18:聳える異様
かくして、五年の歳月の果てに海竜は討伐されて、それによっていよいよトーリヤ達は永く暮らした島から解き放たれる。
一応、数日にわたって分身を用いて周辺調査を行い、島の近海の安全確認に時間は使ったが、あの海竜によってほとんどの大型生物が狩りつくされていた以上、島から陸へと向かう航路の途上に今のトーリヤ達の脅威となるような生き物は存在していなかった。
もとよりそれ以外の準備についても、この島で海竜の討伐を計画する傍らで済ませてある。
陸の方向や距離などは事前に鳥型の分身を飛ばして何度も確認していたし、肝心かなめの移動手段についてはほかならぬトーリヤがいるのだ。
一応人里を目指す以上、人目を気にして巨大な海洋生物をそのまま移動手段にするようなことはしなかったが、それでも適当に四人が乗れそうな筏を用意したうえで、それを大型の古代海亀の背中に乗せて泳がせれば、距離的にそこまで離れているわけではない陸地までは十分にたどり着けてしまう。
あとはせいぜい、陸地についた後旅をし、人間社会に溶け込むまでに必要な物資を荷物として積み込んでおけばそれでいい。
かくして、トーリヤ達は海竜を討伐してからほんの三日程度の時間で、良くも悪くも思い出の残る、五年の時を過ごした島を旅立った。
――その一方で。
海竜を討伐し、その後の島からの脱出が順調に進むその中で、実のところトーリヤには一つだけ不安材料というか、憂慮していることがあった。
それはほかならぬ、トーリヤ達が討伐した、あの海竜について。
トーリヤの、というよりもその子供たち三人の活躍により、かの海竜は間違いなくバラバラにされて倒された。
これについては、トーリヤ自身の手によって確認が済んでいる。
現に、トーリヤの分身を使い、経過観察の意味も込めて三日の時間をかけて近隣の海域の安全を確認したが、海竜やそれに匹敵する危険生物に襲われるようなことはなかったし、そうした確認の最中に海中に沈んだ海竜の残骸、頭部を含めバラバラになった胴体から首にかけての遺体の部位も次々と発見され、その死亡も確認ができていた。
この段階で、普通に考えてあの海竜の、その死亡についてはさすがに疑いようがない。
ただ一点。
斬り刻まれて爆破され、バラバラになった海竜の頭から首、胴体。
それらのさらに後ろにあったはずの、胴から尾にかけての部位が見つかっていないという事実さえ気に留めさえしなければ。
(ありえない話だ、とは思う……。いくら何でも頭も心臓も失った切り離された尻尾が、今更脅威になるなんて……)
実際、さすがに今からトーリヤの本体や子供らが何かの脅威にさらされるとは思えない。
なにしろ今本体たちが進んでいる航路は事前にトーリヤが分身を用いて脅威になる者がいないことを確認しているし、調査のために周辺に散らした分身たちも特に異常は検知していないのだ。
そもそもあれだけ知能が低く、単調な攻撃パターンしか有していなかったような海竜が、脳みそを失ったとたんに死んだふりからの潜伏などという頭脳プレイに目覚めるなどいくらなんでも不合理だ。
だからこそ、トーリヤは多少の気がかりはありつつも島からの脱出を決断したし、実際すでに本体の一行はほどなく陸地に到着する位置にまで達している。
故に、さすがにトーリヤも今更本体が脅威にさらされるとは思っていないわけだが、一方でこの気がかりだけはどうしても無視することができずにいた。
(――考えてみれば、俺はあのバケモノの頭周りや心臓のある胴体部分については情報を読み取れたけど、その向こうのしっぽの先までは【生体走査】でも解析できたことがない……)
事前に幾度となく分身を接触させ、心臓や脳といった急所になる臓器の位置を割り出していたトーリヤだったが、そのための手段として用いた【生体走査】はその解析範囲を接触地点から広げていく形になる上、範囲の拡大が接触した時間に比例するため、実のところ解析できていたのは体の前半分だけとなっていた。
相手が巨大すぎるうえに、そして長時間の接触が不可能な危険生物であったがゆえに起きた例外的な事態だが、こうして尻尾だけが行方不明という事態になってみると、討伐に必要と見た弱点部位の割り出しだけで満足してしまった自分の迂闊さに思うところがいくつも出てくる。
(考えられるとすれば――、斬られた尻尾が勝手に動いてどこかに行ったか、あるいは何か別の生物が持ち去ったのか……)
通常の生き物であれば、頭を失った生物が、しっぽだけで動いて逃げるようなことはあり得ないが、ことがあの海竜となれば話は別だ。
もとより通常の生き物と比べても異質な点が多い生き物だったが、島に残されていた書物によればこの世界に実在する【魔物】という生き物はどの個体も相応に生物としての常識を逸脱した存在らしく、トカゲのように切れて残った尻尾が勝手に動いた可能性や、プラナリアのように斬られた断面から体が再生した可能性すらも絶対にないとまでは言い切れない。
そんな懸念があったがゆえに、トーリヤは陸までの航路のひとまずの安全が確認できたその後も、本体たちの本土への渡航と同時並行で、それとは別に分身を投入し、消えた尻尾の行方を追い続けていた。
巨大な鯨の分身に人型分身を一体乗せて、その人型が鳥や海洋生物の分身を生成することで周辺を調査しながら、問題の海竜が毎回来ていた方角に向かって泳ぐことついには三日。
すでに本体たちは島を出立し、そろそろ陸にたどり着くのではないかというそんなころに、調査のために放たれたその分身たちはその光景に行き着いた。
「――? なに、あれは?」
自身の行く先、近づいたことで徐々に見えてきたその光景に、思わずトーリヤは十代後半の小柄な女性型の分身、Xの体で驚きの声を漏らす。
鯨の分身を休むことなく泳がせ続け、体力が尽きれば新しいものを生成するという強行軍で進み続けて見えてきたのは、海の果ての水平線上から空へとむけて伸びる巨大な影。
(――山、じゃない……? いくら何でも細長いし……。あの三角形のシルエット――、まさか世界樹か?)
前世の地球において存在していた神話や伝承、およびそれらをもとにした物語に出てくるその存在を思い出し、トーリヤは思わずこの世界にそんなものがあるのかと再びの驚きに襲われる。
世界の中心にそびえて立つという、空を貫く塔よりも高い巨大な樹木。
この世界にはそんなものまであったのかとそう考えて、ならばいっそのこと見つからない海竜の残骸はあきらめ、こちらの方を調査すべきかと、そんな思考すらも頭をよぎって――。
(――いや、違う……。違うぞ、これはッ……!! 世界樹じゃ――、それ以前に樹木なんかじゃない……!!)
距離が近づいたことで、徐々にシルエットではなくその全貌が見えてきて、それによってトーリヤはこれまで以上の驚きに襲われることとなる。
天高くそびえる三角形、遠目から樹木のようなシルエットに見えたそれは、実際には外套膜と呼ばれる特徴的なひらひらを大きく広げた、見慣れた生き物のあまりにも信じがたい姿。
そこにあったのは、深海に根を張り雲を突き破る高さにまで屹立する、あまりにも巨大な一匹のイカ(・・)。
水深が一体何百メートルあるのかもわからない海洋のど真ん中で、恐るべき太さの触手を根のように張り巡らせて聳え立つそれは、世にいうクラーケンなどと同じ、けれど想像上のそれをはるかに超える、雲を超える高さの巨体を持った規格外の怪物だった。
(…………あり、えない……!! なんだこんな――、こんな巨大な、不自然極まりない生き物――、一体何がどうなったら生まれてくるんだ……!?)
と、そうして、動揺に鯨の背の上で立ち尽くす分身のトーリヤに対して、向こうもまたこちらに気が付いたのか、すでに十本ではきかない、その巨体を支える大量の触手の一本を持ち上げる。
蛇のようにうごめき、海上へと姿を現したその触手の先端に見えるのは、三角形の頭の下に巨大な顎が開いた、どこか見覚えのある、しかしトーリヤの知るより一回り以上大きな海竜の姿。
もっともその大きさの触手でさえ、天高くそびえるイカを支える根のような触手の中では、明らかに細いものの一本なのだが。
(こんな――、生き物がいるのか……。こんなでたらめで馬鹿げた生き物がいる世界で、俺は魔王なんて呼ばれるような存在を――、倒す必要があると……?)
思うさなか、こちらへと向いた触手が次の瞬間には掻き消えて、一瞬のうちに射出された顎のついた先端が泳ぐ鯨と人型分身のもとへと食らいつく。
抵抗の余地など微塵もない、圧倒的な速度と質量の暴力が、無力な人間をかつて最大と信じていたクジラ諸共一瞬のうちに噛み砕く。




