-Track3- 01 両立
中学三年生に進級したアンナは、バンド活動と受験勉強の両立を目指すことになった。
まず最初に打ち立てた方針は、「活動時間の半分を受験勉強に費やす」という内容になる。学校のある日であれば放課後の午後三時半から就寝する午前0時半までの九時間という計算になるので、その内の四時間半を問答無用で受験勉強に割り振るという意味である。残りの四時間半から食事や風呂や家事の時間を捻出し、それ以外をギターの練習やバンド活動にあてがう所存であった。
「で、試験のたんびに志望校の合格ラインと照らし合わせてさ! 目標に届いてなかったら、受験勉強の割合を増やすの! カンペキな作戦っしょ!」
「そ、そうだね。でも……受験当日までに合格ラインまで達しなかったら、どうするの?」
「そこはうまいこと、調整するさ! ホヅちゃんも、ギターは若い内に頑張ったほうが身につきやすいって言ってたしさ!」
そうして心配げな理乃に見守られながら、アンナはミッションを開始した。
まずは、新たなバンドのメンバー探しである。以前のバンドは成長が遅くて人間関係も今ひとつであったものの、やはりスタジオ練習というのはギターの上達に大きく関わっているようであるのだ。アンナはこの一年ていどでそれなり以上に成長できたと自負していたが、それはバンド活動あってのものと自認していた。
昨今は、インターネットのウェブサイトやアプリでバンドメンバーを探すことも難しくはない。というよりも、身近に音楽仲間のいないアンナには、それがほとんど唯一の手立てであった。
しかしまた、条件がばっちり合致することなどは、そうそうありえない。好きなバンドが一致していてもギターを募集していなかったり、ギターを募集していても好みの音楽や年齢などが掛け離れていたり――いまだ中学三年生でキャリアが一年という身であったら、なおさら狭き門になってしまうようであった。
それでもアンナは、ゴールデンウイークを迎える前に最初のバンドと巡りあうことができた。
メンバーはみんな高校一年生で、好みの音楽もほどほどに一致している。そして、欠けているのはリードギターのみであり、「キャリアは不問!」と銘打たれていた。アンナにとっては、まずまず理想的なバンドである。
ただ、アンナがメッセージを送った際の返答は、いささか渋かった。アンナの年齢と性別が引っかかってしまったようである。たった一歳の差であっても、やはり高校生と中学生では壁ができてしまうものであるのだろう。なおかつ、そちらのメンバーは全員男子であったのだ。
しかしとにかく、実際に会ってみようという話にはこぎつけることができた。それでアンナが電車で二十分をかけて、指定のファミレスまで出向いてみると――事前の渋い対応が嘘のように、「今度はスタジオに入ろう!」という話に落ち着いたのだった。
「そ、それってまた、アンナちゃんの可愛さに目がくらんじゃったんじゃないかなぁ? 相手がみんな高校生の男の人なんて……ちょっと、危なくない?」
「あんなひょろひょろの連中だったら、三人がかりでも返り討ちにできるさー! それより気になるのは、演奏の腕だねー!」
ゴールデンウイークの最終日にあたる祝日に、アンナはギグバッグを抱えて同じ道を辿ることになった。
こういう休日も、もちろん活動時間の半分は受験勉強に割り当てる。アンナの平均睡眠時間はおよそ七時間であったので、自由に使えるのは八・五時間だ。しかしその中から食事や風呂の時間をさっぴくと、それほどゆとりがあるわけではない。アンナにとって、一回のスタジオ練習というのは大きな対価を支払う貴重な体験に他ならなかった。
そうして、いざスタジオで合奏してみたところ――彼らはかつてのバンドのメンバーたちよりも、はるかに高い演奏力を有していた。
それでもまあ、しょせんは高校一年生であるのだが、アンナよりははっきりと高いレベルに達している。その事実が、アンナを昂揚させてやまなかった。
「アンナちゃんは、ちょっとハシり気味だよね。もっとドラムをしっかり聴いてごらん」
「あと、アンプの使い方を勉強したほうがいいね。マーシャルにはマーシャルの使い方っていうのがあるんだよ」
「この曲をやるんだったら、空間系のエフェクターも欲しいかな。まあ今すぐ買う必要はないから、ちょっと考えてみてよ」
そんな具合に、三名のメンバーたちは優しくアンナを指導してくれた。
自分よりもレベルの高い相手に指導されるというのは、何よりありがたい話であろう。以前のバンドは実力も横並びであったし、半年も経つ頃には個人練習の差でアンナがナンバーワンになってしまったのだ。こちらのバンドでは、物足りなさも三割ていどに減じ――その物足りなさも、おおよそは個人の好みにまつわる内容であった。彼らの演奏力は申し分なかったが、ヴォーカルの歌声や楽器の音作りがいささかアンナの好みから外れていたのだ。
それにアンナは新たなバンドに参加したことで、さまざまな新事実を発見することになった。
もっとも驚きであったのは、楽器のボリュームについてである。こちらのバンドは以前のバンドよりも、遥かに大きなボリュームで演奏をしていたのだ。それはつまり、音量の指標となるパート――電気の力で増幅することのできないドラムの音量に、それだけの差があるという事実を示していた。
(前のバンドは、ドラムのせいで音がちっちゃかったのかー。で、そんなちっちゃい音なのに、歌声はあんなに埋もれちゃってたんだなー)
ヴォーカルの歌というのはもちろんマイクを使っているが、ギターやベースほど自由に音量を上げられるわけではない。ミキサー卓というものでマイクの音量を上げすぎると、たちまちハウリングを起こしてしまうのだ。
(やっぱ、色んなバンドを体験しないとわかんないことってあるんだなー。それだけで、新しいバンドを探した甲斐があったってわけだ!)
アンナはそんな充足した心地で、新たなバンドの活動に取り組むことになった。
が、その時間はひと月ていどで終息することになった。メンバーのひとりの恋人が、バンドに女子メンバーを加入させることに断固反対と告げてきたためである。アンナとしては、きわめて不本意な結末であった。
そしてその期間に、アンナは最初の試験を終えており、その結果は理想に足りていなかった。それでアンナは、受験勉強の時間を増加させるしかなかった。平日は一時間増加して五時間半、休日は二時間増加して十・五時間だ。なかなかに窮屈なスケジュールになってしまったが、それでも毎日ギターを弾くことはできるので何とか耐え忍ぶしかなかった。
「アンナは本当に、それでいいのか? 稽古とギターの両立を目指すなら、受験勉強からは解放されるんだぞ? ママに言いにくいんだったら、パパから話してやろうか?」
時には父親からそのような言葉をかけられたので、アンナは「うっせー!」と一蹴することになった。
どんなに窮屈な生活でも、志望校にさえ合格すればその後にはギターざんまいの日々が待ちかまえているのだ。アンナはいよいよ奮起するばかりで、黙って見守ってくれている母親の度量がありがたい限りであった。
が、新たなバンドを発見できぬまま、時節はすぐさま七月に入ってしまう。新たな試験の到来である。そこでも望ましい結果を出すことのできなかったアンナはさらに受験勉強の時間を増やし、平日であれば一日に一時間、休日であれば三時間しかギターに触れられない状態になってしまった。
そうして夏休みに突入したならば、受験勉強に膨大なカロリーを注ぎつつ、バンド探しとギターの練習にも励む。
なおかつ母親の温情で、学習塾に通うことが許された。それでアンナは、飛躍的に学力を上げることができた。
「きっとアンナちゃんは、地頭がいいんだろうね。数学なんかは、私より理解が早いもん」
「んー。まあ確かに、暗記科目よりは得意なのかもねー。数学って、解き方さえ覚えればラクショーじゃん?」
「その解き方を覚えるのが、普通は大変なんだよ。なんていうか、アンナちゃんの感性がいい風に働いてるように思えるんだよね」
「あはは! ウチにとっては、現国のほうが厄介かも! 作者の心情を答えなさいとか言われても、そんなもん人それぞれとしか思えないもん!」
と、時には理乃を自宅に招待して、ともに勉強に励むこともあった。
理乃自身は、学習塾に通ったりもしていない。そこまで手間をかけるまでもなく、合格ラインをキープできているようであるのだ。
「たぶんピアノを続けていたら、もっとレベルの高い私立の学校を目指すように命令されてたと思うよ。音楽家には教養も必要だっていうのが、ママたちの口癖だったから」
「ひゃー! これ以上のレベルだったら、ウチは休みの日にしかギターにさわれなかっただろうなー! ……うーん。でも、理乃がピアノをやめたおかげでミッションの難易度が下がったっていうのは、ちょっとフクザツなシンキョーかも!」
「そう? 私は、嬉しいけど」
そんな風に理乃と交流を深めるのも、アンナにとっては憩いのひとときであった。
しかし、どれだけメンボのサイトをあさっても、なかなか新しいバンドは見つからない。それでアンナは、これまで以上に曲作りに時間を費やすようになっていた。やはりアンナは既存の曲をコピーするよりも、自分の曲で好きにギターをかき鳴らすほうが性に合っているようであるのだ。そうして自由にギターを弾いていると、頭の中には自然に歌のメロディもわいてきたのだった。
「でもさー! メロはできても、歌詞はさっぱりなんだよねー! よかったら、理乃が歌詞をつけてくれない?」
「え? な、なんで私が?」
「だって、理乃はすっげー量の本を読んでるじゃん! あれだけ本を読んでたら、言葉なんてぽんぽんわいてくるでしょ? 受験勉強の邪魔にならないていどでいいから、ヒマなときにでもよろしくねー!」
そうしてアンナがスマホで録音したオリジナル曲の音源を送りつけると、理乃は嬉しさと困惑の入り混じった顔で微笑んでいたものであった。
そうしてあっという間に八月も過ぎ去って、新たな学期の到来である。
本来であればいっそう受験勉強に本腰を入れるところなのであろうが、アンナは同じペースで持続させた。そして限られた時間内で、また望ましいバンドを発掘することがかなったのだった。
今回は四人編成で、ヴォーカルとギターが高校二年生の女子、ベースとドラムが大学一年生の男子、募集パートはサイドギターとなる。アンナとしてはリードギターを目指したいところであったが、この年齢層ではサイドギターが相応であった。
(いっちょ武者修行と思って、頑張ってみるか! もうスタジオ練習だって三ヶ月はゴブサタだもんねー!)
そちらのバンドでは事前の面談もなく、いきなりスタジオで音を合わせてみようという話になった。
練習場所は、また電車で二十分の千葉駅近郊のスタジオだ。指定された九月の第三日曜日、アンナは意気揚々とその場所を目指すことになった。
「わっ、すごい頭だね。あんた、ほんとに中坊なの?」
出会い頭に、女子メンバーの片方からそんな言葉をぶつけられることになった。
「うん! でも、これは地毛だよー! ママが、オランダ生まれだからさ!」
「へえ。天然で、こんな色になるんだねぇ。うちらん中で、一番派手じゃん」
そちらの女子メンバーはそのように言っていたが、彼女たちもそれなり以上に派手な身なりをしていた。もう片方の女子メンバーなどは、高校生とは思えないような明るい髪色である。そして、酒や煙草が似合いそうな、きわめて大人びた容姿をしていた。
アンナがこれまで出会ってきたバンドのメンバーたちに比べると、ずいぶん華やかな雰囲気である。なんとなく、本気でバンド活動に取り組んでいるという空気がひしひしと伝わってきた。
そして彼女たちは、その容姿や雰囲気に相応しい実力を持っていた。
とりわけ見事であるのは、リズム隊である。やはり大学生ともなると、またひとつレベルが違ってくるのだろう。音の迫力も正確性も、これまでのメンバーたちとは比較にならなかった。
(ただ……ちょっとベースがギャリギャリしてて、うるさいかな。ギターが二本もあったら音がぶつかっちゃいそうだけど、どうなんだろー)
アンナはそのように考えたが、それは杞憂に終わった。二本のギターが鳴らされると、ベースの高域の部分はそちらに隠されて、ほどよい重々しさだけが残されたのだ。それに、音が派手なわりに、フレーズはシンプルなようである。
「なかなかあんたも、悪くないね。さすがにまだまだ粗いけど、いい勢いを持ってると思うよ」
リードギターの女子メンバーは、アンナの演奏をそのように評してくれた。出会い頭に言葉をぶつけてきたのが、こちらの人物である。他のメンバーは、おおよそ寡黙であるようだった。
「ただ、今日は音合わせのためにコピーの課題曲をお願いしたけど、うちらはオリジナルがメインなんだよね。そのへんは、大丈夫?」
「うん! オリジナルをバンドで合わせるのは未経験だけど、前々からチャレンジしたかったんだよねー! もしもバンドに入れてくれるんなら、全力で頑張るよー!」
アンナはそのように答えたが、しかし付け加えるべき言葉も存在した。
「あ、ただ、ウチって高校受験を控えてるからさ。来年の春までは、あんまり時間を取れないんだけど……」
「なるほど。だけど、あんたの他にはロクなやつが来なかったからさ。あんたがダメなら、この四人で活動していくしかないんだよ。正式なメンバーに加えるかどうかは、あんたの卒業待ちってことでどうかな?」
「うーん? それじゃあ、卒業までの半年ぐらいはどうしたらいいのかなー?」
「その間は可能な範囲でスタジオに入ってもらえれば、それで十分だよ。モノになるようだったら、仮メンバーとしてライブに出てもらってもいいしね」
「うん! ライブに出してもらえたら、ウチも嬉しいなー!」
そうしてアンナは、三つ目のバンドに参加することができた。
しかもこちらのバンドは、すでにライブ活動を定期的に行っているのである。地獄の受験を控えながら、アンナの胸は高鳴ってやまなかったのだった。




