暗闇は静かに微笑む
ピチョン、ピチョンと、雫が滴る。どこからもともなく落ちるそれは、不規則に音を奏でていた。
ここは光すら通さない場所のようで、昼なのか、夜なのかすらわからない。気温も非常に低く、息を吐いただけでも唇が冷たくなるほどだ。
「……っ!」
そんな寒さと静けさだけがある空間に、ひとりの子供が横たわっている。非常に美しい顏をした子供だ。一見すると少女のような外見。けれど実際は少年で、華 閻李という名の子供である。
彼は寒さに震えながら、深く閉じていた両目を開いていった。
「……ふみゅう?」
かわいらしい声とともに、ゆっくりと上半身を起こす。小さなあくびとともに小首を傾げ、ここはどこだろうと周囲を見回した。
けれど真っ暗に近い状態なため、夜目の利かぬ子供は限界を覚えていく。
「……何も見えない。それに僕、どうしたんだっけ? えっと確か……」
なぜ、ここにいるのか。それが疑問でならなかった。
──確か僕は、黄と黒の会合に参加してなんだよね? そのときに……
あれ? と、両目を大きく見開く。
「何があったんだっけ? ……うーん。思い出せないや。それに……何だろう? いつも側に、誰かがいたような?」
顎に人差し指を当てて、じっくり考えてみた。
最後の記憶としてあるのが、会合場である。そこには黄族の長代理、黄 沐阳が参加していた。それにつき添うために、会合場へと出向いのだ。
その場には爛 春犂の姿もあり、彼が名を偽っていたこと。
黒族の代表として黒 虎明がいたことも覚えていた。けれど……
「もうひとり、いなかった?」
あの場には、自身よりも背の高い男がいたような気がしていた。けれどそれが誰なのか。名前も、顔すらも思い出せなくなってしまっている。
思い出そうとすると頭痛がし、顔には黒いモヤのようなものがかかってしまっていた。
「……わかん、ない、や」
頭痛の種であるのならば、それは思い出すのを拒んでいるのかもしれない。彼はそう、結論づけた。
「それよりも、ここ……」
いったい、どうなっているのか。再び小首を傾げる。ふと、足元に柔らかい何かがあたった。
それは何かと見てみれば、そこには一匹の真っ黒い何かがいる。暗がりであるためハッキリとは見えなかった。そして、すぐ隣には毛むくじゃらな何かがいる。
どちらも小動物のようで、静寂の中を寝息が走っていた。
「……?」
この子たちは何だろうと、手探りで触れてみる。瞬間、強い頭痛に襲われてしまった。うっと、吐き気すら感じるほどの頭痛である。
けれどすぐに治まった。
汗ばむ額を拭い、顔をあげる。けれどその瞳には光など宿ってはおらず……
「……ああ。そう、だ。躑躅ちゃんと牡丹だった」
虚ろな眼差しで二匹の名を呼ぶ。感情すら見えぬ、まるで操り人形のような瞳で二匹を見つめた。
「…………」
少しばかりの眠気が襲う。子供は大きなあくびをし、二匹の動物を抱きしめた。そのまま横になり、再び両目を閉じる。
すやすやと、気持ちよさそうな寝息をたてた。
その身には鎖が巻きついている。けれど子供が呼吸をする度に現れる彼岸花によって、鎖は泡となって溶けていった。
それでも子供は起きる気配すら見せない。
そんな子供がいるのは、真っ暗な洞窟の中だった。暗黒の壁や天井、そして、深いのか浅いのかすらわからない湖がある。
けれど眠気に勝てなかった子供はそれを知ることもなく、夢の中へと潜っていった。
† † † †
──ここはどこなんだろう?
華 閻李は、ひたすら沈み続ける。
痺れはもちろん、何かに動きを封じられている感覚はなかった。けれど体の全てを動かすことがでない。
瞳を開くことすらままならないほど、水圧に押し潰されているわけでもなかった。ただあるのは体を引っぱるような、妙に生々しい感触だけである。それが何かなど考える余裕も、体力すらも残ってはいなかった。
「……まあ、いいか」
気だるげに呟く。ふと、生暖かい光が天から差し込んできた。
それは何かなと、ゆっくりと瞼を開く。
「……紐?」
長く、蒼い紐だ。このような場所には不釣り合いなそれは、静かに子供の元へと近づいてくる。
子供は何の迷いもなく手を伸ばし、それを掴んだ──
† † † †
華 閻李は目を覚ました。先ほどまでの眠気はあまりなく、脳もハッキリと動く。
起き上がり、足元にいる二匹のかわいい動物を見下ろしてみた。けれど暗いため、触ってみてようやく蝙蝠の躑躅、仔虎の牡丹だということがわかる。
──うーん、このままだと何もできないよ。あ、そうだ!
何かを思いついたようで、両手を前に出した。細く頼りない指で、盃の形をとる。長いまつ毛を震わせながら両目を閉じ、そこに軽く息を吹きかけた。
瞬間、何もなかったはずなのに、手のひらには橙色の提灯のようなものが現れる。ただ、提灯にしてはいささか小さかった。丸みを帯びてはいるものの、楕円形である。
「──鬼灯よ。その身を光に染めて、周囲を照らせ」
子供の透き通る声が響いた。瞬刻、手のひらに乗る鬼灯が、ふわりと浮く。淡く揺らめく幻想的な橙色の明かりを発光させながら、彼の周囲をてらしていった。
「……見えた、けど。ここって洞窟? 何でこんなところにいるんだろう? ……あれ?」
ふと、湖の方に視線を向ける。するとそこには、夢の中で見た蒼い紐が落ちていた。




