蒼き者
蒼い紐のようなものが落ちている。子供はそれを軽くつつき、小首を傾げた。
──何だろう、これ? 触ってみた限り、紐って感じじゃないし。というかこれ……
「……もしかして、鱗?」
鬼灯を近づける。
するとそこには紐のように長い体を持つ、蛇がいた。ただ、蛇というにはいささか身体の長さが足らず、とても短い。
「へ、蛇!?」
うわあっと恐怖に負けた声をあげ、二匹が眠っている場所まで後退りしてしまった。
ふと、仔虎の牡丹が目をさます。大きくあくびをして牙を見せ、両前肢をうーんと伸ばした。全身をぶるぶると左右にふり、長い尻尾をピンっと立てる。右前肢をペロペロと嘗めれば、愛らしいつぶらな瞳をぱちくりさせた。
みゃおと、かん高く鳴く。華 閻李の元へとより、彼の腕に毛を擦りつけた。
「……ぼ、牡丹。これ蛇、だよね!?」
僕、蛇無理だよと大きな瞳に涙を溜める。
牡丹はかわいらしい足取りで蛇の元へと向かった。じっと見つめ、ちょんちょんと前肢でつつく。
刺激された蒼い蛇は、尾っぽをあたりを上下にタシタシとした。ゆっくりと両眼を開け、細い両眼で子供を凝視している。
子供はうっと言葉を詰まらせた。それでも仔虎が警戒心というものを出さずにいるのを見て、勇気を振り絞る。
蛇の前まで進み、自身も軽くつついてみせた。
「……わっ。この鱗、すごく冷たい」
それでいて滑らかな手触りである。水辺にいるせいなのか、少しばかり濡れてはいた。けれど、不思議と不快感は覚えない。
夏に抱きしめたら、さぞやひんやりとして気持ちがいいのだろうと考えてしまう。そのぐらいには、彼の心は落ち着いてきていた。
「でも、どうしてこんなところに蛇が……って、あれ? この子、本当に蛇なの?」
まじまじと凝望する。
蛇にしては短い身体だ。何よりも、鱗の色が蒼というのは非常に珍しい。突然変異ということもあり得るのだろう。けれど、あまりにも不自然な身体や色ではないだろうか。
──なるようになれ、か。
華 閻李は覚悟を決めて、蛇の身体を撫でてみた。
蛇は予想外なほどにおとなしく、暴れる気配すらない。むしろ人懐っこいようで、子供の手に自らの頭をすりよわせてきた。
「……か、可愛い」
動物が好きな彼にとって、この蛇の見た目を誉めるのは造作もないことのよう。身体から頭へと撫でる箇所を移し、ふふっと微笑した。
ふと、鬼灯の明かりが蛇の顔を強く照らす。
頭部から尻尾まで、白い毛のようなものがついていた。額の左右には角が生えており、先っぽが欠けてしまっている。
眼は、少しだけくたびれたように垂れていた。けれど月のように輝く金色の瞳は美しかった。
鼻の下には、左右に二本の太い髭が伸びている。肢も四本ついていた。
「……えっ!? この子、蛇じゃない……」
どう転んでもこのような姿の蛇などいない。ではいったい、この生物は何なのか。
子供は静かに、蒼い何かを持ち上げた。見た目が小型なだけあり、体重を感じさせない。
「……変なの」
でも、かわいい。そう呟いてしまうぐらい、この生物はかわいらしかった。
† † † †
華 閻李が謎の生物と遭遇したのとほぼ同時刻、全 思風たちの元にひとりの少女が到着していた。
少女の名は雨桐、枌洋の村で起きた事件の被害者でもある。そして、唯一の生き残りでもあった。そんな少女には大きな秘密がある。それは……
『──驚いたよ。王様が自ら、拙を呼びにきたなんてさ』
中身が人間……しいては、子供ですらなかったのだ。
枌洋の村で生き残ったと思われていた少女は、すでに死んでいた。器だけとなった少女の体に、神獣と呼ばれる異界の存在が入りこむ。そのことにより、少女そのものが生きているかのように見せていたのだ。
少女の親戚がいるという蘇錫市で別れを告げた後、何をしていたのか。それを知るのは神獣のみである。
けれど今回呼び出さた理由はそんなことではないと告げられ、少女は『ふーん』とだけ答えた。
全 思風は少女を、ひと睨みする。
そして一通り、ことのあらましを伝えた。
『……そうか。あの子がいないと思ってたけど。そんな事になってたなんてね』
先ほどまでの軽率さは消え、神妙な面持ちだけが残る。小さな体に似合わずな、ぶかぶかの桃色の漢服を揺らした。背筋を伸ばし、大きな瞳に何かしらの不安を乗せる。
髪の毛を飾るようにくっついていた花の簪を取り、彼へと渡した。
『拙だって、あの子の無事を祈ってる。懐かしさに浸ってる場合じゃないね。って、聞く限りだと、他にもいるっぽいけど?』
「それぞれが持ち場についてるよ。あんたへの説明は、私ひとりで十分だからね」
全 思風は少女から受け取った花を、優しい手つきで触れる。
『それにしても……酷い有り様だね。普通じゃない事が起きたってのがわかるぐらいに、崩壊が激しい』
彼らがいるのは、事件のあった会合場の前だ。あの後会合場は、屋根から跡形もなく崩れてしまった。
近くには黒 虎明がおり、必死に後片づけを行っている。黄 沐阳は無事だった市民への説明をしに、出払っていた。
そしてあの場には、もうひとり男がいた。
それは瑛 劉偉である。彼は枌洋の村での出来事を知る、数少ない人物だ。けれど彼は仙人である。それがゆえに、殭屍となってしまった人々の動きを抑える役目を担っていた。
ふたりが対話をしているすぐ横で、全 思風の力によって身動きが取れなくなった殭屍たちを御している。
『…ふーん。なかなかに、それぞれの役割がしっかりとされてるんだね』
あまり興味がないようで、視線はすぐに彼へと戻されれた。
「……この花なら、小猫の居どころを掴めそうだ」
いとおしそうに花を撫で、ふっと微笑する。花を持つ右手を伸ばし、瞳を深紅へと染めた。
瞬間、彼の体から漆黒の灰が出現する。目にも止まらぬ速さで花を包んでいった。数秒もたたぬうちに花は黒く塗り潰されてしまう。
彼が空いている片手で、ちょこんと花を触った。すると花はひとりでに浮き上がり、くるくるとその場で回転を始める。
「前に、小猫に教えてもらった事がある。──花は、人の命と繋がっているんだって」
──花を操るあの子の言葉だからね。信じる以外、ないと思ってる。もっとも、それがなくても私は小猫の言う事なら、疑う必要ないって思ってるから。
「この術も、あの子に教わったんだ。まあ私は専門ではないから、あの子のように上手くいくとは限らないけどね」
それでも大切な子の言うことは絶対。忠誠心にも似た、独占欲を口述した。
間近でそれを聞いていた少女は、あきれたように肩を落としている。直後、花の形状が歪んだことに気づいた。
瞬刻、花を媒介にして空中に映像が写し出される。
「……小猫」
そこには彼が待ち望んでいる、美しい少年の姿があった。子供は座りながら、仔虎と蝙蝠を抱きしめている。そして隣には蒼い生物が横たわっていた。
『無事だったみたいだね……ん? あれ!?』
笑顔から一転、少女は驚きながら映像に食いいった。
『あの蒼いやつ……間違いない。神獣の青龍だよ』
「何!?」
少女の言葉に驚いた全 思風は少女同様、食いいるように映像を見張る。
『……どういう、事?』
ふたりは華 閻李が今置かれている現状に、苦言と疑問を申し立てることしかできなかった。




