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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:A-

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04 合奏

 それから、五ヶ月ほどの時間が過ぎ去った。

 アンナはギターの練習を始めて、理乃はピアノのレッスンを取りやめて――それから五ヶ月ほどの時間が過ぎ去ったのである。


 ピアノをやめた理乃は、自由な生活を得た。両親を説得するのは数日がかりであったが、それでも理乃はピアノのレッスンから解放されることになったのだ。その願いが成就された日、理乃はいくぶんやつれながら、それでも晴れやかに微笑んでいた。


「きっとママたちは、しばらく口をきいてくれないだろうね。でも……私は何だか、やっと牢屋から出られた気分だよ」


 アンナは理乃の今後を心配していたが、しかしそれは杞憂に終わった。両親の説得に費やした気力と体力が回復すると、理乃はたちまち元気になったのだ。まあそれでも、弱気で内気ではかなげなところはまったく変わっていなかったのだが――少なくとも、くたびれた老犬のような目つきをすることはなくなった。それだけで、アンナはほっと胸を撫でおろすことがかなったのだった。


 それから理乃は、読書に没頭するようになった。ピアノをやめて空いた時間を、すべて読書につぎこんでいるようであるのだ。本人いわく、昔から読書に興味を持っていたのだということであった。


「パパの書斎に、大きな本棚があってね。まあその大半は、音楽に関係する専門書だったんだけど……端っこのほうに、世界の文学全集が並べられていたの。私は子供の頃から、その背表紙だけきらきら光ってるように見えてたんだよね」


 そんな風に語りながら、理乃は学校の図書室や市内の図書館で借りた本を読みあさった。それは何だか、無音の世界に対する憧れを思うさま満たしているように見えなくもなかった。


 そうして三ヶ月ほどが過ぎ、家庭のほうがいくぶん落ち着くと、理乃は頻繁にアンナの家を訪れるようになった。それまでにも何度か顔を出していたが、夏休みに入ったことで頻度が急上昇したのだ。それは自宅で家族と顔をあわせたくないという思いもあってのことなのかもしれなかったが――もちろんアンナを筆頭に、町田家の人間は大歓迎の構えである。そしてついには、アンナの家に宿泊する機会までやってきたのだった。


「ママたちには、すっかり愛想を尽かされちゃったみたい。それでもアンナちゃんのことを信用してるから、こういうことも許してくれるんだろうね」


 幼少時代に悪ガキどもを蹴散らしていた効能が、ここに来て発揮され始めたわけである。アンナとしては、数年を経て大きなご褒美をいただいたような心地であった。


「ただね、ピアノをやめた分は勉強を頑張りなさいって言われちゃって……まだ受験シーズンでもないのに、市内で一番の公立校を目指しなさいって命令されちゃったの」


「おーっ! つまりはウチも、そこを目指さなきゃいけないわけだー! ま、地獄の受験勉強は三年生になってから取りかかることにするよー!」


「うん。私も手伝うから……一緒に頑張ろうね」


 そんな風に語るときは、理乃も幼子のようにあどけなく微笑んでいた。それはどうやら、アンナと同じ高校に通えるという喜びから生じる表情であるようであった。


 そうしてアンナは理乃といっそうの親交を深めつつ、ひたすらギターの練習に明け暮れることになった。誰にとっても幸いなことに、アンナがギターに飽きることはなかった。それどころか、時間が過ぎるごとにギターを演奏する喜びが上昇していく心地であった。


 何度も血豆を潰す内に、左手の指先はどんどん固くなっていく。それはサンドバッグを殴ったり蹴ったりしている内に拳や脛の皮膚が固くなっていくのと同じことであった。それがまた、アンナにまたとない達成感を与えてくれた。


 学校から戻ったら真っ先にギターを弾き、練習に行き詰まったらネットをあさる。ネット上には有効な練習の方法がいくらでも転がっていたし、時にはお気に入りのバンドのライブ動画や音源をあさるのも大事な気分転換であった。

 そうして家にこもり続けるというのはアンナの性分でなかったが、理乃と遊ぶ機会も増えたし、幼い妹たちの面倒も見なくてはならないし、家事を手伝う機会も増えたしで、退屈するいとまはまったくなかった。


 そうして楽しい夏休みが終わり、新たな学期が始まって――アンナは、次の一歩を踏み出すことになった。

 校内で、バンドを組むことになったのである。


                  ◇


 きっかけは、隣のクラスにドラムをたしなんでいる人間がいると聞き及んだことであった。

 アンナの周囲には楽器の経験者など理乃ぐらいであったし、こちらの中学校には軽音学部も存在しなかったのだ。それで大きく好奇心をかきたてられたアンナは、その男子生徒のもとに突撃することに相成ったのだった。


「あんた、ドラムをやってんの? ウチも春ぐらいから、ギターを始めたんだよねー!」


 その男子生徒はアンナのいきなりの突撃にぎょっとした様子であったが、すぐに「へえ」と身を乗り出してきた。


「女子でギターを弾くやつなんて、いたんだな。よかったら、今度一緒にスタジオに入ってみない?」


「えーっ! いいのー? あんたはもうバンドを組んでるってことー?」


「ああ。ギタボとベースとキーボードの四人でやってたんだけど、ヴォーカルのやつはギターがイマイチでさ。できればリードギターが欲しかったんだよ」


「そっかそっかー! でも、ウチはまだまだ初心者だよー? リードギターなんてつとまるかなー?」


「春に始めたんなら、うちのヴォーカルよりはマシなんじゃないかな。あいつ、ほんとにヘタクソだからさ」


 自分のバンドのメンバーをヘタクソ呼ばわりする物言いに、アンナは眉をひそめかけたが――そこはかろうじて、自制することができた。アンナは今でも頻繁に穂実と連絡を取り合っており、あれこれアドバイスされていたのである。


『バンドって、人間関係がジューヨーだからさー。アンナ先生はあたしみたいな変人と気が合うような変わり者だから、くれぐれも短気を起こさないようにねー』


 穂実はかつて、そのようなメッセージを届けてくれたのだった。


(確かに今まで、ホヅちゃんみたいな人と出会ったことはないからなー。あんなに気の合う人間はそうそういないってことだよなー)


 それにアンナは道場で大人に囲まれて育ったせいか、同学年の人々が時おり子供っぽく思えてならないのである。アンナは自分も子供っぽさの塊であると自覚していたが、そういう人々とはいささかならず子供っぽさの質が違っているように思えてならなかった。


 ともあれ、バンド活動というのは得難い経験であろう。アンナもいいかげん単独の個人練習には限界を感じていたので、次なるステップを渇望していた時分であった。


 そうしてアンナは翌週の日曜日、さっそくスタジオ練習に参加させていただくことにした。

 場所は、コミュニティセンターの音楽練習室である。市内にそのような施設が存在することを、アンナは初めて知ることになった。


 そちらの練習室は定員十名ということで、それなりに広々としている。なんの装飾もない灰色の壁や床は味気ないばかりであったが、各種のアンプやドラムセットなどが設えられているだけで、アンナの胸は弾みまくった。


「へー! いいねいいね! こーゆー場所は初めてだから、テンションあがっちゃうなー!」


「機材なんかはへぼいけど、まあ格安だしな。練習って言ったら、たいていここだよ」


 アンナが最初に面識を得たドラムの男子生徒は、そんな風に説明しながらドラムセットの椅子に陣取った。

 ここまでの期間で他のメンバーとも顔あわせをしていたが、アンナがこれまで交流を持つ機会のなかった人間ばかりである。キーボードのみは女子であったが、そちらも出身小学校は異なっており、今年も昨年も別々のクラスであった。


「ギターアンプはいちおう二つあるけど、片方は余計にへぼいんだよな。……お前、本当にきちんと弾けんのか?」


 と、ギター&ヴォーカルの男子が仏頂面で問うてくる。アンナは浮き立った心地のまま、「どうだろねー」と答えてみせた。


「いちおー課題曲は練習してきたけど、人と合わせるのは初めてだからさ! ウチはそっちのちっちゃいアンプで十分だよー!」


「いやいや。立派なアンプはリードギターが使うべきだろ。ギター本体だって、町田さんのほうが立派なわけだしさ」


 ドラムの少年がすました顔でそのように言いたてると、ヴォーカルの少年は不満げな面持ちで小さなアンプのほうに近づいていった。


(うーん。ヴォーカルとドラムで折り合いが悪いのかなー。他のコたちも、知らん顔だし)


 アンナが検分したところ、ドラムは皮肉屋、ヴォーカルは不愛想、ベースは気取り屋、キーボードはのんびり屋という印象である。なかなかに、統一感のない顔ぶれであった。


 ともあれ、重要なのは演奏である。アンナは友達作りのためにバンド活動を求めているわけではないのだ。心底から腹立たしいと思うまでは、短慮を起こさずに輪を保とうと決意していた。


 そうしてアンナがギグバッグから自慢のテレキャスターを取り出すと、自分の準備を進めていたベースの少年が「へえ」と低く声をあげた。


「テレキャスに、そんなカラーリングもあったんだな。……それ、フェンダー?」


「うん。フェンダーの、プレイヤーシリーズってやつだよー」


 アンナがそのように答えると、ベースの少年は気取った面持ちで「悪くないね」とつぶやいた。「ははっ」と愛想笑いを返してから、アンナはいくぶんげんなりしてしまう。


(やべー。愛想笑いなんてしたの、何年ぶりだろー。ウチ、マジでやっていけんのかなー)


 それでもアンナは愛機たるテレキャスターにシールドを差し、きちんとチューナーを使ってチューニングをして、アンプの電源をオンにする。

 そうしてアンナがアンプの音を鳴らすなり、ヴォーカルの少年から「でけえよ」という非難の声が飛ばされてきた。


「ごめんごめん。家のアンプと違うメーカーだから、加減がわかんなくってさー」


 スタジオ練習におけるギターのボリュームは、ドラムに合わせるべし――穂実のそんな教えを思い出したアンナは、ひとまずドラムのセッティングを待つことにした。

 ドラムの少年はスネアの音を鳴らしつつ、ヘッドの張り具合を調整している。人生で二度目の体験となる生ドラムの音に、アンナはたちまち浮かれかけたが――ただ、こちらで耳にするドラムの音色は、あの夜のステージで聴いた音色とまるで別物であった。


(意外と、ちっちゃい音なんだな。確かにこれじゃあ、ギターのボリュームも抑えないと)


 やがてドラムの少年が8ビートを叩き始めたので、アンナはその音量に合わせてアンプのボリュームを調節することにした。

 その頃には、他の面々も各自の音を鳴らしている。しかし、二本のギターにベースとキーボードまで鳴らされると、たちまち個々の判別などつけられなくなってしまった。


(わー、弾きにくい! やっぱ生演奏って、大変なんだなー!)


 しかし、そんな風に思うと同時に、ふつふつと闘志がわきあがってきた。アンナは困難を前にしたほうが、燃える性分なのである。

 自分の音が聴こえないと演奏にならないため、ほんの少しだけボリュームを上げる。幸い文句はつけられなかったので、アンナはそのボリュームで挑むことにした。


(もうちょいボリュームを上げたほうが、好みの音を出せそうなんだけど……これ以上は、ドラムの音をかき消しちゃいそうだもんなー)


 アンナがそのように考えたところで、ヴォーカルの少年がマイクごしに『よし』という声を響かせた。


『じゃ、なんか合わせてみようぜ。どっちの曲からやる?』


 アンナはこの日のために、二曲の課題曲を練習していた。少し前に流行った、日本の人気バンドの曲である。ドラムの少年が視線を向けてきたので、アンナは「どっちでもいーよ」と答えてみせた。


 協議の末、テンポが遅めで合わせやすそうな曲から始めることになる。

 ドラムのカウントを合図にして、いざ合奏を開始すると――まったく相反する感情が、同時にアンナのもとに降りかかってきた。

 初めてバンドで合奏する楽しさと、演奏力の低さに対する物足りなさである。

 もちろん演奏力が低いのは、アンナも同様であったのだが――これはなかなかに、想像を絶した有り様であった。


 まずドラムは、極限までフレーズをシンプルにしていた。原曲は16ビートを強調したダンシブルな曲調であったのに、それが平坦な8ビートに改変されていたのだ。


 ヴォーカルのギターはバッキングが中心であるのに、頭の音がいつも消えてしまう。コードチェンジがまったく間に合っていないのだ。それが歌に気を取られているためなのか、もともとの技術不足であるのかは、まったく計り知れなかった。

 そして、歌のほうは――実のところ、よくわからない。演奏の音がそれほど大きいわけでもないのに、歌声は半分がた埋もれてしまって、遠くのほうでうっすら聴こえるていどであった。


 キーボードは、のんきにピロピロと音を鳴らしている。こちらは大きなミスもなく、ドラムのテンポともずれていないようであったが、ひとりだけ可愛らしい電子音であるためか音が完全に浮いてしまっていた。


 ベースだけは、文句のつけようもない。というか、アンナの耳にはベースの音がいっさい聴こえてこないのだ。それで余計に、演奏がスカスカに聴こえてしまっていた。


 アンナはもう、とにかくミスのないように奮起するばかりである。

 ただ、リズムのノリがまったく噛み合わない。アンナがどれだけ16ビートを強調しようとしても、土台のドラムが抑揚のない8ビートであるのだ。ゆったりと紡がれる演奏の中で、アンナひとりがじたばたともがいているような心地であった。


(人と一緒に演奏するのって……こんなに難しいんだ)


 アンナは動画サイトの音源を頼りに、個人練習を積んでいた。しかし、その際とは比較にならない弾きづらさである。どうやらアンナが自宅で楽しく弾けたのは、原曲のバンドの演奏力に支えられてのことであったようであった。


 家では簡単に弾けたフレーズが、この場ではどうしても突っかかってしまう。リズムのノリが違っている上に、ベースが聴こえず、もう一本のギターが不安定であるためだ。そしてキーボードの音色はひとりでひらひらと上空を舞っているため、なんの助けにもならなかった。


 そんな中、間奏のギターソロに突入する。

 アンナはいっそうの気合でもって、指板に指を走らせたが――途端に、他なる音色が横合いからのしかかってきた。バッキングを刻むサイドギターのボリュームが、突如としてふくれあがったのだ。


 アンナがびっくりして振り返ると、ヴォーカルの少年は素知らぬ顔でギターをかき鳴らしている。よくよく見ると、彼は足もとに二台のエフェクターを並べていた。おそらくは、そのどちらかをオンにしたことで音量が跳ねあがったのだ。


 アンナは演奏の手を止めてアンプのボリュームを上げるべきかと、思案する。

 しかしおそらくギターソロの間奏が終わったら、またボリュームを落とさなければならないのだ。なんとなく、それはアンナの流儀ではなかった。


 よってアンナは、ただ自分の音に集中する。

 そして、弦を切らないように配慮しながら、最大限にピッキングの力を強めた。そうすると自然にミスタッチも増えてしまったが、それより少しでも音量を稼ぎたかった。


 やがて間奏が終了したならば、案の定、サイドギターの音量はもとに戻される。そうして歪みの加減も弱まると、たちまち頭の音が聴こえなくなった。

 あとの演奏に、変わりはない。ただ、テンポが少しだけ速くなっていた。間奏の盛り上がりとともに、ドラムがハシってしまったようである。


 アンナはひとりで16ビートを意識しているため、テンポが速くなるといっそう指がもつれてしまう。

 それでも何とか最後まで弾ききると――演奏を終えるなり、ドラムの少年が「いいじゃん」という言葉を飛ばしてきた。


「本当に、キャリアは半年なのかい? ……やっぱり、お前より上手かったな」


「ふん。でも、アンプ直じゃな。ギターソロなんて、全然聴こえなかったじゃん」


 ヴォーカルの少年は、ふてくされた面持ちでそっぽを向いてしまう。

 キーボードの少女はのんびりとした笑顔で、ベースの少年は気取った面持ちだ。ただ、誰も今の演奏に不満は抱いていない様子であった。


「町田さんは、どうだった? 何か意見があったら、聞かせてくれよ」


「ああ、うん、えーと……ウチ、ベースの音が聴こえなかったんだよねー」


 アンナがそのように答えると、ヴォーカルの少年がそっぽを向いたまま「ふん」と鼻を鳴らした。


「あんまりベースをでかくすると、歌の邪魔になるんだよ。今ぐらいが限界だろ」


 アンナは眉をひそめつつ、ベースの少年を振り返る。

 ベースの少年は気取った面持ちのまま長い前髪をかきあげて、「俺は聴こえてるから」とのたまわった。


(いや、あんたに聴こえてても、ウチには聴こえないんだよ!)


 そんな風にわめきたいのを、ぐっとこらえると――代わりに、笑い声がこぼれてしまった。

 ドラムの少年が、きょとんとアンナを振り返ってくる。


「どうしたんだよ? 何が面白いんだ?」


「うーん、なんだろねー! なんもかんも、ひっくるめてかなー!」


 そのように答えるアンナの胸には、相変わらず二つの思いが渦巻いていた。生演奏に対する楽しさと、演奏力の低さに対する物足りなさである。


 きっとこれが、アンナたちの――中学二年生の限界であるのだ。

 穂実のバンドに比べたら、いったいどれだけ稚拙であることか。恐れ多くて、比べることが申し訳ないほどであった。


 しかし、未熟であるのは当然の話である。アンナなどは、半年前に練習を始めたばかりの身であったのだ。穂実もまたギターを始めたのは中学生の頃だと言っていたので、彼女はそれからの数年間であれほどの演奏力と格好よさを体得したわけであった。


 今からアンナは、その領域を目指すのである。

 その困難さと楽しさを想像しただけで、アンナはついつい笑ってしまったのだった。

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