07 再確認
『KAMERIA』の一行がへろへろになって楽屋に戻ると、そちらでも拍手で迎えられることになった。
手を叩いているのは、まったく見知らぬバンドの面々である。男性ばかりの五人組で、そろそろ三十に手が届こうかという年頃に見えた。
「お疲れさん! すげえステージだったよ! さすが、ジェイさんの見る目は確かだな!」
「おう! 俺たちも、気合を入れていかねえとな!」
ろくに言葉を交わすいとまもなく、そちらの面々は楽器を担いで階段を下っていく。それと入れ替わりで、『マンイーター』の面々がやってきた。
「みんな、お疲れー! 今日もすごかったよー!」
「うんうん。前回よりもド迫力で、びっくりしちゃったよぉ」
坂田美月と亀本菜々子は、相変わらずの温和な笑顔だ。
ひとり仏頂面をした柴川蓮は、無言で自分のギグバッグを取り上げる。この次が、彼女たちの出番なのである。
めぐるたちは速やかに搬出するべきなのであろうが、このように汗だくの姿で外に出たならば体をおかしくしてしまうだろう。ひとまず楽器をケースに片付けたならば、ひと息つかせてもらうことにした。
「ほんとに今日は、気合が入ってたねー! リハ無しのイベントでここまでできるのは、大したもんだよー!」
「ありがとー! ウチらもめっちゃ楽しかったよー! 客席も人でいっぱいだったしねー!」
スポーツタオルをかぶった町田アンナが、元気いっぱいに応じる。やはり鍛え方が違うのか、ライブの直後でも彼女は満身から生命力をたぎらせていた。
「『KAMERIA』の爆発力って、やっぱハンパないなぁ。あらためて、ブイハチのイベントに誘われるのも納得だよぉ」
「うんうん! だから今日も、『KAMERIA』の後にはベテランさんが組み込まれたんだろうね! 並のバンドじゃ、引き立て役になっちゃいそうだもん!」
「……相変わらず、呑気な言い草だね」
と、ベースを構えた柴川蓮が不機嫌そうにメンバーたちをにらみ回していく。
すると、坂田美月はやわらかな笑顔でそれを迎え撃った。
「あたしらはあたしらで、ベテランさんの直後だからねー。これはきっと、店長さんの愛の鞭なんじゃないかなー」
「うん。きっとブイハチのイベントでは、あたしらが『KAMERIA』の直後なんだろうからねぇ。それに備えて、気合を入れなおせってことなんだろうと思うよぉ」
そんな風に言いながら、坂田美月も亀本菜々子ものんびりした笑顔である。きっとベテランバンドの直後に演奏するというのは、大層なプレッシャーなのであろうから――それを感じさせない彼女たちは、きわめて頑強なるメンタルを有しているのだろうと思われた。
「じゃ、あたしらも準備を始めよっか。『KAMERIA』のみんなは、ごゆっくりね! くれぐれも体を冷やさないように!」
「うん! ありがとー! 『マンイーター』の出番までには、絶対もどってくるからねー!」
そうして準備を進める『マンイーター』の面々を横目に、めぐるたちも濡れそぼったTシャツを着替えることにした。
めぐるはまだ、心臓が高鳴ってしまっている。ともすれば、ステージ上での熱気がぶり返してしまいそうなほどである。ライブの後は幸福な心地に陥るのが常であったが、本日はひときわ胸が躍ってしまった。
ただ、メンバーにかけるべき言葉がなかなか見つからない。
どんな言葉を並べたてても、今の気持ちを正確に伝えられそうになかったのだ。それに、メンバーたちの満足そうな表情を見ているだけで、めぐるは胸がいっぱいであったのだった。
「……みなさん、今日はお疲れ様でした」
と、おずおずと口火を切ったのは、リィ様の扮装を解いた栗原理乃である。
リィ様でいる間は顔色ひとつ変えていなかった栗原理乃が、可愛らしく頬を染めていた。
「なんだか今日は、いつも以上に楽しくて……もしかしたら、あちこちでミスしているかもしれませんけれど……そのときは、申し訳ありません」
「なーに言ってんのさー! 楽しきゃオールオッケーって、毎回言ってるでしょー? ミスなんて、どーでもいいんだよ!」
町田アンナは、いつもの元気さで幼馴染に笑いかけた。
「でも、マジで楽しかったねー! やっぱ客席が盛り上がると、こっちも盛り上がっちゃうなー! もちろん、演奏ががっしり固まってきたってのが一番大きいんだろうけどさ!」
「うん。練習してきた甲斐があったね」
「ほんとほんと! じゃ、機材を車に運ぼっか!」
そうしてめぐるが口を開くタイミングをつかむより早く、搬出の作業が開始される。
それでめぐるがいくぶんもじもじしていると、和緒がすかさず頭を小突いてきた。
「何か言いたいことがあるなら、さっさと口にすりゃいいでしょうが」
「あ、ううん……でも、なんて言っていいかわからないから……」
「なんだい、そりゃ。世話の焼き甲斐のない四足獣だね」
バスドラペダルのケースを担ぎつつ、和緒はわしゃわしゃとめぐるの頭をかき回してくる。
そんな和緒も目もとには昂揚の気配をにじませていたので、めぐるも幸福な心地であった。
「あら、もう楽器を片付けるの? 慌ただしいのね」
と、機材の運搬ではまた町田家の母親が手伝ってくれる。
それからバーフロアに戻ってくると、あらためて町田家の一行に取り囲まれることになった。
「みんな、めっちゃかっこよかったよー! 今までで一番かっこよかったー!」
「うん、本当だね。みんなも楽しそうだったし、すごくかっこよかったです」
「まったくな! 見るたびに成長してるんだから、大したもんだ!」
「あんたは音楽のことなんて、なんもわかってないでしょー? 偉そうな口を叩かないでよね!」
町田家の家族が寄り集まると大変な騒ぎであるが、本日はどこもかしこも賑わっているため悪目立ちすることもない。モニターに映されるベテランバンドのステージと客席も、大変な盛り上がりようであった。
耳と体を休めるためにしばしバーフロアに留まり、ベテランバンドの演奏終了とともに階段を下っていく。するとそちらには、『V8チェンソー』の面々が待ちかまえていた。
「お疲れさまぁ。今日も申し分のないステージだったねぇ」
「ほんとだよー! もう夏フェスの頃とは比較にもならないねー!」
浅川亜季とハルは、それぞれ真っ直ぐに好意的な思いをぶつけてくれる。
そんな中、ひとり凛然としたフユは、切れ長の目でめぐるを見下ろしてきた。
「……あんたたちは、毎日練習を怠ってないみたいだね。それは、褒めてあげてもいいよ」
「ど、どうもありがとうございます。外音のほうは、問題ありませんでしたか?」
「ここのPAも、先月のライブであんたたちのツボをつかんだんだろうさ。リハ無しでも、前回と遜色のない外音だったよ。あんたたちみたいに遠慮のない音を鳴らすバンドを活かせるかどうかは、PAの腕にかかってるってわけだね」
フユがそのように言いたてると、浅川亜季がいつもの調子でにゅっと首を突き出してきた。
「まったく、フユは堅苦しいなぁ。あんなにいいライブだったんだから、よくやったって頭のひとつでも撫でてあげればいいんだよぉ」
「……そんな気色悪い真似、誰がするもんかい」
「素直じゃないなぁ。ライブ中は、あんなにあったかい目でめぐるっちを見守ってるのにさぁ」
フユはいくぶん頬を染めながら、裏拳で浅川亜季の額を小突いた。
「痛いなぁ」とぼやきながら、浅川亜季はめぐるにふにゃんと笑いかけてくる。
「でも、本当に今日は最高のステージだったよぉ。『KAMERIA』は見るたんびにレコード更新してくれるから、二月も楽しみなことだねぇ」
「は、はい。二月までにはもっと成長できるように、頑張ります」
「それを心から信用できるってのは、幸せな気分だねぇ。ほんと、めぐるっちたちのおかげで楽しい一年だったよぉ」
そうして浅川亜季が年老いた猫のように微笑んだとき、客席の照明が落とされた。
歓声と拍手の中、黒い幕が開かれていく。その向こうから現れたのは、『マンイーター』の三名だ。
柴川蓮は気合の入った顔で、スラップの速弾きフレーズを披露する。
とうていめぐるには真似できないような、アップテンポのフレーズである。音も激しく歪んでおり、とてつもない迫力であった。
いっそうの歓声があげられる中、スネアの連打で楽曲がスタートされる。速弾きのスラップに対して、ギターはワウペダルを駆使した小気味好いカッティング、ドラムは裏打ちを強調した16ビートだ。これは、前回のライブでは演奏されなかった楽曲であった。
歌に入ると、ベースはぴたりと止められる。
柴川蓮の可愛らしい歌声とベースの速弾きスラップが、二小節ごとに繰り返される。それが、Aメロの構成であった。
柴川蓮の歌声は可愛らしいが、メロディそのものはマイナー調で、演奏は攻撃的だ。これこそが、土田奈津美がいた時代の『V8チェンソー』を彷彿とさせるギャップであるのだろう。浅川亜季とも栗原理乃とも――そして、鈴島美阿ともまったく異なる魅力を持った歌声であった。
『マンイーター』もまた、前回のライブ以上に勢いがあって、またとない調和を果たしているように思える。
やっぱりめぐるは、『マンイーター』が好きだった。演奏の完成度ばかりでなく、彼女たちの選んだ音やフレーズが、めぐるの好みと合致しているのだ。めぐるにとってもっとも好ましいのは『SanZenon』で、その次が『V8チェンソー』で――そしてその次が、この『マンイーター』であったのだった。
(そんな『V8チェンソー』や『マンイーター』と同じイベントに出られるなんて……本当に、ワクワクしちゃうなぁ)
めぐるがそんな感慨を噛みしめている間に、『マンイーター』のステージは進行されていく。二曲目と三曲目は前回のライブでも目にした楽曲であり、めぐるの印象がくつがえることはなかった。
「うんうん。これなら安心して、イベントの二番手をおまかせできるねぇ」
「うん! ハンパなバンドじゃ、『KAMERIA』の次はまかせられないもんね!」
楽屋でも耳にしたような会話が、浅川亜季とハルの間で繰り返された。
「じゃ、うちらもスタンバイの時間だねぇ。みなさん、またのちほどぉ」
『V8チェンソー』のメンバーが階上に消えていき、やがて『マンイーター』の面々が客席に戻ってくる。柴川蓮は顔を真っ赤にしてうずうずと身を揺すっており、坂田美月はのんびりした笑顔と苦笑の中間ぐらいの表情であった。
「楽屋でブイハチのみなさんに温かいお言葉をいただけて、レンレンがすっかりサカっちゃったよー。その調子で、『KAMERIA』のみんなと仲良くしてあげなねー」
「こ、こいつらなんて、どうでもいいし!」
いつもの調子でわめきつつ、やっぱり昂揚は隠しきれていない。それは柴犬がはしゃいでいるかのようで、とても可愛らしかった。
そうして間にひとつのバンドをはさみつつ、ついに『V8チェンソー』の出番である。
時間は午後の九時を過ぎ、会場はいよいよわきたっている。そして『V8チェンソー』のステージによって、いっそうの熱気が吹き荒れたのだった。
フユの流麗にして力強いベースに、ハルの躍動感に満ちあふれたドラム、浅川亜季の野太く粘ついたギターに、吠えるような歌声――『V8チェンソー』もまた、めぐるの記憶よりもさらに迫力と完成度を増していた。
秋になってからはスケジュールが合わず、めぐるたちは『V8チェンソー』のライブをまったく目にすることができなかった。しかし彼女たちは九月から十二月までの間で、月に二、三回のステージをこなしていたのだ。それで彼女たちの演奏は、いっそう入念に練りあげられていたのだった。
ハルのドラムは町田アンナのギターを思わせるほど奔放で、生々しい。それがフユの艶っぽく芯のあるベースに支えられて、ダイナミクスに満ちあふれた土台を築きあげる。その上で、浅川亜季の歌とギターが縦横無尽に吹き荒れるのだ。きっと浅川亜季は弾き語りでも魅力的なプレイヤーであるのであろうが、フユとハルはその魅力を何倍にも引き上げているのだった。
そしてまた、浅川亜季の魅力が増すごとに、相乗効果でフユとハルの魅力も跳ね上がっていく。
これこそが、めぐるの目指す境地である。
高い演奏力に支えられた、またとなき調和――めぐるが『SanZenon』に感じた魅力をもっとも近い形で再現しているのは、やはり『V8チェンソー』であった。
もちろん『V8チェンソー』と『SanZenon』は、そこまで似ているわけではない。吠えるような歌声や、難解なるベースのフレーズや、躍動感を重視したドラムなど、共通点は多々あれども、根本の部分が違っている。鈴島美阿の歌声はもっと切迫感に満ち満ちているし、ベースはもっと荒々しいし、ドラムはもっと重々しいし、ギターはもっと流麗だった。おそらくは、『SanZenon』と『V8チェンソー』では求める音楽の方向性が違っているのだ。
だからめぐるは『SanZenon』の存在と関係なく、『V8チェンソー』を好ましく思っていた。
『SanZenon』と似ている部分も似ていない部分もひっくるめて、『V8チェンソー』を好ましく思うのだ。そういう意味では、『V8チェンソー』と似た部分と似ていない部分を持っている『マンイーター』も同様である。
そしてそれは、『KAMERIA』に対する思いとも同一であった。
『KAMERIA』もまた、『SanZenon』に似た部分と似ていない部分を持っている。『V8チェンソー』と比べたら、似ていない部分のほうが多いぐらいだろう。それでもめぐるは、『KAMERIA』の音を何より愛おしく思っていた。『SanZenon』と『V8チェンソー』は見果てぬ目標であり、大きな憧れであったが――めぐるがともに歩んでいきたいと願っているのは、『KAMERIA』のメンバーたちであったのだった。
(来年も、頑張ろう……一歩でも、『SanZenon』や『V8チェンソー』に追いつけるように)
数ヶ月ぶりに『V8チェンソー』の勇姿を見届けためぐるは、そんな思いを新たにすることになったのだった。




