逃走と行方不明
豪快なまでに派手な登場をした男──黒 虎明──は大剣片手に、場の空気を壊した。
そんな彼は逃げだしたように見える全 思風を追いかけ、ここまでやってきたよう。目的の男を見つけるなり、大剣の先を向けてきた。
「貴様、この俺から逃げられるとでも思っているのか!?」
大剣を両手で持ち替え、刃先を後ろへとやる。片足を後退させて、腰を少しだけ落とした。軸足に全体重を乗せたと同時に、霊力を大剣へと流しこむ。
「勝ち逃げは許さん!」
全 思風を睨みつけ、大剣を下から上へと振り上げた。すると武器から青白い焔が溢れだし、目標と定めた彼へと直進していく。
全 思風はあきれながら苦笑いし、嘆息した。瞬間、彼の瞳が濃い朱を生む。
しかし、空気の読めぬ男が放つ焔を全身で食らってしまう。
「はっはっはっ! この俺から逃げきれるなどと……そんな甘い考えが通じると思……むっ!?」
豪快を通りこした笑い声が、ピタリとやんだ。見張りながら大剣を強く握り、ギリッと歯軋りをたてる。
「……状況、読んでから攻撃してくれない?」
炎よりも熱い焔の直撃を受けたと思われていた全 思風だったが、彼は無傷だった。むしろ、蚊でも払うかのように片手で扇いでいる。
「化け物め!」
「うん? あー、違う違う。私が化け物じゃなくて、君らが弱いってだけ。あ、小猫は別だよ。とっても強くて、私では敵わないからね」
仙人たちの中でも屈指の強さを誇り、獅夕趙というふたつ名すら持つ男。それが黒 虎明だ。
けれど彼はそんな男を前にして、弱いと称する。
当然、そう言われた黒 虎明は納得できるはずもなく……大剣を床へ突き刺して、ズカズカと足音をたてながら彼の元へとやってきた。
体格はほぼ同じ。けれど身長は全 思風の方が少しだけ高いようだ。それでも見下ろすほどの差があるわけではないので、ふたりは同じ位置で目を合わせる。
「嘗めた口を……俺は、黒族の長の代理を務める黒 虎明だぞ!? その俺が、弱いだと!?」
彼の漢服の襟を掴んだ。怒りに身を任せた瞳を向け、両手に力をこめる。
「……あのさあ。今、それ、重要なの?」
「……っ!?」
全 思風は怒りで我を忘れている男を、言葉で切り捨てた。掴まれている手を叩き、男の隙だらけの足を軽く蹴る。
体勢を崩した黒 虎明は、床へとしりもちをついた。
「あんたらの強さとか弱さとかは、どうでもいい。私が今必要なのは、あの男を殺す事だけだよ」
冷ややかな視線で、足元にいる男を見下ろす。乱れた襟を直して黒 虎明ではなく、白服の男へと視線を走らせた。
彼の視線がどこに向かっているのか。黒 虎明はそれに気づき、ハッとする。
「あれは……白氏か!?」
勢いをつけて起き上がれば、大剣を手にした。瞬刻、大剣が再び青白い焔を纏う。「あ、ちょっと!」と、全 思風の声を無視し、大振りに空を斬りつけた。
瀕死の状態となっている白服へと、焔が疾走していく。その焔の横に並ぶようにして、黒 虎明が大剣を振り下ろした。
けれど、金属同士がぶつかり合うような音とともに、彼の大剣は小刻みに揺れながら弾かれてしまう。
「何ぃっ!?」
豪快すぎる驚きとともに弾かれた衝撃で、空中へと放り出されてしまった。けれど場馴れしている黒 虎明は慌てることなく、空中で体を回転させて着地する。
「……卑怯な真似を!」
黒 虎明の怒りに任せた眼差しが、この場を凍りつかせた。
そんな男を凝視する全 思風は、ただただ深いため息をつくばりである。
──この男、実力はあるんだろうけど……無鉄砲すぎないか?
彼の行動に、文句のひとつでも言ってやりたかった。しかし今は考えなしのこの男よりも白服……白氏たちである。
黒 虎明が血まみれの白氏を攻撃したとき、大剣ごと弾かれていた。それはひとえにその白氏を、別の誰かが庇ったことに他ならない。
乱入ともいえるそれは、黒 虎明だけでなく全 思風を驚愕させるにはじゅうぶんな代物だった。
「……やっぱり仲間がいたんだね? まあ、探す手間が省けたからいいけどさ」
全 思風の全身を黒い霧が包む。血のように朱く染まる瞳で、しっかりと白氏たちを映した。
白い服の者たちは先ほど戦っていた男、そして黒 虎明を苦戦させていた者の、ふたりである。
突然現れた白氏の者は布で顔を隠しているため、どのような見た目かはわからない。けれど体格からして、男であるということだけはわかった。
「私の小猫を傷つけたんだ。それの代償は払ってもらわな……」
「おのれ! 自分だけでは勝てぬからと、仲間を呼ぶとは! 何と卑怯な! 正々堂々と、真っ正直から立ち向かう事もできんのか!?」
「……いや、ちょっと。黒 虎明、あんた何言って……」
「漢ならば裏から手を回す事をせずに、胸を張れぃ! ……あっ! 待てこら! 逃げるな!」
彼の奮闘も虚しく、白氏たちは煙のようなものを撒き散らして逃走してしまう。
「おのれー!」
ギャーギャーと、ひとりで騒いだ。
全 思風はそんな男を背中越しに見つめ、頭を抱える。
こんなのがなぜ、黒族の長の代理をしているのか。それが不思議でならなかった。ふと、そこでひとつの疑問が生まれた。
あれっと首をかしげ、大人げなく騒ぎたてる黒 虎明の首根っこを捕まえる。
「……ねえ、あんた何で代理やってんの? 長は、あんたの哥哥じゃなかったの?」
全 思風の冷静な態度につられ、黒 虎明も落ち着きを取り戻した。
「……大哥はある日を境に、行方がわからなくなっている」
ずっと探してはいるんだがなと、力なく答える。
「行方不明って事?」
「ああ、そうだ。少し前に王都で、黒と黄の長を交えた会合が開かれた。その日以降、大哥は姿を見せなくなってしまったんだ」
腕を組み、ため息をついた。そして全 思風……ではなく、部屋の隅にいる黄 沐阳を見つめる。
「……黄族内でもいろいろとあるようだが……俺はお前らが、大哥を隠していると思っている」
強面な見目を崩さず、じっと黄 沐阳を凝視していた。




