V-5 H2O殺人事件【解答編】&小休止
「は? えっ? ほえ?」
いきなり疑問符が飛び交った。
尋ねられた楢崎が答えるより先に、莉麻が日向に詰めよる。
「『Hくん』がどんな格好をしていた――って。愚問ですよ水無月先輩! ジャージに決まってるじゃないですか」
「どうしてそう思う?」
「犯行現場に〈溶けた跡〉があったでしょ!?」
「違うよ」
奇術同好会の女子が、ツインテールを揺らしながら会話に入ってくる。笑いを堪えながら、
「塙くん……じゃなくて、『Hくん』はね――『全裸』だったよ!」
と教えてくれた。
「全裸って……何も着てなかったってことですか……?」
こめかみを押さえていた莉麻の、つぶらな瞳に鋭さが宿る。
こくり、と白い喉が鳴った。
「わかりました。そもそも、あれは――‟死体”じゃなかったんですね?」
夕闇と下校時刻が迫っている。
さあ答え合わせの時間だ。
*
「推森が利用したのは、“先入観”だよ」
水溶性宇宙人。加えて、うつぶせに並べられたジャージ。
「あれを見れば誰だって、被害者の死体――〈溶けた跡〉だって思い込む」
演出があざとすぎる。
日向は内心グチった。ジャージを使ったのは、制服を濡らすのは気が引けたからだろう、程度に考えていた。計算ずくだったら大したものだ。
「僕はこれを指して一度も、『Hくん』や『死体』と描写してないんだから――フェアだろ?」
出題者が大見えを切った。
七条原が髪を振り乱しながら、床を拭いている。掃除を手伝いながら莉麻がまとめに入る。
「目撃者によると、『Hくん』は裸だった――ジャージを着ていなかったことが判明しました。だから、ここに在るのは、ただの濡れたジャージです」
犯人はいかにして水を現場に運んだのか?
「吸水性の良いジャージに水を含ませて運んだ――これが解答ですね」
ジャージは最初から水浸しだったのだ。
現場で水浸しにされたのではなく、それ自体が、凶器を運ぶ道具。答えは初めから目の前に晒されていた。『Hくんがジャージを着ていなかったこと』を目撃者から聞き出すのは容易いが、発想に至るまで、罠が幾重にも仕掛けてあった。
「ミスリードが酷すぎですよ」
莉麻は泣き笑いのような表情をしている。
「水溶性宇宙人なんてデタラメ過ぎるし。目撃証言も、どうせフィクションだろうって思いましたもん」
「及第点かな」
まんざらでもない様子で推理研の部長は頷く。
「気付いたのは水無月先輩です。それにしても、塙くん、よくこの役を引き受けましたね」
「とんでもない。彼は光栄の至り! と喜んでいたよ。ジャージも快く貸してくれたしね」
役目を果たした後は塾があるから帰ったけど、と微笑む推森を日向は疑う。本当か? たしかにジャージの赤は一年生のカラーだが。
青ざめていると因縁をつけられた。
「おいおい水無月くん。まさか僕が後輩を全裸で歩かせた、と本気で考えているんじゃないだろうね?」
ブレザーのポケットから、秘密兵器のように何かをとりだす推森。
タスキだった。〈私は水溶性宇宙人H。全裸です〉とマジック書きしてある。推森の〈犯人は私です〉と揃いのタスキだった。
「な、なるほど……」
日向は脱力ぎみに唸る。たしかに伏線は張ってあった。推森はどこまでもフェアだった。ひねくれ者だが。
「そこまで徹底しているなら、別の疑問がわきますね」
さりげなく莉麻がいう。
「なんだろう。中間テスト学年トップの東雲さん」
「数Aのトップは逃しましたが――‟水滴”です。犯人が辿った階段や廊下には、一滴の水も落ちていませんでした。何の痕跡も残さず、あれだけ濡れたジャージを現場までどう運んだのでしょう?」
「そのオチも多分ついてるよ」
腕組みをした日向は窓辺に近づいていく。
「窓の断熱シート。
今回のために用意したのか、いったん剥がしたのかは分からないけど――シートを利用して、即席のビニール袋にしたんだと思う」
ああ、と莉麻は小さく手を打った。引き違い窓を覆うシートを二枚も使えば、ジャージは包めるだろう。
「使用後、シートに水気が残っていても、窓の結露と判別がつきませんしね」
「断熱シートは元々ここに貼ってあったのさ。寒いだろ、って用務員さんが気遣ってくれてね。――言ったろ? 犯行前の状況と何ら変わっていない、って」
ハンチング帽を脱いで、推森は肩をすくめた。
「満点とは言い難いが、君たちは正解にたどり着いた。しかたない。負けを認めよう」
あらかじめ打ち合わせていたように、七条原が後を引きつぐ。
「今回の勝負、宇宙研の勝利として、東雲ちゃんはゆずります」
おお。そういうことになるのか。
これで良かったのだろうか? 日向は戸惑う。出逢ってから二か月も経っていないが、東雲莉麻と推理研の相性は悪くない。そんな気がしたからだ。
目が合うと、莉麻は丸い唇をひらいた。
「予想外でした、水無月先輩……こんなメチャクチャな問題を解くなんて、メチャクチャですよ」
高揚した声音でつぶやく。
「やっぱりアナタは、私が予想した通りの人でした」
*
「――正木先生に聞いたけど。白志山高の生徒が黒志山高の同好会に入るのはダメだって」
「兄弟高じゃんかよ!? 正やんめ、白志でも物理教えてるくせに!」
白志山高校二年、空野楓が怒りで白い歯をきしませた。
まあまあ、と日向はなだめて、
「でも、宇宙科学研究会に入りたいなんて。意外だね」
「オレだって、宇宙のロマンに浸ることがあるさ。他校の女子とも交流したいし」
「…………」
本当の目的は後者だろう。
「なんつたっけ? 新入部員の一年生、東雲莉麻だっけ?」
「空野くん、同じ桃山中学出身だよね。知らない?」
「いや、覚えてないな。どんなに可愛くても年下はダメなんだオレ。妹がいるせいで。同い年か年上じゃないと受け入れられない。ああ……年下と恋愛なんてゾッとする!」
「そうなんだ。意外だね」
自分の両腕を抱いていた楓が、んっ? と首をひねる。
「東雲って……もしかして、東雲里香の妹か?」
「東雲りか?」
「いや、一個上の先輩で。結構な美人で、白志の三年生だった」
「だった?」
「学校辞めたんだよ、結婚するとかで。相手は大学生だか社会人だか知らないけど、でも、すぐに別れたって聞いたな」
「波乱万丈だね」
お固いイメージの莉麻とは、正反対のタイプだ。赤の他人か。
「水無月くん、限界か?」
呼吸が荒くなってきた日向を、からかうように楓が伺う。
「まだ平気だよ。でも――なんでサウナ?」
サウナ室の木戸が開いて、老人と一陣の風が入ってきた。
砂時計をひっくり返して老人は入口の傍を陣取る。日向は濡れタオルで顔を拭いた。拭いた後から汗が噴き出してくる。
「この健康ランド、トレーニングルームがあるじゃん。オレ、そこで鍛えてるんだよね」
ぐっと上腕二頭筋のコブを強調する楓。
「ほんとだ。筋肉ついてきたね。スゲえや」
肉体改造する、と夏に誓っていたが、有言実行しているらしい。
「体を鍛えると、精神も高まった気がするぜ。今のオレの信条教えてやろうか。友情、努力、勝利」
「それジャ〇プの三原則だよね!? やめて軽々しく使うの!」
「オレも君に聞きたいことがある」
「ん?」
「今日は白志山高の創立記念日だ。ゆえに、オレは平日サウナに入っているわけだが」
楓に連絡すると、健康ランドにいる、と返信があったのだ。
「なぜ黒志山高のお前がここにいる? 黒高の創立記念日は来月だろうが。サボりか?」
日向は汗ばむ眉間にしわを寄せた。
「べつに今日だけじゃないよ……昨日も、一昨日も午前中サボったし」
「いつからそんなアウトローになったんだよ!? サボって何してんの? どっか行ってんの?」
「黒志山大学」
「はあ? 何のために」
「…………」
「おい、泣いてるのか? いったい何があったんだよ」
話してしまうとスッキリした。
楓はくるくるした瞳を閉じて、静かに腕組みをする。
「ふうん……で、放課後は東雲莉麻と約束があるから、午前中に学校をサボって、師範代を見るため大学に潜入していると」
「はい……」
以前は、会えない日々が続いても平気だったのに。
雷宮光とケンカして、殴られた痛みがひいた頃からか――光に逢いたくてたまらなかった。電話もメールもする勇気がなく、まして正面から話す勇気もなく、取った手段が『遠巻きに眺める』。
60番教室、大型スクリーン設備がある34番教室。光は大抵前に座っているので、最後列から姿勢の良い背中をうっとり眺める。気付かれないように。横顔でも拝めれば満足できた。
はあ~と楓はバカでかい溜息を吐いて、
「君みたいのを世間で何というか知ってるか? ストーカーだよストーカー! ったく、フラれてストーカーになる典型の男だな」
「ストーカーじゃないよ! 付き合ってんだから」
「だったら彼女を遠くから見てニヤニヤすんなや! ケンカ別れしそうなんだろ!?」
「…………」
「泣くな、って」
「違うこれは汗だ。疑うんなら舐めていい」
「汗も涙も成分的には変わらねえし! ――まあ、たまには良いんじゃねえの。どうせ今までフラれたことなんて無いんだろ。苦しめ」
けけけっ、と意地悪く笑う楓。日向は下唇を噛む。
「嫉妬したりはあるよ」
「何ねぼけたこと言ってんだ。嫉妬と失恋じゃ全然違うぞ」
「……?」
うつろな目をしている日向を、楓はさらに攻撃する。
「おまけに、可愛くて胸が大きい後輩に慕われて、ほだされきているんだろうが。最低だな」
「ほだされてなんか……」
「時間の問題だと思うけど?」
めまいを感じた。
サウナは得意じゃないのに、楓に付き合って長く入り過ぎたのだ。腰を浮かせたところで、楓が妙な声を上げた。
「変な噂思い出した」
「……うわさ?」
「さっき話題に出た東雲里香。離婚して、今は教師と付き合ってるんだって」
先生と?
日向はつい、養護教諭の田雲と野巻アカネのことを思い出した。高校を出た生徒が、教師が付き合うことはよくあることなのだろうか。
「その教師ってのがさ――。嘘か本当かわかんないけど、正木先生なんだとさ。冴えないオッサンにしか見えないのに、やるね~」




