11:かけるべき言葉
夕食を終えて、シルファと共にトーリヤは食器を抱えて歩き出す。
夜が迫り、日中はかろうじて動けていたエルセはだんだんと熱が上がってきたのか、シルファが用意した麦粥こそどうにか食べきったものの、そのまま動けなくなり寝込んでしまった。
結果、トーリヤは生成していた分身をエルセの看病に回し、レイフトにも別の仕事を振って、食器の後片付けについては本体とシルファが担当することとなっている。
そうなるように、他でもないトーリヤ自身が 分身たちを駆使して話の流れを操作した。
すべては今日この時に、シルファと二人で話をするために。
(まったく……。こんなことなら前世で子育ての経験くらいしておくべきだったな)
実のところ、勢いで三人の子供の父親役を担うと言い放ち、転生後の四歳の女児の体で彼らの親のごとく振舞っているトーリヤだったが、ほかならぬトーリヤ自身に、その前世に親になった経験があった訳ではない。
トーリヤの前世は良くも悪くも独り身であることに満足してしまっていたタイプで、結婚して子供を作るという世間一般で言われる幸せの形から外れることへの不安感こそ持っていたものの、だからと言って恋人や夫婦、親子といったような関係性を欲してもおらず、今の自分の生き方を変えることには抵抗感を覚えているような人間だった。
それゆえに、トーリヤは育児の経験はおろか子供の扱いに慣れているとすらいえないわけだが、一方でトーリヤが前世で生きていた時代というのは、それこそ社会人ならマネジメントの概念からパワハラなどによる心理的影響、子育てに関していうならどのような行為が人格形成にどう影響を与えるかなど、そうした人間の心理についての知見が様々なところで語られるようになった時代でもある。
それゆえに、今からトーリヤが当てにするのはそういった知見と、あとは自分自身がされる側に立った時の経験の数々だ。
まったく心もとない、と。
そう思いながら、それでもやらなければならないと腹をくくって、トーリヤは洗い終えた食器をわきに置きつつシルファに対して最初の言葉を投げかける。
「――なぁ、シルファってさ、もしかして、幽霊とか見えてりゅ?」
その言葉を耳にした瞬間、シルファの身を一気に寒さが襲い、足元が揺れるような不確かな感覚が襲ってきた。
「――ひぅッ、――ェ、ぁ――、ゆ、ゆう、れい……?」
同時に、頭の中でいくつもの声が木霊する。
『気味の悪いことを言うな』という怒鳴り声が、『気持ち悪い』という侮蔑の言葉が、『黙れ』という命令が、『うそつき』という罵倒が、そのほか幾つもの声が、いくつもの敵を見るような視線と共に。
(――は、早く、ちがうって言わなきゃ……。なんとかごまかして、なんでもないって――。気のせいとか、ああ――その前に謝って――、ウソついてごめんなさいって――、全部ウソですって、そう言って――)
慌ててなにかを言おうとするが、とっさに頭の中にいくつもの言葉が浮かんで声にならない。
なにかを言わなければならないという焦燥と、けれど喉がひきつってうまく言葉にできないという現実に挟まれて、そうしている間に刻一刻と経過していく時間が状況を見る見るうちに悪化させるのだと過去の経験から嫌でもわかって、シルファの頭が真っ白になり、なおのこと言葉が出てこない状況にますます焦りを加速させて――。
「――おちつけ」
「ヒぇ、ひゃ――」
と、次の瞬間。
駆けられた声と共に背後から何か柔らかいものに触れられて、バランスを崩して倒れたその体がその何かに受け止められて座り込む。
背後を見れば、そこにいたのは今日一日シルファと行動を共にしていた護衛代わりに付けられた分身の犬。
先ほどの感触は、どうやらこの犬が立ち尽くすシルファに背後から触れてきてのものらしく、驚き崩れ落ちるその体を受け止め、そのまま自身がその場所に座り込むことでシルファがその場に座れるよう補助してくれる。
そう理解が追い付くと同時に。
「なるほどな……。やっぱりこっちにもそういう人間はいりゅんだな……。前の世界でもそういう話はちょくちょくあったが、こっちにもいるとは驚きだ」
目のまえで同じように座り込んだトーリヤが、シルファにとって決して聞き逃せない言葉を告げてきた。
「――ま、前の世界に、あった……?」
(――食いついた)
自身の言葉、言い回しをぼかし、意図的に勘違いさせるように告げたその言葉に相手が食いついてきたことに、トーリヤは内心密かに安堵し、同時にここからさらに注意を払わなければと気を引き締める。
トーリヤがシルファの秘密に気付いたのは、先ほど二人で料理を作っていたその前後だ。
本人は隠していたのかもしれないが、なにもいないはずの虚空を見つめ、そこから知らないはずの知識を引き出しているようだったその様子は、前世のフィクションの中でよく描かれる、幽霊が見える人間のリアクションに非常によく似ていた。
ここに来る前、分身を介してレイフトにそれとなく確認したが、この世界においても幽霊というのはいるかいないかわからない、どちらかといえば架空寄りの存在であるらしい。
一応文明レベルのせいなのか、前世よりも信仰されている様子はあるようだったが、魔法がある世界だからと言って幽霊系の魔物のような世間一般に知られる事例があるわけではないらしく、幽霊というものに対する世間一般の認識はトーリヤの前世の地球のものと大きく差はないもののようだった。
そして同時にそれは、前世においてよくフィクションにおいて語られていた、『仮に見えないものが見えてしまう人間がどういう扱いを受けるか』という想定が、この世界においてもある程度当てはまってしまうことを意味する。
(幽霊が見えてることに気づかれた時のあの様子……。多分他人に言って気味悪がられたりいじめられたりしたんだろうな……)
恐らくそれがこのシルファという少女の、生贄という名目で都合のいい人間の廃棄処分に出されてしまった、その理由なのだろう。
人とは違う、なにか(・・・)が見えてしまうというそんな特性を有した彼女は、それ故に迫害され、そして普通であれば死んでいただろう魔物の潜む海へと流され、捨てられるに至ってしまった。
そしてそんな境遇であればこそ、今のシルファはトーリヤの言葉に興味を抱かずにはいられない。
「――前の世界、俺が前世で生きてた世界にもその手の話はあったんだよ。人には見えない、死んだ人間の姿が見えたり、声が聞こえたりすりゅ人間の話。
それこそシルファの様子を見てもしかしてと思えりゅくらいには、俺のいた世界ではそういう話は一般的で有名だった」
もっとも、前世の世界でも幽霊の存在は眉唾扱いされていて、この世界のそれと同じように実在不確かな存在とみなされていた、というような話はあえて口にしない。
シルファという少女は、いうなれば自らが異端であることを理解している異端者だ。
自分の見ている世界が他人のものと違っていることを自覚していて、普通ではない、普通になれない自分という存在に強い劣等感を植え付けられてしまったタイプ。
経験上、これで自身の異質さに無自覚だったならば話はまたややこしかったのだが、幸か不幸かシルファは有するその特性の性質ゆえに自らが異物であることを知ってしまっている。
そしてそんな人間にとって、自らの異質さの正体を説明してくれる言葉は、自らと同じ異端者の情報は、そして何より自らを否定する言葉を逆に否定してくれる『誰か』は、それこそ目のまえに現れれば欲さずにはいられない、常日頃から無意識のうちに渇望している存在だ。
それこそ砂漠で干からびようとしている人間がオアシスの水に飛びつかずにはいられないように。
良くも悪くも、救いを求めるその心は、目の前に現れたそれにどうしても手を伸ばさずにいられない。
たとえそれが直前まで恐怖さえ覚えていた、自身の秘密を知ってしまったよく知りもしない他人であろうとも。
(――一応、あんまり盲目的にならないようにも気をつけなくちゃいけないな……。自尊心を損なっている人間にとって、自己肯定感を引き上げてくれる情報は薬にも麻薬にもなりうるし……)
幸運にも自身では経験しなかった、けれど前世で見聞きすることのあった事例をいくつか思い出して、トーリヤは慎重に言葉を選びながら今度はシルファ自身に語らせるべく促していく。
「ちなみにさ、シルファには誰が見えてりゅんだ?」
「……おかあ、さん」
「お母さん一人? 他にも何人か見えるみたいなことは?」
「……一人、だけ」
「さっきの料理の作り方も、そのお母さんに習ったのか?」
「――習った、って、ゆ、か……。――ジッと、見てたら――、わかるように、なって……」
「そうか……。おかげでさっきは助かったよ。俺一人じゃせっかく見つけた麦を無駄にするところだった」
話を聞いているとわからないこと、不可解なことも多かったが、その部分についてはトーリヤ自身の好奇心を抑えて、まずはシルファに対して明確に感謝の言葉を告げておく。
実際、先ほど料理した際、彼女の知識によってトーリヤ達が助かったというのもまた事実なのだ。
前世での料理経験がほとんどなく、さらに言うならこちらの世界の調理器具すら使いこなせていないトーリヤでは、無理に料理しようとしてもほとんど食べられたものではない、まずいかまともな味がしない、ろくでもない料理しか作れなかったことだろう。
トーリヤが【生体走査】で調べられる関係上、食中毒を起こす事態だけは避けられていただろうが、一方でトーリヤ一人では病人に問題なく食べさせられるような料理は到底作れなかったに違いない。
そしてその時点で、シルファの見る力はトーリヤ達の助けになっているのだ。
ゆえに。
「……き、気持ち、悪く、ないの……?」
ぽつぽつと、少しずつ交わした会話の果てに、やがてシルファは震えるような声でそうトーリヤに問いかける。
「気持ち悪いって、気味が、悪いって――、わたしがお母さんがいるって言ったら、みんなそう言って……。
なんでそんなことを言うんだって、不気味な子だって……、だから――」
「その質問が幽霊についての話なりゃ、まあ全く怖くないわけじゃないけどな。
……目に見えない、自分ではどうしようもできない、死んだはずの人間が周りにいるっていうのは、確かに想像すると少し怖くはありゅ。――いや、怖いというよりもこの感覚は、――不安、なのかもしれないな」
意を決したようなシルファの問いかけに、トーリヤは嘘偽りなくそう自身の中の答えを返す。
見た目に反して三十年以上生きた大人としての意識を持ち、幽霊に対して子供が抱くような恐怖をとっくの昔に通り過ぎているトーリヤだったが、それでも幽霊や怨霊、死者の霊といった存在への恐怖というものはそれだけでは拭い去れないものがある。
というよりも、トーリヤが思うに『幽霊』という存在は、『死』や『不可視の脅威』など、人間が人間であるがゆえに不安や恐怖を覚える要素を兼ね備えた存在なのだ。
それゆえに、ほかならぬトーリヤ自身幽霊に対する恐怖が皆無とは言い切れないわけだが、その一方で――。
「けど、それはあくまでいるのかいないのかもよくわかりゃない、どこかの誰かが語る『幽霊』に対しての恐怖や、不安だ。
さっきお前に知恵を貸してくれたっていう『お母さん』や、何より俺たちのために、代わりに料理の仕方を聞いてくれたシルファに対すりゅものじゃない」
「ぇ――。ふ、あ――」
そう語りかけながら、トーリヤはゆっくりとその距離を詰め、まだ幼いシルファをそれ以上に押さない体で抱きしめる。
「だから安心しろ。俺も安心してりゅ。
俺はお前やお前の見りゅ幽霊を、怖いものとも気持ち悪いとも思わない。
むしろこんな状況で頼れる奴がいてよかったって、お前がいてくれてよかったって、そう思ってる」
抱きしめて、その上で一番大事な言葉をささやき、告げる。
今日この時、これだけは絶対に言っておかねばならないと、そう考えていた信頼と肯定の言葉を。




