鳥籠、そして鎖
ゴーン、ゴーン──
王都の上空に突如現れた大きな鳥籠は、鐘の音のようなものを響かせていた。それは非常に大きく、耳の鼓膜を破るかと思われるほどだった。
外に出た誰もが耳を塞ぎ、いったい何だと騒ぎたてた。
瑛 劉偉たちも両耳を塞ぎながら上空に視線をやっている。
けれど全 思風だけは平然とした顔をしていた。銀の髪をした子供の耳に両手を添える。
そんな彼の不思議な行動に華 閻李は小首を傾げた。
そのとき、鳥籠に異変が訪れる。鐘の音は静かに消えていった。直後、鳥籠が朱みをおびた黒い焔に包まれていく。その焔の粉が地上へと降り注ぎ、人々の体に触れていった。
瞬刻、触れた者たちが突然苦しみだす。そして焔の粉が燃え上がっていった。
雄叫び、恐怖からくる泣き声など。それらが、そこかしこから聞こえてきた。
やがて人々の肌は土気色になり、両目は血走っていく。
「──これはいったい、どういう事だ!?」
真っ先に外へ出て確認したのは黒 虎明だ。瑛 劉偉、黄 沐阳も後に続く。
彼が会合場の外に顔をだしたときには、何人かが苦しみ踠いていた。近よってみれば、腕や首などに血管が浮かび上がっている。
「これはまさか!」
誰が口にした言葉か。それを考える余裕すらないほどに、次々と人々の見目が変わっていった。
瑛 劉偉は青い漢服の袖を揺らしながら、黒 虎明の隣に立つ。そして目線だけを彼に与えた。
彼は頷き、大剣を背中にかける。
「外にいては危険だ! 無事な者は一旦、中へ入れ!」
変貌が始まってしまった者を置き去り、彼らは一斉に会合場へと戻った。
数人の無事な人たちを連れて、大きくて頑丈な出入り口の扉を閉める。
「……無事だったのは我々と、数名のみか」
黒 虎明や瑛 劉偉をはじめ、黄 沐阳もいた。
さんにんは無事だった人々の怪我、そして変貌の兆しがないかを確かめる。もちろん自分たちも例外ではなく、首や足など。あらゆる箇所を自分で調べていった。
「残酷な事を言うかも知れぬが、よく聞いてくれ。もしも、先ほどのように体に異変があるとされた場合、この場所から出て行ってもらう。当然それは、俺たちとて例外ではない!」
てきぱきとした、黒 虎明の太い声が響く。
数名の者たちはざわつき、短い悲鳴を口にした。けれど彼の目力に蹴落とされ、縮こまってしまう。
「……それにしても、あれはいったい何だというんだ」
「──多分だけどあれは血晶石の上位術、血命陣の類いだと思うよ。後、あの焔を浴びた連中は、おそらく殭屍になってると思う」
一息ついていた黒 虎明の横に、全 思風が並んだ。彼は首にかかる長い三つ編みをはたき、扉の向こう側を凝視する。
「あの鳥籠から出てきた焔。あれは間違いなく、冥界の焔だ」
淡々と言い切った。
「めい……かい? まさかそれは、死者が向かう先にある國の事を申しているのか!?」
「うん? ああ、うん。そんな感じかな?」
黒 虎明の驚きをよそに、彼はあっけらかんとしている。
やがて会話に飽きたのか、部屋の角へと移動した。
「ま、待て全 思風! 冥界などという國が、本当にあると思っているのか!? あれはおとぎ話の中の空想だぞ!」
男の怒号が、うるさく轟く。つかつかと足音をたてながら彼の元へと向かった。どういうことかと彼の肩を掴む。
全 思風は心底めんどくさそうに、ため息をついた。
「そんな事言ったって、あるものはあるんだから。しょうがないよ」
説明そのものが億劫だと告げる。しかし視線は瑛 劉偉へと向けられていた。
瑛 劉偉は合図だと悟り、彼に代わって説明を行う。
しばらくすると会合室内は血命陣のときよりも騒がしくなっていった。
なかには冥界と聞くや否や、今回のことは彼の仕業だと言う者もいる。疑心暗鬼になった人々はそれにつられ、次々と全 思風を糾弾し始めた。
けれど彼は痛くも痒くもないといった様子で、角にいる子供の隣へと座る。
子供の顔色はあまりよくないようで、何度も荒い呼吸を繰り返していた。
「小猫、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよ。ちょっと怠いだけだから」
銀の前髪がかかっている大きな瞳が潤む。全身が小さく震えており、眉間にシワがよっていた。
「……怖いかい?」
大きな扉の外からは、悲鳴が幾重にもなって聞こえてくる。ときおり扉を強く叩く音もした。それでも開けるわけにはいかないと、この場にいる誰もが心を鬼にして扉から目を背けている。
全 思風は子供の肩をとり、優しく見つめた。
「大丈夫だよ。私が絶対に、君を守ってあげるから」
「……うん。ありが……」
笑顔を無理やり作った転瞬──
ふたりの間に巨大な鎖が二本落ちてきた。それは天井を突き破り、屋根を破壊してしまうほどの巨大さだ。
「小猫!?」
彼の慌てた声も虚しく、鎖は容赦なくふたりの間を引き裂いていく。そしてついには、一本が華 閻李の全身に巻きついてしまった。
鎖に霊力を奪われた子供は、その場にうつ伏せになる。かろうじて動く左腕を彼の元へと伸ばす。
全 思風は瓦礫へと飛び乗り、天から伸びている鎖を剣で斬り刻もうとした。しかし剣は金属がぶつかる音をだして弾かれてしまう。
そこに黄 沐阳たちも駆けつけ、彼らも剣や札などで鎖を切断しようとした。それでも鎖はピクリともしない。
「待ってて小猫! 今、助けてあげ……」
ジャラリ……
全 思風が瞳を深紅に染め、黒い焔を出現させた。瞬間、鎖は勢いをつけて黄 沐阳を吹き飛ばした。
札で応戦する瑛 劉偉は、天から伸びたもう一本の鎖に腹部を殴りつけられてしまう。その勢いのままに大剣を持つ黒 虎明すらも、壁へと押しやってしまった。
彼らをいとも簡単に弾いた鎖は、子供を連れて少しずつ浮上していく。
「させない!」
「……思」
子供の腕が、力なく彼へと伸ばされた。彼は剣を投げ捨て、両手で少年の腕を掴む。触れることができた喜びに、ふたりの顔には微笑みが生まれた。
華 閻李が、その安心からほっとする。けれど……
音もなく、子供の姿が薄れていった。
彼は必死に子供を呼び続けるが、その健闘が無駄と云わんばかりに姿が消えていく。そのとき、壊れた屋根から現れた猫と蝙蝠が鎖に飛びついた。
数秒後には少年の声も、姿すらもなくなっていた。鎖も消えている。
残ったのは瓦礫の山や怪我を負った黄 沐阳たち、そして外にいる殭屍と化した者たちだった。
全 思風は地面を強く叩く。
「くそっ! くそっ! くそぉーー!」
何度も何度も、あきれるほどに、愛しい子の名を叫び続けた。




