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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 4-

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04 浅川家の食卓

「なるほどぉ。だからフユとじーさまは、二人で仲良く溜息をついてたわけかぁ」


 チキンカレーと生野菜サラダのディナーを口に運びながら、浅川亜季は楽しげな笑顔でそのように言いたてた。


「まったくめぐるっちは、罪なお人だねぇ。なおかつ、こんな頑固者を二人まとめて手玉に取るなんて、なかなかの手腕だなぁ」


「け、決してそんなつもりではなかったのですけれど……」


 制服姿で席についためぐるは、ひたすら小さくなるばかりである。平気な顔で食事を進めているのは和緒と浅川亜季ばかりで、フユと店主はそろって果てしなき仏頂面であった。


 こちらは『リペアショップ・ベンジー』の二階に存在する、居住スペースの一室である。畳の敷かれた和室の居間で、町田家と同じような様相であるものの、普段は二人暮らしであるために座卓のサイズはささやかなものだ。そんな場所でフユたちと一緒にディナーをいただくというのは、きわめて非日常的な光景であった。


「それにしても、たったひと晩ベースの練習をできなくなるかもしれないっていうだけで、そこまでどっぷり落ち込んじゃうなんてねぇ。めぐるっちの飽くなき熱情には、心から感心させられちゃうなぁ」


「ど、どうもすみません……」


「感心してるんだから、謝る必要はないよぉ。それで頭を悩ませるのは、じーさまとフユの役割だしねぇ」


 浅川亜季はにまにまと笑いながら、フユのほうを振り返った。


「ていうか、どうしてフユまで悩む必要があるのさぁ? じーさまが代わりのベースを貸し出すって言ったんなら、そこで話はおしまいでしょ?」


「……やかましいよ」


「まったく、フユも情が深いなぁ。そんなにめぐるっちのお役に立ちたいんなら、今の内に代わりのベースを貸してあげたらぁ?」


「だから、やかましいって言ってるんだよ!」


 フユは真っ赤な顔でがなり声をあげてから、慌てて店主に頭を下げた。


「しょ、食事の場で騒がしくしちゃって、すみません。こいつの言い草が、あまりに腹立たしかったもんで……」


「……俺も腹立たしく思っていたから、お前さんが頭を下げる必要はない」


「もう。二人がそろうと、いつもコレだもんなぁ。そんなに気が合うなら、いっそ結婚でもしちゃえばぁ?」


「あんたねー!」と、フユは再び真っ赤になりながら身を乗り出して、浅川亜季の頭を引っぱたこうとした。浅川亜季はチェシャ猫のように笑いながら逃げ惑い、店主はまた溜息をつく。


「ああ、愉快愉快。……和緒っちも、なんだかご満悦の面持ちだねぇ」


「ええ。今日の本懐はプレーリードッグの悲嘆に暮れた姿を拝見することだったんで、初志貫徹できました。おまけに食費まで浮かせることができて、もう胸も胃袋もいっぱいです」


「……あんたたち、本っ当にいい性格してるよね」


 フユはわなわなと肩を震わせながら、浅川亜季と和緒の姿を順番ににらみつけた。

 そんな中、店主はじろりとめぐるのことをにらみつけてくる。


「それで? お前さんは、納得いったのか? それともやはり、リッケン以外のベースは弾く気にもなれんという考えか?」


「あ、いえ……決してそういうわけではないのですけれど……でも、売り物のベースをお借りするなんて、あまりに申し訳ないので……」


「それでは、堂々巡りではないか」


 店主がやけくそのようにカレーライスを頬張ると、浅川亜季はのほほんとした面持ちでそちらに向きなおった。


「そもそもナットやフレットに不備がなかったら、一日で終わる仕事なんでしょ? じーさまは万全のコンディションで売りに出したんだから、たかだか数ヶ月ていどでナットやフレットにまで不備が出ることはないんじゃない?」


「……こいつは毎日、尋常でない練習時間だという話なのだろうが? ナットはともかく、フレットに不備がないとは言いきれん。もともとあのベースは、フレットも減り気味であったしな」


「なるほどぉ。で、トラスロッドの調節を先に済ませないと、フレットのすりあわせが必要かどうかも判断できないってわけかぁ。それならやっぱり、フユが今の内にベースを貸してあげちゃえばぁ?」


 フユはまぶたを半分下げながら、浅川亜季の笑顔をにらみつけた。その笑顔の下にどのような思惑を隠しているのかと疑っている様子だ。すると、浅川亜季は年老いた猫のような顔で笑いながら、ひらひらと手を振った。


「もうフユたちをからかう時間は終了したから、そんな警戒しなくても大丈夫だよぉ」


「……やっぱりあんたは、私たちをからかってたわけだね」


「フユもじーさまも、からかい甲斐があるからねぇ。あたしも胸が満たされたから、お次はめぐるっちのお世話を焼く時間帯だよぉ」


 そんな言葉を聞かされると、めぐるはますます恐縮してしまう。

 すると、そんなめぐるをなだめたいかのように、浅川亜季がやわらかい笑顔を向けてきた。


「めぐるっちも、夏の合宿でフユのベースをちょろっとさわってたでしょ? フユのベースの弾き心地は如何だったかなぁ?」


「あ、いえ、その……や、やっぱりわたしのベースとは、ずいぶん弾き心地が違うように思いましたけど……」


「うんうん。初めてめぐるっちとおしゃべりしたときにも言ったと思うけど、リッケンベースってけっこうクセがあるからねぇ。ネックの握り心地なんかも、けっこう独特だろうからさぁ。いざというときに備えて、他のベースの弾き心地に慣れておいてもいいんじゃないかなぁ?」


「い、いざというときと仰いますと……?」


「そりゃあやっぱり、リッケンベースが故障したときかなぁ。取り寄せの必要なパーツが壊れたりしたら、それこそ修理に数週間かかることもありえるわけだからねぇ」


 そんな風に言ってから、浅川亜季は少しだけ眉を下げた。


「こんなたとえ話でそんなつらそうなお顔をされたら、あたしも胸が痛くなっちゃうなぁ。でも、めぐるっちがどれだけ大切に扱っても、不慮の事故ってのはありえるわけだからねぇ。そういう事態も想定しておいて、損はないと思うよぉ?」


「は、はい……どうもすみません……」


「たとえば、ライブ中にいきなり電子パーツがイカれて、音が出なくなっちゃったとしようかぁ。それでめぐるっちがあわあわしてたら、対バンの連中やらライブハウスのスタッフやらが別のベースを貸してくれたりすると思うんだよねぇ。でも、リッケンベースってそんなほいほい転がってないからさぁ。あるていどは、色んなベースを同じように弾きこなせたほうが、のちのちのためになると思うんだよねぇ」


 そのように告げたのち、浅川亜季はいっそうふにゃんと表情をやわらげた。


「あと単純に、他のベースを弾きまくってみると、リッケンの特性ってやつを理解できると思うよぉ。大切な愛機をより深く理解するためにも、いい経験になるんじゃないかなぁ」


「そう……なんでしょうか?」


「うん。あたしのメインはレスポールだけど、最初のギターはストラトタイプだったからさぁ。あたしはストラトタイプのギターをさんざん弾きたおした上で、レスポールの音や弾き心地に惚れ込んだってわけだよぉ。めぐるっちも他のベースを弾きたおしたら、リッケンに対する理解と一緒に愛情も深まるんじゃないかなぁ?」


 そのような真似に及ばずとも、めぐるはリッケンバッカーのベースに深い愛情を抱いているつもりでいる。

 ただ、浅川亜季の言葉は、いい意味でめぐるの心を動かしてくれた。


「で、でも……フユさんのベースをお借りしてしまうというのは、あまりに心苦しいのですけれど……エフェクターだって、もう何ヶ月もお借りしたままですし……」


 浅川亜季は「ふむふむ」と下顎を撫でさすってから、またやわらかく微笑んだ。


「めぐるっちって、アンナっちや理乃っちに『SanZenon』のCDを貸してあげたんでしょ? そのとき、どんな気分だったかなぁ?」


「ど、どんな気分と仰いますと……?」


「大事なCDを壊されたら嫌だなあって気持ちだったぁ? それとも、大好きな『SanZenon』のことをみんなに知ってもらえるのは嬉しいなあって気持ちだったぁ?」


 めぐるはその当時から彼女たちにそれなり以上の信頼を抱いていたので、CDを壊される不安などはひとつも抱いていなかった。

 そして――彼女たちは『SanZenon』にどのような感想を抱くのだろうと、不安とも期待ともつかぬ気持ちを抱え込むことになったのだった。


「え、ええと……あんまりはっきりとは言えないんですけど……どちらかといえば、嬉しいような気持ちだったと思います」


「だったら、フユも同じような気持ちなんじゃないかなぁ。そうじゃなきゃ、自分からベースやエフェクターを貸そうなんて思わないだろうからねぇ」


 めぐるは存分にまごつきながら、フユのほうを振り返ることになった。

 しかしフユはそっぽを向いたまま、ぱくぱくとチキンカレーを食している。その横顔はまったくの無表情であったが、シャープな線を描く頬がいくぶん赤らんでいた。


「それにフユは五本も六本もベースを持ってるから、一本ぐらい貸したってどうってことないわけさぁ。……ちなみに今日まで預けてたのは、どのベースなのかなぁ?」


「……サブのスペクター。ヘフナー。G&L」


「ほうほう。こりゃまた見事に、合宿には持ち込まなかったベースばっかりだねぇ。でも、スペクターはワーウィックと同じような弾き心地だし、ヘフナーはリッケンよりクセが強いだろうから……やっぱりここは、G&Lかなぁ?」


「…………」


「うんうん。フユも快く貸してくれるってよぉ。めぐるっちは、どうしたい?」


 めぐるはさんざん迷った末、フユに向かって深く頭を垂れることになった。


「フ、フユさん。絶対に傷をつけたりはしませんから……少しだけ、フユさんのベースを貸してくださいませんか?」


「……私は最初からそう言ってるのに、嫌がってたのはあんたのほうでしょうよ」


 フユはそっぽを向いたまま、横目でめぐるをにらみつけてきた。


「あんたは来週の日曜日に、ベースをメンテしていただきな。そのメンテが完了したら、G&Lを返してもらう。一週間以上もあれば、試し弾きには十分でしょうよ」


「は、はい。どうもありがとうございます」


「ふん! 店先でさっさと納得してれば、こんな面倒な話にはならなかったんだよ! ……どうも、ごちそうさまでした。ちょっとお手洗いをお借りします」


 そんな言葉を残して、フユは部屋を出ていってしまった。

 すると今度は、店主がめぐるをにらみつけてきた。


「おい。お前さんが一週間以上も弾きたおしたら、新品の弦でも死に果てるだろう。ベースを返すときには、新品の弦も添えておけ」


「は、はい! そ、それじゃあフユさんがお使いになっている弦を、あとで買わせてください!」


「メインのワーウィックとヘフナー以外は、お前さんが使っているのと同じブランドだ。ただし、今日ではなく別の日に買いに来い」


 フユの目の前で弦を買おうとしたならば、余計な気を使うなとたしなめられるためだろう。いかにめぐるが鈍い人間であっても、それぐらいは察することができた。


 そうしてめぐるは、フユからG&Lという立派なベースを借り受けることになり――また一段階、リッケンバッカーのベースに対する理解と愛情を深めることがかなったのだった。

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