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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 4-

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143/327

03 リカバリー

(……どうして?)


 めぐるは一瞬で、パニック状態に陥っていた。

 よりにもよってライブの一曲目で、ベースの弦が切れてしまったのだ。


 めぐるのベースの弦が切れたのは、数ヶ月ぶり――そして、3度目のこととなる。最初はベースを買った翌日で、次は部室での練習中だ。

 しかしそれは、いずれも弦が古くなっていたためであった。だからこそ、めぐるは月に一度のペースで弦を張り替えていたし、ライブがあるときはそのペースを崩すことになっても本番の二日前に弦を新調していたのだ。


 この弦も、二日前に張り替えた新品の弦である。

 よって、弦の寿命は関係ないし、めぐるもしっかり脱力を意識して演奏していた。太い3弦をプリングするというのはなおさら負荷が大きいものであるため、めぐるもとりわけ注意していたのだ。


 そうであるにも関わらず、弦は切れてしまった。

 それも、二番目に太い3弦である。いかにプリングの負荷が大きいと言っても、たった二日で3弦が切れるというのはありえない事態であった。


 考えられるのは――弦そのものの不良である。めぐるが使用しているのは880円の格安の弦で、時おり不良品が入り混じるという話であったのだ。

 だからめぐるは万が一の事態に備えて、いつも予備の弦を準備している。

 しかしそれはギグバッグの収納ケースの中であったし――今は、ライブのさなかである。これはめぐるにとって、完全に想定外の事態であった。


(どうしよう……町田さんはしょっちゅうギターの弦を切ってるし、本番で弦が切れても演奏を止めないでほしいって言ってたけど……)


 めぐるは、目の前が真っ暗になってしまっていた。

 ただ――その暗闇の中で、『KAMERIA』の歌と演奏は継続されている。そこにはビッグマフを駆使したベースの音色も、はっきりと鳴り響いていた。


 そこで、肉体と乖離しかけていためぐるの意識が、ゆっくりと舞い戻ってくる。

 めぐるの肉体は、演奏の手を止めていなかった。

 3弦が使えなくなったため、4弦のルート音と2弦のオクターブ音だけで、サビのフレーズを弾き続けていたのだ。Cのルートでは3弦を使用していたが、それも4弦の8フレットに置き換えて演奏を継続していた。


 そしてすでに、サビは終わろうとしている。

 目の前に、間奏が迫っていたのだ。

 間奏はごく短いが、イントロと同じスラップのリフだ。こちらも3弦を使う装飾の音符は省略して、そのぶんオクターブ音を多用するしかなかった。


 それが終われば、二番のAメロである。

 こちらの前半部はベースを消すアレンジであったので、めぐるは十数秒の猶予を得ることになった。


(こんなところで演奏を止めたら、ライブが台無しになっちゃうかもしれない……とにかく、この曲だけは弾ききるんだ!)


 めぐるはかつて浅川亜季に、ライブ中にベースが故障する可能性というものを示唆されていた。そういう際には誰かがベースを貸してくれるかもしれないので、リッケンバッカー以外のベースの弾き心地に慣れておいて損はない、という話であったが――そんな話も、まずはこの『小さな窓』を終えたのちのことである。ベースが壊れて音が出なくなったのならば、演奏を止めてでも手立てを考えるべきであるのかもしれないが、こうして3弦以外の音が使えるのならば、その状況下で最善を尽くすしかなかった。


 極端な話、ルート音だけを使えば曲を弾ききることはできる。

 それに――3弦が受け持つ二十の音符は、すべて他の弦で代用が可能である。もっとも低いA音は4弦の5フレット、もっとも高いF音は2弦の15フレットに相当するのだ。もちろん運指の関係で、もとのフレーズを完全に再現することは難しいのであろうが――それでも、めぐるがあがく余地は残されているはずであった。


(ベースのフレーズをそんなに簡略化したら、格好悪くなるに決まってる。わたしにできる範囲で、頑張ろう)


 めぐるは紙袋の中で大きく息をつきながら、指板を注視した。

 すでにAメロは、後半部に差し掛かろうとしている。そこで必要になる弦とフレットの位置を、めぐるはすぐさま考案してみせた。


(3弦のハイ・ポジションはスライドでうねりを出してたけど、それを2弦のロー・ポジションに置き換えると、勢いを出せない。なんとかビブラートで対応しよう)


 そんな思考が、一瞬で吹き過ぎていく。

 楽曲はたゆみなく進行していくのだから、いちいち考えているゆとりはなかった。


 めぐるは半分がた反射神経で、指を走らせることになった。

 3弦がないと、2弦が弾きにくい。2弦を弾いた右手の指先はいつも3弦にぶつかることでブレーキをかけられていたので、それがそのまま走り抜けてしまうのだ。

 その弾きづらさをも呑み込んで、めぐるはAメロを弾ききって、二番のBメロに立ち向かった。

 こちらもゆったりとしたフレーズであるが、Aメロよりも装飾の音符は増加する。それに、ルートのCを4弦の8フレットで代用すると、装飾のために2弦のロー・ポジションまで移行するのがきわめて難しかった。


 しかし、泣き言を言っているいとまはない。

 それに、逃げ道はいくらでも残されていた。


(ロー・ポジションに戻るのが難しかったら、最初のルートをオクターブ音にしてみてもいいんだ)


 低音のルートを高音のオクターブ音にしてしまうと、いささかならず雰囲気が変質してしまう。その変質をよしとするか、あるいは低音のルート音を使用しつつ装飾の音符を別のフレーズに切り替えるか――それも、その場で判断するしかなかった。

 その一瞬の判断の繰り返しで、Bメロは進行されていく。めぐるは何だか、頭の神経が焼き切れてしまいそうな心地であった。


 しかしそれでも、最善の結果を目指すのだ。

 ベストの演奏が望めないのならば、ベターの演奏を心がけるしかない。どれだけもとのフレーズから変容してしまっても、黙々とルート音を奏でるよりはずっとましであるはずであった。


 それに、めぐるがどれだけぶざまにあがいていても、他の三人がしっかりと演奏を支えてくれている。

 リズムの土台は和緒が、フレーズは町田アンナと栗原理乃が、それぞれ素晴らしいプレイで支えてくれているのだ。めぐるはそこからこぼれ落ちてしまわないように、全力で調和を求めるしかなかった。


 そうして苦難に満ちみちたBメロが終了し、二番のサビに突入する。

 めぐるはそこでも、あがいてみせた。

 一番のサビではルート音とオクターブ音だけで逃げきったが、それではやっぱり彩りが足りないのだ。めぐるが満足できなければ、他のメンバーたちだって満足できないはずであった。


 まず、3弦の装飾でうねりを演出していた部分では、4弦のルートに短いスライドを入れることで補強する。

 高音の装飾が欲しいときは、2弦と一緒に1弦もプリングした。3弦と1弦の位置関係を考えれば、どのフレットを使用するべきかは明白であるのだ。二本同時に弦をプリングするのは難解であったが、そちらのテクニックは『線路の脇の小さな花』で鍛錬を積んでいた。


 それでも普段とは異なるフレーズであるため、普段とはまったく異なるニュアンスになっている。

 めぐるはベターを目指しているつもりであるが、他のメンバーは満足してくれているだろうか。

 めぐるは演奏に集中しているため、それを目で確認することもままならなかった。


 そうしてサビが終了したならば、ギターソロだ。

 ここはあまり、出しゃばるべきではないだろう。

 しかし、ベースも前半部と後半部でフレーズを分けないと、至極単調な演奏になってしまう。本来は3弦ハイ・ポジションのスライドで装飾を入れていたので、それに代わる変化が必要であった。


 めぐるはまた、限られた時間の中で熟考し――その果てに、コード弾きを選び取った。4弦のルート音をサムピングで叩きつつ、そのまま親指で2弦と1弦のコードを鳴らすことにしたのだ。とっさにそんな考えが浮かんだのは、柴川蓮の荒々しいコード弾きのプレイが脳裏に焼きつけられていたためであったかもしれなかった。


 そうして親指でコードをかき鳴らすと、普段とは異なる悦楽が訪れる。

 もしかしたら――もとのフレーズよりも、こちらのほうがいっそう好ましいかもしれない。3弦が存在すれば、さらに理想的なフレーズを組み上げることができるはずであった。


 しかし今は、目の前の演奏だ。

 ギターソロの間奏を終えた後は、ダークな雰囲気のCメロとなる。ここもゆったりとしたフレーズであるので、Bメロと同じように最適なアレンジを瞬間的に選び取るしかなかった。


 そして最後は、大サビとアウトロだ。

 幸か不幸か、『小さな窓』はCメロ以外のコード進行が同一である。だからこそ、変化をつけなければ退屈になってしまうわけだが、その分これまでに考案したアレンジを部分的に流用することも可能であった。


 大サビでは、スラップの中にコード弾きを織り交ぜる。二本同時にプリングしていた箇所を、コード弾きに差し替えたのだ。

 いきなりのアレンジであるのでミスタッチも生じてしまうが、決してリズムだけは崩さない。ヨコノリのダンシブルな『小さな窓』では、ひときわリズムのキープが重要であるのだ。


 アウトロでは、意識して4弦のサムピングにミュートを多用する。もともと3弦のプリングのミュートであった箇所を、サムピングのミュートに切り替えたのだ。


 そうしてめぐるは、かつてなかったほどの切迫感の中、最後のA音をコードでかき鳴らし――ついに、『小さな窓』弾ききったのだった。


『サンキュー! ウィーアー、「KAMERIA」!』


 町田アンナの元気な声で我に返っためぐるは、慌てて紙袋の覆面をひっぺがした。このタイミングで素顔をさらす段取りであったのだ。

 右手で4弦を押さえてAの音をのばしつつ、左手で握り潰した紙袋を床に放り捨てる。

 それから、ステージのほうに向きなおると――町田アンナは笑顔でギターをかき鳴らし、栗原理乃は鍵盤を乱打していた。


 なんとなく――このまま二曲目に突入してしまいそうな雰囲気である。

 それで焦っためぐるがドラムセットに視線を転じると、和緒は右手でシンバルを叩きながら、左手のスティックでめぐるの後方を指し示してきた。


 そちらに目をやっためぐるは、ぎょっと身をすくめてしまう。

 巨大な冷蔵庫のごときベースアンプの陰から、怒れる柴犬のごとき形相が半分だけ覗いていたのだ。

 そして、その小さな手がつかんでいるのは――銀色に光る、一本のベース弦であった。


『ありがとー! 続いて、二曲目――あ痛っ!』


 と、今度は町田アンナの声がめぐるを振り向かせる。

 町田アンナは頭をさすりながら、ドラムセットのほうを振り返った。おそらくは、和緒がスティックを投げて町田アンナの頭にぶつけたのだ。町田アンナの足もとにはスティックが落ちており、和緒は左手だけでシンバルを乱打していた。


 和緒は新しいスティックを取り上げつつ、その先端でめぐるのほうを指し示してくる。

 それでめぐるのほうを振り返った町田アンナは、きょとんと目を丸くした。ここでようやく、町田アンナはベースの状態に気づいたのだ。


 そして――和緒はふいに、バスドラを踏み始めた。

 ジョギングをしている際の鼓動めいた、四つ打ちのリズム――これは、新曲のイントロのドラムである。

 それでめぐるは一気に混乱してしまったが、町田アンナは笑顔で客席に向きなおった。


『あらためまして、ウチらが「KAMERIA」でーす! みんな、こんな早い時間から来てくれて、どうもありがとー! ウチらはまだまだジャクハイモノだけど、ブイハチのイベントに出られてめっちゃ嬉しいよー!』


 ここはMCの時間ではないのに、町田アンナが意気揚々と語り始める。

 それでめぐるがぽかんとしていると、後ろから頭を小突かれた。


「ほら、今の内に弦を交換するんだよ! ぐずぐずしてたら、演奏する時間を削られるよ?」


 ベースアンプの陰にひそんでいた柴川蓮が、めぐるの背後に傲然と立ちはだかっていた。

 そしてその手が、一本のベース弦とニッパーをめぐるの鼻先に突きつけてくる。


「あ、あの……この弦は……?」


「あんたのギグバッグから、引っ張り出したんだよ! あたしのベースはアクティブだから、貸してやっても音作りしてるヒマはないでしょ! だったら、とっとと弦を張り替えな!」


 柴川蓮のがなり声に、ギターとピアノの音色が重ねられた。

 しかし、新曲のフレーズではない。コードは新曲の基調となるEm7であるようであったが、いずれも聴き覚えのないフレーズであった。


『ブイハチって、めっちゃかっちょいーよねー! 他のバンドも、めっちゃツワモノぞろいだし! こんなイベントに呼んでくれて、ほんとーにありがとー! アキちゃんもフユちゃんもハルちゃんも、みんな大好きだよー!』


 町田アンナは元気に声を張り上げながら、またギターの音を響かせる。

 和緒は一定のテンポでバスドラを鳴らしつつ、時おりタムのロールを織り交ぜた。

 栗原理乃はごく抑えた音量で、ちろちろと可愛らしいフレーズを紡いでいる。

 客席の人々は、楽しげに歓声をあげていた。


(みんな……弦交換の時間を作ってくれてるんだ)


『小さな窓』で常にない集中力を振り絞っためぐるは、その反動でいつも以上に頭の回転が鈍ってしまっているようであった。

 そんなめぐるのかたわらで、柴川蓮は地団駄を踏んでいる。


「あんた、いつまでぼけっとしてるのさ! 本当に、演奏の時間がなくなっちゃうよ?」


「は、はい。ありがとうございます」


 柴川蓮は次の出番であるため、楽屋で待機していたのだろう。

 そうして楽屋のモニターで、めぐるのベースの弦が切れたことを知り――ギグバッグの中から予備の弦とニッパーを探し当てて、こうして駆けつけてくれたのだ。


 切れた3弦をペグから取り外しながら、めぐるは思わず涙をこぼしてしまった。

 そんなめぐるを見て、柴川蓮はいっそう眉を吊り上げる。


「泣いてるヒマがあったら、とっとと弦を交換しろっての! 腑抜けた演奏でこのイベントを盛り下げたら、ただじゃおかないからね!」


「……はい。頑張ります」


 ニッパーで切った弦をブリッジから引き抜きながら、めぐるは柴川蓮に笑いかけてみせた。

 すると――柴川蓮はまるでフユみたいに、顔を赤くしながら「ふん!」とそっぽを向いたのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 町田さんには気づかないほど上出来なアレンジできたとのことでしょうか、テクニック方面でも精神な方面でもめぐるの成長を感じました。そして助けにきた柴川さん、やはりツンデ…よかったです
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