16:積み上げた戦力
「――染滴、――浸透、――整形、――掌握」
自身のイメージを、教わった日本語をつぶやき、言語化することで強固なものへと固めていく。
染め上げて、混ぜて、こねて、形のない水に『自分のもの』という性質を与え、意志によって動く一つの流れへと変えていく。
それこそが、この戦いに挑むにあたり、シルファが行っていた準備のすべてだった。
四年の間に積み重ねた研究成果、足を水に浸しての『接触』、自身で生成した水を混入させての『浸透』、それらの手法を織り交ぜながら、『念動』によって水を操作し、動かす水に周囲の水を巻き込むことで、その制御下に置く水の量を今のシルファにできる最大量にまで増やしていく。
「水流逆巻き、駆け上る――」
そうして時間をかけ、周囲の物事をトーリヤ達三人に任せて会話すら最低限にとどめて準備を整え、今開戦の合図が出たことでいよいよシルファは準備したその魔法を起動する。
「起動――、【水龍】……!!」
イメージを補助する言葉と共に腕を振り上げたその瞬間、目の前の海面が見る見るうちに盛り上がり、直後に真上へとめがけて吹き上がった莫大な量の海水が一つの流れとなって渦を巻く。
その姿はまるで、これから討伐しようと狙う海竜のように。
「空行く道に――」
分身をかみ砕いたことで次なる標的を探し、こちらへとその矛先を向けようとしていた海竜に相対するように、サイズで比べると明らかに小さい、海水からなる龍が同じく矛先を向け――。
「――【水龍海道】」
その瞬間、鎌首をもたげた海竜もまたその頭部を発射して、巨大な竜と龍、その蛇身が海上の空で交錯する。
竜を倒すために編み出された、龍を模した最大規模の魔法が、四年越しの討伐戦の始まりを飾る。
海面を巨体が貫いて轟音と共に水柱が上がる。
巨大な質量が撃ち込まれたことで周囲の海が激しく上下して、周囲一帯を襲う波へと変わって降り注ぐ飛沫と共に襲い来る。
「――ぅぉっ……!!」
十分に距離が離れているはずの海上へと届くその余波に、トーリヤはシルファを抱えたままイルカの体につかまり、うめきを漏らす。
あまりにも巨大な質量が暴れる暴力の余波にさらされながら、しかし抱きかかえられたシルファは海面を漂いながらも、まるで人形のように身動き一つせず、上空の水龍から目をそらさない。
巨大な魔法とは言っても海竜ほどの大きさはなく、水の塊という性質上相応に脆い水龍だが、相手と激突ではなく交錯しただけのため特に損傷もなく引き続きの操作が可能だ。
厳密には、尾の先をわずかにかすめたことで多少の水量の欠損はあったようだが、その程度であれば形状を整えることですでにわからない状態となっている。
四年間その生態を研究して分かったことだが、この海竜の名で呼ぶ巨大な魔物は、基本的に生物にしか反応しない。
獲物となる生き物、それも人間も含めた一定以上の大きさを持った生き物がいればかなり遠くからでも嗅ぎつけて襲ってくるが、自然物の類や魔法については、それがたとえ自身の脅威となるものでも眼中にないと無視して、ひたすらに近くにいる生物のみを捕食するべく狙い続ける。
加えて言えば、そうして狙う生き物はいっそ純粋なまでに大きな個体が優先だ。
近くにいる比較的小型の生き物と、遠くにいる大型生物であれば距離にもよるが高確率で大型生物の方が優先され、小型の生物はどれだけ近くにいても、より大きな生き物が食いつくされるまで後回しにされる傾向がある。
どこまでも機械的で融通の利かない、ぶれることなき行動パターン。
そしてそこまで機械的な行動パターンがあるとわかっているなら、トーリヤにもこの相手に対してできることがある。
(例えばそう、誘導したい方向に分身を配置して、その分身が【生体転写】を使って大型生物の囮を生み出せば)
見上げる視線の先に、海面を突き破った海竜の頭が咥えたシャチの体を水上へと引きずり出し、直後にその巨大な顎の力で一瞬のうちにかみ砕く。
本来の生命体ではない、分身のシャチが絶命したことであっけなく消滅して、直後に付近に新たに出現した生物の存在に気づいて、海竜がその方向へと、次なる獲物を狙うようにその首の先を差し向ける。
四年間の研究の中で、トーリヤの特典能力である【生体転写】を本体以外の分身が使えることはすでに判明済みだ。
発動に際して生物の体構造情報という大容量の情報を入力しなければならない関係か人間の脳が必要で、また本体と分身で一つの【シン域】を共有しているせいか、トーリヤ全体で一度に一体しか分身を生成できないという制約はあるが、それでも人型の分身を用いるならば分身が分身を生み出すという運用も可能であることがすでに判明している。
そして今回の討伐戦に挑むにあたり、すでにトーリヤはこの近辺の海域に三十体近くの人型分身を配置し、任意のタイミングで囮となる分身を生み出せるよう準備を整えていた。
無論あれだけの怪物、攻撃が直撃すればもちろん、付近に着弾して余波に巻き込まれるだけでも人型分身にとっては致命的で数が減っていくわけだが、それでもこれだけの数の分身でかわるがわる囮を生み出していけば、かなりの時間怪物の攻撃方向を誘導することが可能になる。
それこそ例え、海竜の周囲の空中をそれを模した水龍が泳ぎ回っていたとしても。
たとえその水龍内部に、自身の命を脅かす刃の担い手が潜んでいたとしても、それこそ囮に気を取られている間は見向きもせずに。
「まずは一太刀」
直後、次なる獲物を狙う海竜の首から左頬にかけてが大きく裂けて、同時にその横をすり抜けた水龍、その側面から生え出していた光の刃が内へとむけて消えていく。
ドバドバと、おびただしい量の青い血液が降り注ぎ、突如として斬りつけられた海竜が傷にも構わずその頭部を射出する。
「――斬れたッ……、けど浅い……!!」
宙を泳ぐ水龍の内部、そこに形成された球体状の空間では、木剣を構えたレイフトが自身の感じた手ごたえに思わずそう漏らしていた。
最初に交錯したときには相手の速さにタイミングを合わせられずに空振り。
続けて後ろから接近したときは刃こそ届いたものの、今度は距離が開いていたがゆえに斬りつけた傷は海竜の巨体に比して浅いものにとどまった。
幸いにして、それなりの傷を与えたにもかかわらずなおも海竜は囮であるトーリヤの分身の方に注意を向けているようだが、これが通常の獣であれば初撃で仕留め損ねるというのは致命的な失敗にもなりかねないものである。
「――焦らない。もとより相手の速さを考えれば一度で仕留められないのは織り込み済みでしょう」
そんなレイフトに対して、空中を泳ぐ激流の中にありながら、水の侵入から守られた球体状の空間の中で、その背に触れる形で同乗するエルセが言い聞かせるようにそう言葉をかける。
四年間の修行の中で、レイフト達三人はとあるきっかけから、かつてトーリヤが語ったどこか、暫定的に【シン域】と呼ぶどこにもないはずの領域との意識の接続を果たしていた。
そしてこの、【シン域】への接続が三人へともたらしたものは劇的だ。
もとよりそれを扱うトーリヤの証言から、この世界の住人が使う『世界と意識を繋げて』使う通常の魔法よりこの【シン域】を用いた魔法の方が性能が高いことは判明していたが、三人の場合は【シン域】に至った直後から他のメンバーにはまねできない、ある種の【固有魔法】とでも呼ぶべき強力な魔法をそれぞれ発現させていた。
そして今回、海竜の討伐にあたってその作戦の中核に据えられたのが、そのレイフトやエルセの【固有魔法】だ。
すなわち――。
「囮による攻撃の誘導で試行回数はトーさんが稼ぐ。接近の手段はシルファが用意して、あなたの身は私が守る。だから――」
「ああ――、オレの役目はあのデカブツを三枚におろすことだ……!!」
次なる獲物へと襲い掛かり、死亡して消滅する分身の補色に失敗した海竜へと水龍が接近し、同時に発動するのはこの四年の間にレイフトが発現させた彼の固有魔法だ。
すなわち――
「【来光斬】――!!」
手にした木剣、レイフトが普段から訓練にも使っているそれがまばゆい光を放ち、直後に水龍を内部から突き破るような形で全長二十メートルにもなる光の刃が展開される。
海竜の真横を光刃を生やした水龍がすり抜けて、それによって陽光放つ刃が海竜の体に突き立てられて、硬い鱗に覆われたその巨体の胴から首にかけてが深々と斬り裂かれて、巨大な蛇身をまき散らされる青い体液と共によろめかせる。
「――レイ!!」
「心臓は外した……!! 首の傷も――、人間だったら間違いなく出血で死ぬくらいの深さなんだが――」
今回レイフト達がとっている海竜討伐の手順は実に単純だ。
シルファが用いる水流操作、それによって宙を泳ぐ水龍を乗り物として使い、その内に潜んだレイフトが、現状唯一海竜を殺しうる手段である【来光斬】で斬りつける。
レイフトの発現させた固有魔法、【来光斬】は単純明快、あらゆるものを切ることのできる光の刃を握った棒状の物品を起点に展開する魔法だ。
その切断能力は暫定でも『なんでも斬れる』と言いきれてしまうほどのもので、島内で検証ではついに斬れないものが見つけられず、植物から金属、岩石などあらゆるものを軽い手ごたえと共に切断し、トーリヤの生成する分身たちすらも一刀のもとに両断する切れ味を誇っている。
それに加えて、その刀身の長さは今やったように最大で二十メートルまで伸ばすことが可能で、長くするほどに持続時間は短くなるものの、瞬間的な展開によって通常の剣では切れないような巨大生物すらも両断できる性能を秘めている。
逆に言えば、この海竜のような巨大生物の命を狙おうとするならば、最大二十メートルの刀身が命に届く位置にまで接近し、適切なタイミングで刀身を最大展開して斬りつける必要があるということだ。
先ほどからの三度の攻撃でレイフトが海竜を仕留め損ねているのも、相手の移動速度の速さゆえに攻撃のタイミングが合わなかったり、水龍と海竜の間に距離が開きすぎていて、展開した刀身が相手の致命的な部位まで届かなかったりしたのが原因といえる。
「トーちゃんッ!! シルファにもっとギリギリを狙って間合いを詰めろって伝えろ」
「最悪ぶつけるつもりで近づいていい。いざとなったらこっちで何とかするから、とにかくできるだけ急所の位置に接近して――!!」
『ああ、了解だ』
そんな状況で、ここにはいない、はるか下の海上にいる二人へと放った言葉に、遠く真下ではなく二人のすぐ近くから耳になじんだ声が返答する。
言葉を返したのは、エルセの肩に張り付いていた一匹のモモンガ。
この四年の研究の中で生み出された、声帯の作りを調整することで人語を話せるように改造されたそのモモンガこそが、トーリヤが二人に持たせた、本体と意識を共有する通信機代わりの分身だった。
そしてモモンガの分身を通じて本体が指示を伝えたのだろう。
シルファの操る水龍が、どこか意を決したように空中でその身をひるがえして、傾いた状態から身を起こそうとする海竜の胸元へと、今度はぶつかるギリギリの軌道で再度接近していく。
狙うのはその胸の内側、トーリヤが事前に分身を使い、【生体走査】を用いることで割り出した、この巨大な怪物を動かす心臓の位置だ。
「【来光斬】――!!」
三度斬光が煌めいて、海竜の胸元が大きく裂けて、そこから水龍がかすめたことで飛び散った海水と共に、おびただしい量の青い血が海上めがけてぶちまけられる。
数多の船を墓場へと送り、四年前にはおよそ打倒など不可能にも思われた怪物が、悲鳴すら上げることなく今度倒れ、海面へと激突してすさまじい水しぶきを周囲へとめがけぶちまける。
「――よし」
上空を泳ぐ水龍と、そこから生えだした光の刃に海竜が切り裂かれ、水中へと没するその光景に、トーリヤはイルカにしがみ付き、シルファを抱えた状態のまま思わずそう声を上げていた。
直後に海竜が水面へと倒れ込んだことで、大質量が水面を叩いたことによる大波が襲ってくるが、その程度であればイルカとトーリヤ本体の魔法で十分対応可能だ。
(むしろ今は、海竜の生死の確認が最優先――!!)
そうして激しく上下する水面にシルファを抱えてしっかりと浮かびながら、同時にトーリヤはあたり一帯に散らして配置した人型分身を動かして次々に海中の捜索に用いる分身を生成させる。
「シルファはそのまま【水龍】を維持。今仕留めたかどうか確認するけど、最悪生きて水中にこもるようなら引きずり出してとどめを刺すことも想定しなくちゃいけない」
少なくとも下から見ていた限りでは、レイフトの斬撃は事前に確認していた心臓の位置をしっかりととらえていたようだったが、あの明らかに尋常な生き物ではない海竜相手にそれだけで討伐できたと高をくくるのは早計だ。
最低でも【生体走査】で死亡を確認するまでは油断するべきではない。
加えてこれまでの行動パターンとして考えにくいが、瀕死の海竜が身を守るために海中にこもり、あるいはそこから逃走や反撃に訴える可能性もある。
(まあ、このまま死んでいてくれるのが一番ありそうでありがたい展開なんだが――、なんだ……!?)
そうして他の三人を待機させて確認を急いでいたその時、突如として海面が陥没し、そこに海水が流れ込んだことによりトーリヤ達のいる海面が大きくV字の谷を作る。
(何が起きた――、なにをした……!? なにかがあったのは海中――、か……?)
とっさにイルカを泳がせ、雪崩れ込む海水に巻き込まれないようその場所から距離を取りながら、同時に脳裏に響くのはその事態に気づいた分身の一声。
『北西方向――!!』
意識の向こうで上がった分身のその声に、トーリヤが急ぎその方向へと視線をやって、その先の海上にまるで塔のように鎌首をもたげる、先ほどまで見ていたのと同じ首から胴にかけてを大きく裂かれた海竜の姿を視認して――。
「――ッ!!」
次の瞬間、視線の先で海竜の首が掻き消えて、付近の海上で立て続けに水柱が上がってトーリヤ達の意識が一斉に消失し始める。
悲鳴を上げる暇もなく、かろうじて見えた海竜の顎に、一瞬のうちにかみ砕かれる、そんな最後の光景を目の当たりにして。




