14:目指すべき場所
穏やかな波が島の海岸に一定のリズムと共に押し寄せる。
トーリヤ達が最初に流れ着いた砂浜、その場所を埋め尽くす大量の船の残骸の中で、比較的原形をとどめていた一隻に上って、高台から三日月上に広がる入り江と、その向こうにある広大な海を視界に収める。
同時に、トーリヤは脳裏の向こうにつながる別の体の存在に思いをはせて、やがて覚悟していた、すでに何度目になるかもわからないその瞬間が訪れる。
「――やっぱりこうなりゅか」
遠くの海上、水平線よりも少し手前の地点で勢いよく水しぶきが上がり、巨大な塔と見紛う海竜がトーリヤの放った鯨の分身を咥えて、その巨体をさらに巨大な顎によって噛み切って再び水中へと戻っていく。
それはまるで、最初にトーリヤ達が船に乗っているところを襲われて、命からがらこの島にたどり着いた時と同じように。
島の周辺、正確には島の周囲を含んだこの近辺をなわばりとしているらしいあの海竜が、そのなわばりの中を泳ぐ一定以上の大きさの生物を余さず捕食している、そんな光景だった。
「――とまあ、見ての通りだ。
昨日から折を見て、ちょくちょくあの化け物の目を盗んで島を脱出できないか試してりゅが……。
島の外の、どの方角に泳ぎ出しても、人間やそれを運べるような大きさの生き物は片っ端から襲われて食われちまう。
薄々予想はしていたが、どうやら俺たちはあの化け物の存在によってこの島に閉じ込められて、あいつを倒さない限りは島の外に出られない状況にいりゅらしい」
そう語りながらトーリヤが振り返った先では、今しがた同じ光景を見ていた三人の子供たちが、それぞれ深刻な表情で今しがたの驚異的な光景を見つめていた。
見つめて、トーリヤの言葉にその視線がこちらを向くのをわずかに待って、続けて語るのはそれとは別の三人に伝えておかなければならない重要な案件。
「加えてもう一つ。
俺が別の世界からこの世界に転生してきたって話はしたと思うが、そもそもその転生の理由は近い将来この世界を襲う、魔王にたとえられりゅ厄災に対抗するための援軍って役割を引き受けたからだ。
酷く胡乱で、どこまで信用していいのかわからない話だが、どうやらこの世界にはあと五年で、世界のどこにいても無関係ではいられない、魔王にたとえられるような厄災が襲来するらしい」
「五年で、魔王……?」
詳細を聞く余裕すらなかったためトーリヤ自身概要しか知らないそんな不安を掻き立てるだけの情報に、三人を代表したようにレイフトがそう問い返す。
実際この情報についてはトーリヤ自身も詳細がわかっていないため詳しく語ることはできないのだが、それでも今のトーリヤ達がやるべきことだけははっきりしている。
それは――。
「強くなりゅ必要がある。俺一人だけじゃなく、ここにいりゅ全員が……。
暫定的な目標としては、あの化け物を倒して島を出られるくらいに。
――あるいは、この先アレ以上のどんな厄災が到来したとしても、生き延びりゃれるくらいに」
海竜を倒さなければ島から出られないという厄介な状況はもちろんのこと、この先この世界で生きていくとなれば何らかの強さ、戦う力を獲得することはほとんど必須事項だ。
この世界にはエルセを襲ったという獣や、あのジャイアントシャモのような危険生物がウヨウヨしているし、転生して五年間暮らしてきた感覚でも、この世界の人間には人権意識などそもそも芽生えてすらいない。
そんな世界で、さらにこれから五年先にはこの世界のどこにいても無関係ではいられないという魔王にまつわる厄災の到来すら予想されているのだ。
これだけ予見される危険の多い世界ともなれば、トーリヤの能力や前世の知識、その他この島に存在するあらゆるものを駆使して、生き延びるための力をつけることはほとんど必要不可欠といっていい。
幸いにして、この世界には魔法という未知数の力が存在しているし、単純に体を鍛え、危険を前にして動けるように訓練しておくだけでも生存能力は大きく変わる。
問題はどうやって効率よくその力を身に着けるかであり、そのために必要なものこそが今こうして四人で集まった理由だ。
「協力してほしい。俺の、魔王を倒すための力の研究と開発に。
その代わりに俺も、お前たちができる限り強くなりぇりゅよう知恵と力を貸す」
「……それ、なにをして、私たちになにをさせるつもりなの?」
トーリヤのその呼びかけに、最初に反応したのは案の定というべきか、布を巻いた腕を吊るし、復調してなお具合悪そうに船のヘリにもたれていたエルセだった。
予想できたその質問に、トーリヤは昨晩あたりから考えていた大まかなプランを開示していくことにする。
「そうだな……。とりあえず体を鍛えて、魔法を研究して、あとはこの世界の文字の読み書きや計算なんかをはじめとした学力も身につけておきたいな。
島から出るためにあの海竜を倒し、どんな危機に見舞われても生き延びられりゅ力と、人里に戻ったときに人間社会で生きていくための力……」
「それを身に着けたら、この先一人でも生きていける?」
他の二人よりも率先し、そう問いかけてくるエルセに対して、トーリヤは意図的に強気の笑みを見せてはっきりと頷きを返す。
「ああ。生きていけるようにしてやりゅ。たとえ一人でこんな無人島に流されようが、逆に人里の、それこそ大都会の真ん中に放り出されようが、強かに生きていけるくらいの力をつけさせりゅ」
「……じゃあ、やる」
そうして一番初めに、不調の中でも鋭い眼光をたたえたエルセがトーリヤの提案にそう肯定の意を返す。
そして彼女が受け入れてしまえば、そこから先は話の進みも格段に速かった。
「俺もやるぞ」
二人の話が済むのを待っていたかのように、直後にそう口にしたのはやはりというべきか、洞窟の拠点で見つけた剣をこの場に持参していたレイフトの方。
「正直トーちゃんの話は分かんねぇところも多いけど、強くなれるっていうならそんなもん断る理由はねぇ」
「――わ、わたしも……」
そうして最後に、消え入りそうな声でシルファがそう答えを返す。
「わたしも、やる……。トーさんと、強くなる……」
「……おう」
控えめなその宣言に笑いかけながら短く応じて、かくして無人の島の中で、一人の転生者と三人の子供が仮初にでもその目的を一つに動き出す。
手始めにその翌日、トーリヤの提案を受けたエルセが右腕の治療を受け入れて、その日のうちに行われた麻酔がないままの手術を、彼女は暴れる体を他の三人や分身に押さえつけられながら、それでも何とか耐えきり危険な状態を乗り切った。
生憎と傷の修復だけで神経までは治療できなかったため右腕にマヒが残ってしまったが、こちらについても麻酔に相当する技術、それ含めた治癒魔法の研究によって、いずれは完全な形での治療を目指すことになるだろう。
何はともあれ、島で生きていくうえで懸念すべき最後の問題に片がついて、その日から、トーリヤ達四人の島での生活、そして研究と修行の日々が幕を開け、そして――。
穏やかだったはずの島の海岸に、不規則な足音と空を切る音が木霊する。
四年の歳月の中で船の残骸が片づけられ見晴らしの良くなった砂浜に波の代わりに血飛沫が散って、地響きと共に巨大な生き物が倒れ込んで、けれど次の瞬間にはその姿が薄れて消えていく。
(――クソ、止められない……。もはやこいつは、どんな生き物をぶつけても……)
鼻を振り上げ、殴りかかると同時にその巨体で押しつぶしにかかったマンモスは、しかしその鼻を絶たれた次の瞬間、巨大な頭蓋骨諸共頭を割られて絶命した。
蹴りかかった巨大鶏はその強靭な足による蹴りをあっさりと躱され、次の瞬間懐に入り込まれてその長い首を跳ねられた。
そんな巨大な生き物の影に隠れ、投げつけられたコブラは両断され、それを投げたオランウータンは次の一手で逆に矢のような剣を撃ち返され、のどを貫かれて即座に消え去る死体の山へと加わった。
最後の一手として生成したトリケラトプス、もはや怪我をさせる心配など頭にも浮かばない、全力の突撃をかけた角持つ巨竜の攻撃は、しかし相手に届くその前に正面から斬り開かれ、その巨体を真っ二つにされて地に伏した。
止められない。
四年の歳月の中で研究され、次々と繰り出されるトーリヤの分身が、この相手の動きを一瞬たりとも。
二匹同時に襲い掛かった狼も両手の『剣』により鎧袖一触で切り捨てられた。
織り交ぜた人型でもそれは変わらず、唯一本体そっくりの個体だけが手加減されたが、一撃で行動不能にされた挙句本体でないとわかった瞬間同じ運命をたどる羽目になった。
高速で飛来する鳥も、殺意の塊のような巨大な肉食恐竜も、そうした生物の中に織り交ぜた魔法による攻撃でさえ。
自然界においては決してあり得ない、別種の生物たちからなる百獣の軍勢が、しかしたった一人を止めること叶わず、その攻撃をかわされ、防がれ、受け流されて次の瞬間にはそのかりそめの命を絶ち斬られている。
「――とりあえず、試合はここまで、ってことでいいか?」
そうして分身を次々に屠られた果てにそう声をかけられて、トーリヤは一瞬遅れて我に返り、自身の状況を自覚していた。
「――ああ、俺の負けだよ」
目のまえの赤毛の少年、この四年間ですっかり背も伸びたレイフトに、首筋に訓練用の木剣を突きつけられているというその状態に、トーリヤは言い逃れのしようも無いと敗北を認めて両手を上げる。
(――マジ、か……。いや、強くなってるのはわかってたけどっ、それでも……、マジか……!!)
その間、態度にこそ出さなかったが、トーリヤの内心は決して冷静とは言い難いものとなっていた。
なにしろトーリヤは転生者として前世の記憶を持ち、神様まがいの存在から転生特典の強力な能力さえ与えられた、考えようによっては文字通りの意味でズルい存在なのだ。
そんな自分が試合形式の戦闘で事実上完封されたというその事実は、この四年間でそうなりうる予兆が積み重なっていた前提があってもなお衝撃的なものだった。
しかもこの話で問題なのは、トーリヤがこうした模擬戦で勝てない相手がレイフト一人ではないところだ。
「――お、お疲れ、様……。二人とも、怪我とかはしてない……?」
「トーさんは逃げ回って攻撃を受けてないし、レイも観てた感じ全部対処してたから大丈夫でしょ……。ハァ……。これで四人の中で一番弱いのは私になる訳ね。
なにせシルファもトーさんには勝ってるわけだし」
試合を終えたばかりの二人のもとへ、ふわふわとした銀髪を長く伸ばしたシルファと、右腕をベルトで胸の前に吊った黒髪ショートのエルセがそろって駆け寄ってくる。
そう、実のところトーリヤが勝てなくなった相手はレイフト一人ではない。
三人の子供の中で最年少であるシルファの方も、すでにトーリヤを相手に試合形式で戦い、今回のレイフト以上に一方的な勝利を収めているのだ。
一応、彼女の場合相性の差というのもあるのだが、それでも転生特典をもらっているトーリヤ相手にほぼ一方的に勝利できるという時点で驚嘆すべき事態である。
加えて言えば、四人の中で一番弱いと自嘲するエルセについても、トーリヤに勝てないのはその能力の相性面が問題になっているだけで実力的には決して見劣りするわけではない。
現に、危険すぎるために実際に試したことはさすがにないが、彼女だけはトーリヤを圧倒できるシルファに対して、恐らくはその能力の相性ゆえに勝利できるだろうというのが当人以外の三人に共通した見解だ。
(これは、どうなんだ……?
こいつらが強くなったのは純粋に喜ばしい……。けど俺はどうなんだ? 転生特典持ちの身で、魔王呼ばわりされている何かとの戦いを一年後に控えている身の上で……。
果たして俺は、必要な強さを得られているのか……?)
人間社会から隔絶されて、この世界における一般的な人間の強さというものがわからぬゆえに、追いこされた立場のトーリヤは心中密かに不安に駆られる。
果たしてこんな、言い方は悪いがこの世界の子供にすら負けている状態で、一年後にやってくるという魔王の討伐など叶うのだろうかと。
(いや、迷うな……。魔王はともかく、少なくとももう一つの目標については手が届くところまで来てるんだ)
とはいえ、約四年の月日を費やして修行と研究を積み重ねたことで、トーリヤ達が最初の目標としていた島からの脱出、その目標を遂げられるだけのめどは立った。
もとより海に出て、その先にある大陸に渡るための準備は着々と進めてきており、あとは航海を阻む存在たるあの海竜を討伐するのみ。
(魔王襲来までの期限、俺の今生での誕生日を基準に十年後と考えてももうすぐ残り一年……。いよいよ潮時だな)
もとより四人の中で話して決めていたことに、もう一度トーリヤは心中密かに腹をくくる。
もはやこれ以上この島に留まる意味もない。
最後の準備を整えて、それが済み次第トーリヤ達は、自身の知る最大の障害たる海竜に挑むと、そう決めた。




