06 百鬼夜行
「お、無事に到着できたみたいだねぇ」
めぐるたちが『ジェイズランド』の客席ホールにおりると、さっそく笑顔の浅川亜季が出迎えてくれた。
ステージでは、すでに『マンイーター』の面々がリハーサルを開始している。『KAMERIA』の出番は、この次であった。
「じゃ、リハの前にちゃちゃっとセッティング表を仕上げてもらえるかなぁ? リハの後には顔合わせの時間を作ってるから、よろしくねぇ」
「うん! 遅刻するかもとか心配かけちゃって、ごめんねー!」
「いいさいいさぁ。事故渋滞なんてどうにもならないし、そもそも遅刻もしてないんだからさぁ」
浅川亜季は、年老いた猫のようなふにゃんとした笑顔だ。それでめぐるも、心から安堵の息をつくことができた。
客席ホールには、二つの人の塊ができている。片方は『リトル・ミス・プリッシー』で、もう片方は鞠山花子を除く『ヴァルプルギスの夜★DS3』の面々であろう。そして、フユは前者に、ハルは後者に、それぞれ連れ添っていた。
「セッティング表はウチが仕上げておくから、みんなは準備を進めちゃってよ!」
町田アンナの厚意に甘えて、めぐるは準備を開始した。とはいえ、二本のシールドを引っ張り出してベースをチューニングしたならば、あとは運指のウォームアップのみである。栗原理乃の変身は、和緒が手伝ってくれていた。
それから十分ほどが経過すると、『マンイーター』のリハーサルは無事に終了する。
めぐるたちがステージに向かうと、バックヤードに向かいかけていた坂田美月がのんびり笑いかけてきた。
「みんな、間に合ってよかったねー。今日はどうぞよろしくねー」
「うん! お疲れさまー! 今日は一緒に、頑張ろーね!」
坂田美月は笑顔でうなずき、バックヤードへと消えていった。
『KAMERIA』のリハーサルも、滞りなく進行されていく。『V8チェンソー』や他なる大御所バンドに見守られながらのリハーサルであるが、幸いなことにめぐるはそれほど緊張せずに済んだ。どうもめぐるは、そのあたりの神経が鈍くできているようであるのだ。まあ、自分の音作りと中音の調整に気を取られて、他者の視線を気にするゆとりもないというのが真相なのかもしれなかった。
このたびは新曲を準備していたので、そちらを優先してリハーサルを進めていく。
そして今回も、四曲の音を合わせたところでタイムアップと相成った。
機材はそのままステージに残し、エフェクターボードの蓋はバックヤードで保管させていただく。
そうしてめぐるたちがステージを下りると、浅川亜季がひょこひょこと近づいてきた。
「じゃ、顔合わせを始めるねぇ。バンドのメンバーで固まっておいてもらえるかなぁ?」
客席ホールには、全バンドのメンバーが集結している。通常ブッキングのライブではこのような措置も取られなかったので、きっとこちらのイベントならではの取り決めであるのだろう。外に出ていた鞠山花子も、いつの間にか他のメンバーたちと合流していた。
「みなさん、お疲れさまでした! それでは、顔合わせを開始しますね!」
ホールの中心に陣取った『V8チェンソー』の中で、ハルが元気な声をあげる。本日のハルは、オーバーサイズの長袖Tシャツにベージュ色のオーバーオールという、普段以上に少年っぽいいでたちであった。
浅川亜季はスカジャンにダメージデニム、フユはエスニックな刺繍の入ったトップスにバルーンパンツという格好で、いつも通りの風格である。
「まずは、今日のイベントに参加してくれて、どうもありがとうございます! 去年は不甲斐ない姿を見せちゃいましたけど、今年はその分まで気合を入れてますんで! 出演してくれるみなさんにも楽しんでいただけるように、メンバー一同頑張ります!」
客席ホールにたたずむ人間の七割ていどが、ハルの挨拶に拍手で応えた。
ハルはにこにこと笑いながら、『KAMERIA』のほうに右手を差し伸べてくる。
「では、出演バンドのみなさんをご紹介していきます! まずは、トップバッター! 期待の高校生バンド、『KAMERIA』です! このイベントに高校生を出すのかってさんざん騒がれましたけど、みなさんにはリハの段階で納得してもらえたと思います!」
また同じていどの人数が、拍手をしてくれた。『KAMERIA』のメンバーが拍手を受ける立場になった分、『V8チェンソー』の面々が手を叩いてくれたのだ。
「メンバーは、ヴォーカルのリィ様ちゃん! ギターのアンナちゃん! ベースのめぐるちゃん! ドラムの和緒ちゃんです! みんないい子たちなんで、存分に可愛がってあげてくださいねー!」
めぐるたちが頭を下げると、今度は指笛まで鳴らされた。犯人は、浅川亜季である。
「では次に、二番手の『マンイーター』! ジェイズのレギュラーになった、期待の若手バンドです! まあ、トシはうちらとそんなに変わらないんですけどね! こっちもめきめき売り出し中なんで、よろしくお願いします! メンバーは、ベース&ヴォーカルのシバちゃん! ギターのミヅキチちゃん! ドラムのカメちょんちゃんです!」
ちまちまとした体格で黒ずくめの格好をした柴川蓮は、怒っているかのような形相で一礼する。彼女はきっと、気合や緊張がそういう形で表情に出てしまうタイプであるのだ。
いっぽう、ひょろりとした長身にざっくりとしたカーディガンとカーゴパンツを纏った坂田美月と、ずんぐりとした体にニット帽とスウェットのトップスとミリタリーパンツを纏った亀本菜々子は、のんびり微笑んでいる。そんな彼女たちに、めぐるは心を込めて拍手してみせた。
「では、三番手! ホームの秋葉原から遠征していただきました! 『まじかる☆まりりん』こと花ちゃんさん率いる、『ヴァルプルギスの夜★DS3』です!」
鞠山花子はつばの広いフレアハットを外して、優雅に一礼した。
しかし彼女は肉厚の幼児体型で、眠たげなカエルのごとき風体をした年齢不詳の女性である。そんな気取った仕草を見せれば見せるほど、ユーモラスでコミカルに思えてしまった。外見も言動も、まるでマンガから抜け出てきたような人物であるのだ。
そして、残りの三人のメンバーは――ガスマスクや魔法少女のコスチュームも着用しておらず、容姿も年齢も雰囲気もバラバラであったためか、統一感というものがまったく感じられなかった。
「それで、他のメンバーさんについてですけど……諸事情あって、ヴァルプルの演奏陣は本名を伏せています! 素性を知っている人も多いでしょうけど、そこはヴァルプルのコンセプトを尊重してあげてくださいね!」
ハルがそのように言いたてると、町田アンナが「えー?」と小首を傾げつつ挙手をした。
「ハルちゃん! そしたらその人たちのことは、なんて呼べばいいのかなー?」
「はいっ! ギターは7号さん、ベースは13号ちゃん、ドラムは10号さんでお願いします!」
それは何とも、奇妙な取り計らいである。
番号で呼ばれたメンバーたちは、それぞれ異なるたたずまいでうなずいていた。
ギターは三十歳過ぎに見える痩せぎすの女性で、ぼさぼさの頭は金色に染めており、よれよれの革のコートに膝の抜けたデニムパンツという格好だ。彼女はいかにも不愛想で、いかなる場面でも拍手をしようとしないひとりであった。
いっぽうベースは十代と思しき娘さんで、背丈は百六十センチぐらいありそうであったが、とても可愛らしい容姿をしており、そしてずっとおどおどしている。セミロングの黒髪は綺麗なウェーブを描いており、フリルのワンピースに淡いピンクのカーディガンという少女趣味的なファッションであった。
ドラムは長身で、年頃は二十代の半ばから三十歳ぐらいであろうか。目が細くて面長のキツネめいた容姿で、頭の右サイドを大胆に刈りあげており、それなりの長さを持つ髪をまとめて左側に流している。派手なプリントのロングTシャツに黒いスキニーパンツという、シンプルながらも小洒落た格好だ。
(でも、本名を明かさないって……どういう事情があるんだろう?)
めぐるがそんな風に思案していると、ハルは「えーと」と鞠山花子に向きなおった。
「ところで、例の件についてだけど……ほんとに公表しちゃっていいんですよね?」
「そりゃあまあ、進歩的とは言い難いこの国においては、事前に公表しておかないとトラブルの種なんだわよ。そもそも本人からの要望なんだわから、遠慮は無用だわよ」
鞠山花子が横目でねめつけたのは、13号と称されたベーシストである。そちらの人物はおどおどとした表情のまま、ぺこぺこと頭を下げた。
「えーとですね! 実はこちらの13号ちゃんは、生物学上は男性ということになります! でも性自認は女性ということで、ガールズバンド限定と銘打った今日のイベントにも出演していただくことになりました!」
めぐるは一瞬きょとんとしてから、大きな驚きに見舞われた。
ハルはいくぶんかしこまった面持ちで言葉を重ねていく。
「あたしもこの手の話には疎いんで、何も偉そうなことは言えないんですけど! 着替えだとか何だとかの都合もあるんで、わざわざご本人から事前に公表してもらいたいというお言葉をいただきました! 何にせよ、13号ちゃんはすっごくいい子なんで、仲良くしてくれたら嬉しいです!」
13号なるベーシストは、変わらぬ様子でしきりに頭を下げている。
そんな姿を見ていると、めぐるの内に生じた驚きはすみやかに霧散していった。
(まあ、性別なんてどうでもいいか。この人は、どんなベースを弾くんだろう)
ハルはぐるりと視線を一周させてから、やがて満足そうに微笑んだ。
「では、四番手! 渋谷を拠点とする、『リトル・ミス・プリッシー』です! 海外ツアーも大成功させたツワモノバンドなんで、今日も凄いステージを期待してます!」
そのように紹介されても、笑顔で頭を下げるのはひとりきりであった。
他の三名は、ぼけっと突っ立っている。めぐるたちが拍手を送っても、そのたたずまいに変わりはなかった。
ただ――べつだん、不遜に見えたりはしない。
なんとなく、花や樹木が動かないのは当たり前、とでも言いたくなるような雰囲気であった。
「ギター&ヴォーカルは、アンジョーさん! ベースは、キュウベイさん! ドラムは、チハラさん! パーカッションは、ノバさんです! よろしくお願いします!」
これまでと同じように、ハルは手振りでひとりずつ紹介してくれる。
ギター&ヴォーカルのアンジョーというのは、真っ白にブリーチした髪を肩まで垂らし、装飾の多いウエスタンハットをかぶっている。それでやたらと彫りの深い顔立ちをしているためか、まるで欧米人のようだ。年季の入った茶色いレザージャケットを羽織り、きちきちのデニムパンツにウエスタンブーツという仰々しいいでたちであるが、そんな格好がやたらと自然に見えてしまった。
ベースのキュウベイはすらりと背が高く、大きなキャスケットと深いブルーのサングラスで半分がた人相を隠している。くせのない黒髪は自然に肩まで垂れており、鼻から下はやや面長なぐらいで強い個性は感じられない。そのいでたちも、くたびれたブルゾンにチノパンツという、至極無難なものであった。
ドラムのチハラは中肉中背で、頭にハンチングをのせている。その顔立ちはキュウベイよりもいっそう無個性で、古ぼけたスウェットにワークパンツという格好にも自己主張は感じられない。唯一の特徴は、やたらと猫背であることだけであった。
パーカッションのノバは、ラスタカラーのニット帽の脇から、作り物のように立派なドレッドヘアーをこぼしている。丸顔で、恵比須様のように和やかな面持ちをしており、まん丸のサングラスを鼻の上にのせている。原色のTシャツの上にボロギレのようなショールを羽織って、足もとはスカートともパンツともつかないだぶだぶのボトムスだ。それに、冬のさなかに素足で草履をはいている。メンバーの中でひとりだけ愛想を振りまいているのが、彼女であった。
『ヴァルプルギスの夜★DS3』に劣らず、なんとも統一感のない顔ぶれである。
またそれは、フライヤーを拝見したときから変わらぬ印象であった。
だが――そうであるにも関わらず、この四人が同じバンドのメンバーであることがとても自然に感じられる。それは、『V8チェンソー』の面々にも通ずる雰囲気であった。
「そして、今日の主催者があたしたち『V8チェンソー』です! こんな若輩バンドのイベントに参加してくれて、本当にありがとうございます! 今年こそ、出演者のみなさんにも会場のお客さんにも楽しんでもらえるようなイベントを目指しますので、どうぞよろしくお願いします!」
浅川亜季やフユも頭を下げると、ひときわ大きな拍手が捧げられる。
しかしやっぱり、『ヴァルプルギスの夜★DS3』のギターと、『リトル・ミス・プリッシー』のパーカッションを除く三名は、微動だにしなかった。
なんというか――めぐるは、奇妙な心地である。
めぐるは夏の野外フェスや年越しイベントなどでずいぶんたくさんのバンドを目にしてきたが、『ヴァルプルギスの夜★DS3』や『リトル・ミス・プリッシー』のような雰囲気を持つ人々を見かけたことは、ついぞなかったのだ。
確かにこちらの両バンドは、『V8チェンソー』よりも格上のバンドであるのだろう。少なくとも、『リトル・ミス・プリッシー』の四名と鞠山花子からは、並々ならぬ風格を感じてならない。しかしまた、演奏を聴く前からそのように確信できてしまうという事実が、めぐるをいささか混乱させているのかもしれなかった。
(なんだか……わたしたちだけじゃなく、『マンイーター』の人たちまで子供みたいに見えちゃうもんな)
しかし、柴川蓮は怒れる柴犬のごとき形相で背筋をぴんとのばしているし、坂田美月や亀本菜々子はのんびり微笑んでいる。
めぐるも彼女たちを見習って、平静を保つべきであるのだろう。『V8チェンソー』の面々は、このようなバンドの集まるイベントでも『KAMERIA』や『マンイーター』は見劣りしないと見なしてくれたのだから――めぐるたちは、全力でその期待に応えるしかなかったのだった。




