表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:A-

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/327

-Track1- 01 軌跡

本日からしばらく番外編を更新いたします。

お楽しみいただけたら幸いです。

 町田アンナは幼い頃から、格闘技の稽古に明け暮れていた。

 理由は単純明快で、実家が格闘技の道場を経営していたためである。


 いったい何歳の頃から稽古に取り組んでいたのかは、まったくもって判然としない。物心がついた頃にはサンドバッグを殴りつけたり、マットの上を這いずっていたように記憶している。それに、お腹の大きくなった母親に見守られながら父親の構えるミットにミドルキックを繰り出している画像が写真立てに飾られていたので、妹との年齢差を考えると、それはアンナが二歳か三歳の頃の記録であるはずであった。


 まあとにかく、アンナはそれだけ幼い頃から、格闘技の稽古を積んでいたということである。

 よってアンナは幼稚園に入園した当初から、他の園児とは比較にならないフィジカルを育まれていた。体はそれほど大きなほうではなかったが、かけっこでは男の子が相手でも負けたことがなかったし、在園中にさかあがりまでマスターして先生たちをひどく驚かせていたものである。


 言うまでもなく、アンナはきわめて活発な子供であった。

 活発すぎてしょっちゅう他の子供たちと衝突し、そのたびにお説教をくらっていたものであった。


「アンナちゃんは女の子なんだから、乱暴しちゃ駄目でしょ?」


「らんぼーしてないよ! おもちゃをとられたから、とりかえしただけだもん!」


 アンナがそのように言い返すと、園の先生たちは困り果てたように溜息をこぼすことが多かった。アンナは道場で大人たちに囲まれて育ったためか、口のほうも達者であったのだ。


 それにアンナは、どんなときでも自らの倫理観に則って行動していた。

 もちろん当時は、倫理観などという言葉も知らなかったわけだが――とにかくアンナは、両親の教えを何より重んじていたのだ。格闘技道場の主である両親は、暴力の行使についてひときわ厳格な考えを有していたのだった。


「いいか、アンナ! 柔術の基本は、護身だからな! 決して身を守る以外の場面で、腕力を使ってはいかんぞ!」


「……ママからならったのはきっくぼくしんぐだから、なぐったりけったりするのはいいの?」


「キックボクシングも、同じことよ。人を殴ったり蹴ったりするのが許されるのは、稽古や試合の場だけなの」


 そんな問答も、何度くりかえしたかわからない。

 よってアンナは、道場の外で暴力をふるったことはなかった。ただ、力ずくで玩具を取り返したり、悪戯を仕掛けてきた相手を追いかけ回したりするのは日常茶飯事で――そうすると、フィジカルで劣る相手のほうが先に泣きだしてしまうというだけのことであった。


「アンナちゃんも普段はいい子だし、お友達も多いのにねぇ。どうしてこう、毎日のように騒ぎが起きちゃうのかしら」


 園長先生も、困ったように微笑みながらそんな感慨をもらしていた。

 確かにアンナは、友達が多い。アンナは人見知りという概念を持っておらず、きわめて陽気な子供であったため、たいていの相手とはすぐに仲良くなることができた。


 しかしまた、アンナにちょっかいをかけてくる相手も少なくはなかった。アンナは母親ゆずりの鮮やかな赤毛であったためか、良きにつけ悪しきにつけ人目をひいてやまなかったのだ。なおかつアンナは母親と同じ色合いである髪を自慢にしていたので、それを小馬鹿にした相手はとことん追い回して謝罪させないと気が済まなかったのだった。


 それに――もう一点、アンナが騒ぎを起こす理由が存在した。

 そちらの幼稚園には、アンナよりもひどい目にあっていた女の子がいたのである。アンナはむしろ、その女の子を助けるために騒ぎを起こしているほうが多いのではないかと思われた。


 その気の毒な女の子こそが、栗原理乃であった。

 理乃は当時から、人形のように可愛らしい女の子だった。艶やかな黒髪を背中までのばし、透き通るように肌が白かった。アンナも肌の白さでは負けていなかったが、彼女は絵本に出てくるお姫様のように綺麗ではかなげな存在であった。


 そして彼女は、何故だかいつも手袋をしていた。それを外すのが許されるのはトイレに行くときだけで、お昼のお弁当を食べるときさえ使い捨てのビニール手袋を使用していた。なおかつ、手袋が汚れるような行為――砂場や鉄棒で遊ぶことなどは、親から禁止されているようであった。


 理乃はただでさえ目立つ外見をしていた上に、他の子供たちと足並みがそろわなかったのだ。よって彼女は、さまざまな相手からちょっかいをかけられることになり――アンナはそれを助けるために、八面六臂の働きを為すことになったわけであった。


「りのちゃんも、もっとがんばらないと! ないてたって、もんだいはかいけつしないんだからね!」


 アンナがそのように励ましても、栗原理乃はめそめそと泣くばかりであった。ただ、その頑是ない姿を見ていると、アンナもとうてい見捨てることはできず――そうして毎日のように、他の子供を追い回す羽目になってしまっていた。


「いつも理乃お嬢様のために、ありがとうねぇ。理乃お嬢様のお父様とお母様も、アンナさんにはすごく感謝しておりますよぉ」


 理乃を幼稚園まで迎えに来るハウスキーパーの老婦人は、いつもそんな言葉でアンナをねぎらってくれた。先生がたにはお説教されるばかりであったが、そちらの老婦人やアンナの両親たちは、決してアンナを咎めようとはしなかったのだ。それでアンナも心置きなく、他の子供を追い回すことができたのだった。


 そんな感じに、アンナの幼稚園時代は賑やかに過ぎ去って――次の舞台は、小学校である。

 そちらでは、多少ながら平穏な生活が待ち受けていた。そこまで齢を重ねると、周囲の子供たちもじょじょに知性や理性というものが育まれたようであるのだ。理乃は相変わらず内気で弱々しい性格であったが、幼稚園の時代ほどちょっかいをかけられることもなくなったようであった。


 ただ――それは、迫害の質が変わっただけなのかもしれなかった。

 理乃にちょっかいをかけようとする人間は格段に減っていたが、その代わりに理乃は孤立することになってしまったのだ。


 お金持ちのお嬢様で、子供ながらに大変な美少女で、ものすごく気が弱くて、いつでも手袋を外さない。そんな理乃の特性が、すべて悪い方向に傾いてしまったようであった。


「りのちゃんは、どうしていつもてぶくろをはめてるの?」


 小学校に入学してしばらくしてから、アンナはそんな質問を本人にぶつけることになった。

 家や外見や性格などというものはなかなか変えられるものではないが、手袋だけは自分の意思でどうにかできるはずだ。しかし理乃は、とても悲しそうな面持ちで目を伏せてしまった。


「ママに、はずしちゃだめっていわれてるの。……ピアニストは、ゆびをまもらないといけないから」


「ピアニスト? りのちゃんは、ピアノがひけるの?」


 それは三年来のつきあいであるアンナにしても、初耳の事実であった。

 理乃は、ますます悲しげな顔になってしまう。


「うん……にさいのころから、レッスンをしてるの……だれにもいわないでね?」


「なんで? ピアノをひけるなんて、すごいじゃん!」


「すごくないよ。……パパとママが、おんがくのせんせいだからだもん」


 その言葉に、アンナは何か引っかかるものを感じた。

 しかしアンナがその正体を突き止める前に、理乃は手袋をはめた手でアンナに取りすがってきた。


「やっぱり……ずっとてぶくろをはめてるのは、おかしい? アンナちゃんも、りのをきらいになっちゃった?」


「そんなことないよ! アンナもキックボクシングのけいこでは、いつもグローブをはめてるから! にんげんのゆびってよわいから、まもってあげないといけないんだよねー!」


 アンナがそのように答えると、理乃はぽろぽろと涙をこぼしながら「ありがとう……」という言葉を振り絞った。


 そうしてアンナは、その後も理乃と変わらぬつきあいを続けることになったわけだが――ずいぶん月日が過ぎ去ってから、その日に感じた違和感を思い出すことになった。アンナがそれを正しく理解するには、自分と理乃の家庭環境を正しく把握する必要があったのだった。


 理乃の父親は音楽大学の教授であり、母親もそちらの関係者であったのだ。のちのち聞いたところによると、理乃の兄と姉もそれぞれクラシック音楽のレッスンに励んでいるとのことであった。


 いっぽうアンナは格闘技道場に生まれつき、物心つく前から稽古に取り組んでいる。三歳年少のローサも、六歳年少のエレンも、同じ道を辿るはずであった。

 ジャンルは違えど、アンナと理乃は同じような環境に生まれ育っているのに、かたや楽しく日々を生きており、かたや毎日しょんぼりしている。理乃はピアノのレッスンというものに、なんの楽しさも見いだせていないようであった。


「ピアノのレッスンが楽しくないなら、やめちゃえばいいじゃん」


 アンナがそのような言葉を告げたのは、小学三年生になった頃である。理乃の置かれた状況を正しく把握するのに、アンナはそれだけの歳月がかかってしまったのだ。


「そんなの、パパとママがゆるしてくれないよ。お兄さまやお姉さまだって、ずっとレッスンを続けてるんだから……」


「でも、楽しくなかったら、続ける意味なんてなくない?」


「……パパたちにとっては、意味があるんだよ」


 そんな風に語りながら、理乃はアンナの顔を見返してきた。

 その目に涙が浮かべられたりはしていない。理乃は齢を重ねるごとに、泣き顔を見せることが少なくなり――その代わりに、くたびれた老犬のような目つきをすることが多くなっていた。


「……アンナちゃんは格闘技のレッスン、楽しい?」


「そりゃー楽しいよ! もうすぐ試合に出られるしねー!」


「そうだよね。私もピアノを好きになれたらよかったんだけど……こればっかりは、しかたないよね」


 理乃のそんな言葉が、またアンナの心を揺さぶることになった。

 アンナは掛け値なしに、格闘技の稽古を楽しいと思っている。自分がどんどん強くなっていくことに、大きなやりがいを感じているのだ。そして、両親や他の門下生たちも一緒になって喜んでくれることが、アンナにとっては何よりの幸福であった。


 五歳になった次女のローサも、毎日楽しそうに稽古をしている。末っ子のエレンはまだ二歳であったが、昨日などは父親と匍匐ほふく前進の追いかけっこに興じていた。それも筋力トレーニングの一環で、アンナやローサも同じ道を辿っていたのだ。きっとエレンも幼稚園にあがる前には、サンドバッグを叩き始めるのだろうと思われた。


 町田家の人間にとっては、それが自然なことなのである。

 しかし、栗原家の人間にとっては――少なくとも理乃にとっては、そうではないのだろうか?


 それは何だかアンナにとって、とても落ち着かない想像であった。

 そして、いまだ小学三年生であったアンナには、その感情も正しく理解することができなかったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ