだが――めぐるの意識は、完全に彼女の存在に支配されていた。


 これは、歌声だけの効果ではない。

 もちろんもっとも重要であるのはその唯一無二の歌声なのであろうが、彼女の個性的な風貌や、派手なステージ衣装や、メロディに合わせて振られる透明のステッキのきらめきや、新たにたかれたスモークや、それらを照らし出す照明や――それに、他なるメンバーが織り成す轟音の演奏も激しいステージアクションもすべて含めて、彼女の存在をくっきりと浮かびあがらせていたのだった。


 まさしくこれは、彼女のためのステージであるのだ。

 この世界の何もかもが、彼女の存在を照らし出すために存在しているかのような感覚にとらわれてしまう。それほどに、彼女の姿は光り輝いて見えた。


 客席の前側は、凄まじい盛り上がりようである。

 しかしめぐるは、ほとんど呆然としてしまっていた。目の前の光景をどのように解釈し、理解するべきなのか、それを見失ってしまったような心地であった。


 やがて壮麗なるサビが終わりを迎えると、六拍子のリズムのままギターソロが展開される。

 7号はここぞとばかりに前に出て、また超絶的な速弾きのテクニックを披露した。

 13号はオクターバーを切り、重々しくも硬質なサウンドで土台を支える。ドラムも基本のリズムは変えないまま、流麗なる手さばきでシンバルやタムを打ち鳴らした。


 その間、後方に下がった鞠山花子はリズムに乗りながら透明のステッキをゆったりと振っている。

 それは何だか、配下の活躍を激励する魔王のような風格であった。


 そうしてたっぷり十六小節ばかりもギターソロが続けられると、リズムが激しい頭打ちに切り替えられる。

 ギターはそのまま超絶的なプレイを継続し、鞠山花子は掛け声のようなシャウトを重ねた。


 このまま再び、サビに入るに違いない。

 めぐるは何だか、目の前に迫るトラックを棒立ちで待ちかまえているような心地であった。


 そうしてギターソロとBメロを兼ねたパートが終了すると――すべての音色が消え去った。

 めぐるは、足もとの地面が消え去ったかのような喪失感を覚える。


 そこに、鞠山花子の歌声が響きわたった。

 彼女はなんの伴奏もなしに、アカペラで流麗なるメロディを歌い始めたのだ。

 彼女の独特の歌声が、文字通り世界を支配した。

 それから四小節を経て、消えていた演奏が復活する。メロディに合わせた六拍子であったが、一番のサビとは比較にならない轟音の演奏であった。


 ドラムは力強くスネアとバスドラを鳴らしつつ、クラッシュシンバルで六分のリズムを刻んでいる。

 ギターはハイ・ポジションでコードをかき鳴らし、ベースは重低音でボトムを支えつつ、ときおり高音のチョーキングを織り交ぜて華やかな装飾を施した。


 しかし周囲がどれだけの轟音を鳴らそうとも、歌声の存在は揺るがない。

 彼女は本当に、魔法使いか何かなのではないのか――と、めぐるはそんな埒もない想念にとらわれてしまうほどであった。


 そうしてサビの終わりとともに、楽曲も終わりを迎える。

 客席からは歓声と拍手が爆発したが、めぐるはやっぱり身動きすることも難しかった。


『ヴァルプルギスの夜にようこそだわよ。うつつのしがらみはしばし忘れて、魔法少女の饗宴を堪能するだわよ』


 そんな風に声をあげてから、鞠山花子はスカートの裾をつまんで優雅に一礼した。

 するとすかさず、ギターがダンシブルなリフを弾き始める。

 彼女たちは、まだ一曲目を終えたに過ぎないのだ。彼女たちの持ち時間は四十分であり、まだ五分足らずしか消費していないはずであった。


 残りの三十五分間ばかりで、いったいどれだけ驚かされることになるのか――そんな風に考えると、めぐるは気が遠くなってしまいそうだった。


(世の中には……こんなバンドも存在するんだ)


 めぐるにとっては、それが本心からの感想であった。

 好きとか嫌いとかいう話ではなく、彼女たちは目の前の人間の心をわしづかみにして離さない迫力とけばけばしさと得体の知れなさの塊であったのだ。めぐるは何だか、UFOや宇宙人にでも遭遇したような心地を味わわされることに相成ったのだった。

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