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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 4-

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142/327

02 開演

「それじゃーウチらも、そろそろ準備しよっか!」


 開演の十五分前になると、町田アンナがそのように呼びかけてきた。

 その場にいた人々に挨拶をして、めぐると和緒も楽屋に向かう。その道行きで、町田アンナがにっこりと笑いかけてきた。


「こんな慌ただしいと、ホヅちゃんともゆっくりしゃべれなかったでしょ? 和緒たちも、あとでいーっぱいおしゃべりしようねー!」


「いやいや。こちらのことは、お気になさらず。あたしはあんまり、相性のいいお相手ではなさそうだったしね」


「えーっ! どーしてさ! ホヅちゃんのどこに文句があるっての!?」


「文句があるんじゃなくって、善良すぎてつけいる隙がないんだよ。こっちが悪人になる覚悟で軽口を叩いても、まるっと呑み込まれちゃいそうだしさ」


「だったら、フツーに話せばいいじゃん! もー、いちいちナナメ方向だなー!」


 そんな文句をつけながらも、町田アンナは幸せそうな笑顔であった。

 そうして楽屋のドアを開けてみると、まだ『リトル・ミス・プリッシー』の面々がくつろいでいる。そして室内には、何やら甘い香りと白い蒸気があふれかえっていた。


「あ、おかえりぃ。もう準備の時間なん?」


 何か細長い器具を手にしたノバが、笑顔で振り返ってくる。その口から、白い蒸気がもわっと吐き出された。


「わー、何それ? 電子タバコってやつ?」


「うん。ニオイがひっついたりはせんはずだから、勘弁な」


 その場にたちこめていたのは、カカオの甘い香りである。めぐるとしても、べつだん不快なことはなかった。


「じゃ、客席におりよか。ほらほら、あんたらも腰あげな」


 ノバにうながされて、他なる三名ものろのろと腰を上げた。


「あんたら、そんカッコで行くつもり? 客席は、どえらい熱気んなんじゃないかね」


 ノバがそのように言葉を重ねると、アンジョーとキュウベイはいかにも面倒くさげに上着を脱いだ。最初からスウェットの姿であったチハラは、ひとり不動だ。

 レザージャケットを脱いだアンジョーはウエスタンシャツで、ブルゾンを脱いだキュウベイはネルシャツの姿となる。そして全員が、それぞれ異なるタイプの帽子をかぶったままであった。


「じゃ、お世話さん。楽しいライブを期待しとんよ」


「はーい! 頑張りまーす!」


 笑顔の町田アンナに見送られて、『リトル・ミス・プリッシー』の面々は楽屋を出ていった。キュウベイは、またチハラの肩に手を添えた歩行だ。


「なーんか、面白いヒトたちだよねー! リィ様、だいじょぶだったー?」


「ええ。私に声がかけられることはありませんでした。……メンバー間でも、ほとんど会話はありませんでしたが」


「えー? だったら今まで、ナニをしてたの?」


「パーカッションのノバなる御方は、スマホか何かで音楽を聴いていたようです。あとはギター&ヴォーカルのアンジョーという御方が、時おり思い出したように脈絡のない言葉をつぶやき……三回に一回ていどの割合で、ベースのキュウベイという御方が相槌を打っていました。ですがそちらも的外れな発言が多く、会話のラリーには至らなかったようです」


「なんか、得体が知れないね。同じ場所に集まってたんだから、仲が悪いわけではないんだろうけどさ」


 和緒が肩をすくめつつ口をはさむと、栗原理乃は感情の欠落した面持ちで「ええ」と首肯した。


「ただ、おたがいのプライベートには一切関心がないご様子ですね。ご友人ではなく、仕事仲間という間柄であるのかもしれません」


「ふーん! ま、リトプリはインディーズだけど、音楽一本で食べてるみたいだしねー! そういう意味では、仕事仲間ってことになるのかなー!」


「ふふん。あんたがたの思い描く幸福な未来予想図とは、あまり合致しなそうだね」


 和緒はシニカルに微笑みつつ、カーディガンや襟なしのシャツを脱ぎ始めた。

 めぐると町田アンナもそれにならい、ボストンバッグから紙袋の覆面を引っ張り出す。楽器はステージの上であるので、あとは顔に英文字を描くだけで準備は完了であった。


「あ、センパイたちとか『ケモナーズ』の人らが、リィ様にもよろしくってよー! ライブが終わったら、ちゃんと挨拶しなよねー?」


「ええ。それは栗原理乃の領分ですね」


「あはは! あと、ホヅちゃんも来てくれたからさ! 『KAMERIA』のライブに、めいっぱい期待してくれてるってよー!」


「田口穂実さんですか。私は顔をあわせないまま、今日という日を終えそうですね」


 リィ様は、あくまで別人格という設定なのである。しかしまあ、栗原理乃と記憶を共有しているのであれば、大きな問題は生じないはずであった。

 そうして準備を整えても、まだ十分近く時間が残されている。

 それでめぐるは、もじもじとしながら声をあげることになった。


「あの、手ぶらでじっとしていると落ち着かないので……ステージに下りてもいいですか?」


「あはは! それじゃー、あっちでくつろごっか!」


 ということで、メンバー一同は早々にステージに向かうことになった。

 現在は、ステージも照明は小さく落とされている。ただ、黒い幕の向こう側から感じられる熱気やざわめきは、年越しイベント以上であった。


 めぐるはベースを手に取り、音を切ったまま指を走らせる。幸い、緊張で指先が固くなったりはしていなかった。

 町田アンナも笑顔でギターを抱え、和緒はドラムセットの椅子に着席する。音を出すことは禁止されているので、ドラムはウォームアップのすべもないのだ。


「いやー、お客もけっこう入ってるみたいだし、ますますテンション上がっちゃうね! 今日もミスとかはどうでもいいから、とにかく楽しめるようにかっとばそー!」


「あんまり大きな声を出すと、客席に聞こえそうだね」


「あっちはあっちで盛り上がってるから、問題ないっしょ! あー、早く時間にならないかなー!」


 すると、数分ばかりが経ったところでライブハウスのスタッフが姿を現し、めぐるたちの姿にぎょっとした。


「あ、あれ? もうスタンバイしてたんですね。これから、主催者の挨拶ですよ」


「へー、そんなのがあるんだ? ウチらは、どうしたらいいんだろ?」


「挨拶が終わったらSEを流すんで、それからスタートしてください。幕を開けるタイミングは、どうします?」


「SEが一分ぐらい流れたら、こっちも音を出すんで! それきっかけで、幕を開けちゃってくださーい!」


 十一月のライブの日と、同じような言葉が交わされる。

『KAMERIA』にとって、これは二度目の正式なステージであるのだ。なおかつ今回は新曲を増やして六曲となったため、過去最長の演奏時間になるはずであった。


 めぐるの胸は、いよいよ高鳴っていく。

 すると――客席に流されていたBGMがフェードアウトして、何か不思議な音楽が流された。

 エスニックな民族音楽を、バンドサウンドでカバーしたような楽曲だ。その心地好い音色が、まためぐるの胸を高鳴らせた。


(これ、『V8チェンソー』の演奏だ……少なくとも、ベースは絶対にフユさんだ)


 主旋律を奏でているのは、フユのベースに他ならなかった。コーラスやリバーブやオクターバーなど、さまざまなエフェクターを駆使した幻想的な音色である。バンド合宿や八月末の野外フェスでも、『KAMERIA』の曲を合奏する際にはいつもこういった音色が使われていたのだった。


 客席からは、歓声があげられている。

 そしてそこに、マイクで増幅されたハルの声が重ねられた。


『会場のみなさん、お待たせしましたー! V8チェンソー周年企画、キックダウン・サード! これより開幕しまーす!』


 歓声の中に、「ハルちゃーん!」という声が入り混じった。

 ハルはどこでマイクを握っているのか。ただ、その朗らかな笑顔だけは容易に想像することができた。


『こんな早い時間から来場してくれて、どうもありがとうございまーす! 去年はガッカリさせちゃいましたけど、そのぶん今年は気合が入ってるんで! どうか最後まで楽しんでいってくださーい!』


 リハーサル後の顔合わせのときと、同じような台詞である。

 それぐらい、去年のイベントは『V8チェンソー』のメンバーにとって苦い記憶であるのだろう。そんな風に考えると、めぐるの胸に新たな熱が宿された。


『今回も、ものすごい面々に出演してもらうことができました! まずトップバッターは、驚異の女子高生バンド、「KAMERIA」! みんな可愛いのに、音は極悪です! 今日の極悪なイベントにはうってつけのトップバッターなんで、みんな期待しちゃってくださーい!』


「やっぱ、うちらの売りは極悪さみたいだね」


 和緒が肩をすくめて、町田アンナは声を殺して笑った。

 その後にも、次々とバンドの紹介がされていく。それが『リトル・ミス・プリッシー』の順番になったところで、めぐるたちは紙袋の覆面を装着することにした。


『そして大トリは、あたしたち「V8チェンソー」! ギタボのナッちゃんがいきなり脱退してあれこれ迷走しちゃったけど、なんとか立て直すことができました! もう四人でやってた頃にも負けてないはずなので、しっかり見届けてやってくださいねー!』


 ハルの堂々たる宣言に、いっそうの歓声が吹き荒れる。

 それがひとしきり落ち着いてから、ハルは挨拶を締めくくった。


『それじゃああらためて、キックダウン・サード、開幕です! 「KAMERIA」のみんな、よろしくねー!』


 ステージに、まばゆいスポットが照らされた。

『V8チェンソー』の心地好い演奏がフェードアウトして、代わりに牧歌的なオランダ民謡が流される。その落差に、客席から笑い声があげられた。


 めぐるはステージの中央に目を向けながら、音出しの瞬間を待つ。

 町田アンナもこちらを向きながらガッツポーズを作っており、和緒は紙袋に包まれた頭をスティックでかいている。ひとり正面を向いた栗原理乃は、青い炎のごとき気合をみなぎらせているように感じられた。


 そうして所定のフレーズに到達したところで、和緒が思い切りスネアを打ち鳴らす。

 それを合図に、めぐるはチューナーのエフェクターをオフにして、歪みのベースサウンドをかき鳴らした。

 町田アンナもEマイナーのコードを鳴らし、栗原理乃は鍵盤を乱打する。

 その轟音にかき分けられるようにして、黒い幕が左右に開かれた。


 客席には演奏の音色がなだれこみ、ステージ上には熱気と歓声がなだれこんでくる。

 客席には――年越しイベントを凌駕する人々が集結していた。


 百人は、余裕で突破しているだろう。

 最前列のギター側では、町田家の姉妹が飛び跳ねている。その背中を守っているのは、ご両親と田口穂実だ。

 中央からベース側の最前列には、小伊田と森藤や『ケモナーズ』の面々の姿があった。熱気の度合いも、年越しイベントにまったく負けていないようである。


(こんなにたくさんの人たちが、『KAMERIA』のために客席まで下りてくれたんだ)


 そんな風に考えると、めぐるの胸はいっそう高鳴った。

 そんな中、和緒と栗原理乃は楽器を鳴らす音を止め、ギターの音だけがゆっくりフェードアウトしていく。

 その音が完全に消えるかどうかというタイミングで、めぐるは『小さな窓』のイントロを開始した。


 ビッグマフを使用した、激しい歪みの音色である。

 体も心も熱くなっているが、演奏は逸っていない。十一月の失敗以来、めぐるはとりわけこのイントロを正しいテンポで始められるように練習を重ねていた。


『サンキュー、エブリワーン! ファーストソーング、「チイサナマド!」』


 町田アンナが声を張り上げると、いっそうの歓声がうねりをあげる。

 そしてそこに、他なる楽器の音色も重ねられた。


 ラットで歪ませたギターのバッキングに、流麗かつ攻撃的なピアノの速弾きフレーズ、そして和緒の正確で力強いダンシブルなドラムのリズム――すべてが心地好く、めぐるの心を躍動させてくれた。


 そして、Aメロの開始とともにピアノは消えて、歌声が響きわたる。

 アイスブルーの稲妻めいた歌声が、めぐるにいっそうの悦楽をもたらした。


 何もかもが、心地好い。

 中音の具合も問題はなく、演奏はしっかりと噛み合っている。『KAMERIA』が今日までの時間で練りあげてきた調和を、きちんとステージの上で体現できていた。


 たとえ他のバンドがどれだけの完成度であっても、今の『KAMERIA』はこれがめいっぱいだ。

 しかし、今の自分たちのベストの演奏を届けることができれば、めぐるは何の悔いもなかった。


 町田アンナのギターは今にも突っ走ってしまいそうな危うさを漂わせつつ、しっかり正しいテンポとリズムをキープしてくれている。

 それを支えているのは、もちろん和緒のドラムだ。めぐるも和緒の叩き出すリズムに身をゆだねることで、さらに土台を補強できているはずであった。

 栗原理乃の歌とピアノはいつも正確無比であるし、その裏側には奇妙な生々しさを従えている。本日も一曲目から、彼女の歌は冴えわたっていた。


 Bメロではキーが下がるぶん生々しさが上乗せされて、ひそやかなピアノがさらなる彩りを添えてくれる。

 そしてサビでは、すべての楽器が歌声とともに最大の盛り上がりを見せた。


 めぐるもまた、コード進行に従ったスラップのフレーズで、疾走感を演出する。

 こちらのフレーズも、日を重ねるごとに少しずつ変容していた。以前はオクターブ音を多用していたが、最近ではプリングに3弦のミュートを織り込んでリズムの緩急をつけていた。


 太い3弦を人差し指で引っ張るというのはなかなかの苦労であるため、『KAMERIA』の結成時にはこのようなフレーズを構築することもできなかった。これもまた、めぐるが数ヶ月をかけて成長したひとつの証であった。


 音程を出さないミュートのフレーズでも、音が激しく歪んでいるため、重々しい打撃音が響きわたる。それがスネアやバスドラの音色と絡み合うのが、最高に心地好かった。


 それでも力を入れすぎるとチューニングに狂いが生じてしまうため、力加減には配慮している。というよりも、めぐるはかねてより弦を弾く力が強めであると言い渡されていたため、力を抜くことに意識を向けていたのだった。


 パワフルな演奏には力が必要であるが、力まかせが正しいわけではない。ベースの弦がもっとも美しい音を鳴らせるように、必要なだけの力を正しく伝えるのだ。とりわけスラップの奏法では、軽やかさを心がけることでもっとも力強い音色を生み出せるように思われた。


 よってめぐるは、今この瞬間も力まずにベースを弾いているつもりでいた。

 どれだけ心が昂っていても、脱力の気構えを忘れたりはしない。右手も左手も普段以上に軽やかに動いて、めぐるが理想とする音を奏でてくれていた。


 だが――サビの終盤に差し掛かったタイミングで、聴きなれない異音が響きわたった。

 それと同時に、3弦を引っ張ろうとした人差し指が虚空を滑る。


 あるべき場所に、弦がなかった。

 めぐるが愕然として手もとに視線を落とすと――やはり、3弦が存在しなかった。弦の先端はペグとブリッジにそれぞれ固定されていたが、そこを支点にしてでろんと垂れ下がってしまっていた。


 めぐるは今、ようやく一曲目のワンコーラス目の終盤に差し掛かったところであったのに――ベースの3弦が、切れてしまったのだった。

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