一年目・冬(昼)
手の中に意識を集中する。
参照にするのは【生体転写】。思い描いた生き物を分身として生み出す、もっと言えば無から生物を生み出すという、魔法について研究すればするほど異質とわかる、トーリヤがこの世界に来る際与えられた特典能力。
神様まがいの存在に与えられた、今生でのトーリヤに最初から備わっていた能力とは違っているが、今トーリヤが一から自力でやっていることはその能力に相当に似通った魔法だ。
むしろ生成する物体が単純な分技術的にははるかに低いレベルであるはずで、故にトーリヤ自身それを実際に実現させるまでの時間はそれほど長くはなかった。
「――生成」
記憶をさかのぼってかつて当たり前のように日常の中にあったそれをイメージし、魔法を使う独特の感覚の元呟いたその瞬間、トーリヤ自身が望んだそれが記憶の中の特徴通りにトーリヤのまだ小さな手の中へと出現する。
白くてもろい円筒状の棒、トーリヤも前世の学生時代散々お世話になった、学校などでは頻繁に見かける白いチョークが。
「――ッし、できたぞ」
「やっぱトーちゃんはこの魔法の成功率高いよな……」
「まあ、俺の場合これの実物を前世で知ってるからな。とりあえず、今日のところは三人ともこれを使っとけ」
「あ、ありがと――」
「ああ、ダメね……。できれば自分で作れるようになりたいんだけど……」
自分達でも試していた魔法を断念しつつ、三人の子供らがトーリヤが手の中に生成した四本のチョークのうちから、それぞれ一本づつ受け取って所定の位置についていく。
魔法という技法があるこの世界において、人間が無から有を、気体や液体、そして何らかの物体を作るというのは普通に存在している技術だ。
一応使える人間が限られるほか、術者が生成する物質をはっきりとイメージできなければならない関係上、一般的にあまり複雑なものは作れないという話だったが、簡単な道具程度であれば必要になったときに何もないところから生成できるという人間が、この世界には決して珍しいとは言えない一定数普通に存在している、らしい。
そしてこの無から物質を生み出すという魔法は、言ってしまえば無から生物の分身を生み出せる、トーリヤの【生体転写】の下位互換ともいえる魔法だ。
そうした性質もあってか、トーリヤはこの物質を生み出す魔法に関しては存在を知ってから比較的早くに習得し、前世で見知ったチョークくらいであれば簡単に生み出せるくらいには習熟していた。
「さて、今日も引き続き昨日の復習から、レイフトとエルセはまず文字の書き取りを全種類だ。シルファ、その間に俺たちはあっちの壁で昨日話した授業の準備をするぞ」
「う、うん」
普段から生活する洞窟の内壁、何カ所か平らになった場所を黒板変わりに使用しながら、四人はそれぞれチョークを用いて授業に必要な文字を書きだしていく。
島での生活が始まって半年、冬を迎えたトーリヤ達はいよいよ本格的に文字の練習を始めていた。
とはいっても、実のところこの世界の文字について、トーリヤ自身教えられるほどの知識があった訳ではない。
この世界、もしくはトーリヤ達が暮らしていた地域の識字率は文明レベル同様あまり高くなく、肉体年齢まだ四歳だったトーリヤはもちろんのこと、年長のレイフトやエルセでさえも文字の読み書きについては禄に教わっていなかった。
そうした状況ゆえに、島についたばかりのころのトーリヤ達は、島の洞窟内に船の積み荷だっただろう多数の書物が残っているという恵まれた環境にありながら、それらの本が全く読めないという宝の持ち腐れのような事態になりかけていたのだが、そんな状況を救ったのが一行の中である意味最年少といえるシルファだった。
当時すでにエルセも含めた四人の中で共有されていた、母の幽霊らしきものが見え、その知識を引き出せるというシルファの正体不明の特性。
そうして引き出した知識の中に、この世界のこの地域で使われている文字、それらの読み書きに関する知識もばっちり収録されていたのである。
結果シルファは一行の中で最年少といっていい立場にありながら、他の三人に文字の読み書きを教える教師役のような立場に収まった。
(――まあ、俺がすぐに覚えて教師側に回れたから、それほど負担はかけずに済んだんだが……)
この世界に転生してから今日までの間にうすうす気づいていたことだが、今生におけるトーリヤは前世と比べても明らかに記憶力がいい。
否、単純に記憶力の問題というよりも、未知の知識を脳内から引き出す【生体図鑑】の能力が、ほかならぬトーリヤ自身の今生と前世の記憶についても適用されて、いわゆる完全記憶能力に近い性能を発揮していると見るべきなのか。
今のトーリヤは、一度見たモノであればほとんど完全な形で思い出すことができてしまうし、その記憶想起能力は対象が前世の記憶であっても変わらず、大人になって記憶の彼方に忘れ去ったはずの小学校の頃の記憶であろうと、ほとんど完全な形で思い出すことができてしまった。
そうした要因が絡み合った結果出来上がったのが、シルファの指導の元、先に文字の読み書きを習得したトーリヤが、前世の義務教育の経験をもとにカリキュラムを組んで、残るレイフトとエルセの二人、分野や内容によってはシルファも含めた三人に授業を行うという教育体制だ。
トーリヤ自身、先住者の遺産たる多数の本を分身の数にものを言わせて読み込むなど、まだまだ勉強中なところは多々あるが、それでも前世の記憶からくる知識量も相まって、かろうじて先生役を務めることができている。
「――と、トーちゃん、文字書いてる途中でチョークが消えちゃったんだけど……」
「ついでに書いていた文字もまとめて消えたわね……」
「――えッ? うっそ、もう? 昨日はもっと持ったはずなのに――。待ってろ、今もう一度作り直す」
「――え、あ、で、でも、こっちのチョークは、まだ、消えてない、よ……」
「んえ? あ、ほんとだ……。どうなってるんだろう?」
とはいえ、この世界特有の物事を中心に、トーリヤ自身学び、知り、そして解明せねばならないことの方がまだまだ多い。
この調子だと、その内この時間は授業ではなく実験や研究の成果を共有する時間になるかもしれないとそう思いつつ、トーリヤは今はその授業を再開するべく、まずはチョークの再生成を開始した。
一切動かず目のまえに迫る危機を平然とした思考で見続ける。
白黒とは言わないまでも、どこか靄がかかったような色合いの視界の中で少女が動き、その左手にナイフが煌めく中で、それでも身じろぎ一つせずに見続ける。
「アァッ――!!」
少女の握るナイフが己の首に突き刺さる。
喉の奥から熱い血があふれ、口の中と肺の内側が血液で満たされて、それでもトーリヤは抵抗どころか身じろぎすらも起こさない。
自身の血におぼれながら、このままなら自分が死ぬまでにどれくらいかかるかと、そんな思考を平然としつつかけられる体重と共に地面へと倒れこんで、喉元から引き抜かれたナイフがおまけとばかりにその視界いっぱいに広がり迫って――。
その瞬間、トーリヤと意識を共有する狼の分身の意識が途絶えて、直後に本体が見守る中でその分身体が跡形もなく消失した。
(うーん、えぐい)
自分が殺される感覚を分身越しに味わいながら、同時にトーリヤは自分の目の前でそれを成した相手、ナイフを握り、浴びた返り血が分身とともに消えていくその中で、荒い息を漏らしながら立ち尽くすエルセの姿に様々な感慨を込めてそう思う。
子供に動物を殺させる練習をさせている点と言い、その動物が自分と意識を共有する分身である点と言い、この世界に転生してすでに四年が過ぎているにもかかわらず、未だ日本の価値観を引きずっているトーリヤにはいっそ罪悪感すら伴うひどい絵面だ。
とはいえ、この訓練もこれはこれで、必要だと考えているからやっていることではある。
「――とりあえず、動かない相手にはほとんど一撃で致命傷を与えられりゅようにはなったな」
「――そう、ね……。次は本物みたいにこっちに襲い掛かってくる感じでもいいかしら……」
「さすがにそれは性急すぎるだりょ。まずは――、そうだな。動き回るとか、逃げ回りゅ程度の弱い抵抗を見せる相手を仕留める感じにして、徐々にその抵抗を強くしていく、くらいがいいんじゃないか?」
「――そう、ね……。じゃあ、そうして」
言いながら、ナイフを握ったまま震える左手を隠してそういうエルセに、トーリヤは少しだけため息をついて分身を出さぬまま本体の方で近づいていく。
「その前に、一度落ち着いて深呼吸しりょ。お前が今やってりゅのは、自分の胸の傷をえぐって力に変えようってやり方だ。余計なトラウマを増やすようならやめた方がいいし、それでも強くなりたいっていうなら他の方法を考えるてもありゅ」
朝と変わらず味気ない昼食をはさみ、午後になって四人が始めたのは先々を見据えての運動と、そして戦闘訓練だ。
この世界は具体的にどのような存在かはわからないながらも、およそ六年、否、もう五年と数か月の未来に魔王なる脅威が襲来することが、神に近いという超常の存在から予見されている。
加えて、はっきり言ってこの世界は治安がいいとは到底言えないようであるし、そもそも人間以外にも凶暴な野生動物が不通に存在している危険な世界だ。
そんな世界で生きていくのであれば、最低限自身の身を守り、あるいは迫る脅威を退ける力を身に着けるべきだろうとそう考えて、トーリヤ達は午前中に授業で学力を身に付けた後は、午後からは強靭なに体を作るためのトレーニングや、武器や魔法を使った戦闘技能の研究といった訓練にいそしむ生活を送っていた。
とはいえ、戦闘訓練とはいっても、具体的にこの時間は誰かが何かを教えるという形にはなっていない。
学業面では教師役を務められるトーリヤにしても、前世では戦闘などとは無縁の世界で生きていたし、格闘技の経験はおろか、体育の選択授業でさえも柔道や剣道といった戦闘に通じるといえるような競技は避けていた。
唯一、四人の中でレイフトだけは、今は亡き父から軽く剣の手ほどきを受けていたようだが、彼の受けていた訓練も本当に初歩の初歩程度で、人に教えられるほど剣術に熟達しているとは言い難い。
結果、トーリヤ達は戦闘技術についてはほとんどゼロから確立することを余儀なくされており、恐らくは無駄にならないだろう体力づくりと筋肉トレーニングの他、武器の素振りなどで効率のいい動きを探り、反復練習によってそれを体に覚え込ませるといった訓練から地道に始めることになっていた。
と、そんな中で、他三人の試みの中にもう一つの方式を導入するきっかけとなったのが、今目の前でナイフを握っているエルセである。
『私が犬を殺した時は、目のところを刺したらあっさり死んだのよ。だから次も同じように、できれば――、今度は怪我をしない形でできるようになれば――』
確かに生き物というものは、どれだけ強靭な存在であっても急所を突けばあっさり死ぬものである。
逆に言えば、相手の急所の位置を割り出して、的確に突くというのが相当に難しいわけだが、どんな生き物が相手でも結局はそこ(・・)に行き着くのであれば、結果から逆算する形で訓練をはじめ、徐々に難易度を上げる形で必要な技術を身に着けていく、というのもまた一つの訓練の形といえる。
(――とりあえず本人にも言ったように、まずは動かない獲物から逃げる獲物をしとめる形に訓練を進めていくか……。それから徐々に抵抗を激しくして、最終的には襲ってくる“敵”を倒せるようになることを目標にして――。
こいつ自身にトラウマみたいなものがあるならそれにも注意して――。他の二人はどうするか――。相手にする動物のバリエーションもいろいろ種類がいた方がいいよな――。人間は――、それもこんな世界だったらやっておくべきだろうな……)
そうして頭の中で今後の訓練内容について構想を練るトーリヤだったが、その中で殺されるのが分身とはいえ自身であることについてはほとんど考慮されていない。
意識の奥底で記憶や認識を共有し、リアルタイムで相手の五感情報すら取得できるトーリヤだが、そうして感覚すらも共有していながら分身を介して経験した死はトーリヤの中で奇妙なほど軽いものだった。
否、軽い、というのとも少し違うのだろうか。
なんというか、苦痛も死の感覚も自身の中ではっきりと感じているはずなのに、それがトーリヤ自身の精神にほとんど衝撃として伝わってこないのだ。
分身であり、自分である以上決して他人事ではないはずなのに、分身が感じる痛苦が全く苦にならないという、やけに都合のいい奇妙な感覚。
否、あるいは――。
(変に都合がいいっていうより、都合の悪い部分がカットされてる、と見るべきか?)
もとよりトーリヤの能力は、あの神様ならぬ何者かからこの世界に転生するにあたってもたらされた転生特典だ。
思い返してみても、トーリヤに付与する力を選ぶ際、あの神様まがいの存在は付与する能力を新たに生み出したり、あるいはトーリヤの中から引き出したというより、すでに存在していた【生体転写】という能力をそのまま流用して、あとはその補助能力として残る二つの能力を付け加えたような様子だった。
だとすれば、元々あった【生体転写】というのは、あの神ならぬ存在がもともと使っていた、彼ないし彼女が自分に合わせて発展させた便利な道具のような能力だったのかもしれない。
その発展の過程で、分身を運用する上で不要な、ともすれば邪魔になる苦痛や死への忌避感といった要素が省略されていて、だからその力を与えられたトーリヤは分身越しの死に苦痛を感じずに済んでいる、というのは、実際あの時の会話を考えればありうる話のようにも思える。
(――まあ、なんにせよ分身なら殺されても問題ないってんなら、こいつらの将来のためにもせいぜい殺されてやるとするさ)
現状はまだ、この方法を用いているのはエルセ一人だ。
他の二人、レイフトやシルファなどは剣の素振りから始めていて、効率のいい動きなどを研究して体に覚え込ませる訓練に撃ち込んでいるほか、トーリヤの発案によって弓やひもを用いた投石、そして魔法の練習など危険な生き物から距離をとって戦える方法についても模索し始めている。
二人の方にもそれぞれトーリヤの分身をつけて共同で研究し、後々その成果を四人の間で共有する形で今日までやってきたわけだが、この分身を殺す訓練方法についてもおいおい四人の中で共有していってもいいのかもしれない。
使用する分身、想定する仮想敵の中に人間も含めるかについてはトーリヤ自身迷うところだが、この世界の文明レベルや治安を考えると恐らく対人戦の訓練についても、殺傷、非殺傷を問わずある程度の経験をさせておくべきだろう。
(まったく、こんなこと考えてるのは、この世界ではまだ俺だけなのかなぁ……)
育児の方針と前世の価値基準の間で悩みながら、それでもトーリヤは脳裏の向こうでエルセに殺されながら、自身は最年少の幼い体に負荷をかけて地道に体を鍛え続ける。
願わくばこの訓練の結果が、来る魔王の襲来時に有用なものとなるように。
ほかならぬトーリヤ自身の能力が、この世界とあの子らの未来を守れる、それができるだけの力量に届くように。




