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Mythophobia

 



 すずめは、どうしているだろうか。


 田所が届けてくれたスーツは、いつもと同じクリーニング店でしっかり糊付けされていた。正臣にそれを届けた時、田所は会社の業績について報告してきた。

 正臣の事件に関してこぞってマスコミが報道した結果、株価が暴落していることや、会社への電話が鳴りやまないことを教えてくれた。このままいけば、会社は倒産を余儀なくされるかもしれない。

 正臣は、それを聞いても何も感じなかった。

 ただ、すずめはどうしているだろうか。それだけが心配だった。

 あの子は1人で生活ができない。食事を作ることもできないし、正臣がいないと食事をとらない。

 あの子は1人で眠れない。悪い夢を見るとすぐ起きてしまう。父親という悪夢を思い出すと、1人で立っていることもできない。

 すずめは正臣の庇護を必要としている。だから会社なんかより、すずめの方がずっと心配だった。

 たとえ、これがすずめが招いたことであってもだ。

 取り調べ中に、何度も刑事がすずめの証言について言及していた。あるものは事実として、あるものは正臣の感情を揺さぶる道具として、すずめの証言を使った。でも正臣は刑事が家に来た時すでに、すずめがしたことに気づいていた。




「すずめは、元気ですか」




 田所に問いかけた時、困った顔をされた。正臣が、すっと視線を向けると田所は言い訳を並び立てる。




「坊ちゃまに言われて、すぐに、お迎えに上がりましたが、すでにいらっしゃいませんでした。おそらく、証言のために身柄は、向こう側に確保されているかと」




 すぐにこちらで確保します。そう続けられた答えに、正臣がもう一度視線を動かす。田所は自分が間違えたことに、すぐに気づいた。




「すずめは、元気ですか」




 もう一度、同じ質問をすると田所は意図に気づいた。それから拘置所に来るときには、スーツとYシャツ、下着、それ以外にすずめの近況報告が付け加えられるようになった。


 あの子は、1人で生活ができない。

 あの子は、1人で眠ることが出来ない。

 あの子は、1人で立っていることもできない。


 田所の報告書の中で、すずめはちゃんと生活を送っていたが正臣には、すずめが泣いていることが分かった。




「こちらが、提出した証拠品です」




 検察官のストライプのスーツに、紺色のネクタイは趣味が悪かった。すずめが選ぶネクタイよりも趣味が悪いと思った。

 あの子はセンスがないくせに、正臣のネクタイをなぜか選びたがった。結局いつも、違うネクタイをつけられてしまうというのに、飽きもせず、いつも正臣のネクタイを選ぼうとした。

 一度くらい、つけてやれば良かった




「被告人の祖父から相続した別荘の敷地内には、趣味の範疇を大きく外れた窯があります。これは、陶芸用の窯で、被告人の祖父は滞在中に、この窯を使って趣味の陶芸を行っていたそうです。その中から、発見されたのが、この骨です。関東保健衛生大学法医学教室に依頼した鑑定書では、ヒトの大腿骨だとあります。つまり、被告人は、かのノートに書かれていた被害者たちを、この窯で焼き証拠隠滅をはかったということです」




 すずめの服はいつも正臣が選んだ。それは、すずめが興味を示さなかったからだ。生きることに必死だったすずめはファッションという、お腹を満たさないものに興味を示さなかった。

 あの子が好きだったことは、料理をする正臣を見ること、一緒に食事をすること、中庭の松の木を眺めること、そして心理学の本を読むことだった。




「こちらは、同じ証拠品を国立法医学研究所に持ち込んだ鑑定書です。ここには、人骨と判定するには至らないと明記されています。それは、当たり前です。この窯の温度は、1300―1500℃になります。DNAはおろか、形状も怪しく、骨と思しきものであるという推察しかできません。この骨が、人骨であると断定することは100%不可能なはずです。被告人は、この骨に関して、私有地で狩猟した鹿を焼いたものであると証言しています。」




 弁護人は、正臣が狩猟をした日付と許可証ならびに猟銃の使用歴などを並べた。




「これは、後日、証言に立つことが決まっている、今野すずめさんが、被告人の所有する別荘から持ち出したノートです。日付と、罪状、性別、そして、遺体の一部と思しき写真が貼られています」

「遺体の一部と思しき、これは、推察でしかない。日付と、罪状、性別、それが書かれていたら何なのですか?その日、殺人が起きた?被告人が、誰を殺害したというのですか?この写真が、個人を特定するもの?生きているか、死んでいるかすら分からない、体の一部の写真が、殺害の証拠だとでも言うのですか?」




 正臣が雇った弁護士は、腕が立つことで有名だった。正臣は、証拠を一つも残していない。遺品も遺体も名前も存在しない。

 唯一、繋がりが残っているのは犯罪者を調べるために利用していた探偵の飯山明人だが、それも状況証拠でしかないし、彼が捜査線上にあがることはほとんどないだろう。たとえ、のぼったとしても犯罪者を調べていたという証拠でしかない。




「これは、写真のうちの一枚です。血のようなものが見えます。法医学教室の教授に確認を取りました。この写真から推察される出血量は、体重50㎏の人間の致死量を超えるそうです」

「こちらは、証拠品として提出されたカメラと同機種のもので撮影した写真です。こちらが、本物の血液を撮影したもの、こちらは調味料のケチャップ、それからいちごジャム、そして、これが演劇で用いられる血のりです。全く、見分けはつかない。まして、検察側も仰っている。その写真に写っているのは、血の“ような”ものだと」




 正臣は、逮捕されても慌てる必要なんて一つもなかった。遺品も遺体も血液も、証拠は何一つ残していない。ただ唯一すずめを除いて。

 すずめの証言は、もしかしたら正臣を追いつめるかもしれない。そういう意味では、すずめが法廷に立つことは望ましくない。だが、すずめの無事を確認できるのであれば、彼女が証言台に立つことは正臣にとっては願ってもないことだった。

 もし、その時、すずめが泣いていたら正臣はあの子を許そうと思っていた。1人で眠れず、1人で立つこともできないと泣いていたら、正臣は許そうと思っていた。







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