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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
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04 衝撃

 穂実のバンドのライブというのは、春休みを目前に控えた三月の第二日曜日であった。

 穂実が最後に道場にやってきてから、およそ二週間が経過している。その期間、穂実は道場に姿を現さなかったし、スマホでの連絡も間遠であったし――なおかつアンナのほうも、ろくに返信できていなかった。穂実が引っ越して道場を辞めてしまうという一件が、想像以上にアンナの心を重くしていたためである。


 アンナと穂実が交流を結んでいたのは、ほんの半年ていどのことだ。しかしそれでも彼女の存在は、アンナの中でそこまで大きくなっていた。これほどの喪失感というのは、アンナにとって生まれて初めてのことかもしれなかった。


「穂実さんは、アンナにとてもよくしてくれたものね。だから最後は、笑顔で見送ってあげないとね」


 ワゴン車の運転席からそのように語りかけてきたのは、アンナの母親である。こちらの車は、ライブの会場を目指しているさなかであった。理乃は相変わらず多忙であったので、アンナとしては家族を誘うしかなかったのだ。

 なおかつ後部座席には、父親と二人の妹まで顔をそろえている。アンナが受け取ったチケットは二枚のみであったが、事情を聞いた妹たちが二人そろって穂実のライブを観てみたいと騒いだため、もう三枚のチケットを取り置きしてもらうことになったのだ。その際にも、連絡を入れたのはアンナの母親であった。


「らいぶはうすって、どんなところなんだろーね! こわいひとがいっぱいいるのかなー?」


「どうだろうね。エレンもあんまりはしゃいじゃダメだよ?」


 妹たちは、すっかり浮かれきっている。穂実が道場を辞めると聞いた際にはアンナに負けないぐらいしょんぼりしていたのに、この二週間ほどですっかり立ち直ったようだ。車中で暗い顔をしているのは、アンナただひとりであった。


 アンナはいまだに、心が定まらない。本当は今日のライブも、観にいくかどうかさんざん迷ったのだ。しかしここで自分だけ辞退するのは勝負から逃げるような心地であったので、無理やり決行した次第であった。


 やがてワゴン車は、コインパーキングに到着する。そこで降車する際も、アンナは足が重かった。

 時刻は午後の七時過ぎで、あたりはすっかり暗くなっている。本日の開演は午後の六時とされていたが、小学生の妹たちに長時間の滞在は負担が大きいだろうという判断で、穂実たちの出番の時刻に合わせたのだ。それぞれ十歳と七歳に成長した妹たちは、どちらも防音のイヤーマフを首に引っ掛けていた。


「いやあ、ライブハウスなんて、みんな初めてだもんな! なんだかパパまでドキドキしてきちゃったぞ!」


 父親は陽気に笑いながら、先頭を切って夜道を闊歩する。その能天気な声がアンナの癪にさわったが、今はそちらに文句をつける気力もなかった。

 スマホのマップで位置情報を確認した母親の案内で、一行はライブハウスを目指す。やたらと入り組んだ道であったが、三分ほどで目的地に到着した。


 ひどく古びた、平屋の建物である。

 道端には、若い人間がたむろしている。これから入場しようとしている人間か、あるいは早々に退場してきた人間であるのだろう。何にせよ、誰もが昂揚している様子で、アンナのようにしょぼくれた顔をした人間は皆無であった。


「どうもどうも! チケットの取り置きってやつを頼んでおいたんだけど、ここで言えばいいのかな?」


 店内の受付カウンターにおいて父親が声を張り上げると、そちらに待機していたスタッフは目をぱちくりさせながら目的のバンド名を問うてきた。その質問に答えると、今度はこちらの氏名を問うてくる。


「えーと、町田四郎さん、町田ローサさん、町田エレンさんですね。はい。確かにお預かりしています。チケット代はひとり二千円で、ドリンク代は五百円になります」


 たった一度のライブ観戦に、それだけの費用がかかるのだ。穂実はその分まで負担すると言っていたようだが、もちろん母親が丁重にお断りしていた。そうでなくとも、彼女は二枚分のチケットを無料で準備してくれたのだった。


 そうして入場料を支払った一行は、いざ扉の奥へと進軍する。

 客席ホールは薄暗くて、人の熱気に満ちみちていた。それに、小さからぬボリュームで洋楽のBGMが鳴らされている。ステージには黒い幕が下ろされており、次のバンドが――おそらくは穂実たちが準備を始めているようであった。


 まったく見慣れない空間に、妹たちはいっそうはしゃいでいる。能天気な父親も、それは同様だ。そしてアンナがひとりで押し黙っていると、母親が優しげな眼差しと言葉を向けてきた。


「アンナ、大丈夫? 最後まで、穂実さんの頑張る姿を見届けてあげましょうね」


 アンナはそれでも口を開く気になれず、曖昧にうなずき返すことしかできなかった。

 この二週間で、アンナは家族に迷惑をかけっぱなしである。アンナはがむしゃらに稽古を続けていたが、気分はまったく晴れないのだ。何があろうとも、アンナがここまで長きにわたって立ち直ることができないというのは、初めてのことであった。


(でも、しかたないじゃん。ウチはそれだけ……ホヅちゃんのことが、大好きだったんだから)


 しばらくして、店内のBGMがフェードアウトしていった。

 しかしすぐさま、これまで以上にけたたましい音楽が鳴らされる。そして客席の照明が落とされて、幕の向こうにまばゆい光が灯されたため、周囲の人々が歓声を張り上げた。


 妹たちははしゃぎながら、イヤーマフを装着する。

 アンナは心も定まらないまま、幕のほうに目をやった。


 そうして数十秒ほどで、幕がするすると開かれていき――ステージ上の照明が、客席のほうにまであふれかえった。

 それと同時に、これまで以上の轟音が鳴り響く。

 BGMはストップされて、ステージ上の人々が楽器をかき鳴らしたのだ。


 その瞬間――アンナの背筋に、何か得体の知れない衝撃が走り抜けた。

 ステージ上から放たれた轟音が、そのままアンナの背骨を揺さぶったかのようである。

 そして、その轟音を生み出している人間のひとりが、穂実であった。


 穂実は、ギターをかき鳴らしている。

 そのギターは、穂実の髪の毛先と同じく、鮮やかなグリーンであった。

 ただし、強烈なスポットが穂実とその手のギターをさまざまな色合いに染めあげている。穂実は黒地のTシャツにフィッシャーマンパンツという、普段と変わり映えのしない姿であったが――別人のように、光り輝いていた。


 やがて別のギターを掲げたヴォーカルの女性がバンド名を名乗ると、いっそうの歓声が吹き荒れる。

 そして、演奏が開始され――アンナの背骨を、びりびりと震わせた。


 アンナとて、ロックバンドの演奏を音楽番組で目にしたぐらいの経験は持ち合わせている。しかし、初めて目にする生演奏の迫力というものは、想像を絶していた。

 とりわけアンナを打ち震わせているのは、穂実のギターである。

 電流を纏った金属の刃が、ざくざくと五体を刻んでくるような――物理的な圧力をともなった音の奔流である。ドラムの打撃音やベースの重低音やヴォーカルの歌声なども同じように響いているはずであったが、アンナの目は穂実だけを追い、耳は彼女の音色だけを追いかけた。


 穂実は一心不乱に、ギターをかき鳴らしている。

 長い前髪が顔にまでかぶさって、表情はわからない。ただ、時おり垣間見える口もとは、不敵に微笑んでいるようであった。


 やっぱり、別人であるかのようだ。

 穂実はもともと魅力的な人間であったが、これほどの迫力を感じることはなかった。いつものんびりしていて優しい穂実が、歴戦のプロファイターを思わせる迫力でアンナの心身を震撼させていた。


 その指先が荒々しく躍動するたびに、稲妻のような音色が連動する。

 他の楽器の音色が、邪魔に感じるほどである。アンナの心は、ひたすら穂実の姿と音だけを欲していた。彼女はアンナがこれまで出会ってきた誰よりも格好よくて、光り輝いていた。


 そして――いつしかアンナは、涙を流してしまっていた。

 決して悲しいわけではない。背骨を揺さぶる振動に、涙腺が破壊されたような心地であった。それもまた、アンナにとっては初めての体験であった。


 そうしてもともと不安定であったアンナの心は、穂実の奏でる轟音によってさらに激しく揺り動かされて――アンナはほとんど忘我の状態で、三十分ほどの時間を過ごすことになったのだった。


                  ◇


「ホヅちゃん、すごいよ! なんかもー、頭の中がぐちゃぐちゃで、なんて言っていいかもわかんないよ!」


 穂実と顔をあわせるなり、アンナはそんな言葉をぶつけてしまった。

 三十分間の演奏を終えて、汗だくの頭にスポーツタオルをかぶった穂実は、困ったような顔で笑っている。


「そっか。それだと、こっちもなんて答えていいのかわかんないけど……とりあえず、アンナ先生に許してもらえたのかなー?」


「許す? 許すって、なにが?」


「だって、連絡を入れても返信がなかったじゃん。正直、今日も来てくれるとは思ってなかったんだよねー」


「だって……それは、しかたないじゃん! ウチは、ホヅちゃんと離れたくなかったし!」


 そんな風に応じながら、アンナは穂実の手をつかみ取った。

 この指先が、あの凄まじい音色を奏でていたのだ。そのように考えると、アンナの心はいっそう昂ってしまった。


「でもそれより、さっきのライブはすごかったよ! もう一本のギターが邪魔なぐらいだったよ! ギターはホヅちゃんだけで十分なんじゃない?」


「ちょっとちょっと。リーダーの耳に入ったら、あたしが絞め殺されちゃうよ。……まいったなー、もー」


 穂実はやわらかく笑いながら、アンナの手を握り返してきた。


「でも、アンナ先生の楽しそうな顔を見られて、よかったよー。アンナ先生は、やっぱり元気に笑ってないとねー」


「うるさいよー! ウチにダメージをくらわせたのは、ホヅちゃんじゃん!」


 そのように答えながら、アンナは笑ってみせた。

 しかしその頬に、新たな涙が伝ってしまう。それでもアンナは涙をぬぐうのではなく、穂実の手をつかんでいたかった。


「でも、ウチはホヅちゃんをオーエンするよ! だから、バンドを頑張ってね! ホヅちゃんだったら、ぜったいビッグになれるから!」


「ありがとー。アンナ先生も、格闘技を頑張ってねー。アンナ先生がプロデビューしたら、今度はこっちが応援に駆けつけるからさー」


 アンナは一拍おいてから、「うん!」とうなずき返した。


 そうしてアンナは、笑顔で穂実とお別れすることができたのだが――その代償として、今度は彼女のギターサウンドに取り憑かれることに相成ったのだった。

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