07 次なるステージ
清算を終えた『KAMERIA』のメンバーは、バーフロアに引き返した。
すると――驚くべきことに、『V8チェンソー』と『マンイーター』のメンバーが寄り集まっている。その姿に、町田アンナが「あれあれー?」と驚きの声をあげた。
「どーしたの? みんなはそんな、仲良くおしゃべりするような関係じゃなかったんでしょー?」
「うん。今日のライブはお見事だったから、あたしらの熱い思いをお届けしなきゃと思ってねぇ」
浅川亜季が、のほほんとした笑顔を返してくる。『V8チェンソー』と『マンイーター』のメンバーはテーブル席で向かい合っており――端の席に陣取った柴川蓮は横向きの体勢になりつつ、頭からかぶったスポーツタオルで表情を隠してしまっていた。
「いやぁ、本当に今日のステージは見違えたよぉ。最後に拝見したのは六月ぐらいだったと思うけど、尋常でなくレベルアップしてたねぇ」
「うんうん! 『マンイーター』はもともとかっこよかったけど、演奏力もマシマシだったねー! あたしもすっかり驚かされちゃった!」
「ふん。これならまあ、『ジェイズランド』のレギュラーに抜擢されてもおかしくはないだろうね」
そうして『V8チェンソー』の面々が言葉を重ねるたびに、柴川蓮はそわそわと身を揺する。ただし表面上はそっぽを向いて足まで組んでいるので、不遜に見えかねない姿である。坂田美月や亀本菜々子は、そんな彼女のことを心配そうに横目でちらちら見やっていた。
「ブイハチのみなさんにそこまで言っていただけるのは、光栄です。そちらもすっかり、スリーピースのアレンジが完成されましたよね。先月のライブも、すごかったです」
「ああ、わざわざ都内まで観に来てくれたんだっけぇ。あの日はあんまり挨拶もできないで、申し訳なかったねぇ」
「いえいえ。こっちもあの日は、バタバタしてたもんで」
そんな風に言ってから、坂田美月はめぐるたちのほうに目をやってきた。
「なんか、『KAMERIA』との出会いでスランプ脱出できたそうですね。ナツさんがいきなり脱退してからは、ちょっと心配な感じだったんで……本当によかったです」
「うんうん。それに関しては、みんなめぐるっちのおかげさぁ。あとは、めぐるっちの本音を引き出してくれた和緒っちのおかげかなぁ。それもあって、すっかり親睦が深まっちゃってさぁ」
浅川亜季ののほほんとした言葉に、柴川蓮はこれまでと異なる感じでぴくりと肩を震わせる。またあの怒れる柴犬のごとき形相に変じたのかと、めぐるはひとりで慌ててしまった。
「……そういえば、あんたはずいぶんプレイスタイルが変わったよね」
と――そんな柴川蓮に、フユが直接語りかけた。
とたんに、柴川蓮は硬直してしまう。そのさまをうろんげに見据えつつ、フユはさらに言いつのった。
「まあ、基本の部分は変わってないから、ただレベルアップしたってだけの話なのかもしれないけどさ。勢いだけじゃなく、音に艶も出てきたように思うよ」
「うんうん。それにやっぱり、フユちゃんと似てるんじゃない? 指づかいがなめらかになったせいか、いっそうフユちゃんっぽく見えちゃうんだよねー」
ハルがそのように口をはさむと、フユは「かもね」と肩をすくめた。
「まあ、音が似てるのは機材が似てるからだろうけど……もしかしたら、好きな音楽もカブってるのかもね。あんたは、どういうバンドに影響を受けてるの?」
「…………」
「シカトかい。ま、答えたくないなら、それでかまわないけどさ」
フユは冷ややかな面持ちでそっぽを向いてしまう。
すると、亀本菜々子がたまりかねた様子で柴川蓮の細い肩を揺さぶった。
「ねえねえ、レンレンも素直になろうよぉ。このままだと、憧れのフユさんに嫌われちゃうよ?」
「なっ……ばっ……!」と言葉にならないわめき声をあげながら、柴川蓮は亀本菜々子につかみかかる。それをどっしりとした体で受け止めながら、亀本菜々子はやわらかい笑顔をフユに届けた。
「実はレンレンって、フユさんのフリークなんです。ワーウィックのベースもエフェクターとかも、みんなフユさんに憧れて買い集めたんですよ」
「…………ッ! …………ッ!」
「レンレンって、いつもベース側の最前列でライブを観てるでしょう? それで頑張って背伸びして、どんなエフェクターを使ってるのか覗き見したらしいです。そんなの本人に聞けばいいじゃんって言ったんですけど、ご覧の通りフユさんを前にすると言葉が出なくなっちゃうんですよ」
柴川蓮は力尽きたように、へなへなとくずおれてしまう。
それを見守る『V8チェンソー』の面々は――フユは呆れ顔、ハルは驚きの表情、そして浅川亜季はチェシャ猫のごとき笑顔であった。
「なるほどぉ。多少はフユに影響を受けてるんだろうと思ってたけど、そこまでのフリークだったとは予想外だったなぁ。それじゃあその頭も、フユをリスペクトした結果なのかなぁ?」
「はい。黒髪だとそのまんまになっちゃうんで、わざわざブリーチしたんです。ベースも完全に同じタイプにはしなかったみたいですし、とことんシャイなんですよね」
「シャイっていうより、フユの猿真似にはなりたくないっていう気概の表れなんじゃないかなぁ? 音作りもプレイスタイルも、そこまでフユの再現をしようとしてるとは思えないしねぇ」
「それは、そうだと思います。レンレンも我が強いから、どんなに憧れたって猿真似は御免なんでしょうね」
坂田美月も苦笑を浮かべつつ、そのように言い添えた。
いっぽう柴川蓮はテーブルに突っ伏して、小さな背中を震わせている。泣いているのか羞恥に身もだえているのか、顔を伏せているために真相はわからなかった。
「……なんでこう、私に寄ってくるベースにはおかしなやつしかいないのかなぁ」
フユは秀でた額に指先をあてつつ、深々と嘆息をこぼした。
こちらでは、和緒がこっそりめぐるの頭を小突いてくる。めぐるとしては、恐縮するしかなかった。
「まあ、そんな話はどうでもいいや。こいつらも清算が済んだんだから、例の話を進めるとしようよ」
フユがそのように言いたてると、和緒がすかさず声をあげた。
「それじゃあ、場所を移しませんか? 『マンイーター』の方々も、清算が待ってるんでしょうしね」
「清算ってのは、出演順に片付けていくんだよ。トリのこいつらは、まだまだ後さ」
「うんうん。それに、二度手間になっちゃうしねぇ」
浅川亜季のそんな言葉に、和緒はぴたりと口をつぐんだ。
浅川亜季はにんまりと微笑んだまま、言葉を重ねる。
「じゃ、まとめて相談させていただくけど……『マンイーター』と『KAMERIA』を、ブイハチ主催のイベントにお誘いしたいんだよねぇ。どうか了承をいただけるかなぁ?」
「えーっ! ウチらだけじゃなく、『マンイーター』も?」
町田アンナが瞳を輝かせて身を乗り出すと、ハルが笑顔で「うん」と応じた。
「実は次のイベントは、ガールズバンドで固めようと思っててさ。『マンイーター』にも、前々から目をつけてたんだよ。それで、今日のステージで気持ちが固まったわけだね」
「うんうん。『マンイーター』も『KAMERIA』も、申し分のない仕上がりだったからねぇ。なんとか了承してもらいたいもんだよぉ」
坂田美月と亀本菜々子は、きょとんとしてしまっている。
そして柴川蓮は、突っ伏したまま硬直してしまっていた。
「あ、あの、ブイハチ主催のイベントって……まさか、二月の周年イベントですか? それとも、他にイベントを立ち上げるとか?」
坂田美月がおそるおそる問いかけると、浅川亜季は「いやいやぁ」と手を振った。
「うちらだってぺえぺえなんだから、そんないくつもイベントなんて主催できないさぁ。この『ジェイズランド』でぶちかます、周年イベントのことだよぉ」
「で、でも、そのイベントって毎回すごい顔ぶれですよね? 去年なんて、リトプリも出てましたし……」
「リトプリは、今回もご快諾いただけたよぉ。それで、ガールズバンドオンリー企画っていうアイディアがひらめいたわけさぁ」
そんな風に言ってから、浅川亜季はふにゃんと笑顔を弛緩させた。そうすると、チェシャ猫めいた顔が年老いた猫のような顔に変ずる。
「あとはやっぱり、『KAMERIA』のインパクトかなぁ。ここまで強力なガールズバンドが出そろったら、それで固めてみようかっていう気持ちがうずいてきちゃったのさぁ」
「それじゃあ……『KAMERIA』は、もともとお誘いされてたんですか?」
「それは、今日のライブで見定めようって話になってたんだよ。何せ『KAMERIA』は、これまで最長で十五分のステージしか経験がなかったからさ。でも、今日ぐらいのステージを見せてくれたら、もうばっちりだね!」
ハルがそのように発言すると、和緒はいくぶん芝居がかった様子で『マンイーター』の面々に頭を下げた。
「だけどあたしらは、そんな話をみなさんに打ち明けようって気持ちになれませんでした。理由はまあ、察していただけたら幸いです」
「ああ……そんな話を聞かされてたら、レンレンはライブどころじゃなかったかもねぇ」
坂田美月がしみじみ息をつくと、亀本菜々子は「いやいや」と朗らかに笑った。
「そうしたら、レンレンはブイハチのみなさんの目を自分に向けさせるんだーって、いっそうバクレツしてたんじゃない? まあ、それで空回りする可能性は大だけどさ」
「ああ、それはそうかもね。黙って引っ込むレンレンじゃないか」
坂田美月は楽しげに笑ってから、表情をあらためた。
「でも……本当にあたしらなんかを誘ってくれるんですか? 『KAMERIA』はなんかこう、言葉にするのが難しいような爆発力を持ってますけど……あたしらなんて、そこまでインパクトもないでしょう?」
「そんなことないよ! 『マンイーター』は、最初っから第一候補だったもん!」
「うんうん。リトプリと『KAMERIA』のおかげでガールズバンドオンリーってアイディアが浮かんで、真っ先に思いついたのが『マンイーター』だったねぇ」
「……ここらのバンドで一番骨のある女どもって言ったら、あんたたちだろうしね」
『V8チェンソー』の面々がそのように言いつのると、柴川蓮はのろのろと面を上げた。
スポーツタオルがはらりと落ちて、ようやくその顔があらわにされる。彼女は黒目がちの目からはぽろぽろと涙を流して、幼子のような泣き顔になってしまっていた。
「本当に……本当に、あたしたちをブイハチのイベントにお誘いしてくれるんですか……?」
「だから、さっきからそう言ってるでしょ」
フユは心底から迷惑そうな面持ちで、そのように言い捨てる。
すると、浅川亜季がにまにまと笑いながら、フユの肩を抱いた。
「フユは、モテ期の到来だねぇ。めぐるっちとシバっちで両手に花じゃん」
その言葉に、柴川蓮はテーブルをひっくり返しそうな勢いで立ち上がった。
滂沱たる涙を流したまま、その顔が怒れる柴犬の形相に変じていく。そしてその目は当然のように、めぐるをにらみつけてきた。
「あんたにだけは、絶対に負けないから! 高校生なんかに、でかい顔はさせないよ!」
「あ、いえ……わ、わたしはその、最初から勝てる要素もありませんし……」
めぐるはへどもどしながら、そのように答える。
すると、フユが再び深い嘆息をこぼした。
「本当にもう……ベーシストは変人ぞろいって風評被害が生まれちまいそうだよ」
「あははぁ。変人の総大将が、何か言ってるねぇ。あ、総大将はリトプリのキュウベイっちかなぁ?」
「ここにあの人まで混じるのかと思うと、頭痛がしてくるよ。次回のイベントも、大失敗で終わっちまうかもね」
フユはぶすっとした顔で、グラスのドリンクを飲み干した。
ともあれ――『KAMERIA』と『マンイーター』は、『V8チェンソー』主催のイベントに出場することが確定したようである。
柴川蓮の眼光に尻込みしながら、めぐるはじんわりとした喜びを胸の奥底で噛みしめることに相成ったのだった。




