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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Disc 3-

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04 余波

『どうもありがとー! 「KAMERIA」でした!』


『転がる少女のように』の演奏後、町田アンナがそのように声を張り上げると、黒い幕がしずしずと閉まり始めた。


 熱狂する人々の姿が、めぐるの視界から消えていく。しかし、そんな布一枚では防ぎようのない歓声と拍手と熱気が、いつまでもめぐるの心を震わせてやまなかった。


 そうしてめぐるがぼんやり立ち尽くしていると、幕の端を細く開いたスタッフがステージに上がってくる。その顔には、きわめて友好的な微笑みがたたえられていた。


「お疲れ様です。最高のステージでしたね。……それじゃあ、搬出をお願いします」


 この後には、次のバンドの出番が控えているのだ。

 我に返っためぐるは、慌てて搬出の作業に取りかかることになった。


 アンプのツマミをすべてゼロにして、電源を切る。そうしてめぐるがもたもたシールドを巻いていると、和緒がバックヤードからエフェクターボードの蓋を運んできてくれた。


「慌てて荷物を落とさないようにね。ちょっとぐらい準備が遅れたって、人死にが出るわけじゃないんだからさ」


「う、うん。どうもありがとう」


 蓋を閉められたエフェクターボードは、和緒の手によって楽屋に運ばれる。

 その間に自らの搬出作業を終えた町田アンナは、スタンドから外された電子ピアノを「よっこらしょ」と抱えあげた。


「よーし、忘れ物はないねー? めぐるも、お疲れさまー!」


「は、はい。どうも、お疲れ様です」


 そんな風に答えながら、めぐるはまだ地に足がついていない。そうして夢見心地のまま、ベースと二本のシールドを手に楽屋へと引っ込むことになった。


 そちらでは、二番手のバンドのメンバーたちが待機している。軽音楽サークルの、大学生たちだ。そのギター&ヴォーカルを担当している細面の若者は、どこか皮肉っぽい笑顔で「お疲れさん」と告げてきた。


 なんとなく、非友好的な態度である。

 それに続いてステージに向かう他のメンバーたちも、仏頂面であったり苦笑を浮かべていたりと、それぞれうっすら負の感情をたたえていた。


 しかし、そのていどのことでめぐるの気持ちが曇らされることはない。

 ベースに付着した汗を清めて、ギグバッグに仕舞い込み、それからソファにくずおれると――何か底知れないほどの達成感と虚脱感が同時に襲いかかってきた。


「いやー、楽しかったねー! まず間違いなく、これまでで一番のベストバウトだったっしょ!」


 二番手のバンドのメンバーたちがいなくなると、町田アンナがまた声を張り上げた。オレンジ色の頭にスポーツタオルをかぶりつつ、汗だくの顔で笑っている。その左頬の『A』の文字も、半分がた溶け崩れてしまっていた。


「ブイハチのイベントも、これでダメならあきらめがつくってもんさ! 我がショーガイにイッペンの悔いなーし!」


「あんたは、絶命するのかい。太く短い人生だったね」


 いつもの調子で応じながら、和緒がめぐるの隣にどかりと座り込んでくる。そしてその手が、めぐるの頭にふわりとタオルを投げかけてきた。


「あんたも存分に我を失ってるみたいだね。せいぜい風邪をひかないように気をつけなさいな」


「う、うん。どうもありがとう。……かずちゃんは、よくそんな冷静でいられるね?」


「あいにくと、人間らしい感受性ってもんが磨滅してるもんでね」


 スポーツタオルで自分のショートヘアーをかき回しながら、和緒は舌を出す。

 しかし和緒もなめらかな頬が風呂あがりのように火照っており、その切れ長の目も普段以上に明るくきらめいているようだ。そんな和緒の常ならぬ姿を陶然と見つめていると、たちまち頭を小突かれてしまった。


「何を虎視眈々と狙ってるのさ? あたしの咽喉笛を噛み破ろうって魂胆かい?」


「うん、そうかもね」と和緒に笑顔を返してから、めぐるはにわかに我を取り戻した。


「あっ、そ、そうだ! あ、あの、みなさん! 今日はいきなり大失敗しちゃって、申し訳ありませんでした!」


「えー? 大失敗って、なんのことー? 最初っから最後まで、サイコーのステージだったじゃん!」


「あ、いえ、もちろんわたしも、そう思っていますけれど……でも、『小さな窓』を速いテンポで始めてしまったので……」


「あ、そーなの? ウチは夢中で、なーんも気づかなかったなー!」


 町田アンナはけらけらと笑い、栗原理乃は相変わらずの無表情である。

 それでめぐるが和緒のほうを振り返ると、再び頭を小突かれた。


「確かに普段よりはハシり気味だったけど、謝罪を申し上げるほどではないでしょうよ。あんまり完成度のハードルを上げられると、こっちのほうが委縮しちまうよ」


「そーそー! なんべんも言ってるけど失敗したってかまわないし、そんなのは失敗の内にも入らないさ! リィ様も、そう思うっしょ?」


「はい。テンポが速まったためにいくぶんヨコノリというものを犠牲にした可能性はありますが、そのぶん勢いや迫力は増したように思います。かつて演奏中に力尽きてしまった私に比べれば、ミスと呼ぶにも値しない差異でしょう」


 そのように語りながら、栗原理乃がしずしずとめぐるのほうに近づいてくる。


「ですからどうか、お気になさらないでください。たとえ周囲の評価がどのようなものであっても、私は『KAMERIA』が持てる力のすべてを振り絞ったのだと確信しています」


「わ、わかりました。どうもありがとうございます」


「いえ。遠藤さんのご懸念が晴れたのでしたら、幸いです」


 栗原理乃は機械仕掛けのような挙動でお辞儀をすると、そのままくるりときびすを返した。その向かう先は、こちらの楽屋に一台だけ設置されているごく簡易的なシャワーユニットである。


「あ、さっそく変身を解除するのー? もー、リィ様はせっかちさんだなー!」


 町田アンナは共有のボストンバッグを担ぎあげると、めぐると和緒のTシャツをこちらに放ってから栗原理乃の後を追った。

 そのタイミングで、階段に通じるドアが開かれる。そこから現れたのは、『マンイーター』の三名であった。


「みんな、お疲れー! いやー、ものすごいステージだったよー!」


「うんうん。期待以上の内容だったなぁ。あらためて、高校生だなんて信じられないよ」


 坂田美月と亀本菜々子は、やはり屈託のない笑顔である。

 そして、柴川蓮は――これまで以上に対抗心の塊になってしまっていた。


「さすがのレンレンも、ぐうの音も出ないっしょ? こんなものすごいバンドだったら、そりゃあ誰でも目を引かれちゃうよね」


「うんうん。ましてや、ガールズバンドだしね。ブイハチのみなさんも、それで目をかけることになったんだよ」


 両名がそのように言いたてると、柴川蓮は「ふん!」と盛大に鼻を鳴らした。


「呑気なこと言ってないで、あんたたちも気合を入れなおしなよ! あたしたちは、トリを任されてるんだからね!」


「間に三つもバンドがはさまってたら、あたしらに影響はないでしょうよ」


「うんうん。しんどいのは、この次のバンドの人たちだろうねぇ。どんなにPAさんが頑張っても、あんな迫力は出せないだろうからなぁ」


 そう言って、亀本菜々子は和緒に笑いかけた。


「あなたのドラム、すごくヌケるね。パワーだったらあたしも自信あるけど、あの音ヌケは大したもんだよ。あれだけ凶悪なベースやギターに、全然負けてなかったもん」


「うん、本当にね! 歌もピアノも、最高だしさ! ここまでまんべんなくつけ入るスキがないなんて、ちょっと反則級かなー!」


「どうもありがとー!」と、シャワーユニットのカーテンの向こう側から町田アンナの声が響きわたる。坂田美月は、笑顔でそちらに向きなおった。


「なんだ、そこにいたんだね。時間があったら、あとでじっくり語らせてよ。あなたの音も、最高だったからさ。なんか、テレキャスに浮気したくなっちゃったよ」


「ミヅキチちゃんの音も、ウチは大好きだよー! ライブも楽しみにしてるからねー!」


 ミヅキチとは、坂田美月の愛称である。ライブ前の歓談の場で、亀本菜々子が一度だけそれを口にしていたのだ。


「あ、みんなも今の内に着替えちゃったら? よかったら、こっちでドアを見張っておくからさ」


 坂田美月にうながされて、めぐると和緒も汗だくのTシャツを着替えることになった。

 ペパーミントグリーンの色合いをしたTシャツは、汗を吸ってずっしり重たくなっている。たとえ部室で何時間もの練習に励もうとも、これほどの汗をかいた覚えはない。それは、ライブならではの熱気を体感した証拠のように思えて、まためぐるの心を大きく揺さぶってくれた。


「いやー、だけどマジで楽しかったよー! 五曲しか準備できなかったのが残念でたまんないなー!」


 しばらくして、町田アンナと栗原理乃もカーテンの向こうから舞い戻る。一畳足らずの窮屈なスペースで一緒に着替えをしたらしく、町田アンナは新しいTシャツの姿、栗原理乃はブラウスにロングスカートという私服に様変わりしていた。頭は三つ編みのアップのままで、頬の文字も綺麗に落とされている。


「うわぁ、リィさんってそんな素顔だったんだ? ステージとは別人みたいだね!」


 坂田美月がはしゃいだ声をあげると、栗原理乃は恐縮しきった様子で頭を下げた。


「ど、どうも。わ、私は栗原理乃と申します。リィというのは、その……ステージネームのようなものですので……」


「それじゃあ、理乃さんね。理乃さんも、すごかったよ。歌もピアノも、尋常じゃなかったもん。高校生どころか、アマチュア離れしてるインパクトだったよ。いつどこのレーベルに声をかけられても、おかしくないかもね」


「と、とんでもありません。私なんて、メンバーのみなさんに助けられているだけですので……」


 栗原理乃はぺこぺこと頭を下げながら、町田アンナの背中に隠れてしまう。町田アンナは陽気に笑いながら、その手の小瓶を和緒に手渡した。


「これ、クレンジングね! 客席に出る前に、自慢のビボーをみがいておかないと!」


「やかましいわ」と、和緒は小瓶をひったくる。

 その姿に、坂田美月はあらためて息をついた。


「確かに『KAMERIA』は、ビジュアルもレベル高いよね。あとほんのちょっとだけキャッチーな路線を狙ったら、本当にすぐデビューできるんじゃない?」


「あはは! キャッチーとかよくわかんないけど、ウチらは好きなように活動していくつもりだよー!」


「うん。あたしとしても、『KAMERIA』はそのまま突っ走ってほしいけどね。この凶悪なサウンドがどんな風に進化していくのか見届けたいからさ」


 坂田美月のそんな言葉に、柴川蓮がまたいきりたった。


「だから! そんな他人事でへらへらしてる場合じゃないでしょ! あんたたち、隠居ババアにでもなったつもり?」


「そんなわけないじゃん。あんなステージを見せられたら、血がたぎっちゃうね」


「うんうん。ババアにはババアの意地ってもんがあるからねぇ」


 亀本菜々子ものどかに笑いながら、言葉を重ねた。

 なんとなく――文化祭の『イエローマーモセット』を思い出させる雰囲気である。宮岡部長たちはこういう空気を発散させながら、ステージに向かっていったのだった。


(きっとこの人たちだったら……『イエローマーモセット』にも負けないステージを見せてくれるんだろうな)


 そんな風に考えると、めぐるはまた別の方向から胸を揺さぶられてしまった。

 そこで再び、ドアが開かれる。そこから現れたのは、三番手の出番となる『ザ・コーア』の面々であった。


「うわ、女くせえ。……なんだ、綺麗どころがそろい踏みだな」


 厳つい容姿をしたヴォーカルの男性が、陽気な笑みを届けてくる。そちらのメンバーは、みんな二十代の半ばぐらいに見えた。


「トップバッターのコたちは、お疲れさん。店長に期待して損はないかもとか言われてたけど、期待以上だったよ。最近の高校生ってのは、こんなにレベルが高いもんなのかねぇ?」


「いやいや、このコたちが異常なんだと思いますよぉ。あたしたちも、鳥肌もんでしたから」


 亀本菜々子がのんびり答えると、その男性は「そうか」と不敵に笑った。


「それなら、よかったよ。バンド業界が盛り上がるのはけっこうなことだけど、高校生にここまでまくられたら立つ瀬がねえからな」


「あはは。コーアさんたちだって、凶悪さじゃ負けてないでしょう?」


「ベースの凶悪さは、完敗だけどな。まさか、うちより派手にベースを歪ませる女子高生がいるとは思わなかったよ」


 ヴォーカルの男性のそんな言葉に、ベースの男性が苦笑を浮かべる。

 しかしそれは、二番手のバンドのメンバーたちが浮かべていた苦笑とはまったく質が異なっており――どちらかというと、『イエローマーモセット』や『マンイーター』に近い空気が感じられた。


「ま、そんなわけで、すっかり尻に火がついちまったんでね。悪いけど、楽屋を空けてもらえるかい?」


「はいはい。どうもお邪魔しました。コーアさんのステージも、じっくり拝見させていただきますよ」


『マンイーター』の面々が楽屋を出ていったので、『KAMERIA』のメンバーもそれを追いかけることになった。

 が、柴川蓮だけはドアのすぐ外にあるロッカーの脇に身をひそめてしまう。それに気づいた坂田美月が、苦笑を浮かべつつ振り返った。


「なんだ、また時間調整? しかたないなぁ。つきあってあげるよ」


「う、うるさいな! あんたたちは、好きにすりゃいいでしょ!」


「はいはい。自分の好きで居残らせていただくよ。じゃ、『KAMERIA』のみんなはまたのちほど」


 坂田美月ばかりでなく亀本菜々子も柴川蓮のもとに身を寄せたので、めぐるたちは四人だけでバーフロアの中心を目指すことになった。

 するとそちらでは、見知った面々がずらりと待ちかまえている。『KAMERIA』がチケットを売った二十名は、のきなみこちらに移動していたのである。


「みんな、おつかれさまー! 今日もサイコーだったよー!」


 まずは町田家の下の妹が、姉に飛びつく。その後ろでは、上の妹も笑顔で瞳をきらめかせていた。


「お疲れ様! 文化祭より、すごいステージだったよ! 野外フェスとも比べものにならなかったね!」

「やっぱり、音響の差なのかなぁ。本当に、ぎょっとするような迫力だったよ」

「確かにそれもあるだろうけど、やっぱりレベルアップしてるんだよ。ギターもベースも、まったく音が違ってたしさ」

「それに、ピアノもね! あんなプレイを見せつけられたら、自信なくしちゃうなー!」

「それはドラムだって、同じことだよ。これで一学年下なんて、うかうかしてられないなぁ」


 そんな風にまくしたててくるのは、『ケモナーズ』の面々である。

 そして、宮岡部長も力強さと穏やかさの同居する笑顔で声をあげた。


「きっとあなたたちは、野外とかよりライブハウスのほうが向いてるんだろうね。それで、ファーストライブのときとは段違いに成長してるし……文化祭からの一ヶ月でも、成長してると思う。とにかく、すごかったよ」


「……おかげで、耳鳴りがやまねえよ。せっかく暗記した英単語も吹き飛んじまったな」


 寺林副部長はそっぽを向きながら、そんな風に言い捨てた。

 町田アンナは「ありがとー!」とまんべんなく笑顔を返す。


「ウチらも、めっちゃ楽しかったー! みんな、盛り上がってくれてありがとーね!」


「あんなライブを見せられたら、誰だって盛り上がっちゃうさ!」


 と、ハルも朗らかな笑顔で言いたてる。

 その脇から、浅川亜季がめぐるのほうに近づいてきた。


「本当に、過去最高のステージだったと思うよぉ。……でも、例の件に関しては、まだオフレコなんだよねぇ?」


「ええ。壁に耳ありです」


 和緒が自分の口もとに人差し指を立てると、浅川亜季は年老いた猫のように微笑んだ。


「もうほとんど結果を伝えちゃったようなもんだけどねぇ。それじゃあまあ、正式な告知はのちのちということにさせていただくよぉ」


「はい。ありがとうございます」


 和緒は取りすました顔で、一礼する。

 それを横目に、めぐるはおずおずとフユのもとに身を寄せた。


「あ、あの、フユさんのおかげで、自分としては納得のいく音を鳴らすことができました。……外音のほうは、問題なかったでしょうか?」


「……ライブハウスに撮影を頼んでるんでしょ? ラインの音は、そっちで確かめな」


「は、はい。でも、それがスピーカーで鳴らされた音は、客席の人しか耳にしていないので……」


 フユは溜息をつきながら、細かくスパイラルした前髪をかきあげた。


「……インド象の断末魔が、さらにブーストされたような心地だったよ。あんたは自分の好きで、ああいう音を鳴らしてるんだろうね」


「そ、そうですか。それじゃあ、あの……フユさん個人のご感想としては、如何でしたか……?」


 めぐるがそのように言いつのると、浅川亜季がチェシャ猫のように白い歯をこぼしつつ顔を近づけてきた。

 フユはいくぶん赤くなりながら、手の甲で浅川亜季の顔を押しのける。そして、長身を屈めてめぐるに耳打ちしてきた。


「……まあ、悪くなかった」


 その言葉を認識すると同時に、めぐるの目から涙がこぼれてしまった。

 感動の涙ではなく、安堵の涙である。めぐるは自分の望む通りの音を鳴らして、他のメンバーともこの上ない調和を果たせたような心地であったので――それがフユの好みから外れていなかったことが、嬉しかったのだ。


「なんだよ、もう! 私にどうしろって言うのさ!」


 めぐるの落涙に気づいたフユが、やけくそのようにわめきながら自分の頭をひっかき回す。

 めぐるとしては、申し訳ない限りであったが――涙を止めることはできなかったので、せめて笑顔を返すしかなかった。

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