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一年目・冬(朝)

「――んむ、ぅ……」


 瞼を突く朝日の光と、外からながれこむ冷たい空気に泥の中に沈んでいたような意識が浮上する。

 それなりの睡眠をとっていたことも相まって、眠りへの執着も薄く徐々に意識を覚醒させながら、流れる空気の冷たさにだけは身を震わせて、トーリヤはぬくもりから自らの体を引きはがすようにあくび交じりに身を起こす。


「――んぅぅ……。あさぁ……?」


「――あふぁあ、そうだ。――ああ、寒い……。つくづく冬支度が間に合って命拾いしたぜ……」


 欠伸交じりに自身を抱き枕代わりにしていたシルファに応え、トーリヤはかぶっていた毛皮の毛布からはい出し、湯たんぽ代わりにしていた大型犬の分身を立たせつつそばに畳んでおいた衣服に手を伸ばす。


 トーリヤ達が島に流されて半年、大人としての知識を持っているとはいえ肉体年齢四歳のトーリヤと、それぞれ六歳、九歳、十歳の少年少女という四人組だけで最初の冬を迎えるとなったときにはどうなることかと思ったが、それでも四人はだれ一人欠けることなく冬の孤島の中で生きていた。


 周囲を見渡すと、同じように大型犬と毛皮で固められた寝床が二人分空になっており、トーリヤはそれらを形成していた大型犬分身が身を起こすのを見ながら、この洞窟に残されていた先住者の衣服、それらのサイズをいじり、つぎはぎしてどうにか仕立て上げた自身の服へと袖を通していく。


 外は寒く、本来ならばしっかり防寒着を着込みたいところだったが、そんな誘惑に反して実際に着込むのは半そで半ズボンの軽装。


 靴だけはブーツのようなものを履いているが、こちらも腕こそ未熟ながら、動きやすさを考えて作られたものだった。


「――と、いけない」


 そうして着替えを終えて、直後にトーリヤは忘れていたとばかりに自身の能力を行使し、自身のそばに成人男性の人型分身を一体作り上げる。


 否、実のところ生まれるそれは完全な人型という訳ではない。

 裸のままで生まれてくる、余りにも冬場に使うには不都合の多すぎるという問題に直面して生み出したそれは、背中から天使の羽のように生えた毛皮を体に巻き付け、同じく尾てい骨から伸びた尾、それを軸に広がる被膜とも皮ともいえる者を腰に巻き付けることで服の代わりとした、体の一部を服替わりとすることで最低限裸から脱却した新型分身だった。


「――うぅ……、さっむ……。やっぱりこの分身(からだ)、裸よりましだけどこの季節に使うにはまだまだ改良の余地ありだな……」


「――まあ、そうだよな……。その辺も一応今後の研究課題ってことで。あと今優先してやりゅべきは書庫の本の解読と、基本魔法の開発と、それから――」


「まず何よりも本体のトレーニングだろうよ。ほれ、朝飯の用意と人手の生成は進めておくから、本体はさっさとトレーニングに行ってこい」


 そう言って背後を指し示す分身の男に、トーリヤは背後で身支度を整えていたシルファが出かけられる状態になっているのを確認すると、彼女を伴い、そして先に外に出たと思しき二人を追ってまだ気温の低い朝方の島へと歩み出す。


 異世界に転生し、そして島へと流されて迎えた最初の冬。


 文明の恩恵無くしては十分に過酷な環境、野生がはびこる島の中へ、それでもトーリヤ達は目指す未来へとむけて走り出していた。






 島で暮らすトーリヤ達の朝は早い。


 というよりも、文明の明かり存在しないこの世界での生活は、基本的に太陽の日照時間に合わせた、日の出とともに起きて日の入りと共に寝入るような生活だ。


 前世の日本での生活であれば、夜になっても電灯(LED)の明かりの下で活動することもできたが、この世界では暖房も兼ねた焚火を維持する薪すらも貴重品で、冬を越すために無駄遣いできない以上日が落ちて暗くなったらそれこそ早めに寝るしかない。


 一応これについては魔法による解決も試みてはいるが、そもそも明かりの問題を抜きにしてもここにいるのは成長途上の子供ばかりなのだ。

 ほかならぬトーリヤ自身、肉体年齢についてはまだまだ幼い四歳児である以上、早寝早起きの習慣を無理してまで曲げようとは思わなかった。


 そうして、登り始めた朝日があたりを照らし、徐々に明るさと温情程度の温かさをもたらすその中を、トーリヤは護衛代わりにそばを走らせる大型犬の分身と共に、島の中にあらかじめ見出したコース、最低限人が通れるように鳴らした道を延々とその足で走り続ける。


 将来を見据えた体づくりの一環、体力をつけるための早朝のジョギングを、トーリヤはもちろん他の三人も含めた四人全員でこなし続けていた。


 とはいえ、だ。

 年齢も性別もバラバラ、トーリヤ本人に至っては肉体年齢四歳ともなれば、さすがに走る速さもバラバラで、かといって誰かひとりに合わせて走るのもトレーニングとしては間違いと言わざるを得ない。


 結果としてトーリヤ達は、走るコースこそ事前に決めた同じルートであるものの、その速度は一人一人バラバラで、護衛代わりの大型犬の分身だけを連れて延々体力が尽きるまで走り続けるというトレーニングの形をとることになった。


 そして当然、走る速度がバラバラで、かつ年齢的にトーリヤが一番足が遅いとなれば、先に走っている誰かに背後から追いつかれるという事態にもなってくる。


「――おう、――トーちゃん」


「――フッ、レイか、――フッ、なんか、あったか――?」


「――いや、――見かけたから」


「――そ、っか――」


 二人とも呼吸の合間にそうして会話を交わし、やがてトーリヤを追い越したレイフトが徐々に道の先へと姿を消していって、再びトーリヤが護衛代わりの犬と実質一人で残されることになる。


 トーリヤも含めた四人の中で、やはりというべきか一番身体能力に優れているのは唯一の男子にして肉体的には最年長といえるレイフトだ。


 彼の場合身体的な条件以外にも、そもそも本人の気質的に体を動かすことが好きらしく、こうして習慣として行っているトレーニング以外にも、父から教わっていたという剣術を軸としたトレーニングを積極的に行っていた。


「――フ、――フ、――フ、」


 しばらくして先に言ったレイフトを追うように、後ろからエルセが走ってきて、規則正しい呼吸と歩調でトーリヤを追い抜き、軽く視線を交わしてそのまま先へとむけて走っていく。


 エルセにしてみても、こうした運動能力の向上についてはレイフトと同等かそれ以上に積極的だ。

 否、彼女の場合は運動に積極的というよりも、自身の能力を伸ばすことに積極的であるというべきか。


 島に来る前に負傷して、トーリヤの治療を受けた右腕はマヒが残ってしまってそのままだが、そんな自身のハンデを埋めるように、彼女はとにかく自分にできることを増やして、どんな状況でも生きていけるよう己を鍛えようとする意識がある。


 トーリヤとしては、余り張りつめすぎて自分を追い込んでしまったり、周囲を頼ることを覚えず自分一人で背負い込んでしまうようならそちらには対応しなければならないと考えているが、一方でこれからこの世界に何らかの厄災が起こるだろうことを考えた場合、彼女のこのスタンスは最もトーリヤの教育方針にあっているともいえる。


「――ふぅ、――ふぅ、――ハッ、――ハッ」


 そうして最後に、他の二人よりも明らかに息を切らして、つらそうな表情に顔をゆがめながら、最後の一人であるシルファが後ろからトーリヤに追いついてくる。


「――あん、ま――、きつい、ようなりゃ――、ほどほどに、切り、上げていいぞ」


「――は、はぃッ――、あ、じゃ、ぅん……」


 一瞬びくりとしてそう返事をして、直後に思い出したようにシルファが若干砕けた言葉づかいでそう言い直す。


 受けていた扱いから考えれば無理もない話ではあるのかもしれないが、最年少ということもあってかシルファの行動原理は他の二人に比べると受動的だ。


 運動能力についてはさすがに肉体年齢四歳のトーリヤには勝るものの、どうやらシルファはレイフトなどと違って本人余り運動が得意ではなく、性格的にもあまり体を動かすのが好きという訳ではないらしい。

そんなシルファだったが、それでもトーリヤが強くなることを方針として打ち立てて、そのための訓練を彼女に求めたが故か、好まないながらも毎朝欠かさずこうして同じコースを走り続けている。


 それ自体を、別にトーリヤとて悪いことだとは思っていない。


 生きていくうえで、性に合わなかろうが得意でなかろうがやらなければならないことや身に付けなければいけない能力というのはどうしても存在しているし、魔王にたとえられる何らかの厄災の到来が予見されている現状、体力や運動能力の多寡は将来的に命にも直結する問題だ。


 それでなくとも、先日遭遇したジャイアントシャモをはじめ、危険な大型の原生生物が相当数生息しているような環境である。


 将来的に、トーリヤのように魔王の討伐などという危険な厄介ごとに乗り出すことはないにしても。

 この危険蔓延る世界で生きていく以上、素養にかかわらずある程度体を鍛えておくに越したことはない。


「――あんま、フッ――、急がなくていい、かりゃ――。――フッ、フッ、この前教えた、フッ、フッ、正しいフォームを、意識、して――」


「――ッ、ぅ、うん……!!」


 自分でも息を切らせながら告げた指示に、おなじく息を切らしながらもシルファが応じて崩れかけていたフォームを走りながら整える。


 運動能力が必要で重要なのだから、性に合わなくてもやらなくては仕方ない。

 そう考えながらも、一方でトーリヤが思うのは、必要で重要だからと言ってそれ(・・)だけに傾倒しすぎてもいけないということだ。


 これはトーリヤ自身、前世の自分の経験があるからなおの事強くそう思う。

 前世でのトーリヤも、嫌なことでもまじめにやって、自分の性質や好悪の感情などは切り捨てるべきと考え、そしてそれで失敗したと思う部分が少なからずあった。


 自身での経験も相まって、ほかならぬトーリヤ自身少なからず知っている。

 好きでもないことを嫌々やって、自分を押し殺してそれを当然視する生き方というものが、どれだけ息苦しく、そして効率が悪いものであるのかを。


 そしてそれを知るがゆえに、トーリヤは決して、自らの教育方針に従っているだけ(・・)のシルファの現状を好ましいものとは考えていなかった。


(できることなら、必要な能力を最低限身に付けつつ、好きなことや得意なことを見つけてそれを伸ばすような生きたをさせてやりたいもんだが――)


 親というのは難しいな、と、勢いで親を名乗り始めてからのこの半年で何度も痛感したことを再びそう感じ取りながら、トーリヤは息切れし始めた自身もペースを緩めながら、徐々に速度を落として一日の初めのトレーニングをひとまず切り上げることとする。


 まだまだやることが山積みの一日を前にして、一日の初めのトレーニングを終えて、その次へ。






 呼吸を整えながら、分身の犬と共に住居へと戻る。


 朝のジョギングは、基本的にそれぞれが限界まで、体に負荷を感じるペースで走るように指示しているが、そのせいなのか四人が大体同じくらいの時間帯にトレーニングを終えることになる。


 そのため、なのだろう。

 トーリヤが三人のトーリヤとすれ違った後、トーリヤと会話していたレイフトに追いつく形で合流することになり、その後二人連れだって家に向かう途上、四人組のトーリヤが五人に増えるのを何となしに見ていたエルセとも合流して、三人連れ立って住居へと戻ることとなった。


 そうして洞窟の住居へと戻ると、そこには頑張りすぎたのかトーリヤに介抱されるシルファと、トーリヤが作ってトーリヤが盛りつけた朝食が三人を待っていて、トーリヤ達はシルファが呼吸を整えて身を起こすのを待ち四人で食事を共にすることになる。


 言語化するとなかなかに字面のおかしい事態だが何のことはない。

 種を明かせばここでいう『トーリヤ』とは他でもない、トーリヤが家を出る際残していった分身、その一体が四人がトレーニングしている間に次々と新たな分身を生成し、せっせと島中に解き放って今日の作業へと向かわせた、その結果だった。


 この島の中で生活し、冬を迎える準備をするためにトーリヤが用いてきた方法は、大量の分身を生成して必要な作業を片っ端から消化していく、単独で行う人海戦術だった。


 島での生活と冬越しのための拠点の整備や薪などの物資の調達。半分野生化していた麦の収穫から野草の採集、食料になりそうな大型生物の狩りから、そうして得られた食糧の保存食への加工まで、たった四人の子供では冬までの時間でどれほどできたかもわからない膨大な作業を、トーリヤは村一つ分にも匹敵する大量の分身を生み出し、思いつく作業のすべてに割り当てることで力技で解決したのだ。


 現在トーリヤ達がとっている朝食も、その時に調達して保存していた麦や野草、干し肉などを栄養バランスにだけ(・・)には気を使って、麦粥とその具材にする形で煮込んだものだ。


 保存のやり方については、村にいたころ村人たちがやっているのを分身越しに観察していた方法を何とかまねたものだが、一部トーリヤが前世の知識を用いて実験的に作成した保存食も含まれており、現在の食卓はそうした食材の保存状態を【生体走査】で確認しながら安全性を見極めつつ消費している状態にある。


(――正直この食事についてももう少し何とかしたいんだがなぁ……)


 硬くて決してうまいとは言えない干し肉を、煮込むことで多少柔らかくして嚙みちぎりながら、トーリヤは決してうまいとは言えない食事についても何とかしようと分身を用いて行う実験項目の一つに付け加える。


 とはいえ、これについては食料を無駄に消費できない現状、試せるのは少なくとも潤沢な食糧が手に入る春になってからだ。

 もとよりこの世界の食事というやつはまだまだ発展途上で、島に来る前から食べていたものの味については今とそれほど大差がない。


 だからいま食べているような食事は実のところ他の三人の子供たちにとってはすでに慣れ切った味ではあるのだ。

故にこれは、前世でそれほどグルメとは言えないながらもそれなりに食文化が発達した世界で生きていたトーリヤだからこそ覚えている不満なわけだが、それがわかっていてもなお今の消化できて飢えないだけの食事のレベルを、もう少し味の面でも優れたものに発展させておきたかった。


(こんなことなら、前世でもう少し料理とかしておけばよかったな……)


 分身を用いて行う研究のテーマの一つである食生活の改善について考えながら、同時にトーリヤはそうした研究テーマの優先順位についても考えなければと慎重に進め方を考慮する。


 分身を生み出すことによって大量の自分による人海戦術をこなせるトーリヤだったが、一方でそうして生み出せる分身の数に限界がないわけでもない。


 この島で暮らし始めてからの早い段階で、トーリヤが【生体転写】を用いて生成した人型分身が、おなじく【生体転写】を使用して、いわば分身が分身を生み出すという使い方が可能であると判明したわけだが、だからと言って複数のトーリヤが同時に【生体転写】を行使してネズミ算式に分身を増やすといったことができるわけではないのだ。


 【生体転写】を使用するのに必要ななにか(・・・)、便宜上【シン域】と呼ぶ意識と繋がる未知の領域は、どうやら本体と分身というトーリヤ全体で一つのものを共有する形となっているらしく、本体と分身が、あるいは複数体の分身が同時に新たな分身を生成するようなことはできないようだった。


 また、分身生成の際に生み出す分身の体構造情報を入力しなければならない関係で、現状【生体転写】の使用には大容量の情報を処理できる人間の脳が不可欠となっており、必然的に行使できる分身は人型に限られ、例えば先ほどのジョギング中トーリヤ達が護衛代わりに連れていたような犬型分身たちでは新たな分身の生成も不可能だ。


 加えて、分身たちから常に情報が流れてくる関係上、分身たちが活動していたりあまりに数が残っていると、夜などに本体であるトーリヤが眠ることができないという問題もある。


そうした関係で、今のトーリヤは基本的に夜眠る際、湯たんぽ代わりにしている大型犬の分身以外は基本的に一度消去させてから眠りについており、朝になってから再び必要な人数の分身を生み出すというサイクルを繰り返していた。


(――そもそも食料の温存の関係で分身たちには食事もとらせない鬼畜運用だから、空腹や疲労でぶっ倒れる前に新しい分身と交代とかしてるしな……)


 無論それでも増やした分身たちのどれか一個体が常に【生体転写】を使っていくような運用をすれば、限られた一日という時間の中でも千や万の単位の分身も用意できるわけだが、無駄に人数ばかり増やすよりも、用途を決めてそれに必要な分身を投入していった方が当然効率は良いはずだ。


(まずはできることから、だな……)


 そう思いながら、ひとまずトーリヤは目のまえにいる三人の子供たちの方へと視線を戻す。

 用意した食事、その最後の一口を口へと運び、事前に決めた次なる予定へと移行する。

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