03 メンテナンス
そうして『KAMERIA』は、またいくつかの課題に取り組むことになった。
新曲の考案に、ライブの流れを想定した練習、およびSNSアカウントの立ち上げである。そしてさらに、『ジェイズランド』の年越しイベントにも参加することが決定されたのだった。
「その日の持ち時間は十五分だけど、やっぱ流れはジューヨーだからね! 二月のイベントの予行練習と思って、しっかり流れを作っていこー!」
そんな町田アンナの提言のもと、年越しイベントに関してもステージの流れを意識した練習というものが実施されることになった。
「紙袋を外すタイミングも、きっちり決めておかないとね! あと、外した紙袋はどう処理するか! それもバラバラだと、カッコつかないしさ! いっそ、丸めた紙袋を客席に投げちゃうとか?」
「そんなゴミを会場に撒き散らしたら、店側にお叱りをいただくんじゃないのかね」
「そんな大げさな話じゃないっしょ! 昭和の覆面レスラーみたいで、面白いじゃん!」
「プロレスについては存じあげないけど、あんまり気が進まないかな」
「なんでー? ちょっとカッコつけすぎかなー?」
「その行為がカッコつけに該当するかどうかは知らないけど、客席に女子高生の汗フェチなんかが存在しないとも限らないわけだしね」
「……うえー。おかしなもんを想像させないでよ!」
そんな具合に、ミーティングの際には常にない姿をさらしていた和緒も、翌日にはすっかり復調していた。
部室における練習の楽しさにも、変わりはない。新曲を手掛けるのはもちろん、ライブを想定した練習というものも、めぐるの負担にはならなかった。楽曲をつなげて、正しいタイミングで演奏を開始するというのも、めぐるにとっては通常の練習と同じぐらい重要であるように思えたのだ。端的に言って、そのように楽曲を連動させると、一曲ずつを練習する際よりもさらに大きな悦楽が得られたのだった。
「あとは、宣材写真の撮影かー! じゃ、明日はちょうど金曜日だし、またお泊まり会をしよーよ! エレンたちも、みんなに会いたがってるからさ!」
と、SNSアカウントの立ち上げという一件に関しても、めぐるにとっては嬉しい余禄が発生した。メンバー全員のお泊まり会というだけで、めぐるは胸が高鳴ってしまうのだ。そうして翌日の土曜日にはまたみんなで一緒に朝から部室に迎えるのかと思うと、めぐるは心が浮き立ってならなかった。
しかし、めぐるには個人的にもう一件、クリアーしておかなければならない課題が存在した。
「あのね、今日は浅川さんのお店に寄ろうと思うんだけど……かずちゃんは、どうかな?」
放課後の練習を終えて京成の駅を目指しながら、めぐるはそのように呼びかけることになった。颯爽とした足取りで歩道を歩いていた和緒は、うろんげにめぐるを見下ろしてくる。
「つい先週、弦を買うのに行ったばかりだよね。今日はどういう用事なの?」
「ちょっと、ベースのメンテナンスについて相談させてもらおうかと思って……ほら、フユさんも夏と冬の変わり目にはベースをメンテナンスしてるって言ってたでしょ?」
「ああ。気づけばすっかり、冬らしくなってきたもんね」
そのように語る和緒もめぐるも、学校指定のスクールコートを纏った姿である。なおかつ、和緒はバスドラのペダルを部室で保管するようになったため、大荷物のめぐるの分まで学生鞄を運んでくれていた。
「でも、相談ってのは? メンテナンスするべきかどうか、相談しようってこと?」
「ううん。メンテナンスはしなくちゃいけないんだろうけど……どれぐらい時間がかかるものなのかと思って……」
「ああ。それが数日がかりの話だったら、その間は練習できないわけだもんね。あんたにとっては、死活問題なわけだ」
「う、うん……日曜日のバイト前とかに預けて、帰りにできあがってれば理想的なんだけど……そんなに上手くいくのかなって思って……」
「だからそんなに、思い詰めた顔をしてるわけだ」
そう言って、和緒はシニカルに口の端を上げた。
「同行したら、あんたが悲嘆に暮れる顔を拝めるかもしれないね。よしよし、そういうことなら同行してあげよう」
「……かずちゃんが楽しそうで、わたしも嬉しいよ」
めぐるは溜息を噛み殺しながら、残りの帰路を踏み越えることになった。
だが――『リペアショップ・ベンジー』に到着すると、そこには思わぬ人物が待ち受けていた。すらりとした体にエスニックなデザインのアウターを纏い、スパイラルヘアーを首の横でひとつに結んだ、長身の女性――後ろ姿でも決して見間違えることのない、フユである。
「あ、あれ? フユさん? こんなところで、何をやってるんですか?」
カウンターをはさんで店主と向かい合っていたフユは、ぎょっとした様子でめぐるたちを振り返ってきた。
「わ、私はメンテをお願いしていたベースを引き取りに来たんだよ。あんたたちこそ、何をしてるのさ?」
「あ、わたしは、その……ベースのメンテナンスについて、店主さんにご相談をさせてもらおうかと思って……」
めぐるもフユもこちらの店のお世話になっているのだから、こうして遭遇してもそれほど不思議なことはない。しかし実際に遭遇してみると、驚かないわけにはいかなかった。よくよく見知った場所で、よくよく見知った相手と出くわすというのが、めぐるにとってはきわめて非日常的なことであるように思えてならなかったのだ。
「……ようやくひと仕事終わったと思ったら、また同じ仕事の依頼か」
と、いつでも不機嫌そうな仏頂面をした店主が、嘆息をこぼす。めぐるは弦を買うために月に一度は来店しており、ちょうど半々ぐらいの確率で店主と顔をあわせていた。ただ今回はイレギュラーな来訪であったため、一週間ぶりの早い再会である。
「まあ、お前さんがそいつを買ってから、それなりに時間が過ぎているからな。メンテをするには、ちょうどいい頃合いだろうさ。いま預かり書を書いてやるから、ちょっと待っていろ」
「あ、いえ、その前に、色々とお話をうかがっておきたいのですけれど……」
店主が眉をひそめると、フユも同じ顔つきになってしまった。
「あんたは何をまごまごしてるのさ? あんまり妙ちくりんなことを言い出して、剛三さんを困らせるんじゃないよ?」
「あ、はい……わたしがお聞きしたいのは、ベースをお預けする期間についてなのですけれど……ベ、ベースのメンテナンスというのは、どれぐらい時間のかかるものなんでしょうか?」
「そんなもんは、預かるベースの状態と仕事の立て込み具合でまちまちだ。まあ、今はそれほど面倒な仕事も持ち込まれてはおらんから……遅くとも、週明けには戻せるだろう」
「えっ! メンテナンスに、三日もかかってしまうんですか?」
めぐるが思わず立ちすくむと、店主ではなくフユが「あのねぇ」と詰め寄ってきた。
「あんたは春からメンテしてなかったんだから、多少なりともトラスロッドの調整が必要になるだろうさ。そうしたら、弦高やオクターブも調整することになる。あとは電子パーツのチェックやクリーニングなんかもしてくれるんだから、それだけでもそれなりの時間がかかるんだよ。普通のショップなら一週間や二週間はかかるんだから、三日ぐらいで文句を言うんじゃないよ」
「で、でも……三日も練習できないと、自分が困るだけじゃなくてバンドのみんなにも迷惑がかかっちゃいますし……」
「……ナットやフレットに問題がなければ、一日で戻せる。ただし、先に受けた仕事を先延ばしにすることはできんからな。この夜に預かったら、そちらに戻せるのは早くても二日後の夜だ」
怖い顔をしたフユの背後から、店主がそのような言葉を飛ばしてきた。
「それでも納得がいかんというのなら、来週以降に予約を入れろ。お前さんは、どういう段取りを望んでおるのだ?」
「は、はい……日曜日の朝に預けて、夜に受け取ることができたら、理想的なのですけれど……」
「……来週の日曜日なら、空いている。ただし、ナットやフレットに問題があったら、そちらに戻せるのは次の日の午後以降だな」
たちまちめぐるが悲嘆に暮れると、フユがいっそう詰め寄ってきた。
「一日半で仕上げてくれるっていうのに、いったい何が不満だってのさ? いいかげんにしないと、私も本当に黙っちゃいないよ?」
「す、すみません……でも……仕上がるのが月曜日の午後だと、部室での練習が一時間ぐらい潰れちゃいますし……日曜日の夜も、自主練習をできなくなってしまうので……」
めぐるがそのように言いつのると、フユは理解しかねた様子で言葉を詰まらせた。
すると、黙って成り行きを見守っていた和緒が口を開く。
「僭越ながら、解説いたします。一時間うんぬんというのは、学校からこちらの店までを往復する移動時間のことですね。授業の後にベースを引き取るとなると、その移動時間の分は部室での練習ができなくなるということです」
そんな風に言ってから、和緒はめぐるに向きなおってきた。
「でもさ、来週の頭から二週間は試験期間で、部室の使用は禁止だよ。再来週の月曜日なら、その期間内だね」
「あ、そっか……それじゃあやっぱり、わたしがワガママを言ってるだけなんだね……それなのに、バンドの活動を言い訳にしちゃって、ごめんなさい」
めぐるが悄然と頭を下げると、フユは声を荒らげるべきかどうか迷うように身を揺すってから、やがて低い声音で問い質してきた。
「ワガママってのは、なんの話さ? 自主練習がどうこうって話のこと?」
「はい。こちらのプレーリードッグが毎日午前の三時すぎまで孤独な自主練習に打ち込んでることは、フユさんもご存じじゃありませんでしたっけ?」
「だからって、一日ぐらいは――」
「このプレーリードッグが自主練習を行わないのは病気で寝込んだ日と町田さんの家に宿泊する日ぐらいで、試験期間も関係ないみたいです。自宅でひと晩練習できないことを想像しただけで、絶望の極みなのだろうと推測されますですね」
フユは、呆れ返った様子で溜息をついた。
そしてその背後では、店主も溜息をついている。
「……わかった。もしも月曜日までかかるようだったら、売り物のベースを貸してやる。リッケンでなければ弾く気になれんというのなら、俺の知ったことではない」
「ご、剛三さんがそんな世話を焼く必要はないですよ。それなら、私がサブのベースでも貸してやります」
「お前さんこそ、そんな手間をかける理由はなかろう。ナットやフレットに問題があったら、俺がお前さんに連絡を入れるのか? それでお前さんが、わざわざベースを運んでくるのか? そんな馬鹿げた話はあるまい」
そうして二人があらためて溜息をついていると、奥に通じるドアがスライドされた。
「あれあれぇ? めぐるっちと和緒っちじゃん。カレーの匂いに引き寄せられちゃったのかなぁ?」
それは店主と同居している、孫娘の浅川亜季であった。上下ともに黒地のジャージで、長袖を腕まくりしたラフな格好だ。
「確かに胃袋を刺激する香りが漂ってきましたね。浅川さんは、これからお食事ですか?」
「うん。フユが来るっていうから、ひさびさにディナーにお招きしてあげようと思ってさぁ。よかったら、和緒っちたちも如何かなぁ?」
「そうですね。あたしはともかく、みなさんはカロリーを補給して考えをまとめるべきかもしれません」
和緒が肩をすくめると、浅川亜季は年老いた猫のような笑顔で小首を傾げた。
そうしてめぐるは、思わぬ顔ぶれでディナーを囲む事態に至ってしまったわけであった。




