研究記録・鱗皮服
トーリヤの使う【生体転写】、その能力によって生成される人型の分身には致命的な欠陥が存在している。
基本的に幼い少女の体である本体と違い、性別も年齢、それどころか体格や顔の作りまで自由に設定でき、さらに最近本体でなくとも魔法の行使が可能であると判明してしまったこの人型分身は、しかし生成される際『生物しか作れない』という【生体転写】の性質ゆえに、全ての分身が裸で出現してしまうというなかなかにひどい欠陥を抱えていた。
実際この問題は、トーリヤが分身を駆使する上で、その応用幅を狭めるかなり致命的な欠陥だった。
通常の生き物であれば、そもそも服を着ている生き物自体ほぼいないためあまり問題にならないのだが、人型分身の場合は裸で活動させるわけにもいかないため、仮に人型が必要となった場合でも衣服を別に用意し、生み出した分身にすぐさまそれを着せるなど、それなりの手間をかけねばならなかったのである。
無論人が誰もいない状況で使うのならば、最悪人型分身だろうが裸で活動させても問題なかったのかもしれないが。
実際にこの分身を使う局面は、最低でも三人、情操教育にも気を遣わねばならない子供たちがいる島の中であり、将来的には人里に戻ってこうした人型分身を活動させることも当然に視野に入れなければならないというのがトーリヤの考えだった。
故に島に流れ着き、良くも悪くも人目を気にせず能力を研究できるとなったその時に、トーリヤは真っ先にこの分身たちの衣服の問題について解決を試みた。
具体的には生物の肉体しか生成できないというその特性に着目し、だったら体の一部として衣服の代わりをする部位を体に取り付けてしまおうと考えたのだ。
そうして生まれたのが、人間の尾骶骨部分から長い尾のような部位を伸ばし、そこからモモンガの被膜のようなものをたらして腰に巻きつけ、最低限隠すところを隠す形にしようという【腰巻尾】の開発だった。
幸いにして、この試みはある程度であるがうまくいった。
ビジュアル的には腰回りを毛皮で隠しているという、最低限原始人レベルの衣服の開発は人型分身たちの活動の幅を大きく広げ、具体的にはとりあえず子供ら前でも分身を生成できるようになったし、いちいち服を着せる必要がないため貴重な衣類を分身たちに回さなくてよくなった。
とはいえ、だ。
最初の冬を越す、そのための準備に向けて腰巻尾を開発し、ひとまず分身たちによる人海戦術によって必要な食糧などを集めきったトーリヤだったが、それで満足したかといえばやはりそんなことはない。
そもそもの話、人間の体というのはぜい弱だ。
分身と言えども人間と同じ構造をしている以上、はだしで歩けば足場によっては容易に怪我をするし、裸で森の中歩き回れば植物の葉で皮膚を切ることも珍しくない。
冬場は寒さゆえ半裸で行動すれば当然凍えるし、夏場はこんな野生の王国、当然のように虫だっているのだ。
分身の特性ゆえに、毒や病気をもらってもすぐに分身そのものを消して新しく作り直すという真似は出来てしまうものの、そもそもの分身の使用感、その快適さという点において、人型分身が服を着ているのといないのとでは天と地ほどの差が出てくる。
それに加えて、腰回りに毛皮を巻き付けているだけの原始人スタイルはそれなりに見えるのだ。
無論トーリヤ自身、分身たちの活動に際してその部分は気を付けていたのだが、どれだけ気を付けていても本体や分身の視界にその中身が入ってしまうことはそれなりにあったし、トーリヤに見えているということは他の子供らに見られている可能性も嫌になるくらいは高かった。
(それに、このやり方だと男の分身は良いけど、女性型の分身がなぁ……)
単純に労働力、食料の調達や家事や工作、その他もろもろの作業を行う人手というだけなら男性型の分身だけでも良かったが、すでにこのころのトーリヤはこの人型分身たちにより高い利用価値を見出していた。
実際、体格から年齢、容姿にいたるまで自由に設定して生成できる人型分身は、うまく使えば最初に考えていた以上に活用できる局面が多いのだ。
そんな便利な人型分身が、服を着ていない、裸の状態でしか生成できないという制約のために活用できる局面が限定されてしまうというのはあまりにも惜しい。
魔王討伐という目的、その過程で予想される事態など後々のことを考えるなら、この制約は何らかの形で、ぜひとも解消しておきたい制限だった。
そんな思考の元、トーリヤはさらなる試行錯誤を繰り返し、まずは女性型の分身に服の代わりになる部位を付けようと模索した。
当初考えていたのは、尾骶骨から伸ばした腰巻尾を腰に巻き付けたのと同じように、胸元を隠す部位を背中あたりから生やして服の代わりにしようという試みだ。
具体的には悪魔の翼。
蝙蝠のそれに近い、悪魔が背中からはやしているような翼を背中に生やし、それを動かして体の全面を覆って、いわゆる手ブラならぬ翼ブラのようなことができないのかと考えたのである。
とはいえこの試みは、一応実を結んだものの思っていた形にはならず、トーリヤの中では若干の失敗に終わった。
人間の背中に蝙蝠の翼が生えているという、自然界に存在しない生き物の体構造で分身を生成した結果、翼そのものに神経を通すことができず、動かない翼が背中から垂れ下がっているという、自力で胸元を隠すことのできない若干中途半端な形で仕上がってしまったのである。
腰巻尾の場合は実際に尻尾が生えている類人猿をはじめとする動物の体構造を流用できたし、そもそも人間自身もともと尾が生えていた名残が残っているような生き物だったため尾を生やすのは難しくなかったが、背中から翼が生えている生き物など虫くらいしかいなかったため、流用できる情報がなく仕上がりが中途半端になってしまったのだ。
それでも、翼の先にフックのような爪をつけ、それを胸の前で引っ掛けて止めるというフロントホックに近い構造の胸当てはどうにか作れたわけだが、背中の皮膚と繋がる部位を前に回して引っ張る関係上背中側に痛みを伴い、トーリヤの中ではないよりはましだが改善の余地が多い、不本意な出来の分身となったのである。
とはいえ、分身の体の一部として衣服を生成するという試み、その一点においてはこの女性型分身に衣服を着せる試みは一定の成功を見たといえる。
一応他の失敗事例として、そもそも人型分身を生み出す際に隠すべき局部を持たず、あるいは体毛などでそれらが隠れる分身も考案されたが、そちらは人型ではあるものの到底人間とは呼べない外見になってしまったため、トーリヤは人間らしさを残したまま服を着ているような状態に生み出す路線でさらなる研究を進めることにしていた。
そうして、新たな衣服をまとった分身を研究し、それに必要な発想を求めていたトーリヤが次に目をつけたのが、島の中で見つかった、島に生息する蛇が残したと思しき抜け殻だった。
(抜け殻――、脱皮――!! 考えてみれば、皮を脱げるってことは、脱ぐ前の剥がれかけた皮をかぶっている状態は、人間でいうところの着衣に近いんじゃないのか……?)
そう思いついて、トーリヤはさっそく【生体図鑑】から脱皮寸前の蛇の体構造情報を抜き出して、分身の改造に着手する。
蛇の脱皮程露骨ではないが、人間だって新陳代謝で古い細胞や皮膚がはがれることはあるためその延長線上と考えればそこまで無茶な改造という訳でもない。
人体の上にかぶせるように、まずは脱皮で剥がれる寸前の蛇の皮を半融合状態で追加して、徐々にその範囲、もっと言うなら被服面積を広げて服に近い状態へと整えていく。
最初の段階では脱皮途中の皮だったため薄く透けるような素材になってしまったが、そこは人体との接合部分だけを脱皮寸前の細胞にし、その上から同じ蛇の皮をかぶせるようにしたためより一層服らしく、透けることはなくなった。
完全に脱皮して、皮膚から組織がはがれてしまうと衣服代わりの抜け殻が消滅してしまうという、脅威の脱衣性能が欠点として発覚したため、先に開発した翼ブラと同じように背中側だけ人体とのつながりを強くして長い時間体の一部であり続けるよう調整を重ねた。
最後に服としてのデザイン、蛇の皮として鱗模様が残るそれを黒く染め、被服面積のバリエーションを研究し始めるころには、分身たちに着せる服としての体裁はトーリヤが思い描く完璧なものへと仕上がっていた。
脱皮寸前の蛇皮から発展したその衣服は、その形状を上下のビキニからタンクトップやTシャツ、スパッツやタイツ、果ては首から下の全身を覆えるボディスーツのような形状まで自在に設定することが可能になった。
皮膚の上にかぶせる皮膚という性質上、どうしても肌に密着した形状の衣服という縛りはついてしまったが、逆に密着した形状であれば皮膚組織の増設によって厚みを増減し、例えばしっかりと足を守るブーツのような構造まで作れるようになっていった。
完成し、着けた名前は【鱗皮服】。
着用する分身の性別も体格もいとわない、被服面積も用途に合わせて自由自在という、人型分身を運用する上での縛りを外すその発明は、トーリヤが五歳の誕生日を迎えるその寸前、多くの分身に祝われる形でこの世に爆誕したのだった。
なおそのあと迎えた夏場に、生き物の皮という性質ゆえに吸湿性と通気性が最悪という欠陥が発覚した鱗皮服の存在によって、多数の分身たちが暑さと湿気に苦しむ羽目になったのはまた別の話である。




