写し鏡と決意
全 思風の手の中にあったはずの彼岸花が、光の粒子となって消滅していった。
彼は悔しさを壁にぶつけ、何度もたたく。そのとき、壁がガコンッという鈍い音をたてて前へと倒れてしまった。
「うわっ! ……っ!? これは……隠し通路か!?」
奥へ続く道が現れたが、明かりひとつもない場所となっている。しかし彼は元々夜目が利く。明かりなど必要ないと云わんばかりに、暗黒しかない空間へと足を踏み入れていった──
□ □ □ ■ ■ ■
部屋の隅に、大きな台座がひとつある。台座のいたるところには札が貼ってあり、常に光っていた。
部屋の中を見渡せば、食器棚や勉強机も置かれいる。
そして何体もの殭屍が、部屋を囲うように等間隔に立っていた。この者たちには一枚ずつ、札が額に貼られている。それが、やつらの動きを封じているようであった。
殭屍らに囲まれるようにして部屋の中央では、男がふたり。互いに剣をぶつけ合っていた。
ひとりは扉側に、もうひとりは台座を背にしている。
『……安心しろよ。黄家の跡取りは、俺がしっかりとやってやるからさ』
上は黄、下にいくにつれて白くなる漢服を着るのは黄 沐阳と、もうひとり。彼とまったく同じ顔をした男が語りを入れてきた。
難しい顔など一度もせす。人を小馬鹿にするような笑みを浮かべ続けていた。勝ち誇ったようにケタケタと笑い、黄 沐阳を力任せに剣ごと薙ぎ払う。
そんな男の後ろには、黄 茗泽が立っていた。ただ立っているのではなく、人が変わったかのように涎を垂らしている。カクカクと、あまりにも妙な動きをしていた。
「……爸爸」
声を荒げるのは反対側……部屋の外へと通じる扉を背にする、もうひとりの黄 沐阳である。隣には銀髪の美しい少年である華 閻李が控えていた。
ふたりは奥にいる者たちを睨みつける。
「俺の偽物め! 爸爸に何をした!?」
ハッキリとした声を相手へと投げた。
奥にいるもうひとりの男は、不気味なほどに片口を上げている。次第に感情が抑えられなくなっていったのか、お腹を抱えて下品なまでにほくそ笑んだ。
『──俺が偽物? それは誰が決めた? お前が偽物かもしれないのに?』
獣の雄叫びにも似た声が発せられる。姿形は同じなのに声だけは歪で、耳をつんざくほどに耳障りな音だった。
右手に剣を持ったまま両手を左右へと伸ばし、一番近くにいる殭屍の額にある札を切り裂く。すると化け物は首を激しく振動させ、華 閻李たちへと舵をとった。
黄 沐阳は唇を噛みしめ、華 閻李を背に隠す。
『あは、あは、あは。無駄無駄! 俺は知ってるはずだ。こいつらは剣じゃ倒せないってなー!』
楽しそうに、次々と殭屍の額にある札を斬っていった。そうすることにより殭屍らの封印は破られ、華 閻李たちに襲いかかるからである。
『やれ! あいつを……黄 沐阳を食い殺せ!』
本物にとって変わろうとしているようで、男は容赦なくふたりに殭屍をけしかけた。
殭屍たちは両手を胸の辺りまで上げ、前へと伸ばす。ドスンドスンと飛びはねながら、扉側にいる彼らへと進んでいった。
「……くそっ! 剣じゃ役にたたねーし」
やけくそ気味に一番近い殭屍の脳天へと投げつける。けれど剣が刺さっているにも関わらず、化け物が進行速度を緩めることはなかった。
黄 沐阳、そして子供は後退する。けれど背後にある扉に道を塞がれてしまった。徐々に殭屍たちに囲まれていく。逃げ場がなく、このまま噛まれるのを待つばかりになってしまった。
彼はもうだめだと両目を瞑る。死ぬという恐怖に震えが止まらないようで、嗚咽を溢した。
それでも無意識か。華 閻李を背中に隠したまま、子供を守ろうと必死に背を伸ばしていた。
──この人、僕のこと守ろうとしてくれてるんだ。だけど……
多勢に無勢でしかなく、このままではふたりとも死を待つのみとなっている。
当然、子供はそんなのは嫌だと心の中で駄々をこねた。ギュッと、両手を拳に変えた。銀の髪の奥からのぞく大きな瞳で、迫りくる化け物たちを凝望する。
──そうだ、迷ってる暇はない。思にばかり頼ってちゃ、ダメなんだ。
自身が変わらなければならないのだと、両目に決意を宿した。
「くそっ! ここまで来て……目の前に爸爸がいて、戦争を止めなきゃならな……って、おい!?」
ここまでの努力が無駄になった。そう、諦めたかのように全身の力を抜いたとき、子供が前へと躍り出る。
彼からの静止の声など耳に届かない。手きは細長い筒を持ち、それの引き金を押した。瞬間──
ドンッ──
奇っ怪な音とともに、一体の殭屍が吹き飛ぶ。
「諦めちゃだめだ」
鈴の音のような優しい声音が、部屋の中を走る。
ふわりふわりと、どこからともなく黄色や白の花びらが舞い、子供はそっと指先で触れた。すると、どうしたことか。花びらは白く細長い筒に変化していく。
それを手に取り引き金を強く握れば一体、また一体と、殭屍たちを弾き飛ばしていった。
狂暴な牙をちらつかせる化け物を躱し、喉の奥へと筒を押しこむ。爪をたてて向かってくるものには自らの小柄さを生かしながらしゃがみ、腹部へと筒を押しやった。
うさぎのように高く飛んで上空から襲いくる殭屍には、片手で撃ちつける。
目にも止まらぬ速さで、次々と糾弾していった。
先ほどまで優位に立っていた男も、子供を庇っていた黄 沐阳ですら驚愕してしまう。
数分後、倒すことのできないとされていた殭屍たちは動かなくなっていた。腹部から出血しているものや、頭部を撃ち抜かれてしまっている殭屍もいる。
普通ならば化け物たちは起き上がって再起動するのだが……どういうわけか、華 閻李によって処罰された殭屍らはピクリとも動かなかった。
「……沐阳、逃げ道を作るのは簡単だよ。でもさ?」
大きな瞳に憂いを乗せ、儚げに笑む。
「それじゃあ、何のためにここに来たのかわからない。黄家の跡取りとして。子供として、親と向き合う。そのために何が必要か。あの人に……黄 茗泽様に、決意を示さなきゃ」
目を見て話し合う勇気。それさえあれば……それが一番必要なんだと、子供は彼の背中を押した。
黄 沐阳は両目を見開く。震え続けている体を整えるよう、深く深呼吸した。そして同じ姿をする男へと向き直る。
大きく息を吸い、ふうーと吐いた。握る剣の切っ先を、大きな台座の側にいるふたりへと向ける。
「──爸爸……いいや、黄 茗泽! 内戦を引き起こした罪をもって、黄族の長の座を降りてもらう!」
声高らかに啖呵を切っていった。




