仙人 対 殭屍(キョンシー)
戈
ピッケル状の武器
両腕を胸の前まで上げて、ピョンピョン飛びはねる。生気のない青白い顔で、どこを見ているのかさえわからない。そんな姿の屍は殭屍。
もう人とは呼べない、動く死者の塊であった──
殭屍だけが住む町と化した山中の町──桂林市──は、それほど人口は多くない。それでも市であることに変わりはなかった。村のように数十人ではなく、ゆうに千人は越えるだろう。
そんな町の中を、さんにんの男が駆けていた。
「──これはなかなか、骨が折れるな!」
ひとりは黒族の代理長、黒 虎明である。
大剣で殭屍の喉を刺し、動かなくなったところで抜き取った。血飛沫が舞い、彼の視界を埋めていく。
近よる者あれば軸足に力をこめ、大剣で殭屍らの腕や首を斬り落としていった。群がられれば大剣を両手で持ち、空に縦横、一閃ずつ放つ。それは衝撃波となり、殭屍たちを五体満足で吹き飛ばしていった。
「弱い、弱いぞ貴様ら! それでも不死の存在かー!?」
屋根や大木を登っていく。
一番高い木の上に立ち、大剣を持つ右手を肩の後ろへと回した。肩に剣を担ぐような格好になっている。
「これで、終わりだーー!」
ふっと空気を吸った。瞬間、勢いをつけて落下していく。後ろ手に控えさせていた大剣を両手に持ち替え、切っ先に霊力をこめた。
そのまま殭屍の群れへと、大剣ごと突進していく──
「──獅夕趙! 彼らを殺してはならん! 閻李が戻り次第、人間へと戻してもらうからな!」
猪突猛進を絵に描いたような黒 虎明から少し離れた場所に、青い漢服を着た男性がいる。
彼は瑛 劉偉だ。前衛で容赦なく殭屍の数を減らしていく男へ、忠告を申し出る。
そんな彼の手には数枚の札があった。
札を宙へと放り、両手で印を結んでいく。瞬刻、札は光り出した。一枚から分裂し、増える。それが何度も繰り返され、大きな輪を作れるほどの枚数に膨れあがっていた。
「後先考えずの行動は、控えてほしいものだ……」
指をパチンっと鳴らす。
くるくると回っていた札は、彼の指音とともにピタリと止まった。かと思えば、目映く輝く。
「封印とまではいかぬが、これで動きは止められようぞ」
札がひとりでに動きだしていった。意思をもつかのように殭屍ひとりひとりに一枚ずつ、額へと向かっていく。やがて額に札を貼られた殭屍たちは、微動だにしなくなった。
彼は殭屍たちに近づき、動いていないことを確認する。
「……うむ。しっかりと機能しているようだな……っ!?」
そのとき、札から外れた殭屍が物陰から飛び出してきた。けれど……
「これも、運命か」
驚く素振りはない。両目を丸くしてはいるが、それでも落ち着いたものだった。腰にある剣に手を伸ばす。鞘に触れた瞬間、目にも留まらぬ速さで空を裂いた。
殭屍は牙を見せたまま両手足を切断され、血溜りとともに地へと崩れていく。
「……む? 貴殿は今、何をした?」
近くで死人たちと応戦している黒 虎明が、両目を凝らして尋ねた。
「なぁに。剣で何回も切り刻んだだけの事」
「全く見えなかったぞ?」
動きが速い。そのような言葉では片づけられないほどに、彼は俊敏だった。
それをいとも簡単にやってのける瑛 劉偉は先代皇帝に信頼されているだけはあるなと、黒 虎明は豪快に笑う。
そんなふたりから少し離れた位置に、全 思風はいた。彼は黒い渦を全身に纏い、苛立ちを顕にしている。
襲いかかってくる殭屍は、ハエでも追い払うかのように片手で弾いた。建物や草木の影から現れる者たちへは、睨むことで動きをとめる。
片手に持つ花を大事そうに撫で、微笑んだ。
「目的の蘆笛巌はどこだ?」
町から西北郊外にある光明山という場所にある。しかし名前はわかっても、山自体がどれなのか。それがわからなかった。
──町の住民に聞けばいいやって思ってたけど。まさかその住民全員が殭屍になってるなんて、思いもしなかったなあ。
迫りくる化け物たちを黒い焔で焦がしていった。
嘆息し、うーんと唸る。
ともに来ていたふたりを見ても、彼らは殭屍の相手で手一杯のようだ。これでは聞くこともできないなと、肩から諦めのため息を溢す。
「小猫、どこにいるんだい?」
愛し子の姿を思い浮かべながら、花へ口づけをした。そのとき、花に変化が訪れる。花びらの一枚一枚が勝手に動きだしたのだ。
「……風? いや、これは……」
そう云うが後か。花びらは一斉に、ある方角へと向いた。そこには尖った山がふたつ、横に並んでいる。下半分は緑に包まれ、上半身は自然を被ったようなかたちになっていた。
花びらは彼の手のひらから離れ、淡く光ながらその山を指している。
「あの山に、君はいるのかい?」
花を優しく手に取り、そっと抱きしめた。ふふっと花に向かって慈しむ微笑みを落とす。大事そうに布へと花を包み、襟の中へとしまった。
ふうーと深く深呼吸をする。両目を閉じれば長いまつ毛が震えた。そして静かに両目を開け、朱く染めあげた瞳で山を見据える。
右手の人差し指で山を指せば、黒い焔の階段ができあがった。
ふふっと微笑んで一段、また一段と、階段を優雅に登っていく。
ふと、下界で殭屍たちと応戦する瑛 劉偉と黒 虎明の姿を見かけた。彼らを襲う殭屍を、冥界の王としての覇気で一掃してみせる。
地上にいるふたりは仰天した。空を渡る彼の姿を発見するなり、どこへ行くんだと叫ぶ。
「小猫の居場所がわかったんだ! 私はこれからそこへ向かう。あんたたちは、そこで殭屍を相手しててもらうよ」
ふたりから視線を外し、まっすぐ前にある山を凝望した。「待っててね小猫」と、蚊が鳴くような声で呟く。
そして、瞬きする暇を与えぬほどの疾走を開始した。
──風が体にあたる。だけどそんなのは、些細なことだ。小猫と離れてしまう時間が多ければ多いほど、私は壊れていく。冷静でいられなくなるんだ。
華 閻李という美しい少年が、どれだけ自身の精神を支えてくれているのか。それが嫌というほど身に染みる時間だった。
口にはしないが、態度には出てしまう。それを恥とは思わずとも、心のどこかで少年に安定した何かを求めていた。
──だからこそ私は、あの子を手離したくはないんだ。あのときのように、守りたい者すら守れぬほどに弱い私ではない。
少なくとも今は違う。そう、断言できるぐらいには強くなったはずだと、自分に言い聞かせた。
「……だけど私はやっぱり……」
強気なはずの眉は力なく、への字に曲げられてしまう。微笑みのなかに哀しさや寂しさを隠しているかのように、憂いた瞳だ。
「あの子の側に、ずっといたい──っ!?」
転瞬、蘆笛巌がある山から無数の赤い何かが飛んでくる。それは、バサバサと翼を広げた鳥たちだった。
「…………」
足を留め、赤いそれらを眼光鋭くねめつける。右手に黒い焔を添え、赤い何か目がけて放った。
けれど赤い何かは、焔を簡単に粉砕してしまう。
「ちっ! 焔だと相性が悪いな」
一瞬だけ足踏みした。それでもその表情に諦めや悔しさなどはなく、余裕を保っている。
「いいだろう。冥界の王を怒らせた事を、後悔させてやろう」
長い三つ編みを縛る紐が、自ら纏う焔によってほどけていった。
毛先からジリジリと、ゆらゆらと揺らめく。やがて焔に包まれた毛先は青白く、ときおり朱く燃える焔となった。
腰にかけてある剣を抜く。
焔が渦巻きながら、剣の切っ先まで侵食していった。瞬間、剣は黒い焔を纏わせて形状を変化させていく。槍のように長く、※戈に矛を被せたもの……戟と呼ばれる武器になっていた。
それを手にし、彼は異常なまでの美しさで微笑した。




