決意とけじめ
「──黄 茗泽、あんたには黄族の長を退いてもらう。それが内戦を引き起こした者の……」
黄 沐阳はいつになく、ハッキリとした口調で宣言した。
爸爸と呼び、黄 茗泽を親として尊敬していた。けれどそんな、大好きだった者はもういない。いるのは私利私欲のために仙人を戦争へと介入させ、人間たちを混乱と恐怖に陥れた男だ。
彼は、それをよしとはしない。
元々、仙道が人間の争いに参加しないということを律儀に守っていた。
大切な母親に手をかけられても、自身の偽物が現れて窮地に立たされたとしても、内戦への参加など許さない。
普段は無鉄砲でわがままな彼だが、筋を通すところは通す。そんな性格も持ち合わせていた。
「家族に手をかけた者を裁く。それが今、俺にできる、唯一の事だ!」
視線を決して逸らすことはない。
『……ははは。本気で言ってるのか? お前、爸爸を当主の座から降ろして、その後どうするつもりだ? ああ、そう。お前自身が、新しい当主になるってわけか?』
自意識過剰なやつの考えそうなことだ。お腹を抱えながら笑った。そして黄 沐阳を見、プッと吹き出す。
『本当に新当主になれるとでも? お前、自分が嫌われてるって知らないのか? 皆、お前のわがままさに嫌気がさ……』
「知ってるさ」
飾らぬ自然な声がこぼれた。
誤魔化しなどしたところで何も変わらない。だからかそ、自分の心を隠してはいけないのだと口述した。
「黄族だけじゃねー。黒族にだって嫌われるって事ぐらい、俺自身が一番よくわかってる」
彼のわがままぶりは目に余るものがある。他族にすらそれが知れ渡っており、今では黄族の厄介者とすら云われていた。
そんな男であっても、例えついてきてくれる者がいなかったとしても、これは逃げることのできない事実そのものである。
「爸爸には兄弟がいるし、その叔叔には俺と同じぐらいの息子がいる。そいつの方が優秀だし人望も厚いだろうから、俺よりは当主に相応しいだろうさ」
だけどなと、ふっ切れた笑みを口に乗せた。
「……それでも俺は、自分の親が仕出かした事の落とし前をつける。つけなきゃならねーんだ!」
地位、名誉、お金。それらは大事なものではある。けれどそれよりも家族という、替えのきかぬものに比べれば小さなことだった。
彼は意思と信念を声に宿し、眼前にいるもうひとりの自分へと活を放つ。
『……へえ? 今まで散々親のすね齧ってた癖に、何突然いい子ぶって……』
「ちげーよ」
首を横にふった。
「大人にならなきゃいけねーんだよ。俺も、お前も」
内戦が始まった段階で、子供だからという理由は通じなくなる。それは単に、父の黄 茗泽が決まりごとを破ってしまったからだった。
「子供のままでいられるなんてのは……」
瞬間、目にも止まらぬ速さで床を蹴る。右手に剣を握りながら、もうひとりの自分の体を貫いた。
同じ顔をしている男は両目を見開き、吐血しながら倒れていく。黄 沐阳はその男の上に馬乗りになり、剣を両手で持って高く上げた。切っ先。男の方へと向かせ……
「もう、無理なんだよ!」
両目に涙を溜める。
「大人が始めた戦争を……狂った大人を止めるためには……」
とめどなく、涙が溢れてきた。
跨いでいるもうひとりの自分を見下ろせば、男は苦痛に顔を歪ませている。不気味に笑ってもいた。
それでも黄 沐阳は剣を男へ突き刺す。
「俺たち子供が、それを正す必要があるんだよ!」
震える腕に力をこめ、はあはあと荒い息遣いになった。
しばらくするともうひとりの男は笑ながら、指ひとつ動かすことはなくなる。
黄 沐阳は無言で男から退いた。けれど背中を丸め、ううっと泣いた。
傍観者になるしかなかった華 閻李は、彼の元へと駆けよる。泣いている彼の肩に手を置いた。
すると彼は顔を上げる。顔を情けなく鼻水まみれにし、子供のように泣き喚いた。両手を見ながら体を震わせ、その場に両膝から崩れ落ちる。
「……自分を殺す、なんて、気持ちいいもんじゃねー、な」
もしもそれが本物の自分ならば。そう考えただけでも、恐怖が生まれるのだろう。
華 閻李は、どう答えるべきか悩んだ。けれど答えなど出るはずもなかった。
──僕だって、同じようなことが起きたら怖い。自分を目の前で殺すという行為が、どれだけ勇気を必要とするのか……
未知の感覚に、眉をへの字に曲げた。
「沐阳、だいじょ……っ!?」
黄 沐阳を立たせようと手を貸したそのとき、黄 茗泽の身に異変が訪れた。
急いで彼を起こし、咄嗟に黄 茗泽から距離をとる。
今までカクカクと、操り人形のような動きをしていた男の瞳が大きく見開かれた。
「……パ、爸爸!?」
父親の意識が戻ったのかと、彼は喜ぶ。しかし華 閻李はそんな彼の腕を強く掴み、行ってはだめだと忠告した。
「何すんだよ!?」
「あれは……旦那様じゃないよ」
子供の瞳が細まる。黄 茗泽らしき男を凝視しながら、穴が開くほどに見入った。
黄 茗泽はまっすぐ立ち、じっとふたりを見つめている。やがて片手を動かし、けけけっと奇妙な笑い声をあげた。
それを聞いた黄 沐阳は、男が自分の父ではないと確信する。しかしとき既に遅しで、男の魔の手は彼の体を吹き飛ばした。
「けけけっ。弱いねえー」
彼を殴り飛ばした手で自身の顔を覆う。指と指の隙間から黄 沐阳……ではなく、華 閻李を直視していた。
「……っ!」
男の瞳に恐怖心を覚えた子供は、部屋の外へと通じる扉へと走る。
瞬間、男の手が華 閻李の細い足首を捕まえた。そのままズルズルと引きずられ、全身に鎖が巻きつく。
子供はこの鎖に見覚えがあった。
水の町、蘇錫市。そこにいた妓女が使っていた物と非常によく似ているのだ。
「…………」
鎖に動きを封じられたあのときのように、また全身から霊力がなくなっていく感覚に見回れる。逃げる気力、体力すらも吸い取られていくようだった。
黄 沐阳がよろめきながらも子供の名を呼んでいるのだが、それすら耳に届かない。
「ひひっ。色々と予定は狂った。だが、この銀髪の小僧を連れていけば、あのお方のお怒りは収まるだろうさ。何せ……」
意識が朦朧となっている子供を肩へと担いだ。
「扉の鍵の可能性が高いからなあ」
不快とすら思える笑い声を響かせ、踵を返す──
ドスッ
「……あ?」
方向を変えた転瞬、男の服を大量の血が汚す。男は何が起きたのかわからず、ふらふらと、不規則な動きで体を揺らした。かと思えば、華 閻李を担いだまま前のめりに倒れる。
ふと、子供の体が優しく浮いた。大きくて逞しい手が、少年を包む。
「遅くなってごめんね小猫、でも、もう大丈夫だよ──」
華 閻李に優しい声をかけるのは……
美しい青年、全 思風。その人であった。




