12:望むこと
そうしてしばらく水場近くで話したのち、空も暗くなり、眠気が襲ってきたらしいシルファの様子をみて、トーリヤもその日は話をそこで切り上げることとした。
眠そうにうつらうつらするシルファを本体が手を引いて洞窟へと連れ帰って、そしてそんな二人の背中をそれとは別の、大人の男の分身で付近の樹木の影に隠れ見送っている。
そばに立つもう一人、この場を密かに見せられていたレイフト共に。
「――とりあえず、まずは安心感を与えることには成功したみたいだ……。もっとも、これについては俺の本体がシルファより小さい幼女ボディだからってのあるかもしれないが……」
「……今の話、俺なんかに聞かせてよかったのかよ?」
ひとまずの成果を報告するように語るトーリヤに対して、レイフトは怪訝そうな様子を見せ、正面に立ってそう問うてくる。
なにしろ、トーリヤが今彼にさせていたことは、自身の本体がシルファと交わしていた個人的な会話の盗み聞きだ。
話されていた内容がシルファにとって大事なことであると理解できているからこそ、それを聞かされることになったレイフトにとってはそんな話を聞かせてよかったのかという疑念につながることになる。
とはいえ、これについてはトーリヤの方も、なんの意図のないままわざわざ聞かせたわけではない。
「むしろ聞かせない方がまずいと思ったからここに連れてきたんだよ。今は無理そうだけど、エルセの方にもあの子の特異性についてはおいおい打ち明けるつもりでいる。
お前については昼間にいろいろ聞いちまったし、料理の時のあいつの様子も見てたはずだから、下手に後回しにしない方がいいかと思ったから先に聞かせることにした」
本人は隠しているつもりだったのかもしれないが、シルファが他人には見えない何かを見ているのは傍から見れば明らかだ。
本人の意思に反して眠り込んでしまう症状も問題といえば問題だが、見える体質については周囲の推測と想像に任せておくとよくない方向にも発展しかねない。
だからこそ、トーリヤはレイフトにシルファと本体の会話を聞かせ、今この場で彼に対して何か起きる前に手を打っておくことにした。
「……っていうか、あいつが幽霊を見てるってやっぱ本当なのかよ……。いや、別に怖いとかってわけじゃないけど――」
「さぁ」
「――いや、さぁって――」
「正直に言えばあの子に見えているものの正体についてははっきりとはわからん。暫定的にあいつが幽霊だと思ってるみたいだからそういうことにしといたが、イマジナリーフレンドをはじめとした幻覚やら、ある種の二重人格である可能性やら、その手の話は幽霊に限らず色々とあるからな」
本人が知らない知識を教えられたという話を考えると本当に幽霊である可能性も考えられるが、それとて本人が無意識に覚えていた情報を何らかの形で引き出している可能性とて否定できない。
彼女の眠り込んでしまう症状についても、単純に人間関係のストレスからくる睡眠障害なのか、幽霊にまつわる特異体質に関連した副作用なのかもはっきりとしていないのだ。
どちらについても正体不明。
そして重要なのは、トーリヤ自身は現状、そんな正体不明の状態でいいと思っている点だ。
「あの子に見えているものの正体についてはこれから、それこそあの子が、あの子自身の人生の中でその正体を探っていくべき話だ。
前世の経験上、この手の話はそうした方がいいし、そうでなくちゃならない」
「そうじゃなくちゃ、って……」
「――まかり間違っても。
周りにいる俺たちがそれは多分アレだ、なんて、勝手に答えを出して、決めてしまってはダメだ。
ある程度の、仮説程度を語って聞かせるくらいならいいかもしれないが、その仮説が当たっているかの判断は当事者自身の判断にゆだねなくちゃいけない」
目のまえのレイフトのみならず自分にも言い聞かせる、そんなつもりで、トーリヤは自身を含めた周囲が弁えておかねばならない領分をそう言葉にして示す。
もしも当事者ですらないトーリヤ達が、シルファの見ているモノなど見えもしないのにその正体を勝手に決めてしまえば、おそらくシルファはその人生の中で、それ(・・)を正解にせざるを得なくなる。
当事者でもない人間が、それでも言い当てられていたならばまだいいが、勝手な憶測を正解として押し付けてもし外れていたら、それを押し付けられた側は不正解のその憶測を、正しいものにするために現実との齟齬に苦しむ羽目になるのだ。
そのことを、押し付けられる正解というものがどれだけ息苦しいものかを、トーリヤは前世の似通った経験という形で嫌というほどに知っている。
「今の段階で重要だったのは、あいつに対して『俺はお前を受け入れる』ってメッセージを態度で示すことと、他の人たちが自分を責めるのは自分が悪い(ダメな)やつだからだって思い込みを捨てさせることだ。
現状だと前者はひとまずやったから経過観察、後者はこれからも少しずつってところかな」
分身の姿だけでなく、大人であることを態度でも示すためにあえて子供向けの言葉を使わないトーリヤの話に、レイフトは若干理解に苦心しながらもどうにか後をついてくる。
「一応聞くけど、見てるもんの正体がわからないのに、あいつが悪くないってのはわかるのかよ」
「わかる……。というよりもさ、これはどちらかというと周りの人間の方の問題なんだ。
特にシルファの場合、あの子の態度は明らかに他人からの迫害を受けていた人間のものだった。
寝るタイミングを選べない睡眠障害の持ち主が、周りから怠けているとかサボっているとみなされて非難される話は俺が前いた世界にもあったし、他人に見えないものが見えるって特性に至っては気味悪がられたり嘘つき呼ばわりされたりって事態になるのは普通に想像がつく」
霊感体質については前世においてもオカルトに近い領域で、実際のところトーリヤが思い浮かべた『想像』については多分にフィクションによるところが多かったが、だからと言って彼女のこれまでの境遇がそれから大きく離れているとは思えない。
「そしてそういう状況は――、当事者にしてみれば相当にキツい。
なにしろ本人の意思ではどうにもならない問題にもかかわらず、周りの人間は勝手に本人の悪意・悪徳を疑って非難してくるわけだからな。
キツいし、たいていの場合は多かれ少なかれ歪む……。その歪み方については、どうせ他人は自分のことなんて理解してくれないっていう、ある種の人間不信に陥るか――。
あるいは周りと同じようにできない自分に自己嫌悪を抱え込んで、何かあるたびに自分が悪いんだって思い込みばかり募らせるようになるか――。それ以外にも、まあパターンはいろいろと考えられるわけだが……」
「……なんつぅか……、トーちゃんって本当に大人だったんだな……。いやまあ、これまでだって別に疑ってなかったっていうか……、年下なのは見た目だけってのはなんとなくわかってたんだけどさ……」
「ああ、そうだぜ。見かけは四歳の女児でも中身は立派な大人なんだ。
……ま、長く生きてるってだけで、前世の俺はお世辞にも大それた人間じゃなかったんだけどな……。
それでも、それなりに生きてるからお前らみたいな子供に語って聞かせたい人生哲学くらいはある」
「――それは、例えば昨日言ってたみたいなことか?」
意図的に、あくまで参考程度に受け止めてほしいという思いから軽い口調でそう言うトーリヤに対して、しかしレイフトの方は重い口調で目の前の大人に対してそう問いかける。
昨日言ったと言われて思い当たるのは、ほかならぬトーリヤ自身が意識して伝えた、彼の前世からくる一つの経験則。
「――ああそうだ。
その人間がその形になっているのには、必ずそれなりの理由があるんだ。
人間の人格ってやつは、置かれた環境や境遇に最適化される形で形成されていく。
――周りの人間から見て、そいつの形がどれだけ『けしからん奴』だったとしても、当人にとってはそれまでの人生の中で導き出した、置かれた環境で生きていくための最適解だったりするんだ。
――けど、人間ってやつは狭量でな……。自分が思うのと違う言動をする奴、あるいは自分の常識から外れた奴や理解できない奴を、すぐに『悪者』か『愚か者』だと決めつけて罰しようとする悪い癖がある」
それはほかならぬトーリヤ自身が前世でいい大人になるまで生きる中で、入ってくる情報や自身の実体験などから見出した、まぎれもない人間という生き物の一側面だった。
無論トーリヤだって自身の経験や思想を絶対のものだとは思っていないが、かといって何も思うところがないほど人間という生き物に背を向けた人生を送ってもいない。
「――それって、悪いやつに見えても、実は悪くないこともある、って言いたいのかよ……?」
そうして自身の前世からくる経験を語るトーリヤに対して、それを聞く少年は眉根を寄せて、何か許容しがたい様子で反発するようにそう問うてくる。
「――どう見ても悪党みたいなやつ、――例えば、父ちゃんと母ちゃんを、殺した、あの村長たちみたいなやつも、そうだっていうのかよ……!!」
声を荒げることなく、けれどその手前のような感情を押し殺した声色で、レイフトは目の前にいる大人に、自分と同じ境遇の本体を持つややこしい存在にそう問いかける。
レイフトの境遇を考えれば、その考えにいたるのは抑々予想できていた当然の帰結だ。
この少年は、いま『悪者』という言葉で、自身の両親を殺した村長とその一味のことをよぎらせているのだ。
もとより両親を殺されたばかりのこの少年の中に、そんな親の仇である村長一派への怒りや憎しみがあるのは何となしに感じ取っていたことだ。
それは前世の記憶を持つがゆえに、どこか一線を引くような感覚を抱え、まっとうな親子になれなかったトーリヤが持てなかったまっとうな感情。
この少年の中には、今を生き延びるために全力を尽くさなければならないそんななかでも、ふとした拍子に漏れ出すくらいには暗い感情が強く静かに燃えている。
それこそ、両親が殺されたことにも『理由』とやらがあるのだなどと言われて、それを黙って聞いていられないくらいには強烈に。
「――確かに、俺たちは自分たちの親を殺した連中の動機を、そいつが歩んできた人生を何も知らない」
そんなレイフトに対して、同じく両親を殺された身でありながら、同じ思いを共有できているとは言い難いトーリヤは、せめて年長者としての立場から目の前の少年に言葉をかける。
「俺たちが知らないだけで、その村長たちも追い詰められた心境で犯行に及んでいたのかもしれないし、そいつらがしていた不正だってそいつらの人生の中で導き出された『最適解』だったって筋書きも十分ありうる。
あるいはそういったものを知ってしまえば、俺たちの両親の仇であるその村長の一派にも、どこか同情してしまうような部分はあるのかもしれない」
「そんなの――」
「――けどそれでも、たとえ同情できる部分があったとしても、それとその行いを許容するかは別問題だ。
少なくとも俺は、たとえどんな理由があろうとも許しちゃいけない行いってやつはあると思っている」
前世の記憶を引きついでいる関係上、トーリヤはレイフト達より年長者ではあるが、だからと言って聖人を名乗れるほど人間ができているとも思っていない。
トーリヤにだって許せない事柄くらいあるし、それ以上に道義的にも容認してはいけないことはあるというのが前世から持ち越したトーリヤのスタンスだ。
「特に殺人なんてのはその筆頭だな。なにしろ、人の命ってやつは基本的に取り返しがつかない。
俺がお前たちに思ったのは、あくまで相手の事情もろくに知らないまま、一方的に悪者扱いして糾弾するような真似をしてほしくないってことだけだ。
なにしろ前世で、そういう人間の悪癖みたいなものを知る機会は嫌というほどあったからな……。親を名乗る身として、子供にそういう悪癖に染まってほしくないって願望はどうしてもある」
自身の主義信条や願望を、あくまで主義信条や願望であると明かして、それでもなおトーリヤは親としての立場からそうレイフトにその願望を告げる。
相手の人生を縛る言葉になるかもしれないと臆しながらも、それでもなおこの少年の人生の助けになるはずと、そう信ずるがゆえに。
「だからまあ、親の仇に対してその殺人を容認しろなんて言うつもりはないよ。親を殺されて、その犯人に怒りを燃やすなんて当然と言えば当然の話だし。
ただ、やっぱり怒りや正義感だけで突っ走ってほしくはないし――、もしお前が仇を許さない道を選ぶなら、それならそれできちんと許さない覚悟をしてほしい。
――まあ、それでも新たに親を名乗る身として欲を言うなら、お前には両親の仇討ちだけのために人生を費やしてほしくもないかな」
「………………言いたいことは、まあ、なんとなくだがわかったよ……。いや、わかんない、納得いかないことはいくつかあるけど……
あんたが親になるって話も、別に納得したわけじゃないけど――。……まああんたが大人なのは、わかった」
しばしの沈黙のあと、頭を悩ませた様子のままレイフトはひとまずそう答える。
そしてトーリヤとしては、今はまだこの少年はそれでいいと、そう思った。
なにしろここ数日は、この少年の人生の中でも間違いなくトップに入るほどにいろいろなことが起きすぎている。
起きた出来事に対してスタンスを決めるにはまだこの少年には時間が必要で、けれど考えるならばその判断材料の中に、少しでもトーリヤの希望も入れてほしいとそう願って、今トーリヤはこうして彼と話をしたのだ。
「それでいい。まあ、少し考えてみてくれ。良くも悪くも、これからその時間はたっぷりありそうだしな……」
そう言って、トーリヤはひとまず今日のところは話を切り上げることにする。
同時に意識を向けるのは、現在この島にいる最後の一人。
再び体調を悪化させ、今も洞窟で寝込んでいる手負いの少女、エルセについての問題だった。




