10:予期せぬ発見
「――おお、マジか……。やったぞ、マジか……!!」
同じころ、複数種類の分身を使って周囲を探索し、その場所を見つけて駆けつけたトーリヤは、目の前に広がるその光景に思わずそんな歓声を漏らす羽目になっていた。
目のまえに広がるのは、恐らくは船の積み荷の中にあったモノを育てて増やしたのだろう麦畑。
手入れが行き届いているとは言い切れず、それどころか人の手が入らなくなって大分立つのか野生化して雑草も多かったが、それでも拠点となる洞窟から五分ほど歩いた場所にあったそれなりの広さになる畑は、今のトーリヤ達にとって間違いなく今後の生命線になる大地の恵みだった。
「この時期に発見できたのもちょうどよかったな。手入れはされてないが、それなりに実ってもうそろそろ収穫できそうなところまで育ってる」
トーリヤ自身農業を営む村で四年間過ごしていたこともあり、周囲の様子などを観察して麦についての知識はそれなりに会得できている。
正確には、この世界にある麦は前の世界にあったモノとはよく似ているだけの別物のようではあったが、【生体走査】で生育状況を確認できることや、会得した情報を【生体図鑑】に記憶しておけることも相まって、病気の有無や収穫時期を判断できるくらいには、すでにこの世界の麦に似たこの植物についての知識は蓄積されていた。
(これだけ麦があれば、今から準備しても何とか冬は越せる……。いや、すぐに収穫できる分が見つかれば、早めに刈り取って麦粥にしてエルセに食べさせるのもありかもしれないな……)
昨晩からすぐに食べられるものをかき集めて食事をとっていたトーリヤ達だったが、重い怪我を負ったエルセにとって、その食事はお世辞にも食べやすい、あるいは消化しやすいものとは言えないメニューばかりだった。
そもそもの話、昨晩の段階では鍋すらなかったためそんな調理などできなかったわけだが、調理器具や食器が発見されて麦まで見つかった今であれば、エルセの体調に合わせて消化のいい食事を用意することも視野に入ってくる。
無論、エルセ一人にそうした食事を作っても彼女がおとなしく食べるとは思えないし、栄養の偏りを防ぐ意味でも今晩当たり全員で食べるのがベストだろうと、トーリヤが脳内で着々と食事の献立を考え、【生体走査】で麦の生育具合を調べ、食べられそうなところまで育ったものを探していたそんなとき。
「――ふぁ……」
トーリヤが通ってきたのと同じ道を通って、先導する犬についてこちらに来たシルファが無人島に不似合いな麦畑に感嘆の息を漏らす。
その手にあるのは、先ほど洞窟の拠点で見つかった、麦を狩るのに使えそうな小ぶりなナイフ。
麦畑が見つかったあと、トーリヤ自身が前世の分身を通じて頼んでいたものだが、どうやらシルファがその役目を請け負い、ここまで持ってきてくれたらしい。
あるいは彼女も、こんな場所で見つかったという麦畑には多少の興味があったということか。
あるいは――。
(自分より大柄な人間がたくさんいるところを嫌がったか、だな……)
生活基盤を整えるために仕方のない部分はあるが、今この近辺はトーリヤの分身である前世の姿の男たちが何人もうろついているような状態だ。
その一人一人が禄に着る者もない状況ゆえに半裸でうろついているというのも忌避されてしょうがない状況ではあるが、それでなくとも大柄な男に苦手意識を持っているらしきシルファにとって、そんな大人がいない場所へ行ける用事というのは願ってもないことであったのだろう。
幸か不幸か、トーリヤが彼女に着けているような大型犬の分身についてはこちらも忌避する様子がなかったため、彼女の護衛役はもっぱらそうした犬を用いていたわけだが――。
(大人を怖がってるのもそうだが、この子が特におびえた様子を見せるのは寝起き、もっと言うなら寝ているところを誰かに見られた時なんだよな……)
分身を各所にばらまいていたため観測できたことだが、どうやらこの少女、何らかの要因で本人の意思を抜きに眠り込んでしまうという、前世でいうところの過眠症や睡眠障害に近い何かを抱えているらしい。
先ほども洗いもののさなかに眠りかけ、それをエルセに起こされていたし、昨晩もイルカ型の分身がとってくる獲物を受け取る役割を負っていながら、トーリヤの分身が向かった時の彼女は浜辺で寝入ってしまっていた。
そしてどうやら、シルファ自身もそうして眠ってしまっているところを他人に見られることにかなり激しいトラウマがあるようなのだ。
(まあ、これについても想像がつかなくはない、な……)
前世を思い出してみても、こうした睡眠障害を抱えた人間が本人の意思ではどうにもならない問題であるにもかかわらず、怠け者扱いされて非難され、迫害される傾向があるというのはよく耳にしていた話だ。
思い返して見ても、シルファは出会った当初から目に隈を作り、眠りにつくことそのものを忌避している様子が見えた。
もしも彼女のそんな言動が、そうした非難や迫害の果てに眠ることそのものに恐怖を覚え、その結果ろくに眠ることができずに意図せぬタイミングで眠りに落ちる、そんな悪循環に陥った結果なのだとすれば。
(この子が今こんな感じになっている理由にも納得がいく、か……)
「――え、と――、なん、ですか……?」
見た目だけは年少者とはいえ、すでに中身が大人であることを打ち明けているせいなのか、目の前で思案するトーリヤの様子にシルファがわずかにおびえた様子を見せる。
その様子に我に返り、ひとまずその不安を払しょくしてやる必要を感じたトーリヤだったが、実のところトーリヤ自身あまり子供の扱いにたけているというわけでもない。
なので――。
「――ああ、いや……。この麦畑を見て、収穫できりゅところを探して、今晩何か消化のいいいものでも作りたいと思ってたんだ……。
麦粥とかって作り方――、単純に煮ればいいのか……? 作り方とかってわかったりしないか?」
話を変えて相手の思考を別方向へと誘導すべく、トーリヤは先ほどまで考えていた夕食の話題をシルファへと振ってみる。
先ほど麦粥のようなものが作れるのではないかと意気込んではみたものの、実のところ、トーリヤ自身にそうしたものを作れるだけの調理技術があるわけではない。
前世では男として三十過ぎまで生きていたトーリヤだったが、食事は大体自分で作るよりも買ってすますことの方が多く、作物の性質として似ているとはいっても厳密には地球の麦とは違う未知の食材をどう調理すればいいか、それがわかるほどの調理技術や知識などは持ち合わせていなかった。
ゆえに、シルファに振ったこの話題は彼女の気をそらすためのものであると同時に、トーリヤ自身が現在抱える切実な問題だったわけだが――。
「――ぇ、ぁ……、ごめ、なさい……。わたし、も、お料理、よく知らなくて――」
「――ん、おう、いいよ、だいじょぶ。目指してるのはお粥なんだし、適当に水で煮ときゃなんとかなるだりょ」
曲がりなりにも大人であると知らせていたトーリヤの質問に満足に答えられずに不安感を覚えたのか、消え入りそうな声で震え始めるシルファに、トーリヤは慌ててそう言いながら背伸びし、肉体年齢的には年上で背の高い彼女に腰を下ろさせるような形でそっと抱きしめる。
昨晩苦し紛れに行って功を奏した、相手を落ち着かせるためのその方法をもう一度試しつつ、ダメ押しでもう一手打っておこうかとそばに控えていた犬型の分身をその身に寄り添わせて――。
(――ん?)
「――ぁ、そっか――」
ふとそばに寄った犬の視点から、虚空を見つめるシルファの様子と、そんな彼女がかすかに漏らしたそんなつぶやきを聞き取った。
「どうかしたか?」
「――ぇ、ぁ、ん、と――。おかゆの作り方、わかる、かも、って……」
「……マジで?」
「――ぅ、ん……。お母さんに、教えてもらった、から……」
たどたどしく呟くその声に、トーリヤは「へぇ――」と感嘆の声を上げながら、同時に心中で「おや?」と、思考を走らせる。
まだ確かなことは何もない。けれど、ひとまずはやらせてみるのがいいのではないかと、そう思った。
その夜、作り方の知識を持ったシルファの元、レイフトとトーリヤが共同で作ったその料理は、調理器具や食材、調味料が不足した中でのものにしてはそれなりにうまくでき、満足に食べられるものになっていた。
一人だけ休ませていたエルセも拒絶しきれなかったのか、差し出された自分の分をしっかりと食べきり、ひとまずトーリヤは胸をなでおろす。
否、単に胸をなでおろしただけではない。
(これってひょっとして――、けど――、ありうる、のか……? 魔法がある世界、と考えれば――、けど……)
漠然と抱いていた疑問の一つ、それに対して示されたかもしれない一つの解答に、しかしトーリヤはそれをどう受け止め、対応するべきかを思い悩む。
おそらくこれが核心なのだとそう思いながら、だからこそ扱いを誤ってはならないと、そう自身に言い聞かせながら。




