同行者
「貴殿は何のためにここにいる? 誰のためだ?」
瑛 劉偉の渋く、厳しい声が場を凍りつかす。視線を全 思風から離すことなく、青い漢服の袖をバサリとはためかせた。
「……お前なんぞに、何がわかる」
全 思風の声は弱々しい。いつものように自信に満ちた、誰にもおくさないような強者の気迫がなかった。朱に染まった瞳、ぽつぽつと呟くように吐かれた声。そのどれもが、普段の気高い彼からは想像もつかぬほとに脆い。
面と向かって叱咤する瑛 劉偉を見る瞳には、怒りなど微塵もなかった。美しいけれど哀しげな、捨てたられた仔犬のよう。
「わかるはず、ありません。私はあなたではないのですから。ただ……」
ふうーと、諦めに似たため息を溢した。
「あの子が望んでいるのか。喜ぶのか。それを、今一度考えてみなされ」
それだけ伝えると、腰を抜かしている黄 沐阳の腕を引っぱって立たせる。側にいる少女に頭を下げ、彼を連れてどこかへと行ってしまった。
そんな男の背中を、全 思風は追う。それでもすぐに興味がなくなったようで、呼吸を整えてから地図へと視線を向けた。
コツコツと、歩く音だけが響く。ほうけていた雨桐を呼びつけ、どうするかと相談を持ちかけた。
「悔しいけどさ……あの男の言う通りだ。ここで暴れて、蘆笛巌に力だけで乗りこむ。そんなの、あの子が望んでいるとは思えない」
『……あー。むしろ、嫌われちゃうだろうね。あの子は優しいから、自分のために誰かが傷つくのは耐えられないだろうし。何よりも王様が悪者になる事が、一番辛いだろうから』
華 閻李という少年は、見た目の美しさに反して頑固なのだろう。それを熟知しているふたりだからこそ、子供が何を嫌がるかも知っていた。
ずっと一緒にいる彼が、身を犠牲にする。そうまでして助けてもらいたくはない。悪者にさせてしまうぐらいなら、何もさせない。
あの子供はそういう性格だった。
「……ふん。知ったような口を」
ぶっきらぼうに語る。けれど口元には微笑みが乗っている。
「……さて。どうすればいいんだろうね? 管轄が黒族ってなると、黄族領土よりも動きにくそうだ」
黄族のように、黒族は全 思風と縁があるわけではなかった。黄族の領土内ともなれば、黄 沐阳の口添えで救出も可能とる。
しかしそれは、黄族領土内だからこそ。逆に云えば黒族は何ひとつとて、助ける理由などないのだ。
「頭を下げるって手もあるけど、それで入れるわけじゃないしね……」
どうしたものかと、考えあぐねてしまう。瞬間、後ろから黒い漢服に包まれた腕が伸びてきた。地図を拾うように持ち「なるほど」と、低い声をだす。
ふたりは静かに振り返った。
するとそこには黒族の長代理を努めている男、黒 虎明がいる。地図を見、軽く頷きながら椅子の上に戻した。
「──ならば、俺が共に行こう」
全 思風以上に低く、野太い声が、ふたりにすっとんきょうな声をあげさせる。
「ここは黒族の管轄だ。ならば、俺が行くのは道理。それで何の問題もないだろう」
選択権はない。もちろん拒否権すらないといったふうに、彼らを凝視した。
「まあ、確かにあんたが来てくれたら話は早いんだけど。でもさ、あんたは長代理だろ? こんな状態で抜けるわけにはいかないでしょ?」
王都の上空に突如として現れた鳥籠。それが原因で、各地の人々が殭屍へと変貌していた。
そしてこの会合場を襲った、謎の鎖。これのせいで場は混乱している状態である。
そんなときに長が席を外すなど、前代未聞であった。
「うん? ……ああ、心配するな。俺がいなくとも、黄族の小僧が両族を上手く回してくれるはずだ。そもそも俺がいたところで、事態が動くとも思えん」
この男は、自他共に認める熱血漢である。考えるより先に手足が出てしまい、窮地に陥ることもしばしばあった。
その結果として内戦に仙道たちが介入していると世間に知られてしまい、仙道たちを非常に危うい立場にしてしまっている。
「京杭大運河でのあれも、俺が後先考えずに行動した結果だ。感情に身を任せて町を襲ったのも、な」
そんな俺がここにいたところで役にはたたない。
彼は自分の過ちを認めると同時に、適材適所という言葉を覚えたようだ。
「俺と違って、あの男……黄 沐阳は頭がいい。今、何が必要か。それを冷静に判断する事ができる。……まあ、人望はないようだがな」
大笑いしながら、余計な一言を走らせる。しばらくして笑い終えると、真剣な面持ちで語り聞かせた。
「行くのは俺と、瑛 劉偉殿。そして貴殿だ」
眼前にいる少女をちらりと見るが、子供は論外と云わんばかりに視界から外す。
「俺がいれば黒族領土内での自由は利く。そして瑛 劉偉がいれば、何かと便利だろうさ」
瑛 劉偉は前皇帝の命を受けた監査であった。
何よりも、これから助けに向かう子供が信頼する大人でもある。もちろん全 思風も、子供が信頼する大人のひとりなのだろう。けれど彼とは別の意味で憧れや尊敬などを懐かれているため、連れて行った方がいいのではと考案した。
全 思風は舌打ちをする。けれどいないよりはマシだと結論づけ、同行を許可した。
「……いいよ。それでいこう」
全 思風と黒 虎明は互いに握手を交わした。




