感情という名の焔
五公里
五キロメートル
『──そもそも、あの姿ってのがおかしいんだよね』
映像に映る美しい子供、そして仔虎と青龍と呼ばれる生物を凝視する。
少女は小さな体に似合わない表情をし、うーんと唸った。隣にいる全 思風と顔を見合わせ、視線を映像へと戻す。
『白虎だってそうだ。本来神獣は、強い霊力を持ってる。いくら人間たちの住む世界に来たからって、いつまでも仔猫の姿ではいられないはずだよ。ましてや、霊力の塊にも等しいあの子の側に常にいるんだ』
常にその強力な霊力を浴び続けているのならば、自然と本来の姿に戻るはず。
それが、雨桐の体を媒介にしている神獣──麒麟──の出した答えだった。
「……どちらにしろ、それについては私の関知する事ではない。それに今大事なのは、小猫を助ける事だけだ」
冷めた眼差しで麒麟を見つめる。
華 閻李以外は知ったことではない。
そんな潔いまでの徹底ぶりを貫く彼に、少女は苦笑いを送った。タハハとあきれた様子で空を仰ぎ見、両目を閉じる。
『……青龍たちの事は気になるから、それは拙が調べてみるよ。王様は、あの子を取り戻す事だけに集中すればいいんじゃない?』
ニヤニヤと、口元からにやけていった。にんまりと、無邪気を通り越した厭らしさすらある。肘で彼の足をつつき「愛だね~」と、からかった。
「そうだね。私は誰よりもあの子を愛している。世界がどうなろうとも、冥界が滅びようとも、私はあの子だけを求める」
麒麟によるからかいなど、どこ吹く風。
彼にとって、華 閻李が生きる糧になっているという事実を改めて知らしめる機会でしかなかった。
したり顔で少女の質問に答えた後、映像の中にいる儚げな雰囲気の子供に手を伸ばす。けれど掴めるはずもなく、彼の瞳は憂いていった。
『……ねえ王様、この場所がどこかわかる?』
「いや。これだけでは何とも言えないな」
暗さや壁の具合などから、洞窟であるということはわかる。けれどそれがどこの洞窟なのか。それの見当がつかなかった。
『困ったね。居場所がわからないと助けに行けないんじゃない?』
手詰まりになり、ふたりは困り果ててしまう。
「──おい、あんたら何やってんだよ?」
情報がつかめないままのふたりの元に、黄 沐阳がやってきた。
彼は町で、市民への説明を行っていた。それの帰りのようで、数人の配下を連れて近づいてくる。
全 思風たちが立ち往生しているのを不審がりながら、訝しげな表情で見ていた。そんな彼だったが映像の中に消えた子供の姿を発見するや否や、ふたりを退けて声をあげる。
「ホ、華蘭!?」
子供を字で呼びながら映像を掴もうとした。けれど彼の手は腕ごとすり抜けてしまい、その場に前のめりで転んでしまう。
起き上がったときには鼻血すら出ており、泥まみれになっていた。躍起になりながら、美しい少年をこの手で捕まえようとする。
必死さすら伺える行動、そして眼差しをしていた。
見かねた全 思風は、彼の腕を掴んで起き上がらせた。
「私もお前と同じ気持ちだ。小猫を助けたい。だけど……」
この場所がわからないんだと、悔しそうに瞳を細める。黄 沐阳の腕を離し、拳を強く握った。
「洞窟なんてたくさんある。そのせいかこの映像だけでは、どこの洞窟なのか。それがわからないんだ」
端麗な顔立ちに苛立ちを乗せる。
「……洞窟、か。確かにそれだけじゃ、俺もわから……ん?」
黄 沐阳は鼻血をふき、映像を注視した。ふと、何かに気づいたようで、顎に手を当てて考え耽ってしまう。
けれど数分後、冬の風が彼らの肌を打ちつけていくなかで、「あっ!」と声を響かせた。
「ここ、【蘆笛巌】かも知れねー!」
踵を返し、半壊してしまっている会合場へと足を進ませる。全 思風たちについてこいと云い、中へと入っていった。
□ □ □ ■ ■ ■
天井が破壊され、会合場は今にも崩落しそうな状態である。それでも辛うじて、奥にある椅子近辺は形を保っていた。
全 思風たちは椅子の上に地図を置いて拡げる。赤いバツ印がたくさん描かれている場所から左へと指先を滑らせていった。
「蘆笛巌は確か……この辺にあったはずだ」
そこは、赤いバツ印がほとんどついていない場所である。すぐ側には桂林市と書かれた町があった。
「この町の周囲は山が多くてさ。町自体、山に囲まれてるんだ。で、この町の西北郊外に行くと、光明山って山がある」
すすすっと、指を西北へ這わせていく。落ち着かせた指の先には、赤いバツ印などひとつもなかった。
「市内から※五公里離れた場所の山腹に、確かあったはずだ」
何度か訪れたことがあるから、位置はあっているはずだと断言する。
「あの映像、後ろに湖あっただろ? あれ、俺入った事あるんだ。爸爸に仕事を教わってたとき、何回か入った記憶はある」
ただとつけ足し、表情を曇らせた。地図を軽く爪でつつく。視線を地図から全 思風たちへと向けた。
「ここは黒族の領土内だ。黒族の長の了承なしでは、入れない場所なんだ」
唇を噛みしめる。
希望が見えたと思えた瞬間、あっという間に崩れていった。全 思風はそれを実感する。それでも助けたいという気持ちが先走り、力尽くでも通るという想いを瞳で表した。
雨桐たちは慌てて彼を取り押さえる。説得をしては、冷や汗をかいていた。
けれど暴れる彼を抑えこめる者など、今、この場にはいない。唯一御せるのは彼が愛してやまない少年だけだ。
「邪魔をするな──!」
怒りか。
それとも、子供と離れてしまったことへの恐怖からか。
どちらともとれる感情を表し、全身から黒い焔を具現化させた。決して熱くはない。それでも触れただけで、心の奥底から闇がもたらされる。
そんな焔だった。
暴走というには生易しい力に、黄 沐阳は悲鳴をあげる。雨桐は彼を必死に宥めた。
「──私は冥王だ。その私が、なぜ人間が決めた事に従わねばならない?」
黒曜石だった瞳は、やりきれない気持ちを乗せて朱く焦げていく。深紅に染まった両目に映るのは敵とみなした、少女と黄色い漢服の男だった。
普段の彼ならば、このように感情に身を委ねることはしないのだろう。そう感じてしまうほどに、今の全 思風は脆くなってしまっていた。
「私は、あの子を側に置いておくためには何だってする。あの子が死ねと言えば、私は喜んで命を投げ捨てる! 消えろと言えば、全ての世界から自分を消滅させてやる!」
それだけの覚悟を持っているのだと、誰にも反論を許さない勢いで語る。
そんなときだった。
「──貴殿はなぜ、気づかぬ? それは、閻李が望んでもいない事実だという事を」
凛とした、低い声が轟く。コツコツと足音をたてながら彼らの前に姿を現すのは──
「独り善がりもいい加減にせい!」
威厳を保ちながら青い漢服の袖を揺らす、瑛 劉偉だった。




