15:卒業試験
そもそもの発端、トーリヤがこの世界における魔法についての齟齬に気が付いたのは、トーリヤが海竜島と名付けたこの島で強くなると決めて、そのための手段として魔法について研究を始めた、そのすぐ後のことだった。
この世界において魔法と呼ばれている技術は、実のところトーリヤのような日本人が想像する、体内の魔力をエネルギー源として放出して何らかの現象を起こす、といったような技術ではない。
この世界における魔法の使用方法は、自身の感覚を世界と接続し、世界に訴えかけることで望む現象を引き起こすというもので、そしてそれゆえに、ともに魔法について研究するとなった際、トーリヤは一つの混乱に見舞われることとなった。
レイフト達がこの世界における魔法を使っているのを見て、なんでこんな回りくどいことをしているのだろうか、と、そう思ってしまったのだ。
「――ええ、と、ちょっと待って……。確かに世界と意識をつないで――、この方法でもできるっちゃできるけど――、でもこれ、ええ……?」
【生体走査】で観測した魔法発動のメカニズムを模倣して、レイフトが手本として見せたように火を起こしてみながら、その感覚になおのことトーリヤは混乱を覚えて頭を抱える。
【生体走査】で探知してみたところ、どうやらこの世界の人間は神経細胞の一部が未知の働きをしているらしく、前世はともかく肉体面ではこの世界の人間であるトーリヤの神経も問題なくその機能を発揮して、周囲の空間へと己の意識を繋げて掌握、望む現象を引き起こすという魔法発動のメカニズムをなぞっていた。
そしてだからこそ、実際に使えて比較できてしまったからこそ思ってしまった。
こんなものを使わなくとも魔法は使えるのに、なぜこんな効率の悪いやり方で魔法を使っているのかと。
「えっと……、つまりあれか? トーちゃんは今まで、世界とは別の何かと意識を繋げて魔法を使ってたって、そういうことか?」
「――その世界ってのが単純に周りの空間とってことなら、そういうことになるな」
「周りの空間、ってこのやり方のことよね? でも、だったらそもそもトーさんはどうやって、どことつながって魔法を使ってるの?」
「どこって、こう、頭の上のこの辺りだよ……。いや、頭の奥の奥底って言ったほうがいい――、のか? あれ、えっと、単純に頭の周り的な話じゃなくて――、なんつうかこう――、……。
……あれ? 言われてみれば俺、具体的に一体何と意識を繋げてるんだ?」
改めて問われて、トーリヤは自身の中にいつの間にかあったその感覚をうまく言語化できずにますます頭を抱えることになる。
「――なんつぅか、自分の頭――、脳みそ――、意識か? そういうものがどこかと繋がってる、みたいな感覚は確かにあるんだ。
それこそ手足とか、そういう体の一部みたいに……。けど、具体的にどこと繋がってるのかって聞かれると――」
トーリヤにしてみれば、その感覚はこの世界に来て以降当たり前に存在しているものだった。
転生特典としてもらった【生体転写】をはじめとした三つの能力、その使用時に必ず用いることになるそれ(・・)の感覚はトーリヤにとってあまりにも当たり前のもので、それゆえにトーリヤは同じつながりを用いて周囲の人間が使う魔法を模倣し、独自に治癒魔法すら編み出しそれを行使してきた。
だがその一方で、つながりを感じて実際にそれがあることを認識できる手足などと違い、トーリヤのこの感覚でつながった先がどこにある何なのかが具体的にわからない。
「――おおぅ……。なんだか自分が電波なことになってたのに四年越しに気が付いたぜ……」
「っていうかさ、そのつながってる何かって、よくわからないのにこれからも使うの? 俺らの魔法と同じようなやり方だって普通にできるんだろ?」
「――それについては、まあこっちを使う意味はかなりある。
っていうか実際に使って比べてわかったんだけどさ、お前らが使ってる世界と接続した魔法より、どこかと繋がった魔法の方が使い勝手が段違いに良いんだよ」
言いながら、トーリヤは自身の手をまっすぐに掲げて水を生成する魔法を使ってみる。
一番わかりやすいだろうと考えた魔法を、まず周囲の空間と意識を繋げる従来の方法で発動させると、人差し指の先からちょろちょろと水道を少しひねったくらいの勢いで水が流れ出し、足元の地面を濡らして比較的短時間のうちにその地面が乾いていく。
対して――。
「これがお前らの言うやり方での水の魔法だ。んで、次に俺の繋がってるなにか(・・・)の方を使うと――」
言いながら掌を広げると、次の瞬間プールに水でもためるのかという勢いで四歳児の小さな掌から水が流れ出し、足元の地面を派手に濡らして水たまりを生み出し広がっていく。
「用いた生成手順自体は変えてない。空気中の水分を集めるのとは違う、無から水を作り出す、俺的にはちょっと納得いかない方の流水生成魔法だ……。
込めた力加減についても、少なくともそれほど差はつけていなかったつもりだ」
魔力を水に変えているわけでもないにもかかわらず、水がない状態から水のある状態を作り出すという、質量保存の法則はどうなっているのかと疑いたくなるその手法。
そんな手法で二つの接続先の明確な性能差を確かめて、そのうえで改めてトーリヤは眼前の三人にそれを問いかけることにする。
「――とまあこんな風に、同じ方法、力加減で明らかに出せる結果っていうか、出せる魔法の出力に差ができるわけなんだが――。
ぶっちゃけて聞くけど、こっちの方法でできそう?」
「…………まず何を言ってるのかがわかんねぇ」
トーリヤの問いかけに対して半ばあきれた様子でレイフトがそう答え、隣で同じような表情をしたエルセがその言葉にうなずき、同意する。
「とりあえず、トーちゃんが世界? とは別の? どっかの場所とつながって魔法を使ってる、ってのはわかったよ。それを使ったほうがすごい魔法が使えるってのも……。
けど、そのための方法が頭の上? 奥? とつなげる、って……、なに?」
「私も……、つながらなくちゃいけない先がどこにある何なのかがはっきりしないし……。マネしようにも、そもそもなにをどうやってるのかが全然わからない」
「ううん……、やっぱりか……」
話しながら薄々思っていたことだが、やはりというべきかこの感覚は魔法が使えるこの世界の人間でも理解できないものであるらしい。
そもそもの話、トーリヤ自身この感覚についてはいまいち理解できていないところが多いのだ。
加えて、自身が意識をつないでいる先がこの世界の人間たちが言うところの『世界』ではないと判明し、そもそもどこにある何なのかがわからなくなってしまった現状、そこに意識をつなげなどと言われてもそれこそ雲をつかむような話なのだろう。
むしろ雲をつかめと言われた方が、目で見て目標がわかる分まだやりようはあったかもしれない。
(まあ、そうだよな……)
とはいえ、だ。
明らかに通常よりも優れた魔法発動メカニズム、それを手法として共有できなかったことは残念だったが、それはそれである程度納得できる話でもあった。
なにしろ、人間を転生させる力を持った神様に近いという存在が、魔王に相当する相手に対抗すべく付与した力と、これは根源を同じくする魔法発動手法である。
普通に考えてトーリア以外の人間に使えない力であったとしても何らおかしな話ではなく、だからこの時のトーリヤもこれは他の人間には使えないものなのだろうと考えて、それゆえその時は彼女の様子にも気づかなかった。
「頭の上――、奥――、ああ、やっぱり、これ、あの時の――」
他の三人がそれぞれ魔法の訓練方法について話し合う中、先ほどからずっと口を開いていなかったシルファが、一人密かに漏らしていたそのつぶやきの存在には――。
「――あ、繋がった」
それこそが、この世界においてトーリヤ達四人が最初に迎えた転換点。
トーリヤ一人ではなく、最終的には三人全員が、人の域を逸脱して未知の領域へと踏み込むことになった、その最初の出発点。
そして――。
――そして島に来て五年目を目前に控えたその日、トーリヤ達は四人そろって島から離れた海上にいた。
自身の分身、この島に来た時にも使ったイルカの分身、その背中にまたがって。
二頭のイルカに、あの時よりもはるかに成長した四人分の体重を感じながら。
「――東方でBの鯨に襲撃……。海竜を確認。Aを削除し、誘導を開始する」
日が高く上った洋上、獣の皮に書き込んだ、天上からの鳥の視点からの観測をもとに作り上げた簡易地図を見ながら、トーリヤは自身の背後で同じようにイルカの背に座ったシルファと、そして隣でもう一頭のイルカの背にまたがったレイフトとエルセに向けてそう告げる。
実のところ、トーリヤがこの五年の間に海竜の討伐を試みるのはこれが初めてではない。
あくまで分身を使った、敵の性質や考案した作戦が有効かを試す威力偵察の側面が強い作戦ばかりではあったが、多数の分身軍団を差し向けるような物量作戦から、小型の分身を取りつかせて【生体走査】を用いて体構造を解析する偵察作戦、果ては仕留めても消滅してしまうために捕食することができない分身の特性を活用しての兵糧攻めまで、今日この日にいたるまで様々な形で海竜を討伐する方法を考えてきた。
「情けない話だ。島に来た当初は俺が一人で何とかしてやると息巻いて、結局独力では解決できずに時間切れを迎えて、こうしてお前ら危険な戦いに駆り出して、その手を借りることになっている」
分身たちから伝わる情報に標的の接近を感じながら、その瞬間までのわずかな猶予で、トーリヤはそう懺悔のような言葉を口にする。
島に来た当初から子供らに教育を施して、共に魔法をはじめとした研究を行い、訓練を積み重ねてきたトーリヤではあるが、実のところ当初から彼らの力をあてにして、戦力とするためにそれらを行っていたわけではない。
子供らへの教育はあくまで外の世界に出た時に生きていけるようにと始めたことであり、海竜の討伐をはじめとした強大な敵との戦いについては、転生に際して強大な力を得ているトーリヤが、少なくとも自身が中心となって行うべきことだとそう考えていた。
途中から、子供らが思っていた以上に強力な力を発現させてしまったため、多少の葛藤を抱きながらも三人の力を借りる方針にかじを切ったが、仮にでも父親を名乗ったトーリヤとしては危険な戦いに子供らを駆り出すというのは本来不本意な決断だったのだ。
「――ハァ……」
そんな思いからの告解に対して、けれど帰ってきたのはどこか呆れたような様子の一つのため息。
「――水臭いんだよなぁ……。そもそも俺たちの修行の目標として、あの海竜を倒せるくらいってレベルを設定したのはトーちゃんだろうに……」
「……おおかた、わかりやすいからあれを目標にしてたけど、実際に私たちが、本当にあれを倒せるまでに成長するとは思ってなかったんでしょ」
「いや、それは、まぁ――。あの時はさすがにそこまでのレベルを求めるのは酷だと思ってたっていうか……」
過去の自身の胸の内をはっきりと言い当てられて、トーリヤはこの五年で噛まなくなった口調で、けれど言葉に窮して口ごもる。
「もんだい、ない……」
そんな三人の会話に横やりを入れたのは、先ほどから裸足になった足を海に浸して明後日の方向を見ていた最後の一人。
感情の消えた目でここではない場所に意識を集中させた、どこまで話を聞いていたのかも定かではないシルファが、片手間のような片言でそう呟く。
「ソツギョウシケン、に、ちょうどいい」
「ああ、そういやそんな言葉も教えたっけ」
わずかに視線をこちらへ戻し、そう呟いて再び意識を真下に戻すシルファの姿に、トーリヤは苦笑しながらこれから行う戦いを『卒業試験』と評したその言葉に苦笑する。
島の中でできる限りの準備は整えた。
無論この先も島の中でもできる発展はあるが、そろそろさすがにトーリヤ達も、狭い島の中から広い世界に漕ぎ出す時なのだ。
それこそ長く通った学校から、次の段階、外の社会へと旅立つように。
「それじゃあ、まあ、試験官、っていうより試験問題様もお越しになったようだし、シルファの言う卒業試験に挑むとするか……」
付近、すでに視界に収まる三百メートルほどの距離に、海中から何かが水面を突き破って吹き上がり、巨大な水柱と轟音がその襲来を響かせる。
ここまで時間を稼ぎ、誘導してきたトーリヤの分身、シャチの姿をしたそれが鯨さえかみ砕く巨大な顎に喰らいつかれて光の塵となって空へと消える。
その恐るべき光景、五年前からずっと意識してきたその出現こそが、トーリヤ達がこれから挑む戦い、その開始の合図。
「さあ、試験開始だ――!!」
「――おう!!」「――ええ」「――ん」
トーリヤの呼びかけに三人が答えて、三人がそれぞれこの五年の間に培った自身の力を起動させる。
たった四人、人類社会から隔絶された場所で、それでも積み上げた五年間の集大成を。
五年の間ずっと見据え続けた、目標とした敵にぶつけて、その巨体を乗り越えるために。




