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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 4-

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02 町田家の聖夜

「家庭内で暴力というのは、いかんな!」


 大きな声でそのように言いたてたのは、町田アンナの父親であった。

 部室での練習を終えて、町田家に集合し、食卓を囲んだ際のことである。クリマスイブである本日は、普段以上のご馳走がテーブルに並べられていた。


「いや、どんな場所でも暴力はいかんのだが! 家庭内というのは、なおさらいかん! それは家族間の絆にも関わる話だからな!」


「うっさいなー。よそさまの騒ぎには首をつっこまないってのが、うちの家訓じゃなかったのー?」


 町田アンナが文句をつけると、父親は「しかし!」と声を張りあげた。

 しかしそれよりも早く、新たな皿を運んできた母親のほうが発言する。


「ごめんなさいね、和緒さん。わたしたちは格闘技を生業にしているから、暴力についてはちょっと過敏に反応してしまうの。娘たちにも、道場の外では決して手をあげないようにって言いきかせてきたしね」


「そーそー! おねーちゃんは、パパのおしりを蹴りまくりだけどねー!」


「わはははは! あれは暴力ではなく、愛情表現だからな!」


「あんたに愛情なんかあるもんかい! そんなに蹴っ飛ばされたいんなら、さっさと尻を出しな!」


 町田家の面々は、普段通りの賑やかさである。

 そんな中、左頬に白いガーゼを張った和緒は、かしこまった面持ちで一礼した。


「余計な騒ぎを持ち込んじゃって、どうもすみません。ただ、こんな話を隠したままお世話になるのは不義理かなと思って、いちおう報告させていただきました」


「うん? 不義理ってのは、なんの話だい?」


「うちの母親も、余所のお宅にまで文句をつけることはないと思います。でも、あたしが里帰りをボイコットすることで母親が怒り狂ってるのは事実ですからね。もしご迷惑なようでしたら、年越しライブを終えた後は自宅に戻ろうかと考えています」


「そんなの、ダメだよー! だったらウチらも、一緒に和緒の家まで押しかけちゃうからね! どーせ誰もいないんなら、文句をつけられることもないだろうしさ!」


 町田アンナがすかさず声を張り上げると、和緒はクールな面持ちで肩をすくめた。


「とまあ、娘さんがこのように仰っているので、もしもお許しをいただけるなら予定通りこちらでお世話になりたいんですけど……如何なものでしょう?」


「如何も何も、俺たちに気兼ねする理由なんてありゃしないさ!」


「もちろんよ。なんだったら、わたしたちからそちらのお宅にご連絡を入れましょうか?」


 町田家のご両親がそのように言いつのると、和緒は「いえ」と首を横に振った。


「あたしが里帰りをボイコットするのはお泊り会を楽しむためではなく、年越しライブに参加するためですからね。みなさんがそんなお手間をかける理由はありません。ただ、こんな面倒ごとを抱えた人間に加担するだけで、ご迷惑になる恐れはあるでしょうから――」


「だから何も、気にする必要はないさ! これでもしも和緒ちゃんのほうに非のある話だったら、俺たちもあれこれ考えるところだけどさ! 和緒ちゃんはいっさい悪くないんだから、堂々と遊びに来てくれよ!」


「和緒が悪くないのは確かだけど、あんたが和緒ちゃんとか呼ぶなー!」


「ええ? 和緒ちゃんは和緒ちゃんだろう? エレンたちだって、そう呼んでるじゃないか!」


 そう言って、父親は豪快に笑い声をあげた。

 つくづくこのお人は、真っ直ぐな気性をしているのだろう。そしてこのたびは、それが何よりめぐるの心を安らがせてくれたのだった。


「そういえば、ご両親はいつ出立されるのかな?」


「出立の日取りですか? 例年通りなら、二十九日の夜になると思いますけど」


「だったらいっそ、三十日からこっちに来たらどうだい? 大掃除でも手伝ってもらえたら、こっちは大助かりだな!」


 父親がそのように言いたてると、母親が補足をした。


「うちは道場の大掃除が二十九日で、自宅の大掃除が三十日なの。道場のほうは門下生の人たちが手伝ってくれるんだけど、家のほうが手薄でね。たしか学校の部室も、三十日から使えなくなってしまうんでしょう? ひとりじゃ何かと不便でしょうし、よかったらどうかしら?」


 と、和緒の宿泊を断るどころか、追加の提案をしてくるぐらいである。

 和緒はポーカーフェイスを保持していたが、その隣に控えためぐるのほうが涙ぐんでしまいそうだった。


(町田さんのご両親は、なんて優しいんだろう。こんなご両親に育てられたから、町田さんもこんなに優しいんだろうなあ……)


 めぐるがそんな感慨を噛みしめている間に、二人の妹たちも和緒の来訪をせがんでいた。

 さしもの和緒もいくぶん迷っているような面持ちで、頭をかく。


「それじゃあまあ、ちょっと考えさせていただきます。なんだかみなさんの厚意につけこむような形になっちゃって、すみません」


「そんな水臭いことを言うもんじゃないさ! それじゃあそろそろ、パーティーを始めようか!」


 ということで、クリスマスパーティーを兼ねたディナーが開始された。

 本日の料理は、西洋風のラインナップだ。各人にひとつずつ鶏もも肉のローストチキンが準備されており、しかも自家製であるという。つくづく町田家の母親というのは、料理上手であるようであった。


 そうしてディナーが開始されると、あとは賑やかなばかりである。まあその前から賑やかであったことに変わりはないのだが、和緒の一件がネガティブな要素として残されている気配は皆無であった。

 それがきっと、町田家の強さというか、家風であるのだろう。和緒の身を思いやりながら、しつこく干渉したりはしない。頼ってくれば全力で応じるが、そうでなければ本人の自主性に任せるという、ある種の潔さのようなものが感じられてならなかった。


(これが町田さんの言う、個人主義ってやつなのかな)


 町田アンナは今日の帰り道、個人主義について語っていた。母親の生まれであるオランダという国は、日本よりも個人主義の風潮が強いようだという話であったのだ。


「だからうちって、よその家よりけっこーサバサバしてるみたいなんだよねー! だから、和緒の家の話をしても、変に騒いだりはしないと思うよー!」


 町田アンナが語っていた通り、町田家の人々は必要以上に騒ごうとはしなかった。暴力の行使については異議を唱え、和緒の身を思いやりつつ、それと同時に母親との関係性に言及しようともしなかったのだ。それはめぐるのように器の小さな人間にとって、大層な度量であるように思えてならなかったのだった。


(こんなに小さな妹さんたちも、基本のスタンスは同じみたいだし……本当にすごいなあ)


 めぐるがそのように考えていると、笑顔でローストチキンにかぶりついていた町田エレンがふっと心配そうに和緒のほうを振り返った。


「和緒ちゃん、口を動かすとちょっと痛そうだね。口の中も切っちゃったの?」


「おや。なかなかの洞察力だね。それも格闘技のキャリアがなせるわざなのかな?」


「あはは! エレンはとっくにおけいこをやめちゃったけどねー! ……ほっぺたも痛い? 傷が残ったりしない?」


「残ったら残ったで、ハクがつくってもんさ。向こう傷は、武士の誉れだからね」


「和緒ちゃんて、武士だったのー? でも、新選組の衣装とか似合いそー!」


「あれは武士というか、浪士だけどね」


 和緒は和緒で、いつも通りの軽妙さで言葉を返している。

 めぐるが平静でいられるのは、和緒がまったく心を乱していないためである。本人も言っていた通り、和緒はむしろ普段よりも浮かれているような気配をうっすらと漂わせていたのだった。


(栗原さんがピアノのレッスンから解放されたときみたいに、か……)


 つまりそれだけ、和緒は母親と確執を抱えていた、ということなのだろうか。

 それが母親そのものに対する確執であるのか、里帰りだけに限定された確執であるのか、そこまではうかがい知れなかったが――とにかく和緒は、それほどの根深さで里帰りを忌々しく思っていたのだ。


 もちろん和緒は以前から、そういった話を主張していた。

 しかし和緒はいつでもポーカーフェイスであるし、ちょっとしたことでも同じぐらい大仰な表現をするため、いっそう内心が読み取りにくいのだ。和緒はそうして本音と冗談を同じ熱量で語ることで、自分の内面にヴェールをかけているのだろうと思われた。


 そして今、そのヴェールがちらりとはだけており――その向こう側から漂ってくるのは、浮かれた気配だ。

 和緒は母親から暴力を受けたことよりも、里帰りから解放されたことを喜んでいる。それがひしひしと伝わってくるために、めぐるは何とか平静な心地を保っていられるわけであった。


「さー、ご馳走のしめくくりは、ケーキだよー!」


 と、ディナーの最後には巨大なクリスマスケーキまでふるまわれた。

 イチゴと真っ白なクリームでデコレーションされ、サンタとトナカイの砂糖菓子までのせられた、絵に描いたようなクリスマスケーキである。ただそれとは別に、ドーナツのように穴のあいた丸いケーキも切り分けられた。


「これは、わたしの故郷のケーキなの。おなかがいっぱいでなかったら、食べてみてね」


 そちらはドライフルーツやアーモンドなどが加えられており、ケーキというよりは焼き菓子という風情であったが、美味しいことに変わりはなかった。

 そして、三姉妹にはクリスマスプレゼントが配布される。オレンジ色のレザーの手袋を贈られた町田アンナは、「わーっ!」と喜びの雄叫びをあげていた。


「よくこんなの見つけたねー! すっげーいい色じゃん!」


「それならアンナも喜ぶと思ってね。薄手だから、荷物も持ちやすいでしょう?」


「選んだのはママだけど、お金はパパも出してるからな!」


「だから、そーゆー自己主張が余計なんだよ!」


 プレゼント交換をお断りしためぐるたちは、黙って見守るばかりである。

 しかし町田家の団欒は、めぐるの心を温かくするばかりであった。


 その後は、満腹の身を抱えて客間に移動する。

 新品の手袋をさっそく装着した町田アンナは、ご満悦の面持ちであった。


「いやー、やっぱ人数が多いと楽しいなー! 来年も、うちに集まろーね!」


「もう一年後の相談かい。鬼が笑い死にしそうだね」


 そのように応じる和緒はクールな面持ちであったが、やはりどこか安らいでいるような眼差しであった。

 栗原理乃も、ゆったりと微笑んでいる。きっと町田アンナを除く三名は、こういったイベントと無縁な家庭環境であるのだ。だからこそ、クリスマスにも大晦日にも正月にも簡単に集合できてしまうわけであった。


(まあ、今回のかずちゃんは全然簡単じゃなかったけど……)


 しかし和緒が満足そうな様子であったので、めぐるも心から満足していた。

 もしも誰もが町田アンナのように恵まれた環境であったなら、こうして寄り集まることも難しかったかもしれないのだ。そうでなかったのは幸いと考えるのは、あまりに利己的であるのかもしれないが――今のめぐるが幸福な心地であることに変わりはなかった。


「……かずちゃんは、本当に大変だったね」


 めぐるがそんな心情をこぼしたのは、食休みののちに電力を使わない合奏をして、風呂に入り、歯を磨き、歓談を楽しんで、町田アンナと栗原理乃がぐっすり寝入ったのちのことであった。

 町田家に宿泊すると、いつも最後まで起きているのはめぐると和緒である。しかしこうして和緒と二人きりで語らうのも、めぐるにとっては至福のひとときであった。


「まあ、こんな顔じゃあ説得力はないかもしれないけど、周りが思うほど大変なわけじゃないさ」


 照明を絞った薄暗がりの中で、和緒は皮肉っぽい微笑をたたえる。

 その眼差しの穏やかさに心を満たされながら、めぐるも「うん」と笑ってみせた。


「それがかずちゃんの本音なんだろうから……わたしも、嬉しく思ってるよ」


「ほうほう。そいつはあたしが内心を見透かされることを何より忌み嫌っていると承知した上での狼藉かい?」


「うん、ごめんね。でも、どうしても伝えておきたくって……」


「いちいちそんな小っ恥ずかしい言葉を口にしなくったって、伝わってるさ。あんたがうじうじしてたら、あたしだってそうそう浮かれてられないからね」


 そんな風に言いながら、和緒はしなやかな指先でめぐるの頭をくしゃっと撫でてきた。


「ビンタ一発で忌々しい里帰りから解放されるなら、安いもんさ。バンド活動の、初めての恩恵だね」


「あはは。後半部分は本音じゃないって信じてるよ」


「だから、あたしの内心を見透かそうとするんじゃないよ」


 和緒はめぐるの頭に手を置いたまま、くいくいと揺さぶってきた。

 なんだか、子供をあやしているような――あるいは、子供が甘えているような仕草である。

 しかしそんな言葉を口にしたならば、この楽しいふれあいも終わりを迎えてしまうので、めぐるは口をつぐんでおくことにした。

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