05 宣材写真
「ふーん! G&Lっていうブランドのベースは、そんなに弾き心地が違ったんだー?」
町田アンナが興味津々でそのように言いたてたのは、翌日の放課後のことであった。
部室での練習を終えて、メンバー全員で町田家に向かう道中である。めぐるは充足した思いで「はい」とうなずいてみせた。
「あの、お茶の水でエフェクターの試奏をしたときにも、色々なベースに触れることができたんですけど……あのときはエフェクターの音を確認するのに集中していましたから……ベース本体には、あまり気を向けていなかったんですよね」
「うんうん! やっぱりじっくり弾かないと、楽器のことはよくわかんないもんねー! で、そのG&Lってのは、あの合宿でさわらせてもらった他のベースともぜんぜん違う弾き心地だったのー?」
「は、はい。そのG&Lっていうのは、フユさんが最初に買ったベースらしいんですけど……メインのワーウィックやサブのスペクターとはまったく弾き心地が違うから、売らずに手もとに残していたそうです」
「ふんふん! G&Lって名前は聞いたことあるけど、ウチはよく知らないんだよねー! なんか、ギターはフェンダーっぽい形をしてたと思うんだけど!」
「は、はい。ベースも、そうみたいです。そもそもG&LのLっていうのは、レオ・フェンダーっていう人の頭文字で……その人が、フェンダーっていうブランドの創設者なんだそうです」
「えーっ! それじゃー、フェンダーの真似をしてるんじゃなくって、おんなじ人が作ってたんだー? ウチはフェンダーのギターを使ってるのに、ぜんぜん知らなかったよー!」
「は、はい。その人は、他にもミュージックマンっていうブランドを設立したそうですね。そちらはもう、アーニーボールっていう会社に買収されたそうですけど……」
それからめぐるはつっかえつっかえ、弾き心地の相違について語ることになった。
リッケンバッカーのベースともっとも異なるのは、やはりネックの形状であろう。部室に置かれているプレシジョン・ベースと同じように、先端の部分はリッケンバッカーと同程度のサイズであるが、ボディに近づくにつれて幅広の形状になっているのだ。
ただそれよりも大きく異なっているのは、ネックの構造についてである。リッケンバッカーはスルーネック、G&Lはボルトオンネックという名称で、ネックとボディの接合部の仕組みがまったく異なっていたのだ。
(スルーネックっていう言葉は昔からさんざん聞かされていたのに、わたしはその意味を考えたこともなかったからなぁ)
スルーネックは、ネックからボディ本体までがひとつながりになっている。もとは一本の細い棒状で、その左右に残りのボディが接着されているという構造であったのだ。そうしてネックとボディが一体型であるために、音の響きや音ののび――サステインに優れているのだという話であった。
いっぽうボルトオンネックはネックとボディが別々に造られており、それが文字通り金属のボルトで留められている。そちらはスルーネックと比べて、音の歯切れの良さが秀でているとのことであった。
さらにもう一種類、セットネックという構造も存在するとのことである。そちらはネックとボディが接着剤で結合されており、どちらかといえばスルーネックに近い構造であるらしい。浅川亜季が使用しているレスポールや轟木篤子の使用しているサンダーバードが、こちらのセットネックであるようであった。
実際に自宅でG&Lのベースを弾き込んでみると、確かに歯切れがいいように感じられた。スラップなどは、とりわけその傾向が顕著である。親指で弦を叩くサムピングも、人差し指で弦を引っ張るプリングも、実に小気味のいい音色であった。
そういえば、『リペアショップ・ベンジー』の店主と初めて対面した際にも、そんな特性を説明されたような気がしなくもない。めぐるは八ヶ月ばかりも経ってから、ついにその事実を体感することになったわけであった。
それに、G&Lのベースはネックが末広がりであるため、弦と弦の間も広い。するとスラップの奏法においては、異なる弦を叩いたり引っ張ったりというミスが生じにくいのだ。これもまた、同じ日に店主から聞かされていた話であった。
しかし、それでめぐるがリッケンバッカーのベースに失望することにはならなかった。もとよりめぐるは手が小さくて指も細いため、弦と弦の隙間が多少せまくてもスラップをしにくいとは思わなかったし――すでにめぐるは八ヶ月近くも、リッケンバッカーのベースを弾きたおしていたのだ。めぐるの指はリッケンバッカーのベースに馴染んでいるのだから、当然のこと、こちらのほうが弾きやすいぐらいであった。
そして、音色に関しても同様である。
確かにボルトオンネックの歯切れのいい音色も魅力的であったが、めぐるの耳に馴染んでいるのはリッケンバッカーの音色だ。言葉で説明するのは難しいところであるが、歯切れのよさの代わりに生まれる感覚――どこか粘っこく響く音色が、めぐるにとっては心地好く思えてならなかった。
「あと、フユさんが貸してくださったG&Lもピックアップはアクティブサーキットなので、アンプに繋ぐといっそう違いがわかるというお話でしたけど……家の外に持ち出すのは怖いので、それは確かめる機会もなさそうです」
「うんうん! でもやっぱ、普段と違う楽器ってワクワクするよねー! ウチも合宿でアキちゃんのレスポールを弾かせてもらったとき、すっげー楽しかったもん!」
「はい。わたしも合宿でフユさんのベースを弾かせてもらいましたけれど、あのときは五弦ベースやフレットレスベースに気が向いていたので……基本の弾き心地の違いまでは頭が回りませんでした」
そうしてめぐるたちがいつまでも語らっていると、和緒が栗原理乃に呼びかけた。
「弦楽器部隊は、怒涛の盛り上がりを見せてるみたいだね。あたしたちも、なんとかピアノとドラムで共通の話題でも探してみようか」
「ピ、ピアノとドラムの共通項ですか? 私はドラムについて無知ですので、大した話は思いつきませんけれど……叩いて音を鳴らすという構造については、いくぶん似通った面があるかもしれませんね」
「ああ。ピアノってのは鍵盤を叩くと、内側のハンマーが弦を叩いて音を鳴らすんだっけ。……ってことは、栗原さんも弦楽器部隊の回し者ってことだね。こいつは味方に背中から撃たれた気分だよ」
「え? え? そ、そんなつもりではなかったのですけれど……」
「ちょっとちょっとー! めぐるにほっとかれて寂しいのはわかるけど、理乃に八つ当たりしないでよねー!」
「ふふん。あたしはヒマ潰しのためだったら、どんな非道な行いにも手を染めるつもりだよ」
そうして一行が楽しく語らっていると、やがて町田家に到着した。
玄関からは、毎度お馴染みの妹たちが「いらっしゃーい!」と出迎えてくれる。
「今日もママがごちそうを準備してくれたからねー! さー、みんなあがってあがってー!」
「つい一週間前にもお邪魔したばかりなのに、申し訳ない限りだね。あなたたちも嫌気がさしたら、きちんとこのおっかない姉君様に不服を申したてるんだよ?」
「あはは! エレンたちも、和緒ちゃんたちに会えてうれしいよー! もっともっと、いっぱいあそびにきてほしいなー!」
下の妹たる町田エレンは心から楽しげに笑いつつ、上の妹の町田ローサを振り返った。
「ローちゃんも、みんながくるときは早めにおけいこを終わらせるもんねー! ふだんの金曜日は、八時とか九時ぐらいまでがんばってるんだよー!」
「ありゃ、それは知らなかったよ。大事な稽古の時間を犠牲にさせちゃって、申し訳なかったね」
「い、いえ。自分の好きでやっていることですので」
町田ローサは小麦色の頬を赤らめながら、めぐるたちを客間に案内してくれた。
ルームウェアに着替えたならば、また六名だけでディナーだ。金曜日である本日は、ご両親も道場で稽古をつけているさなかであった。
「にしても、ウチらもアキちゃん家のディナーに参加したかったなー! ハルちゃんだって、すっごく羨ましそうだったし!」
「スマホのメッセージは、あたしも拝見してるよ。ま、プレーリードッグの煩悩が招いた結果だね」
「ちぇーっ! ウチもアキちゃんのじーちゃんと、もっと仲良くしたいなー! ウチがギターを預けるときは、いっぱいおしゃべりしてもらおーっと!」
町田アンナは田口穂実なる先輩ギタリストの助言に従って、定期的にギターをメンテナンスに出しているという話であった。ただ次回からは、『リペアショップ・ベンジー』に依頼する心づもりであるのだ。そして彼女は毎回、試験期間中にギターを手放しているとのことであった。
「でも、一日半でギターを戻してくれるなんて、めっちゃありがたいねー! ウチがお願いしてた楽器屋なんて、いっつも一週間がかりだったもん! いくら試験期間でも、一週間もギターにさわれないのはジゴクだよー!」
「ふふん。こちらのプレーリードッグ様は、ひと晩でも地獄の苦しみらしいけどね」
「あはは! めぐるは、めぐるだからねー! やっぱウチ、めぐるのことはソンケーしちゃうなー!」
「い、いえ。わたしは、ただのワガママですので……」
ディナーの間も、賑やかさに変わりはない。話題によってはめぐるも身をすくめてしまうものの、しかし楽しい時間であることに変わりはなかった。
そうして後片付けまで終えたならば、いよいよ本日の本題である。『KAMERIA』のメンバーは、宣材の画像というものを撮影するために集結したのだった。
「ところで、センザイってなんなの?」
本日のカメラマン役をおまかせされた町田エレンが、明るい栗色の髪を揺らしながら小首を傾げる。オレンジ色の髪をした長女は、堂々と胸を張りながらそれに答えた。
「宣材ってのは、宣伝材料のことだねー! ウチらはブイハチの周年イベントに出場するから、それを宣伝するポスターとかフライヤーとかで使う画像が必要なわけだよー!」
「えーっ! 『KAMERIA』がポスターになるのー? エレンもほしー!」
「ポスターは難しいかもだけど、フライヤーならもらえるはずだよー! ほらほら、去年のやつなんかも、こんなに立派なんだから!」
と、町田アンナはスマホを差し出した。そちらに表示されているのは、以前に『V8チェンソー』の面々から送られてきたサンプル画像だ。めぐるもその内容は、しっかり確認させてもらっていた。
ポスターには、『V8チェンソー』を含めて五つのバンドの画像が掲載されている。いずれも見知らぬバンドであり、男女の比率もまちまちだ。この中で次回のイベントにも出場するのは、『リトル・ミス・プリッシー』という女性だけで構成されたバンドのみであるという話であった。
「へー! かっこいー! 『KAMERIA』も、かっこいー画像にしあげないとねー!」
「もちろん、そのつもりだよー! じゃ、まずはリィ様の準備だねー!」
ということで、栗原理乃のヘアメイクが開始された。
長いロングの黒髪が、町田エレンの小さな手によって三つ編みに仕上げられていく。その間に、他のメンバーは着替えておくことにした。
リィ様のウィッグやフリルの目隠しと同様に、『KAMERIA』のバンドTシャツも町田家に保管されている。どうせライブ前日には宿泊するのだからと、そのように取り決められたのだ。六日ぶりにそのTシャツを手にしためぐるは、じんわりとした喜びを噛みしめることになった。
そうしてTシャツを着込んだならば、学生鞄から膝丈のキュロットスカートを引っ張り出す。こちらは夏のステージで着用していた衣服であるが、町田アンナの要請に従って持参することになったのだ。そして町田アンナも、オリーブグリーンのハーフパンツを着用していた。和緒は季節に関わりなく、シックなチノパンツだ。
「あ、そーだ! ウチのニューギア、まだみんなには見せてなかったよねー!」
町田アンナが「じゃじゃーん!」と取り出したのは、ストライプ柄の細長いベルトのような品であった。
「ただのベルト――いや、サスペンダーか」
「そーそー! ウチはギターに傷をつけないように、ベルトのバックルを斜めにずらしてたんだけどさー! めんどいから、今後はこいつを使うことにしたの!」
めぐるは普段からベルトが必要なボトムを着用していなかったので、そんな苦労とは無縁であった。確かに楽器を守るには、必要な措置であるのだろう。そして、あまり町なかでも見かけることのないサスペンダーというアイテムは、町田アンナによく似合っているようであった。
「よしよし! お次は、紙袋の準備だねー! 今回は撮影用ってことで、耳の穴は空けないことにしよっか!」
「うん! そっちのほうが、見ばえはいいと思うよー!」
栗原理乃の髪を器用に編み込みながら、町田エレンがそのように答えた。そもそも紙袋の覆面の発案者は、彼女であったのだ。そして、なんだかアシスタント役のようなポジションにおさまった町田ローサが、「どうぞ」と茶色の紙袋を配布してくれた。
紙袋を頭にかぶったならば、町田ローサに形を整えてもらってから、自分の手で目の位置に丸くしるしをつける。それをカッターで切り抜いてくれるのも、町田ローサの役割だ。これまで使用してきた紙袋も、すべて手先の器用な町田家の三姉妹が仕上げてくれたのだった。
そして町田アンナのみ、口の部分にも半月形の穴があけられる。そこはライブの際と同じ仕様にするようである。その頃には、栗原理乃のロングヘアーもアップにまとめられていた。
「よく考えたら、ライブじゃないんだからアップにするだけでよかったのかもねー! ま、べつにいっか!」
「うん。いつもありがとうね、エレンちゃん」
栗原理乃ははにかむような笑顔でお礼を言ってから、純白のワンピースとバンドTシャツに着替えた。そうしてアイスブルーのウィッグと黒いフリルの目隠しを装着すれば、変身も完了だ。とたんにすべての表情がかき消えるのは、毎度のことながら見事なものであった。
「よーし! それじゃー、撮影開始だねー! まずはどんなポーズでいくー?」
「さいしょは、そのままならんでみてよ! 楽器のあるバージョンとないバージョンを、りょーほーためしてみたいから!」
きっと町田アンナと町田エレンは毎回このようにはしゃぎながら、リィ様の扮装や紙袋の覆面などを考案していったのだろう。こういう話に何のアイディアも思いつかないめぐるとしては、心強い限りであった。
そうしてまずは、楽器を持たない四人が白い壁を背にして棒立ちで並んだ姿が撮影されたわけであるが――姉のスマホでその撮影を終えるなり、町田エレンは「うーん!」と悩ましげな声をあげた。
「あのさー! 写真だと、穴から見える目とか口とかがかっこよくないかも! 穴をあけるんじゃなくって、黒くぬったほうがいいんじゃないかなー!」
「えー? そんな話は、穴をあける前に言ってほしかったなー!」
「とにかく、ためしてみよーよ! 黒くぬったやつも、あとで穴をあけちゃえばライブで使えるしさ!」
ということで、さっそく新たな覆面が仕上げられることになった。
これでは視界もきかないため、所定の位置に立ち並んでから覆面をかぶる。さらに、町田エレンの指示によって立ち位置や体の向きを微調整されて、ようやく二枚目の画像が撮影された。
「うん! やっぱこっちのほうが、かっこいーよ! 次は、楽器をもってるバージョンねー!」
そうしてめぐるたちは町田エレンの言葉の通りに、さまざまなポーズを取らされることになった。
数十分がかりで数十枚もの画像を撮影されて、ようやくひとまず作業は完了する。そしてその後は、ノートパソコンにスマホを接続して、大きな画面でその成果を確認することになった。
「ふんふん! やっぱ、楽器を持ってるほうが断然いーね! 棒立ちのも悪くないけど、こうやって密集してるのも悪くないかなー!
「うん! エレンはこの横向きのやつがいいと思うなー! ただ、和緒ちゃんのポーズがわかりにくいかも!」
「あー、スティックでカメラを指すと、よくわかんないねー! じゃ、リィ様の肩から腕を垂らすとかは?」
「リィ様は主役だから、なにもかぶせないほうがいいかなー! それなら、めぐるちゃんのほうがいいんじゃない?」
「めぐるとひっつくほうが、和緒も嬉しいかー! リズム隊でカラむってのも、不自然じゃないしねー!」
「なんでもいいけど、あたしの心中を捏造しないでほしいもんだね」
そんな意見交換を経て、新たな一枚が撮影された。
横向きというのはスマホの向きのことで、被写体は正面を向いている。中央の最前列に栗原理乃が立ち、向かって左側が町田アンナ、右側がめぐる、右ななめ上から顔を出しているのが和緒という構図だ。
町田アンナはギターを垂直に立てて、めぐるは水平に構えている。そして、和緒はスティックを握った左腕をめぐるの首にからめつつ、誰かを挑発するように首を傾けていた。
栗原理乃は目隠しをしているし、他のメンバーは紙袋をかぶっているため、なんとも無機質な様相である。
ただ――それでも町田アンナは陽気であり、めぐるはおどおどとしており、和緒は人を食ったような雰囲気をかもしだしているように見えてしまうのが不思議なところであった。
「うん! いいねいいね! これで、ばっちりっしょ!」
「エレンも、いいと思うよー! ローちゃんは、どう思う?」
「あはは。あたしよりも、メンバーのみんなに聞いてみないと」
町田ローサはそのように言ってくれたが、町田アンナの他にこだわりを持つメンバーは存在しなかった。
ただそれは、いかにも『KAMERIA』らしい画像であり――めぐるは、もじもじと身を揺することになってしまった。
「あの……もしご迷惑じゃなかったら、こちらもプリントしてもらえませんか?」
「あはは! それはべつにかまわないけどさー! いつかはちゃんとしたフライヤーに仕上げてもらえるんだよー?」
「は、はい。だけど、その……四人だけで写っている写真としても、手もとに置いておきたいので……」
めぐるがそのように言いつのると、町田アンナは「もー!」と身をよじった。
「めぐるって、ときどき愛くるしさをサクレツさせるよねー! 和緒、ウチの代わりにめぐるをハグしてくれるー?」
「了解」と言い捨てるなり、和緒はいきなり背後からめぐるの身を抱きすくめてきた。
あまりに予想外の事態に、めぐるは心から慌てふためいてしまう。
「ど、どうしたの、かずちゃん? べたべたくっつくのは、嫌いなんでしょ?」
「うん。でも、嫌がらせのためならどんな困難も辞さないのが、あたしっていう人間だからね」
まったく感情の読み取れない声音で言いながら、和緒はいっそう強い力でめぐるの小さな体を抱きしめてきた。
そうしてめぐるは、かつてなかったほどの勢いで和緒の温もりを味わわされ――その日の本題は、無事に完了を迎えることに相成ったのだった。




