手がかりは花
絶望と怒り、その両方を兼ね備えた全 思風の叫びがその場を走る。悔しさでいっぱいな気持ちで、床を何度もたたいた。
瓦礫がガラガラと落ちてこようとも、その身に纏う黒き焔が消し去る。墨と化した瓦礫は灰となって空を舞った。
それでも大切なものが目の前から消えた恐怖に負け、彼はさらに焔を強くする。
「……お、おい、あんた……うわっ!」
無防備にも、何とか体勢を立て直すことに成功した黄 沐阳が彼の肩に触れた。瞬刻、黒い焔が増殖していく。
瑛 劉偉と黒 虎明、そして黄 沐阳のさんにんは彼を警戒した。
『……私に触るな。触っていいのは、小猫だけだ』
普段の、穏やかで品のある声ではない。
オオカミ、もしくは獅子の遠吠えのような……身の毛もよだつほどの低音が、二重、そして三重にも聞こえた。
そして、さんにんへと振り向く。瞳は闇の焔によって赫奕しきっていた。鮮血のように朱く成り果てた瞳が捉えるのは、先ほどまでともに助力の限りをつくした者たちである。
『あってはならない。このような、ふざけた出来事……あってなるものか』
静かに。
それでいて苛立ちを纏う彼の焔は、よりいっそう強大になっていった。
ゆらりと立ち上がり、己の剣を握る。
美しい見目そのままに両目を閉じた。瞬間、瓦礫を利用して会合場の屋根に登る。やがて足を止め、地上を見やった。
会合場の扉の前には無数の人々が群がっている。肌のいたるところに血管が浮かび、両目にいたっては、黒い部分などありはしなかった。両腕を前に伸ばし、ひたすら飛びはねている。
それは彼らが殭屍である証だった。
全 思風は扉を壊そうとしている屍たちに、冷めた視線を送る。剣を強く握り、軽めの舌打ちをした。
『──愚かだ』
黒き渦で全身を包みながら、誰に言うわけでもない。それでも怒りの矛先を見つけたかのように、ほくそ笑んだ。
剣を鞘に収め、右手の人差し指を前方へと向ける。細長く、きれいな形をした指からは、純度の高い蒼い焔が放出した。それを迷うことなく、殭屍と化した民たちへと走らせる。
『要らぬ。このような出来損ないなど、私には要らぬ。愛する子でないのならば、お前たちに待っているのは【死】だ』
殭屍になってしまった者たちを不良品だと、はいて捨てた。
瞳には優しさなど微塵もありはしない。あるのは残酷な、冥界の王としての立ち姿だけだった。
『喜べ、死者たちよ。この私自ら、お前たちを冥界へ連れていってやろう』
容赦なく、長い指が振り下ろされる──
゛だめだよ、思。”
そのとき、どこからか、優しい声が届く。
瞬間、彼の懐が淡く輝いた。
全 思風は無言で中を探る。やがて、布に包まれながら輝く何かを手にした。
『……小猫?』
声に呼び止められ、怒りの象徴であろう黒い焔は薄まっていく。同時に彼を支配していた朱き瞳も、濡羽色へと戻っていった。
彼は心を落ち着かせ、深呼吸をする。手に持つ布をめくれば、そこには一枚の花びらがあった。朱くて長い、彼岸花の花びらである。
それを撫で、慈しみの声音で囁いた。
「小猫、君なのかい?」
花びらは答えてはくれない。それでも愛する者の声を信じ、彼は両手で優しく花びらを抱いた。
「……うん。うん! ごめんね小猫」
怒りに任せた行動は取らないよと、いとおしそうに花びらへ唇をよせる。今にも泣いてしまいそうなほどに憂いた瞳で、花びらをしまった。
けれど数秒後には真剣な面持ちに切り替わる。
怒りに任せた焔ではなく、正常な判断の元に創られた蒼い揺らぎを指先に乗せた。迷いなく雫として、地へと落下させる。
すると、蒼さをもつ焔は殭屍たちを包んでいった。けれど彼らを燃やすためのものではないよう。殭屍に変貌した人々を一ヶ所に集めるようにして、狭まっていった。
逃げ道を失った殭屍らは、その場でひたすら飛びはねている。
「……本当、私はどうかしてたよ」
指をパチンと鳴らした。瞬間、焔は大きな網のようなものへと変化する。殭屍たちがそこから動くことができぬよう、焔に向かって右手を握りしめた。
網のようでそうでない何かは、たちまち殭屍たちを包囲していく。
しばらくして、完全に彼らを閉じこめることに成功した。
彼は無言で網を見張る。けれど興味が失せた様子で踵を返し、黄 沐阳たちの元へと戻った。
あっけにとられている黄 沐阳たちをよそに、彼は瓦礫の上に腰かける。
──小猫の居場所、わからないな。この花びらから辿れないかやってみたけど、あの子の気配がしない。多分、花びら一枚じゃ追えないんだろうなあ。
手詰まりな状態になり、苦虫を噛み潰したように眉を曲げた。
「思風殿、いかがされた?」
瑛 劉偉が真っ先に質問をする。彼はこの場にいる誰よりも、全 思風とのつき合いはあった。もちろん華 閻李ほどではないが、それでも町や関所をともに回った経緯がある。
そのぶん、全 思風について詳しくはなっていた。
「……いや。小猫の痕跡を辿ろうとしたんだけど、この花びら一枚じゃ弱すぎて」
「……? 花、があれば、よいのか?」
なぜ花が必要なのか。それを問うことはせず、前向きに話を進める。
「うん、そう。あの子の居場所を探るには、花が必要なんだ。ただ、あの子が術で作った花じゃないと無理だけど」
どうしたものかと、腕を組んで悩んだ。
「……花か。確かに閻李は、花を使っていたが…………あっ!」
少しばかりの沈黙の後、瑛 劉偉は声を荒げる。彼の眼前に立ち、花びらをじっと見つめた。
「思風殿、それならばひとり、いるではないか! あの少女にお願いしてみてはいかがか!?」
「うん?」
少女とは誰のことか。全く思いつかないようで、全 思風の瞳は大きく見開かれてしまう。
「名前まではわからぬが……確か閻李が枌洋の村で、少女に花を作ってあげたと言っていなかったか?」
「…………花、花……あっ。あーー!」
旅の始まりとも云える枌洋の村。そこにいた少女である雨桐に、花の簪を送った事実があった。
それを思い出し、彼は重い腰を上げた。




