碧き彼岸花
透明な硝子、ともすれば、海のように碧く輝く彼岸花。美しく光り続ける幻想的な光景が、静かに造りだされていった。
それを造ったのは他でもない、花の力を使う美しい少年である。子供は艶めいた瞳を花の中心で瞬かせた。
雄しべは雌しべを導く。
碧き色は魂の声。
蜘蛛の糸のように細く、脆い銀の髪が、彼岸花の碧に彩られていった。
長いまつ毛の下からのぞく大きな瞳は宝石のように煌めき、白い肌は淡い光を浴びていく。薄い唇から洩れる吐息は優しく、弱々しさすらあった。
風に靡く柳のように細く、しなやかな体が儚さを生む。
ぞっとするほどの端麗さに包まれながら、華 閻李は今、軽く踵を踏んだ。瞬間、床を覆いつくしていた碧い彼岸花は泡となる。
子供は輝くばかりの姿のまま、手に持つ枝へ柔らかな口づけを落とした。すると、枝はひとりでに宙へと浮かんでいく。
「──蝋梅の枝よ。君に残された想い……心残りである友への気持ちを、伝えてあげて」
神秘的で幻想的。そんな言葉が、子供の全身から漂っていた。
ふっと両目を閉じ、ゆっくり枝を掲げる。次に目を開けた瞬間、枝は浮遊した。そしてゆっくりと、水平を辿るように、ひとりの男の前で止まる。
男は黒 虎明だ。彼は驚きから戻ってこれないようで、両目を大きく見開いている。だらしなく口を開いたまま、微動だにしない。
「……黒 虎明。その枝に触れてみて」
あなたが会いたがっている友の声を届けてくれるからと、鈴の音のような声で語った。
無意識に。黒 虎明の表情は驚いたまま、手だけが枝へと伸びていく。彼の太い指が枝へと触れたとき、目を閉じてしまいたくなるほどの光が放たれた──
† † † †
大柄な男黒 虎明は、目の前の光景に驚愕していた。
先ほどまでいた幻想的で碧い景色など、ここにはない。あるのはどこまでも暗く、終わりの見えない闇そのものであった。
けれど彼は恐怖するでもなければ、泣き叫ぶこともしない。肝が据わった様子で、周囲を見回していた。
「……む? これは、どういう事か? あの麗しい少女の仕業のようだが。……ん?」
華 閻李を少女と勘違いをしながら、眼前に注目する。そこにはこの暗闇だけの空間には似つかわしくない、朧気な人の形をした何かがいた。白く発光しており、ときおり姿を揺らめかせている。
彼は臆することなく、それへと近づいた。
転瞬、それは微かな微笑みを浮かべる。
「……お前はまさか……雪明、なのか?」
『…………』
それは言葉を発しなかった。けれど頷き、再び微笑む。
彼はそうかとだけ呟いた。出した手を引っこめ、それの隣に腰かける。
それは彼を真似するようにふわりと形を変え、同じく地へと座った。
「……あのとき」
『…………』
彼が呟けば、それは小首をかしげるような仕草をする。
「あの日、俺が帰らずにいたのならば……お前は、死なずにすんだのか?」
雪明とは字で、本名は雪 潮健。友中関という関所で命を落とした男だ。そんな男は黒 虎明の友であり、字で呼び合うほどの仲である。
けれど男は悲劇に巻きこまれ、殭屍となってしまった。それでも最後まで、化け物になっても、自分の夢を諦めようとはしなかった。
そして黒 虎明は、その日のことを悔い続けている。
事件のあった前日、彼は発端となる者たちを見ていたのだ。けれど何もせず帰ってきてしまい……結果として、親友を亡くしてしまう。
それがずっと心に重くのしかかり、後先考えずに内戦への加入をしてしまったのだ。
「俺は、お前を見捨ててしまったようなものだ。だから俺は自棄糞……八つ当たりのように、黄族へと喧嘩を吹っかけた」
今思えば、なんとも幼稚な行動か。そう、元気なく笑う。
『…………』
ふと、隣にいるそれが突然立ち上がった。かと思えば、彼の腕を引っぱって無理やり立たせる。
彼は驚きつつも、何だよと問うた──瞬間、トンッと、軽く背中を押された。
彼は少しだけ前のめりになるが、それを見つめることを忘れない。
『…………』
それは、静かに闇の向こう側を指差した。
「……戻れ。そう、言っているのか?」
『…………』
それは何度も頷く。
「……はは、お前は昔から真面目だったからな。本当に、頭が上がらん……ん? これは……」
苦笑いをしている彼の元に、一輪の碧い彼岸花が降ってきた。手に取れば、ほんのりと暖かい。
「そう、か。これは、あの少女の。もう、戻れという事か?」
もう、ここにいられない。そう、悟った。
後ろにいる友へと振り向き、真剣な面持ちになる。
「聞いてくれ雪明、俺は決めたぞ」
『…………?』
何をと言いたげなそれに、満面の笑顔を送った。そして両手を袖の中へと隠し、腕を前に出して軽く会釈をする。
「──俺、黒 虎明は、今から、黄族と同盟を結ぶ事を誓う。そして、お前をこんな目に合わせた……いや、違うな」
自らの言葉に首をふり、正しい文言に変えた。
「度重なる、不可解な事件。それを解決するために黄族と手を取り合い、進む事とする!」
声高らかに。されど少しだけの震えを乗せ、宣言する。
顔を上げ、細い瞳に焔を滾らせた。組んでいた腕をほどき、踵を返して闇の先へと歩く。
その瞳に迷いなどない。あるのは決意と、友への誓いだけだった。
『──最期に、おっかあと黒熱に逢えてよかった』
遠ざかる背後から、そんな声が聴こえた。それでも彼は振り向かず、まっすぐに前を歩み続ける。
彼は微笑んだ。けれど……
頬には一筋の雫が流れていた。




